蛮骨の姿をしたかごめが七人隊の部屋に戻ると、勢いよく蛇骨が抱きついてきた。
「きゃあああああ―――っ!!!」
反射的に悲鳴を上げると、蛇骨だけでなく他の仲間たちまで目を剥く。
「お、大兄貴…きゃあーって……」
「へっ…? あ、いや…びっくりしたから、つい……」
「んもう、お茶目だなぁ~♪ そんな大兄貴も好きだぜ!」
ハハハと引きつった笑いを浮かべ、かごめは素早く部屋の隅に移動した。
「絶対に自分のイメージを傷つけることはしない」と約束したのに、初っぱなから失敗するところだった。
「大兄貴ぃ、温泉はどうだった?」
蛇骨が無邪気に問いかけてくる。
「うん、気持ちよかったよ。あ、混浴だから気をつけて」
「混浴ー!? うげぇ、じゃあ俺、入るのやめるよ……」
「お前、またそんなことを…この機を逃したら、次はいつ入れるか分からねぇんだぞ」
呆れたように煉骨が息をつくと、蛇骨は頬を膨らませる。
「女なんかと同じ風呂に入るなんて、死んでも嫌だね!!」
その時、部屋の襖が開いて、膳を抱えた家人が入ってきた。
「夕餉をお持ちしました」
「おおっ、待ってました!」
皆が膳の前に腰を下ろすので、かごめも急いで空いている膳につく。
美味しそうな料理が載せられた皿を見て、皆の目が輝いている。
「こんなご馳走、蘇えってから初めてだよなぁ~!」
「そうだな。さ、大兄貴、食べようぜ」
「あ、うん」
仲間たちが嬉しそうな顔を向けてくるので、かごめも小さく笑って頷く。
箸を持って料理に手をつけようとすると、睡骨がそれを止めた。
「まあ大兄貴、まずは酒だろうよ」
「へっ?」
思わず声が裏返る。しかし睡骨は気付かないようで、膳と共に運ばれてきた徳利を差し出してきた。
「あー…や、酒は……」
受取ろうとしない蛮骨に、睡骨は肩眉を上げる。
「どうした? いらねぇのか?」
「う、うん…今日は、そういう気分じゃなくて…
俺の分は皆で飲んでいいから」
苦笑を浮かべて答えると、睡骨は「珍しいこともあるものだ」と言いたげな目をしたが、それ以上は勧めてこなかった。
かごめはそっと息をつき、黙々と料理を食べた。

「かごめちゃん、お風呂どうだった?」
珊瑚に問われ、蛮骨はどぎまぎしながらもにっこりと微笑んだ。
「うん、とっても気持ち良かった。底の方が滑るから、気をつけて…」
珊瑚は微笑みながら頷き、風呂道具を手に温泉へ向かっていった。
部屋にいると思っていた犬夜叉と弥勒の姿が見えない。出かけているのだろうか。
温泉であれやこれやとしていたうちに、すっかり外は暗くなっている。
窓から外を眺めていた蛮骨の足元にふさふさとした感触が当たり、彼は視線を動かした。
「ミィー」
なんだこいつは。
思い切り怪訝な顔になった蛮骨だが、膝を折って顔を近づけてみる。
大きな紅い目をした猫のような妖怪が、こちらを見上げていた。
犬夜叉一行の妖怪だろうか。
記憶を手繰っていた蛮骨は、そういえば大きな獣がいたなぁと思い当たる。きっとこの猫が変化していたのだろう。
猫妖怪は首を傾けると、かごめの姿をした蛮骨に擦り寄った。
攻撃的な様子もないので、抱き上げてみる。
「………可愛い」
思わず本音が漏れた。だが誰も聞いている者はいないので気にしない。
しばらく無心で猫妖怪をいじっていると、部屋に犬夜叉と弥勒が戻ってきた。
「おう、戻ったぜー」
「あ、お帰り…!」
慌てて笑顔を作るかごめの手元を見て、弥勒が唖然とする。
「かごめさま、雲母が……」
蛮骨はきょとんとして手元を見下ろす。
なすがままになっていた猫妖怪が、逆さまに吊り下げられていた。
「あっ…わる…ごめんね~」
慌てて手を離すと、猫妖怪は特に気分を害した様子もなくミィと鳴いた。
(危ねぇー……そうか、この猫、雲母っていうのか)
「珊瑚と七宝は?」
「珊瑚ー…ちゃんは、温泉よ。七宝は知らないけど…」
乾いた笑みを貼り付けた蛮骨の手に、嫌な汗が浮かぶ。
「珊瑚は温泉ですか。そういえば、ここは混浴なんですよねぇ。
私も行ってみようかなぁー」
