宵闇
七人隊を追って旅する途中に通りかかった町でその日、ちょうど祭りがあった。
神社までの道のりに多くの出店が並び、小さな町は活気に溢れている。
「年に一度の祭りだよ! あんたらも楽しんでいきなよ!!」
そう声をかけられ、犬夜叉一行は足を止めた。
「お祭りだって!ねぇ、今日はこの町に泊まりましょうよ!」
目を輝かせるかごめに、犬夜叉はフンと鼻を鳴らす。
「そんな暇あるか。俺たちは七人隊の奴らを追ってる最中なんだぞ!」
「今日くらい良いじゃない。ね、珊瑚ちゃんもお祭り行きたいわよね~」
「そうだね。あたしもかごめちゃんに賛成だよ」
弥勒も二人に助け舟を出した。
「犬夜叉、たまには良いでないか。皆連戦で疲れている。骨休めも大切だぞ」
皆に睨まれて、犬夜叉は渋々承諾した。
「わかったよ…」
「わーいっ、祭りじゃ祭りじゃー!!」
弥勒の肩の上で七宝が踊り跳ねた。
「なんだ、お前は行かないのか?」
適当に安い宿をとった一行はしばし身体を休めていた。
日が暮れると共にかごめと珊瑚は二人で祭りに出かけていき、用を済ませて部屋に戻ってきた弥勒の前には、
ごろんと横になった犬夜叉だけが残っている。
「うるせーな。俺は人ごみが嫌いなんだよ」
むすっとした語調で、犬耳の少年は言った。弥勒ははぁと息をついて、窓から外を眺めやる。
街中は提灯で照らされ、昼間のように明るい。
賑わいがここまで聞こえてきて、心が逸ってもいいというものだが。
「かごめさまと一緒に行ってやれば良かったのに」
「珊瑚と一緒だから大丈夫だろ」
「護衛の話ではない。まったくお前は、もう少し女心というものに目を向けたらどうだ」
呆れたような弥勒の言葉を、犬夜叉は黙って聞き流した。
弥勒は戸口に行くと一度彼を振り返る。
「私も祭りに行ってくる。お前も行くか?」
問いに、犬夜叉は頑なに首を振るばかりだった。
弥勒はそれ以上何も言わず、部屋を出て行く。
ぎしぎしと廊下を踏む足音が、だんだんと遠ざかっていった。
一足先に祭りに繰り出していたかごめたちは、出店を覗きながら神社を目指していた。
小さな町だが近隣の村からも人が集まっているらしく、凄い人ごみだ。
「かごめ。おら、雲母と一緒にあっちの店を見に行く!」
「じゃあ七宝ちゃん、迷子にならないようにね。ちゃんと犬夜叉たちのいる宿に戻るのよ?」
はーい! と返事をした七宝は、小さな雲母を抱えて人々の足の間をすり抜けていった。
「七宝ったら、すごく楽しそうだね」
かごめと珊瑚はくすくすと笑って子妖怪たちを見送る。
「犬夜叉も来ればいいのにね…」
気遣うような珊瑚の言葉に、かごめは笑ってみせる。
「いいのよ。あいつ、こういうのには本っ当に疎いんだから!」
二人は神社に着くと、賽銭を投げ入れて柏手を打った。
目を閉じて、それぞれにお願いをする。
かごめより先に目を開けた珊瑚は、自分を呼ぶ声を聞いて首を巡らせた。
「おぉ~い、珊瑚ぉ~!」
人の波の間から手を振っている人物が見える。
(あ…法師さま!)
珊瑚は手を振り返して弥勒のもとへ向かった。
かごめは珊瑚がいなくなったのに気付かずに、お願いを続けていた。
最後にまた柏手を打ち、よしっと顔を上げる。
ふと横を見ると、一人の男が手を合わせて目を閉じていた。
その相貌を見てかごめはぎょっとした。
「あ……っ」
小さな声は雑音にかき消される。
彼女の真横に立っていたのは、かごめの良く知る人物だった。
漆黒の長髪を編んで背に垂らし、額に覗くのは十字の紋様。
それは、自分たち一行が追っているまさにその人だ。
(七人隊の……蛮骨…!?)
