良い子

七人は、ゴツゴツとした山道を下っていた。
峠を越えて少しいった辺りの、急な斜面だ。
真上から太陽が照りつけているが、それを遮る木は一本も生えていない。
かろうじて道の脇に雑草が生えている程度である。
左は岩壁、右手には谷がある、狭い道だった。
日陰がないので休憩しようという気も起きず、彼らは無言で暑さの中を歩いていた。
遥か谷底からはごうごうと水の流れる音がしている。
全身汗だくで、その音を聞いていると何だか意識が遠のいていく気さえした。
「暑い……暑い暑い暑い……」
耐え切れなくなった蛇骨が、うわ言のように呟いた。
「蛇骨、やめろ……聞いてるだけで暑い」
その隣を歩いていた睡骨が、喋るのも面倒くさそうに言う。
二人の前を歩いていた蛮骨と煉骨は、無言で視線を交わした。
「大兄貴、さすがにこのままじゃ日射病になってもおかしくねぇぜ……」
「だからって、どうしろって言うんだ…
休みたいのは山々だが、日陰なんてねぇし……」
森が見えるのはまだまだずっと下の方だ。
蛇骨が喋り出したのをきっかけに、他の者たちも不満をぶつぶつと口にし始めた。
「あついなぁ…」
「ああ。あっちぃ…」
「ギシッ、焼けそうだぜ…」
「水がぬるい」
先頭を行く蛮骨は、後ろからお経のように聞こえてくる愚痴を受けて半眼になった。
別に自分が悪いわけではない。
依頼主のところへ行くにはどうしてもこの山を越えねばならないのだし、暑くて我慢ならないのは自分も同じだ。
それは仲間たちだって知っているはずだから、この愚痴は自分に向けられているものではない。……たぶん。
そう思いたいのだが、後ろの愚痴念仏は構わず続いていた。
蛮骨の考えていることを察した煉骨は、慌てて皆に黙るように身振りで命じた。
初め何のことかわからなかった者たちも、蛮骨の様子を見て慌てて口を閉じた。
背を向けているものの、妙に静かなその様子からは一種の恐怖が感じられたのだ。
きっと頭の中で何かぐるぐると考えているのだろう。それを爆発させようとは、誰も思わなかった。
ひとまず爆発は免れるだろうと、煉骨がホッと胸を撫で下ろした時。
僅かに地面が震動しているような気がした。
蛮骨もそれに気付き、怪訝な目で辺りを見回した。
するとすぐに、轟音とともに巨大な岩が上から転がり落ちてきた。
岩は真っ直ぐにこちらに向かってくる。
それを認めて一同は目を剥いた。
「何だあれ!?」
「知るか!!とにかく避けろ!!」
と言ってもここは狭い山道。大きな動きはできない。
彼らは必死に走って道を開けた。
岩は二手に分かれた七人の間を転がって、そのまま谷底へ落ちていくと思われた。
が、大岩は山道に着地したかと思うと、いきなり直角に方向転換してきた。
蛮骨と煉骨のいる方向へ、速度を弱めることなく突っ込む。
「ええええー!!??」
予想だにしない事に、対処が遅れた。
煉骨はなんとか岩壁にへばり付いてやり過ごすことができたが、蛮骨は大岩の体当たりを受けて
谷底へ転落してしまった。
「大兄貴ー!!」
慌てて岩壁を離れた煉骨が谷を覗き込むが、そこにはすでに蛮骨の姿はなく、はるか下の谷底で激流が音を立てているだけだった。
煉骨は青ざめた。
そこへ、仲間たちも急いで駆けつける。
「煉骨の兄貴、何があった!?」
「大兄貴が、谷に落ちた……」
「なんだって!?」
皆も言葉を失って谷底を見つめた。
しばし呆然としていると、彼らは何かの気配を感じた。
振り向くとそこには、先ほどの大岩があった。
蛇骨は首を傾げる。
「なんだぁ、この岩。さっき落ちていったんじゃなかったのかよ?」
蛇骨の言う通り、確かにおかしい。
あれだけの速度で、蛮骨を跳ね飛ばすほどの威力もあったというのにこんな所で止まっているのは不自然だ。
(そういえば、さっきの方向転換といい……)
煉骨ははっとした。
「これは岩じゃねぇ、妖怪だ!!」
煉骨が叫ぶと、岩からボコッと顔のようなものが突き出た。
大きな目玉がギロリと彼らを見据える。
「ふん、妖怪だぁ?よくも大兄貴を!!」
蛇骨は勢いよく蛇骨刀をくりだした。
しかし、岩のごとく頑丈な妖怪の身体によって跳ね返されてしまう。
蛇骨は刀を戻して舌打ちした。
その様子に、睡骨は自分の武器を見下ろした。
「蛇骨刀は効かねぇか。じゃぁ俺の爪も役にたたねーな」
「岩に刃物で応戦するのは無理がある。ここは俺と銀骨で大丈夫だ!」
煉骨は砲筒を構えて前へ出た。
岩妖怪は顔を再び引っ込めると、一気に回転して突っ込んだ。
それを上手くよけ、煉骨と銀骨は同時に大砲を放つ。
二つの砲弾は見事妖怪を直撃した。
凄まじい爆発が起こり、妖怪は木っ端微塵に粉砕されてしまった。
蛇骨は飛んでくる残骸を袖で払った。
「あっけねーなぁ」
「一応警戒して、一番強い爆薬を使ったからな。……もっとも、それほどの相手でもなかったみてぇだが」
「ギシシ、俺も一番強いの使っちまった…」
銀骨と凶骨・霧骨は、慌て者だなぁなどと言って笑っていた。
「おいっ、笑ってる場合じゃねぇっつーの!!一件落着したような顔してんじゃねーよ!」
「ああ。大兄貴を探さないとな……」
「だけど、生きてるモンなのか?こんな高いとこから落ちて、あの流れだろ…?」
霧骨の言葉に、蛇骨はキッと噛み付く。
「縁起でもねぇこと言うな!!大兄貴がこの程度で死ぬかよ!!」
煉骨と睡骨がどうにか蛇骨をなだめ、とりあえず谷川の流れに沿って山を下りていくことにしたのだった。


