苦しみの中で荒い息を継ぎながら、蛮骨は目を覚ました。
温かい、人の体温を感じる。
不審に思って目線をあげると、そこにあの少女の顔があった。
彼女の膝に、頭を預けている状態だ。
「お…まえ……」
掠れた呟きが耳に届いたらしく、少女がはっとこちらに目を向けてきた。
「気がついたのね、大丈夫?」
蛮骨はのろのろと視線を巡らせた。
日がだいぶ傾いている。かなりの時間気を失っていたようだ。
腕は未だに泉の中に浸されてあった。
「ずっと……こうしてたのか…」
「そうよ。放っておけないもの」
蛮骨が小さく笑う。
「四魂の欠片を抜き取ろうとは思わないのか?」
「せっかく再生してるところなのに、また骨に戻したいの?」
「……それもそうか」
泉に入れてない左の手で、蛮骨は前髪をかきあげる。
額が汗でじとりと濡れていた。
無意識に胸が上下する。呼吸をするのがひどく辛い。
それでも、こうして横になっているのはさっきよりもよほど楽だった。
「すまない……敵の前で倒れるなんざ、情けないな……」
「いいわよ別に。辛いなら、そう言ってくれた方が嬉しいし」
「だけど……お前、仲間のところに帰らなくて良いのか…?
かごめが目を細めて苦笑を浮かべる。
その顔がなんだか淋しげに見えて、蛮骨は目を瞬かせた。
「実は、犬夜叉と喧嘩してきたの。だから、あんまり帰りたくないんだ……」
「喧嘩……?」
「犬夜叉は、昔好きだった人のことを今でも忘れられないの。
今でもその人にしょっちゅう会いに行くし、私の中にも彼女の姿を探してる。
私も、今までずっと耐えてきたんだけど……」
犬夜叉のあの言葉で、すべてが崩れ落ちた。
目元が熱くなる。かごめは顔を歪めた。
「私もう、どうしたらいいのかわからない……」
瞳から滴が零れ落ちる。
枷がはずれたように、我慢していたものが噴き出してきた。
肩を震わせる少女の姿に、蛮骨は目を伏せる。
そっと、水の中の右腕を上げてみた。
再生が完了している。骨しかなかったそこに、もとどおり肉がついていた。
水の中には瘴気が未だに渦巻いている。それも先ほどよりは随分弱まったようだった。
ゆっくりと身を起こし、泣いているかごめの頭に手を置く。
ぴくりと、彼女の肩が反応した。
「泣くなよ…」
「ん……ごめ…」
必死で頬に伝うものを拭おうとするが、後から後からそれは流れてしまう。
静かに頭を撫で、蛮骨はその手を頬に移した。
彼女の雫が指に触れる。
ああ、こんなに温かいものだったか。
驚いた様子のかごめの瞳に、自分が映っている。蛮骨は目を細めると、彼女の背にそっと腕を回した。
「蛮骨……」
抱きしめると言うほどのものではない、ただそっと、包み込むような抱擁はかごめの中に言い知れぬ安堵をもたらした。
「あ…腕、治ったの?」
背中に感じるしっかりとした感触に、かごめが僅かに目を見張る。
「ああ。……なあ、かごめ」
耳元で名を呼ばれ、かごめの身体が不自然に強張った。
それに気付いた蛮骨は小さく苦笑し、言葉を続ける。
「今一度、犬夜叉の野郎を信じてみろ」
「え……」
思いがけない言葉にかごめは戸惑った。想像もしなかった穏やかな声が、耳に響く。
「もしもまた、あいつがお前を泣かすことがあったら…」
少しだけ、腕に力がこもる。
「俺のところに来い。俺が、お前と一緒にいてやる」
「っ……」
かごめの瞳が大きく揺れた。
「いい、の…? 私が…」
「ああ」
かごめの頬に新たな涙が伝う。
顔はすれ違っている状態なので、その表情は蛮骨には見えない。
少女の手が、蛮骨の着物を掴む。
肩口に顔を埋める彼女の髪を、蛮骨はあやすように撫でていた。

陽が、山の向こうへ落ちかける。
「かごめ、あの欠片を取れるか」
蛮骨は泉の中の四魂の欠片を指差した。
長い時間をかけて放出してきたのでそこに込められた瘴気は大分薄まっているが、それでも素手で触れるのは危うい。
「やってみる」
かごめが手を伸ばし、指先で欠片に触れた。
指が触れた瞬間、黒く染まっていた欠片が瞬時に浄化された。
淀んでいた水の色も、瞬く間に清浄なものへ変わっていく。
「流石だな」
蛮骨が感心したように首を傾ける。
かごめは取り上げた欠片を手のひらに乗せた。
「これ、どうすればいい?蛮骨が身体に入れるの?」
「いや、お前にくれてやる」
「えっ!?」
「奈落からも好きにして良いと言われているし、それは今日世話をかけた礼にお前にやるよ。
どの道、奈落の瘴気にまみれてた欠片なんぞ身体に入れたくないしな」
「あ、ありがとう…」
貰った欠片をかごめは大切に小瓶に入れた。
それを見届け、蛮骨は腰を上げる。
「じゃあ、俺はもう行くぜ。お前も取り敢えずは帰った方が良い」
「うん、そうね。ありがとう蛮骨」
蛮竜を肩に乗せて、蛮骨は去っていく。
その背を見送っていたかごめは、不意に彼を呼び止めた。
「蛮骨!」
「ん?」
「今度また、こんな風に会えたら……その時は沢山話しましょうね!」
笑顔で手を振るかごめに、蛮骨も目を細めて微笑む。
「ああ……そうだな」
いつかその日が来るならば。
戦いとは関係なく、今日のように穏やかな時間が流れるときがあるのならば。
「じゃあな、かごめ」
その声は小さくて、風に掻き消されそうなほどに僅かで。
かごめの耳に届いたかはわからない。
蛮骨は再び歩き始めた。
迷いのない瞳で。
彼の背を見つめるかごめもやがて身を翻すと、仲間のいる方角へゆっくりと足を踏み出した。

<終>

【読み物へ戻る】