彼は常の白い着物に鎧の姿ではなく、黒い浴衣を着ていた。蛮竜も持っていない。
かごめは衝撃に目を瞠りながらも、隣にいるはずの珊瑚に小声で声をかける。
「珊瑚ちゃん……っ」
しかし反応はない。
慌てて辺りを見回すが、珊瑚の姿はどこにもなかった。
(あれ…珊瑚ちゃんとはぐれちゃった!?)
再び蛮骨に視線を戻すと、彼は長い祈りを終えて目を開けるところだった。
ひくりと息を詰めるが、蛮骨の方はかごめに気付くことなくさっさと身を翻す。
(良かった、気付かれなかったわ…でも、どうしよう……)
蛮骨を追うべきか否か。
犬夜叉に知らせに行こうかとも思ったが、もし戦闘になればここにいる多くの人を巻き込むことになってしまう。
追っていったとして、見つかりでもしたら珊瑚も誰もいないのに自分ひとりで大丈夫だとも思えない。
(でも、見つからなかったら、蛮骨の塒の場所がわかるかも……)
一抹の不安を抱えながらも、かごめは意を決して蛮骨の背を追った。
蛮骨は店の並ぶ街中に立ち寄ることもせず、神社の横から続く石段を登っていった。
距離を開けながら、かごめも後をつける。
闇のように黒い衣を纏う蛮骨の姿は、ともすればそのまま見失いそうになる。
ところどころに点在する灯火のおかげで、なんとか姿を捉えることができる。
(それにしても、さっきは何をあんなにお願いしてたのかしら…)
七人隊の首領がよもや神頼みをするなどと、誰が想像するだろう。
だが蛮骨が神社を訪れた目的はそれだけで、祭りなど関係ないらしい。
山に沿ってのびる石段を登るにつれ、祭りの騒がしさが遠のいていく。
しだいに辺りはしんとなり、木々を揺らす風音だけが聞こえるようになった。
かごめが足音を悟られないように慎重に進んでいると、急に開けた場所に出た。
そこにもかつては社などがあったのか、平らに整えられて見通しが良い。
顔を上げたかごめは、凍り付いて動けなくなった。
遥か前を歩いていたはずの蛮骨が、こちらを向いて静かに佇んでいる。
傍にある仄かな明かりに照らされて、鋭い視線がこちらに向けられているのがはっきりわかった。
「誰かと思えば、お前だったのか」
低い声が、闇を裂いて耳に滑り込む。
かごめは焦りながらも、毅然と口を開いた。
「……いつから、気付いてたの」
「石段を登り始めてすぐだ。さすがに、誰かまでは顔を見るまでわからなかったが」
彼は口の端を上げ、目を細めた。
「気配を隠すのが下手だな…鼠が二匹」
「え?」
二匹、と聞いてかごめはそっと後ろを振り向いた。
珊瑚が気付いてついてきてくれたのかと思ったが……
意に反して、すぐ後ろにいたのは見も知らぬ男だった。
「だ、誰っ!?」
慌てて身を引く。 男は答えもせずに手に持った刃物を振りかざした。
「きゃああああっ!!」
眼前に迫った刃を紙一重で避ける。
「死にたくなけりゃあ、金をよこしな~」
男は下卑た笑いを浮かべながら、かごめの背を追う。
「誰なのよアンタ!! 蛮骨の仲間!?」
「まさか」
答えたのは、それまで静観していた蛮骨である。
彼は逃げ惑うかごめの腕をぐいとひっぱると、彼女と男の間に滑り込んだ。
「お前追いはぎか。まったく、祭りになると変なヤツまで騒ぎ出すから困るな」
男は標的を変え、蛮骨に襲い掛かった。
丸腰で弱そうだと判断したのだろう。
だが蛮骨は襲い来る刃を無造作に避けると男の腹に膝の一撃を見舞った。
「うぐぅっ!!」
鈍い咳をしながら男はくずおれる。
その手を素早く捕まえて、蛮骨は男の手から刃物を叩き落した。
カラン、と澄んだ音を立てて包丁が石畳に落ちる。
「失せろ」
冷たい瞳で睨み据えながら呟くと、足元にうずくまった男は痛みを堪えながらよろよろと立ち上がり、逃げていった。
