とりっくおあとりーと
「とりっくおあとりーと!」
目の前にころころと転がってきたかと思えば突然声をそろえて叫んだ三匹の小妖怪たちに、蛮骨は思いきり怪訝に眉を寄せた。
「なんだそりゃ」
三匹はえへんと胸を張る。
「なんでも、海の向こうのとある国では今日、妖怪が主役らしいんだ」
「菓子をもらえなきゃ悪戯しても良いんだぜ」
「にししし」
彼らが口々に話すのを聞くに、海の向こうの文化にかぶれた妖怪が見様見真似で仲間たちと騒いでいるのを目にし、自分たちも興じてみたくなったらしい。
「で、その恰好は」
蛮骨は半眼で小妖怪たちを見下ろす。
小丸は先の尖った帽を頭に載せ、一角は目の部分に穴をあけた白い布切れで全身をすっぽり覆い、舜は薄汚れて染みだらけの襤褸を身体に纏いつかせている。
「今日は、向こうの国の妖怪を模して仮装するのがお約束だそうだ! 俺はまじょ!」
「俺はごぉすと!」
「俺はぞんび!」
渾身の出来のような顔をして見せびらかしてくるが、蛮骨の心にはこれっぽちも響かず、妖怪が妖怪の仮装をするなど世も末だな、としか思えなかった。とりあえず舜は単純に汚いだけなのでさっさと帰ってほしい。
三匹は居間でくつろいでいた七人隊の間を順繰りにかけまわり、「菓子をくれ」と言いながら抱えた小さな笊をずいと突き出した。
「菓子をくれなきゃ家じゅうの履き物の右側だけ隠すぞ!」
「寝てる間に着物の袷を左前にするぞ!」
「煉骨の葛籠の底に重石を敷き詰めるぞ!」
「そうか、あれはてめえらの仕業だったのか」
煉骨の据わった声が返るが、小妖怪たちはどこ吹く風だ。
何が楽しいのかきゃっきゃと騒ぎ立てる彼らから蛮骨は視線を外し、顔を合わせないように努めた。
海の向こうの話など知った事か。よそはよそ、うちはうちである。そもそも、菓子をせびるか悪戯をするというのが、果たして小妖怪たちの普段の行いとどう違うというのか。
そう思うのだが、言う事をきかないうち甲高い声が「とりっくおあとりーと!」を連呼し続けて煩いことこの上ない。
そろそろ物理的に口を封じる必要があるかと考え始めたそのとき、縁側から臨む庭先へ一羽の鴉が飛来した。瞬きのうちに人身に転じた襲に、三匹は跳び上がる。
「おっ、大将いいところに! 大将も一緒にやろう」
ぱたぱたと駆けてくる小妖怪たちに襲は目を瞬く。
「何を…」
三匹は襲の肩によじ登ると、耳元で行事の子細を説明した。又聞きで得た知識なので実を言うとかなりあやふやなのだが、こういうのは雰囲気を楽しむものなので気にしない。
しばらく彼らの言に耳を傾けていた襲は、やがてこくりと頷いた。
「なるほど…概ね理解した。人間に食い物をたかり、それが叶わぬ場合は実害を与えることが許される日、なのだな」
「待て」
そこにいた七人隊の面々が異口同音に静止をかけるが、鴉天狗は納得してしまったらしく、早くも次の手順に移行している。
「じゃさっそく、まずはこう唱えるんだぜ。『とりっくおあとりーと!!』」
「さんはい!」
「とりっくおあとりーと」
促されるまま、襲は無表情でその呪文を口にする。
「さあ大将、お菓子をくれなきゃどうする? どうする?」
「ふむ…」
襲はついと目を細め、寸の間思考を巡らせた。
「自分がされたら嫌だなぁと思うことを言えばいいんだぜ」
わかったと首肯し、彼は七人隊を見据えて言い渡した。
「菓子を寄こさねば、この屋敷を跡形もなく吹き飛ばす」
そこに集った全員の血の気がざっと音を立てて引いた。焚きつけた小妖怪たちも例外ではなく、笑みを浮かべたまま石化している。
皆が無言で立ち上がり、誰も、何も言わぬまま足早に家じゅうへ散っていく。襲は黄葉の舞い散る庭先へひとり残された状態で彼らの背を見送った。
どたばた、びしばしと、天地をひっくり返したような喧騒がそこかしこから聞こえてくる。
「ああ! なんで俺はさっきここにあった煎餅を食べちまったんだ!!」
「俺、通り向こうの餅屋行って団子と饅頭を誂えてくる!」
「てんめぇ凶骨! 今なに食った!? 吐け! 吐けこの野郎ー!!」
「……」
黙然と佇んでいる襲のもとへ、洗濯物を取り込みながらなりゆきを見ていた朔夜がそろそろと近づいた。
「あの、本当に……」
いささか不安げな面持ちで問うてくる朔夜に、襲は深紅の双眸をゆっくりとすがめた。
「……するわけないだろう」
自分がされたら嫌なことをと、言っていたではないか。
秋風が木の葉を舞い上げる。反射的に髪を押さえる朔夜の横で、襲は冷えた風が注ぎ込むのを防ぐように、屋敷に施していた結界を張り直した。
<終>