指が地面の感触に触れているのがわかった。
少し動かすと、今度は草に触れた。
蛮骨はゆっくり瞳を開けた。
かすんだ視界が徐々にはっきりしてくると、どうやら森の中にいることがわかった。
蛮骨の身体は川岸に投げ出されている。 腰から下はまだ水に浸かったままだった。
意識が覚醒するにつれて、自分の身に起こったことを思い出してゆく。
岩に激突されて、谷底の川へ落とされたのだ。
ということは、自分はここまで流されてきたのだろう。
辺りはさっきまでいた所とはまるで違う、緑の木々に囲まれた場所だ。
蛮骨は起き上がろうとしたが、全身に激痛が走って力が入らなかった。
流れる途中で身体をあちこちにぶつけていたのだ。
大きく息を吐いた時、すぐそこに蛮竜があるのがわかった。
幸い、手放していなかったらしい。
蛮骨は蛮竜のもとまで這って進み、それを支えになんとか起き上がった。
少し視界が高くなり、蛮骨はゆっくり立ち上がりながら改めて周囲を見回した。
すると、木々の生い茂る先に岩壁の亀裂が見えた。
人一人は楽に入れそうな大きさで、洞窟のようにも見える。
蛮骨はひとまずそこへ行こうと、痛みに顔を歪めながらフラフラと歩き出した。
それほどの距離でもないのに、やけに時間がかかった。
思ったとおり、そこは十分に奥行きもあって、休むのに丁度いい作りだった。
中に腰を下ろすと、蛮骨は岩壁にもたれて静かに息をついた。
覚醒した意識が、再び朦朧としていた。

次に目を覚ました時には、陽がだいぶ落ちかけていた。
おまけにいつの間にやら雨まで降っている。
ぼんやりと、蛮骨はこれからどうしようか考える。
仲間たちもきっと自分を探しているだろう。 どうにかして彼らと合流しなければ。
だが、自分が今どこにいるのか全くわからない。
あの流れだから、相当に流されてきたのだろうか。
蛮骨はふと、以前はぐれた睡骨・蛇骨・霧骨が使った方法を思い出した。
「凪―――」
思ったよりも声は出なかった。
蛮骨は痛みをこらえて、口元に指をあてた。
睡骨がやるように、指笛を鳴らす。
通常より随分弱々しい音になったが、蛮骨は凪に通じるように懸命に吹いた。
風にかき消されそうな音が、洞穴から聞こえていた。

またもや眠気が襲ってきて、諦めかけた時だった。

雨の中から一羽のハヤブサが飛来した。
蛮骨は眠気も忘れてハヤブサを凝視する。 そしてその顔に、みるみる歓喜の色が浮かんだ。
「なぎ……!」
凪は蛮骨の姿を見つけて、洞穴に飛んできた。
蛮骨は手を伸ばして凪を撫でる。
「お前が一番可愛いな…」
凪は蛮骨を見て、どういう状態なのかをすぐに察したようだった。
蛮骨の着物は所々が破れたり、血がにじんだりしていた。
「たいした怪我じゃないと思うんだが、今は動けなくてな……皆を探して、俺がいる場所を教えてきてくれないか?」
凪は小さく鳴いて、すぐに飛び立とうとした。
その瞬間、光とともに激しい轟音が空気を裂いた。
雨は激しくなって、雷まで鳴り始めたのだ。
それでも構わず飛ぼうとする凪を、蛮骨は慌てて止める。
「な、凪…やっぱ今はいい。雨が止んでからでいいから」
蛮骨の制止を受け、ハヤブサは大人しく飛行を断念した。
空はあっという間に暗くなり、火を熾すこともできずに、濡れた身体のまま蛮骨は過ごした。
全身、打撲と切り傷だらけで、横になるのも大変だった。
凪は彼の身体に寄り添うように羽をたたみ、ウトウトしている。
羽毛が温かくて、蛮骨はずっと凪を撫で続けていた。