にやにやとする弥勒に、犬夜叉が目をすがめる。
「また飛来骨で殴られるだけだぜ」
「そっ、そうよ弥勒様ったら~」
弥勒も「そうですかねぇ…」と頭をかいた。
「そういえばかごめ様。妖怪退治について村の人たちと相談してきましたが、さっそく明日にでも行ってみることにしましょう」
「わ、わかった…」
にっこりと笑って頷く蛮骨。犬夜叉が不思議そうに覗き込んだ。
「かごめ、なんか顔色悪くねぇか?」
「旅の疲れが出たのかもしれませんね。夕餉を食べたら早々に休まれるのが良いでしょう」
「そうね…じゃあ布団敷いておこうかしら」
一刻も早くこの場から消えたくて、蛮骨はぎくしゃくと回れ右をした。


まだ日も昇らぬ早朝。
七人隊の部屋に、忍び足で侵入する影があった。
こそりと首領の枕元に歩み寄った蛮骨は、その肩を軽く揺さぶる。
「ん……」
のろのろと目を覚ましたかごめは、自分の姿を認めて声を上げかけた。
しかしその口を蛮骨が手で塞ぐ。
「静かに。廊下に出ろ、話がある」
極力抑えた声で告げ、蛮骨は部屋を出て行く。かごめも身を起こし、急いでその後を追った。
結局、一夜明けたところで身体は戻っていない。
内心で深く深くため息をつき、かごめは廊下で腕を組んで待っている蛮骨に向き合った。
「話って?」
「お前たちの一行と、これから妖怪退治に行くことになった」
「え、こんな早くから!?」
かごめは廊下にある窓の向こうを見やる。まだ紫色の空が、一面を覆っている。
「場所が少し遠いらしくてな。
身体もこのままだが、仕方ないから行ってくる」
くるりと身を返す蛮骨の肩を、かごめが引きとめた。
「待って。行くなら、ちゃんと弓矢を持っていってよ」
「弓?」
怪訝に見上げてくる蛮骨の腕を引っ張って、かごめは犬夜叉一行の部屋へ入り込んだ。
仲間たちは外で待っているらしく、部屋の中は無人である。
自分の荷物の場所から、かごめは弓矢を拾い上げた。
「はい。弓矢、使える?」
「それは問題ないが…俺が射たところで、破魔の矢になるのか?」
身体はかごめのものだが、魂は蛮骨のもの。その辺は一体どうなるのだろう。
「知らないけど、とにかく持ってってよ。これが私のスタイルなんだから!」
強引に押し付け、釘をさす。
「いい? ぜーったいに、私の身体に傷つけないでよ!」
「……ああ。気をつける」
渋々頷き、そうだと蛮骨はかごめを見上げた。
「お前も、下手なことはするなよ」
「え?」
「多分今日は、山賊退治のための作戦会議があるはずだからな」
「さ、作戦会議っ!?」
「大方のことは煉骨に任せて大丈夫だろうが、とりあえず首領として舐められないように」
じゃ、と片手をあげ、蛮骨は外で待つ一行のもとへと去る。
遠くなる自分の背中を見て、かごめは呆然とした。
「作戦会議って、そんな…私……
う…ううん、大丈夫よ! 適当にやれば何とかなるわね!」
うんうん自分に言い聞かせ、かごめはもう一眠りするべく、七人隊の部屋へ戻っていった。

一体どうしたら元に戻れるだろう。
蛮骨の心の中には、先ほどからその言葉しかない。
歩きながら暗い顔をしている少女に、珊瑚が気遣わしげな視線を向ける。
「かごめちゃん、元気ないけど、大丈夫?」
珊瑚の声を聞いて、弥勒と犬夜叉も振り向いた。
「昨日も調子が悪そうでしたしね…」
「でも、もう引き返すには随分来ちまったぜ」
「いや、大丈夫だから!そんな心配することは…」
慌てて顔を上げ、蛮骨は微笑む。
その顔が、どうにも無理をしている風に見えたらしい。
「俺が負ぶって、宿に連れ戻してやらぁ」
「へっ?」
目を丸くする少女を、犬夜叉がひょいと抱え上げる。
「おう、弥勒。俺、ちょっと行ってくるから、先に進んでてくれ」
「わかりました」
本格的に負ぶわれそうになり、蛮骨は必死に抵抗した。
「犬夜叉! 帰らなくて大丈夫だって…! 降ろして!」
「無理すんなよ、俺の足ならそれほどかからねぇで送っていける」
爽やかな笑みを浮かべる犬夜叉に、蛮骨の中で怒りが湧いた。
「降ろして…! 降ろせってば!!
