食事を済ませ夜も深くなった頃、蛮骨・睡骨・煉骨は部屋を出て風呂で約束をした娘たちの部屋へ向かっていった。
久しぶりに若い娘の酌を受けられるとあって、三人は軽い足取りだった。
またもや部屋に一人になってしまった蛇骨。
さっさと寝ようと布団に入るが、疲れがとれてサッパリしているわけでもないのでなかなか寝付けないでいた。
うーんうーんと寝返りを何度も打ち、それでも一向に眠れない。
とうとう蛇骨は身体を起こした。
「今の時間なら、女もいねぇだろうし」
一人でうんと頷いて、蛇骨は風呂に行く仕度をした。
そっと部屋を抜け出し、暗い廊下を先ほど行った浴場まで向かう。
人気はない。皆眠っているのだ。
しめしめと脱衣所で着物を脱ぎ、蛇骨は温泉へ足を踏み入れた。
白い湯気がもうもうと立っている。
湯の中に足を突っ込むと、じんとした熱さが上ってきた。
(これこれ、この感じっ!)
蛇骨は一気に肩まで湯に浸かる。
痺れるような感覚が身体を伝い、徐々に心地よい暖かさへと変わっていった。
「あぁ~っ、生き返る!!」
足を伸ばし、湯で顔を洗う。
改めて辺りを確認してみるが、人はいないようだ。
「俺の貸しきりかぁ~、大兄貴も誘いたかったけど……ま、いいか」
女がいないなら何の問題もない。蛇骨は思い切り温泉を満喫していた。
と、その時。パシャリと水音が響いた。
「?」
首を傾げ、蛇骨は耳を澄ます。
少し後に、また同じような水音が聞こえた。正面にある大岩の向こうからだ。
(なんだ、人がいたのかよ……)
ちぇっと肩を落とし、蛇骨はそっと岩に近づく。
誰がいるのか確かめるべく、顔を覗かせた。
すると、岩の向こうの人物も蛇骨に気付いて振り返る。
「あっ!!」
「あああーっ! お前…っ!!」
その顔を見るや否や蛇骨は絶叫する。
彼の前にいるのは、華奢な少女だった。
いつも犬夜叉の隣にいる、強い霊力を持った少女。
かごめもまた、蛇骨に驚いて口をぱくぱくさせている。
そういえば、犬夜叉と弥勒が蛮骨たちを見たと言っていたのを思い出した。
「女…おめぇ……」
蛇骨はキッとかごめを睨みつけた。
「な、なによ。温泉に入ってるだけでしょ。
それに、今日は戦いはナシだって蛮骨が言ってたらしいじゃない」
食事の折に蛮骨がそんなことを言っていたのを、蛇骨も思い出す。
もし犬夜叉一行に会っても、今日は戦いを仕掛けるなと。
「女と一緒の風呂に入るなんて最悪だ!」
ちっと舌打ちして、蛇骨は温泉を出るべくざばざばと引き返す。だが、かごめがそれを呼び止めた。
「待ってよ。気分を悪くしたなら、私が出るわ。蛇骨は今来たばっかりなんでしょ? もっと入ってなさいよ」
蛇骨が胡乱に首を巡らせ、かごめを見やる。
かごめは湯から出ようと岩に手をかけた。
蛇骨はむむ、と苦い顔になる。
こうしていると、何だか自分がひどく大人気ないような気がする。
年下の少女に譲ってもらうというのも、少し情けない。
「ま、待てよ!」
思わず止めた蛇骨を、かごめは驚き顔で見つめる。
「……なに?」
「べ、別に、出なくてもいい! 俺だって女の一人くれぇ我慢できる!」
いやに必死になっている蛇骨に、初めは呆然としていたかごめもふっと微笑んだ。
「そう? じゃあもう少し入ってよーっと」
再び肩まで浸かる。
それから、二人が黙したまま時間だけが流れた。
湯が注ぐ音と風のわずかな音だけが聞こえている。
蛇骨はそっと夜空を仰いだ。
湯煙の向こうに、ぼんやりと星が瞬いている。
奇麗だなぁと思いながら、蛇骨はかごめに視線を移した。
そろそろと近づくと、気付いたかごめが驚いて身をすくませる。
「えっ…な、なに?」
警戒する彼女の肌をまじまじと眺める。
「奇麗な肌してるなぁー。羨ましい…」
「は?」
「いいなぁー。女になるのは嫌だけど、肌が柔らかかったり白かったりするのは羨ましいなぁ」
「蛇骨だって、奇麗な肌だと思うけど…?」
「そーかぁ?だけど、大兄貴はちっとも……」
ぶつぶつと呟く。
かごめはくすりと笑い、ふとあることに思い当たった。
「そうだ。ねえ、犬夜叉って、『かわいい』の?」
蛇骨はぱっとこちらを向き、当たり前のように頷く。
「『かわいい』だろ。すっげぇかわいーじゃん」
「わ、わたしは『かっこいい』だと思うんだけど……」
おずおずと言うかごめに、蛇骨はいんやと首を振る。
「ほら、『かっこいい』はウチの大兄貴のモンだから。だから、犬夜叉は『かわいい』だ」
「ふーん」
納得するようなしないような説明だが、かごめは一応笑いながら頷いておいた。
犬夜叉の話になったせいか、蛇骨の機嫌が良くなる。
「なぁ、お前、面白いなぁ!お前らも旅行でここに来たのか?」
「うん、そんなとこ。蛇骨たちも?」
「ああ。俺はあっちのでっけぇ宿に泊まりたかったんだけどよ。