翌朝、寒さの中で蛮骨は目覚めた。
洞穴の中とはいえ、やはり朝は寒い。
濡れたままで過ごしていたためか、やや熱っぽい感じもする。
痛みの方はマシになっていたので、蛮骨は火を起こすための小枝を拾いに外へでた。
雨はすっかり止んで、すぐそこを水かさが増した川が轟々と流れている。
適当に枝を集めていると、凪が飛び立っていった。
まだ朝も早いのに、もう皆を探しに行くのだろうか。
そう思ったものの、自分が頼んだことなので、蛮骨はそれを止めることはしなかった。
穴に戻って火を起こしていると、飛んでいったはずの凪が帰ってきた。
「どうした?皆のとこへ行ったんじゃなかったのか?」
凪はピィと鳴いて、そこに足に掴んでいた大きな魚を置いた。
「へ?これ……」
凪は蛮骨に身体をすり寄せる。
「いいのか?俺が食って……」
凪は肯定するかのようにもう一度鳴いた。
蛮骨は感激のあまりに目を潤ませた。
「なぎぃぃ~~!!!」
凪を抱きしめ、頬ずりする。
「なんでこんなに良い子なんだよぉ~!誰に似てこんな可愛いヤツに育ったんだー?」
たぶん、睡骨ではない。
蛮骨はさっそく魚を焼くと、凪にも分けながら美味しそうに食べた。
ささやかな朝食を済ませて一息つくと、凪は今度こそ皆を探しに飛び立っていった。
蛮骨は怪我の具合を確認して、川を上流にさかのぼっていくことにした。
仲間は自分を探して川を下ってくるだろう。 そうすれば途中で会えるかもしれない。
落ちた身としてはただ黙って待っているのも居心地が悪いので、蛮骨は身体に鞭打って歩き出した。


「煉骨の兄貴、あれ…」
蛇骨が指差す先を見て、煉骨もはっとした。
彼らは蛮骨を探して、川の流れに沿って山を下りていた。
もはや暑いなどとは誰も口にせず、皆一心に首領の姿を探していた。
とは言っても、常人であればあの流れに落ちたら確実に死んでいるだろう。
皆は蛮骨を信じていたが、最悪の事態を予想してしまうのもまた事実だった。
蛇骨の指を追って一羽の鳥の姿をとらえた煉骨は、あれが何なのかを即座に察した。
「凪だ!きっと大兄貴が飛ばしたんだぜ。大兄貴は無事なんだ!!」
蛇骨が飛び跳ねた。
ハヤブサは六人の頭上を旋回すると、元来た方角へ戻った。
「後を追うぞ。あっちに大兄貴がいるんだ!」
彼らは小さなハヤブサの影を追って走った。

彼らが蛮骨を見つけるのに、それほど時間はかからなかった。
凪を追って川沿いを走っていると、反対側から蛮骨もやって来たのだ。
「大兄貴ー!!」
皆は叫びながら蛮骨に駆け寄った。
蛮骨はそれほど遠くへは流されていなかったらしい。
それでも傷だらけのその体躯を見て、六人は唖然としていた。
「大兄貴、よく生きてたな…」
ぼそりと霧骨が呟く。
「あれぐらいで死んでたまるか」
だが蛮骨はまだフラフラとしていた。 睡骨がその肩を支えてやる。
「睡骨、凪のおかげですっげー助かったぜ」
「そうかい。すぐに医者を起こして、手当てさせるからよ」
蛮骨は傍の岩に腰掛けて、医者が出てくるのを待った。
するとその横に、凪が着地した。
「凪、ありがとな」
背中を撫でてやると、凪は嬉しそうに目を細めた。

遭難事件が無事解決し、七人は旅を再開した。
「あ~、暑い……」
「あっちぃなぁ…」
「水がぬるいぜ」
またもや背後で交わされる愚痴念仏に、蛮骨は眉を寄せた。
それを見て、また煉骨がヒヤヒヤする。
やはり凪の方がずっと良い子だと、蛮骨は確信した。
大雨で雷が鳴っていても文句一つ言わずに飛び出して行こうとするあの気質が弟分たちにもあればなぁと、蛮骨は人知れず息をついたのだった。

<終>

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