「おまえ、かごめ…だったか?」
振り返った蛮骨に話しかけられ、かごめは身を硬くしながらも頷く。
「そうよ……」
かごめにとっては、追いはぎを追い払ってくれた蛮骨の行動が信じられなかった。
しかも、殺すわけでもなく、戦意を喪失させて逃がしたのだ。
「聖島以来か?あんな追いはぎも手に負えないようで、よく一人でこの俺をつけてきたな」
面白そうに目をすがめる蛮骨は、踵を返すとさっさと歩き出した。
「ちょ…ちょっと……!」
思わずかごめが呼び止めると、蛮骨は胡乱げに顔だけ振り返る。
「なんだ、犬夜叉の野郎でも呼ぶのか?俺は今、戦う気分じゃないんだが……」
「よ、呼ばないわよ……お祭りに被害が出たらだめだもの。それよりアンタ、怪我してるでしょ」
蛮骨は僅かに目を瞠り、無意識に右腕を押さえた。
「知ってるわよ。 私の腕を引っ張った時に、少し斬られてた……」
「へぇ、そういうことには鋭いのか」
「手当てさせて。私のせいで怪我したんだから」
「別にいらねぇ。それより、早く仲間の所へ戻ったらどうだ」
「いいからっ!!」
かごめは意地になって語調を荒げる。
蛮骨は諦めたように一つ頭を振ると、ゆっくりと歩き出した。
「もう少し登ったところに小屋がある。そこまでついてこい」
さらに続く石段を登っていく蛮骨。
かごめは一瞬躊躇ったが、言い出したのは自分なので素直にその後に従った。
そこから先の石段は、通る人がいないためか灯が配されていない。
暗い中も蛮骨は難なく進んでいくのだが、かごめはそうもいかなかった。
石段につまづいて転びそうになる。
「あっ―――!」
倒れ掛かった身体を、蛮骨が横から支える。
「あ…ありがとう…」
体勢を直したかごめは礼を言ったが、蛮骨は何も言わずに先へ進んだ。
(思ったよりも…怖くない…?)
よく見えない蛮骨の背を追いながら、かごめは恐怖心が薄らいでいくのを感じていた。
蛮骨が言っていた通り、さらに上へ行ったところには小さな小屋があった。
その場所も開けていて、月明かりが差し込んでいる。
以前はこの小屋にも誰かが住んでいたらしい。
今は誰も使っておらず、かなり廃れている。
「ここに住んでるの…?」
「今日だけだ。明日になったら出て行く」
部屋の隅には、普段蛮骨が纏っている着物や鎧が置いてあった。
蛮骨が腰を下ろすと、かごめはポケットからハンカチを取り出した。
「お前も物好きだな。俺の身体は墓土だぞ? こんな傷は時間が経てば塞がる」
「うるさいわね……助けられてばっかりじゃスッキリしないのよ」
慣れた手つきでハンカチを巻いていく様子を、蛮骨は不思議そうに眺めていた。
「それより…アンタ、私を殺さないの?」
「……殺してほしいなら首の一つも捻ってやるが」
「そ、そういう意味じゃないわよ!
さっきだって私を助けてくれたしっ、私はあなたの後をつけてきてたのに」
「……そんなに理由が必要か?」
「え?」
「どうして殺さないか、どうして助けたのか。
そんなことにいちいち理由がないと駄目なのかよ。
お前は結局命拾いしてるんだし、俺としても理由は『出来心』の一言だ。
それでいいんじゃないのか?」
床に視線を落としながら言う蛮骨に、かごめは押し黙る。
しばらくしてかごめは、淡い笑みを浮かべながら顔を上げた。
「そうね。私はただ、助かってることを感謝すればいいんだわ。
わかった、もう詮索はしないから」
蛮骨はついとかごめを見やると、おもむろに腰を上げる。
そのまま外へ出て行く彼を、かごめも追った。
「どうしたの?」
蛮骨は眺めのよい崖の辺りに立った。
かごめは足元に注意しながらそこへ行く。
蛮骨の視線を追うと、闇の中にはっきり浮かび上がるものがあった。
「あ……!」