このっ……、降ろせっつってんだろ!!!」
ついぞ聞いたことがないかごめの語調に、犬夜叉の動きが止まる。はたから見ていた弥勒と珊瑚も同様だ。
しまった。
解放された蛮骨は、引きつった顔ですぐさま笑顔を作る。
「ご、ごめんね犬夜叉。気持ちは嬉しいんだけど…っ
私も皆と一緒に行きたいの。ね? 分かってくれるよね?」
「お…おう…」
否を許さないかごめの語調に、心なしか小さくなった犬夜叉が素直に答える。
「何やら気が立っているようですな」
「犬夜叉がまた何かやらかしたとか?」
弥勒と珊瑚がこそこそと会話をしている足元で、七宝も呆れた目で犬夜叉を見つめている。
「そうだかごめちゃん、妖怪たちのねぐらまで、雲母に乗っていけばいいよ。
そうすれば疲れないからさ」
雲母を差し出す珊瑚の申し出に、蛮骨は目を輝かせた。
乗れるのか、これに。
実は昨日一目見た瞬間から雲母に心奪われていた蛮骨である。
珊瑚に礼を言い、変化した雲母に跨る。
(うわ、やっべぇ超可愛い…!)
言っちゃあ悪いが乗り心地は、「七人隊の乗り物といったらこの人」な銀骨とは天と地の差だ。
素直に感動し、蛮骨は雲母の背を撫でた。
随分進んで、太陽が空の中ほどまで上った頃、彼らはようやく妖怪の塒だという場所へたどり着いた。
森の奥まった場所で、眼前に洞窟がぽっかりと口を開いている。
中から湿った風が吹き出し、どうにも禍々しい雰囲気が立ち込めた場所だ。
「おう、油断するなよ!」
犬夜叉が腰の刀を抜き放ち、後方の仲間たちに呼びかける。
蛮骨も雲母の背から降りて、辺りに注意を注いだ。
「洞窟の中じゃ戦いにくいですから、外に引きずり出しましょう」
「じゃあ、これで…」
弥勒の言を受け、珊瑚は毒の詰まった球を取り出す。
「みんな、下がってて」
暗い洞窟の内部へ球を放り投げると、数秒後に遠くで弾けた音が響く。
ごごご、と地が揺らぎ、洞窟内部で何かがうごめく気配が伝わってきた。
「来ます!」
弥勒の叫びと共に、洞窟から黒い化け物が飛び出す。
弥勒はすぐさま洞窟の入り口に結界を張り、化け物が中へ戻れないようにした。
陽の光の下にさらされた黒い化け物は、巨大な蛙のような姿だ。毒で麻痺しているのか、手足をぶるぶると震わせている。
犬夜叉が鉄砕牙を向けると、蛙が咆哮した。太く重く轟いた声が、辺りの木々を揺るがす。
親玉の召請を受け、無数の妖怪たちが現れる。
「珊瑚、かごめを頼むぞ!」
刀を構え、犬夜叉は地を蹴る。弥勒も懐から呪符を抜き出し、臨戦態勢になった。
皆がそれぞれの得物をかざすのを見て、蛮骨は己の手にある弓矢を見下ろす。
「俺は…援護射撃でもしてればいいのか」
ぼそりと呟き、面倒だなあと息をつく。本来なら直接斬りかかっていくという、犬夜叉のような戦い方の方が合っているのだ。
仕方なく弓に矢をつがえるが、はてさて破魔の矢になってくれるだろうか。
珊瑚が飛来骨を繰り出した。空を裂いて飛ぶ巨大な武器が、妖怪たちを次々と薙ぎ倒す。
蛮骨は構えた矢の切っ先を、手近な妖怪に向けた。とりあえず一発、放ってみる。
と、放たれた矢が不思議な光に包まれて妖怪を射抜き、瞬時に霧散させた。
ぎょっとして弓矢を見つめる蛮骨である。
撃てた。撃ってしまった。破魔の矢を。
「やべぇ…なんか、面白い…」
当たるだけで敵が消滅する。
普段の戦い方とはまた違った快感を覚え、蛮骨は次から次へと矢を放った。
ことごとく命中する矢に気付いて、珊瑚が振り返る。
「かごめちゃん、また腕が上がったんじゃない?