七人隊は貧乏だからなぁ……でも、何でこんな時間に露天風呂にいるんだ?」
かごめは照れくさそうに小さく笑った。
「混浴だし、昼間はさすがに恥ずかしくて……皆が寝た頃にゆっくり入ろうと思ったの」
珊瑚も誘おうと思ったのだが、疲れて眠っているようだったのでそっとしておいた。
明日の朝にでも誘ってみればいいだろう。
「そうかぁ」
蛇骨がはぁと息をつく。
「なーかごめ。お前もやっぱり、俺らの欠片狙ってんの?」
「え―――」
いきなりの問いかけに、かごめは目を見張る。
蛇骨は俯いて水面を見つめていた。
「それ…は……」
かごめは言葉を探す。
彼らの命を繋ぐ欠片を、望んで奪いたいわけではない。しかし戦いの上では、やはりそういう結果になってしまうだろう。
黙り込む少女に、ふいと顔を上げた蛇骨が笑いかける。
「俺は別に構わねぇんだけどさ。ただ、今こうして蘇って…生きてるのってやっぱ楽しいなぁ、て思うんだ」
この楽しさがなくなってしまうのは、やっぱり残念だ。
「だからさ。もし気が変わったら、俺たちの欠片、見逃してくれよ。な!」
明るく笑いながら、手を合わせて首を傾ける。
「う……ん……」
かごめは蛇骨から視線を逸らした。
蛇骨の笑顔が痛い。
きっと、彼らの欠片を見逃すことはできない。七人隊が欠片を持っているということは、それが奈落の手中にあるのと同じことだから。
「じゃ、俺もう上がるよ。そろそろ大兄貴たちも戻ってくる頃だろうし」
ざばっと立ち上がった蛇骨を、かごめははっと見上げた。
「じゃ……蛇骨っ!」
「ん~?」
きょとんと蛇骨が振り返る。
化粧が落ちていても、その顔はやはり女のように整っていた。
「あ、の……ううん、なんでもない。おやすみ!」
小さく手を振ると、彼もにっこり笑って手を振り返す。
「おう! おやすみ!!」
脱衣所に消えていく青年の姿を、かごめは複雑な心情で見送った。
部屋に帰った蛇骨の前には、三人の男が心底幸せそうな顔で転がっていた。
ぐでんぐでんに酔っ払っていて、蛇骨がいなかったのにも気付かないまま眠ってしまったらしい。
常なら気分を害すところだが、何故か今日はそれほど怒る気にならない。
「そうだよなぁ……生きてる時じゃなきゃ、こんな顔出来ねぇもんな……」
できるなら、ずっとこうしていられればいいのに。
一瞬そんな風に考えてしまった自分を、蛇骨は自嘲気味に笑った。
明日からはまた戦いの日々が始まる。甘いことを言っているようでは、やられてしまうだろうか。
隣の蛮骨に布団を掛けなおしてやり、自分も布団に潜り込んだ。
心地よい睡魔が下りてくる。
誘われるままに目を閉じると、今度はあっという間に眠りの世界へ旅立つことができた。
「じゃ、お世話になりましたー」
主人に頭を下げて、犬夜叉一行は宿を出るところだ。
朝も珊瑚と一緒に温泉に入ったかごめは、すっきりした気分で空を見上げる。
「おーいかごめ、行くぞぉー!」
少し離れたところから犬夜叉に呼びかけられ、かごめはうんと頷いた。
駆け出そうとして、ふと宿の方を振り返る。
「あ……」
七人隊が、丁度中から出てくるところだった。
彼らは犬夜叉一行とは反対側に去っていく。
と、蛇骨がこちらを振り向いた。
何気なしに視線を彷徨わせ、かごめの姿を見つけるとぱっと目を輝かせる。
仲間に気付かれないように、そっと手を振ってきた。
かごめも微笑み、手を振り返す。
「かごめっ!置いていくぞ!」
「あっ、ごめん! 今行く!!」
犬夜叉が声を張り上げ、かごめは慌てて駆けた。
一行に追いつき、ゆっくりとした歩調で旅を再開する。
最後にもう一度少女が顧みると、そこにはもう蛇骨の姿はなかった。
「いい風呂だったなぁー」
「うん」
蛇骨が頷いたので、蛮骨は軽く目を見張った。
「あれ、機嫌が直ってるじゃねぇか。
結局風呂には入らなかったんだろ? まだ怒ってるのかと思ったんだが……」
不思議そうな少年に、蛇骨は悪戯っぽい笑みを向ける。
「ま、色々あってさ。結構楽しめたぜ」
「色々?」
ますます首をかしげ、蛮骨は煉骨たちに視線をやる。
知っているかと目で問うが、彼らも否と首を振った。
どうせ蛇骨のことだから、好みの男と何かしらしていたのだろう。
蛮骨たちはそう解釈して、深くは訊かなかった。
「さ~てと! また戦いの日々だなぁー!次の相手は殺生丸だっけ? 俺、頑張るよ大兄貴!」
「おう、期待してるぜ」
「よぉーし! 行くぞ睡骨!!」
「へーへー」
蛇骨に引っ張られて睡骨ものろのろと駆け出す。
別れ道で彼らは別れ、蛇骨と睡骨に蛮骨は手を振って見送った。
「気をつけてな~」
「大兄貴たちもな!!」
蛇骨の元気な声が青い空に響き渡る。
睡骨とともに歩き出す蛇骨の顔には笑顔が浮かんでいる。
白い雲が流れゆく空の下、七人隊はそれぞれの道へ歩き出した。
<終>