転生したら最猛勝だった件
うだるような夏の日のことでございます。
幼き頃より山寺にて幾年も厳しい修行に明け暮れてきた小生でございますが、その日ばかりはあまりの暑さに耐えかね、休息がてら堂の裏手を流れる川へ水浴びに参りました。
そこはちょっとした穴場でございまして、日差しを遮る木々と岩場の狭間にささやかな水辺があり、そこへ大人二人分ほどの高さから良い感じの滝が流れ落ちております。
涼みながらそれを眺めていた小生はふと、ここは一つ幼少のみぎりのように、滝つぼへ飛び込んでみようかと思い立ちました。
当時いたいけな幼子であった小生は高さへの恐怖でついに飛び込むことができず、さんざ兄弟弟子たちに笑いものにされたものでございます。それが今も時折思い出されては、情けなさと恥ずかしさとがきりきりと胃をつついて参るのです。
しかし大人になった今ならば、そんな怖れなどわけもない事。ここで見事な飛び込みを実現し、しこりとなった幻影を払拭するには良い機会と考えました。
他者の目があれば当然たしなめられるところでございますが、今ここにいるのは小生ひとりきり。誰に遠慮する必要がございましょう。
小生は滝の頂上へ達すると、やや前傾姿勢をとって両手を頭上で重ね合わせ、えいやっ! と、それはそれは綺麗な姿勢で宙へ跳び出しました。無観客であるのが悔やまれるほどの完璧な飛び込みであったと自負いたします。
しかし肢体が跳躍の頂点に差し掛かった瞬間、はたと気付いてしまいました。小生は高さばかり気にするあまり、深さについてとんと失念していたことに。
――補足いたしますと、滝つぼ周囲の深さは幼少時の小生の胸ほどでございます。
それに気付いた時、身体はすでに宙を舞っているわけでして。どうにも後に引けぬ状態でございました。
ああ無念。南無三。
こうして小生は死んだのですが、次に目が覚めますと、周囲は異様に暗く底冷えのするような雰囲気でありました。
はてここは何処だろうかと周囲を見回した小生は、瞬きの後に情けない悲鳴を上げてしまいました。
と言いますのも、視界を埋め尽くすのは無数の蜂、蜂、蜂。恥ずかしながら小生は生まれてこの方、虫が大の苦手であり、中でも蜂は殊更に怖ろしいものですから、もう再び気を失ってしまうところでありました。
口から上がった悲鳴はおぎゃあ、と甲高い声となり、気付いた蜂が大慌てで飛んで参りました。六本の手足で抱き上げられ、あやすように揺すられます。
視界の隅でいくつもの卵が割れ、幼虫たちが次々と生まれ落ちてくるのを目にし、小生は自分もまたこの虫として生まれ落ちたのだと理解するに至りました。
大人の蜂たちは小生を柔らかな寝床へと連れて行き、豊富に食べ物をくれ、自分たちの役割を子守唄代わりに語り聞かせてくれました。
どうやら小生が生まれついたのは最猛勝という地獄の毒蟲で、奈落様と仰る尊きお方の手となり足となり働くのがお役目だそうです。契約期間は無く終身雇用だとのこと。
大人たちの話を聞きながら、小生も長じるとこの姿になるのだなぁ、と産着の中でぼんやりと考えました。
輪廻転生で来世も人間として生まれられるよう修行に明け暮れてきたにも係わらず、生まれ変わってみればなぜ地獄の毒虫なのでしょう。まだ悟りには至っておりませんでしたが、もう少し何とかならなかったのでしょうか。解せませぬ。
同じ蜂であっても花の蜜を集めるあの縞模様の、もふもふころころとしたまだ可愛げのある姿ならいざしらず、殺意ばかりこれでもかと前面に押し出した姿……いいえいいえ。生きとし生けるもの、偏見や見た目の好き嫌いをしてはいけません。これだから地獄の毒蟲に生まれ変わってしまうのです。