いつの間に練習してたの?」
「え…えーと、夜中にこっそり」
エヘヘと笑っていると、妖怪の一匹が牙を剥いて突進してきた。
「おのれ小娘! 目障りな矢を放ちおって…!」
一気に間合いを詰める妖怪。矢を番える暇がない。
瞬時に判断した蛮骨は、迷わず矢を放り捨てた。
「悪い、借りるぞ!」
「へっ? かごめちゃん!?」
目を丸くする珊瑚の腰にある刀を引き抜き、蛮骨はそのまま妖怪に振り下ろした。
刀から霊力が噴き上がる。斬られた妖怪は、最期の叫びをあげることもなく散った。
ほぅと肩を下ろし、蛮骨は刀を取り巻く霊力の渦を見つめた。
体内の霊力を叩きつける媒介なら、矢でも刀でも問題はないらしい。
霊力というものを身に付けるのは初めてだが、それほど扱いに困ることもなさそうだ。
周囲の敵は珊瑚と二人で全て払えた。捨ててしまった矢を拾い上げ珊瑚を振り向くと、何やら目を輝かせているではないか。
「どうした…の?」
「かごめちゃん、かっこいいね…」
今し方の鮮やかな刀さばきに興奮しているようだ。
「あ…そ、そう? ありがとう」
硬い笑顔で小さく首を傾け、借りた刀を返す。
犬夜叉と弥勒の方に首を巡らすと、彼らの方も雑魚妖は片付いており、残るは蛙の化け物だけになっていた。
犬夜叉が正面から斬りかかるが、大きな平手で弾き返される。
動きはのろいが、その分防御が堅いらしい。
弥勒や犬夜叉が攻めては弾かれる様をぼんやりと眺めていた蛮骨は、あることに気がついて瞬いた。
正面の二人のことは軽く弾いているようだが、こちらからみると背中ががら空きである。
試しに矢を構え、大きな背中に向けて放ってみた。
ばしっと音を立てて、破魔の矢が化け物の背中を貫く。
地を揺らすほどの咆哮をあげて蛙がのけ反り、急所の腹部があらわになった。
「斬れ、犬夜叉!」
かごめの声で叫ぶと同時に、犬夜叉の鉄砕牙が一閃される。
妖怪退治は終わりを告げた。
「いやあ、やっと片付きましたな」
汗を拭う弥勒と犬夜叉が戻ってくる。
「かごめちゃん、今日はどうしたの?
矢は百発百中、それと的確な判断!刀の扱いも見事なものだったし!
まるで別人みたいだったよ!」
珊瑚の絶賛に、蛮骨の心臓が跳ね上がる。
「ま、まぐれ当たりよ! 大した事じゃないって…」
「しかし、最後のかごめさまの一撃のおかげで、親玉に大きな隙ができたのは確かです。
いつもより冴えているようですね、かごめさま」
目を細めて笑む弥勒に、蛮骨はいやあと頭をかきながら思う。
というよりも、こんなこともできないのか、いつものかごめは。
自分の身体を任せているのがいささか心配になってきた。
「妖怪退治も終わったことだし、さっさと宿に帰りましょうよ」
にっこり笑って促すと、仲間たちも快く頷いた。

次ページ>

【読み物へ戻る】