赤子でいられた期間は七日もございませんでした。
身体がみるみると大きくなり、大人と違わぬ姿まで成長いたしましたので、成虫の儀を経ていよいよ社会の歯車として働かねばなりません。
そこで適性試験を受けましたところ、なんと小生は伝令役を仰せつかる次第となりました。
伝令役といえば花形です。絶妙な羽音と目力によりこちらの意志を相手に伝えねばなりません。
さらに申し上げますと、相手は妖怪であったり半妖であったり人間であったりするのです。少なくとも三カ族の言語に精通し異文化交流に長けている必要があり、こうなると山に籠って修行に明け暮れていた、井の中の蛙を絵に描いたような小生などには何と荷の重いことかと思われました。
伝令役は四魂の欠片とやらを奈落様のもとへお運びする、栄誉ある大役も任されますので、最猛勝界の憧れの的なのでございます。生半な覚悟ではいけません。
こうして小生は、少しでもご期待に沿えるよう、蟲の身となった今世も精進に励む身と相成りました。小生は昼も夜も惜しまず勉学に明け暮れ、先達に教えを請いました。
小生がまだまだ未熟な最猛勝として忙しくも充実した日々を送っていたある日、事件が起こりました。
その日我々は、傀儡の奈落様のお供として憎き犬夜叉一行に対峙いたしたのですが。
あの法師が。我々の姿を見るや恐れおののいて風穴を閉じる弱虫法師が。
なぜかその日は意地になって穴を開き続けたものですから、我々はたまったものではございませんでした。
何しろ後に退いてはならぬのです。法師の風穴に自ら身を躍らせ飛び込み、毒を吸わせることこそ我々の真骨頂なのだと、子守歌でも研修の場でも口酸っぱく教わってきたのでございますから。
小生にもこの時が来たのだと思う他ございません。
いざ行かん食らえ皿まで、と覚悟を決め気流の渦に飛び込まんとした瞬間、横合いから体当たりを食らい小生の身体は風域の外へはじき出されました。
はっとして視線を向けますと、小生に手ずから伝令役のいろはを叩き込んでくださった先輩が、にっと白い歯を見せて片目を瞑り、親指を立てていらっしゃいました。
『今日もいい汗かいたな。一杯奢ってやろう』
そんな会話をつい先日交わしたばかりの、先ごろ恋が実って嫁を迎えたばかりの先輩の姿は、一秒後には法師の手の中へ消えていきました。
これが先輩から小生への、伝令役の代替わりとなりました。
生まれてからどれほどの時が過ぎたのでしょうか。
巣の中におりますと時間の感覚が曖昧になりますが、おそらく人間の時間にいたしますと数か月でしょうか。
蟲の寿命は儚いもので、ご多聞に漏れず小生にも刻一刻と命の幕引きが迫っております。
数え切れぬほどの身内を、同胞を、盟友を見送って参りました。
今はもう前戦からは退いた身でございますが、有難いことに可愛い後輩たちより老師、老師と呼び慕われております。
ほとんどが戦死という形で役目を終える最猛勝の中にあり、老衰で生涯を終えることができるのは身に余る幸い。自らの経験と先達より受け継ぎし教えを余すところなく、未来ある若者たちに授けられますれば、悔いなど一片もありませぬ。
――ひとつ懺悔を申し上げるとするならば、四魂の欠片を輸送しながら「これを自身に使えばどのようになるであろうか」と邪なる考えを抱き、奈落様へお渡しする前に興味本位でぺろぺろ舐めていたことでございましょうか。ええ、一度や二度ではございません。
まあ、それは墓まで持っていく秘密といたしましょう。
おやおや、爺の長話はそろそろ飽いた頃でしょうか。
ではここまでといたしましょう。
次は何に生まれるのだろうかと、今はただ、それを楽しみに。
『名も無き地獄毒蟲の手記』より
<終>