唇を引き締めて端座している首領に、煉骨は軽く首を傾けた。
蛮骨が正座しているところを見るのは珍しい。
「大兄貴、何を硬くなってるんだ」
「へっ…あ、ああ」
かごめは慌てて、煉骨を真似て胡坐あぐらをかく。
今朝方蛮骨に告げられたように、かごめと煉骨は山賊退治の作戦会議の席にいる。
「敵の数は多く、村の者もすでに幾人も殺されております。
塒の場所は大体見当がついておりますが…」
村長が節くれ立った指で地図を指す。
「なるほど、じゃあそこへ攻め込んで、一気に片付ければいいんだな。
大兄貴、今から行くか?」
煉骨の視線を受け、かごめの身体が強張る。
「や、今日は…明日にしないか?」
「どうして」
「なんか体調が悪くて…」
なるべく視線を合わせないようにしながら、かごめは呟く。
山賊退治など行きたくない。行かされる前に、なんとか身体を取り戻さなければ。
「体調が悪いのでしたら、ゆっくりお休みくだされ。
山賊を退治してもらえれば、こちらは構いませんからな」
穏やかに微笑む村長に頷き、二人は部屋を出る。
七人隊の部屋に戻る道すがら、煉骨が蛮骨を覗き込んだ。
「大丈夫か? 体調が悪いなんて珍しい…
もしかしたら、連戦がたたってるのかもな」
「心配いらないよ…皆に迷惑かけて、ごめん」
仄かに笑うと、煉骨がふいに額に手を当ててきた。
「わっ、何!?」
「いや、なんか…いつもの大兄貴らしくねぇなって。
覇気がねぇし、言葉遣いも柔らかいし。熱でもあるんじゃねぇか?」
「そう…かなぁ…」
ぎこちなく首を傾げ、かごめはあさっての方を見る。
と、煉骨が苦笑を浮かべた。
「でもなあ。蛇骨じゃねぇが、こうしてると本当に、生きてた時のことを思い出すぜ」
目を見開き、かごめは煉骨を見つめた。
「戦や依頼を頼りに色んなところ渡り歩いて…こうして屋敷に泊めてもらったりもして。
最期はあんな結果だったけどよ、楽しかったよなぁ、あの頃は」
「う、ん…」
「奈落の仕事が終わったら、またあんな風に過ごせるといいな」
なんとも答えられず、かごめは俯いた。
七人隊が奈落の仕事を終わらせるということは、犬夜叉や自分たちを倒すということ。
自分は犬夜叉を信じている。彼は七人隊に負けはしないと。
様子がおかしい蛮骨に煉骨が不審げに眉を寄せたとき、外で鋭く鐘が鳴った。
警鐘けいしょう…?」
煉骨が剣呑に窓の外に目をやる。かごめもつられるように外を見た。
そこへ、慌てた足取りの村長がやってきた。
「何かあったのか」
「山賊です! 例の山賊が襲撃を…!」
「えぇっ!」
硬直するかごめの横で、煉骨はにやりと笑う。
「どうやら予定通りにはいかねぇようだな。
大兄貴、行こう! なに、体調なんざ戦ってりゃ治るさ!」
腕を引かれ、かごめは青くなったまま仲間たちのもとへ連れていかれた。
すでに状況を察した仲間たちは、己の武器を手に意気込んでいる。
「よーし! 大兄貴、先に行ってるぜぇ~!」
蛇骨を先頭に、皆は部屋を飛び出していった。
一人残されたかごめは、呆然と蛮竜を見つめる。
「そんな…無理よぉ…
妖怪ならまだしも、人間を斬るなんて…!」
逡巡している間も女性の悲鳴が聞こえてくる。かごめは恐る恐る蛮竜に手をかけた。
重い音がして、大鉾が持ち上がる。
「持てるし…」
泣きそうな顔で、かごめは諦めたように頭を振った。
両手で蛮竜を抱えて外に飛び出すと、煙の臭いが鼻をついた。山賊が火を放ったらしい。
大鉾を持った少年の姿は目を引く。すぐに、数人の山賊がかごめの周りに集まった。
「おうおう、何だテメェは!」
刃物の切っ先を向けられ、かごめの身体が強張る。だが、彼女はギッと敵を睨みつけた。
「お、俺は…七人隊首領の蛮骨だっ!」
山賊たちは一瞬きょとんとした顔になり、やがて一斉に吹き出した。
「七人隊だってよぉ…いつの話をしてやがるんだ小僧!」
「そんな構えもなってない首領が、どこの世界にいるんだぁ?」
にやにやと笑いを浮かべる山賊に、唇を噛む。
蛮骨を助けに来る仲間はいない。まさか山賊相手に手こずるわけもないと思うのが普通だ。
(どうしよう、本格的にやばい…!)
「ほーら、七人隊ならよぉ、さっさと斬ってみろよ俺たちを!!」
「ひゃっ…!」
力任せに刀が振り下ろされる。かごめは慌てて蛮竜で防いだ。
遊ぶように、他の山賊たちも攻撃をしかけてくる。直接かごめを狙わず、蛮竜に当てて恐怖をそそっているようだ。
(怖い…怖いよぉ……)
目元に涙が滲んでくる。このままでは、そのうち殺されてしまう。
「ふん、ちっとも反撃してこねぇぜ。立派な鉾も見掛け倒しだな」
遊びに飽きた山賊たちが、冷たい視線を向けてくる。かごめの背にぞくりとした悪寒が這い登った。
鈍く光をはじく刃が振り上げられる。
「犬夜叉…っ!」
目を瞑って悲鳴のように叫んだ瞬間、がきんという金属音が空を貫いた。
はっとして目を開ける。山賊と自分の間にある、小柄な背中に思わず呼吸が止まった。
「蛮っ…」
どこかから拾ったらしい刀で、かごめの姿をした蛮骨が山賊と切り結んでいる。
目を剥いている山賊を弾き返し、蛮骨は肩越しにかごめに視線を向けた。
「馬鹿、何をしてる。
死にたくないなら四魂の欠片を守ってろ」
冷たい視線に気圧され、かごめは首筋に手を当てる。四魂の欠片の波動が、確かに伝わってくる。
そうだ、これを取られたら、たちまち骨になってしまうのだ。
「あ…! ちょっと、私の身体で人を斬るの!?」
思わず叫んだかごめの声に、蛮骨はがくりと肩を落とす。
「お前はっ…どこまで馬鹿なんだ! そんなこと言ってる場合か!!」
斬る斬らないを語る前に、こっちはたった今自分の身体を失いかけたのだ。少なくとも彼女にそんなことを言われる筋合いはない。
「まともに戦えもしねぇヤツが、要求ばっかり押し付けるな!」
本気で怒っている様子の蛮骨に、かごめも口をつぐむ。
突如現れた少女に面食らった山賊たちだが、再びケラケラと笑い出した。
「威勢がいいねぇお嬢ちゃん。わざわざ斬られに来たのかい」
「命乞いするなら今のうちだぜぇ~」
「それはこっちの台詞だ」
蛮骨の瞳が剣呑けんのんに光る。
一瞬にして間合いを詰めた彼は、容赦なく数人の山賊を斬り捨てた。
他の山賊たちが呆気にとられ、あんぐりと口を開く。それらの者たちに蛮骨はするどい眼光を向けた。
かごめの姿だが、効果はてき面だ。
「ひいぃぃっ!!」
残った山賊が武器を捨て、悲鳴を上げて散っていく。
しばらくその背を睨み据えていた蛮骨だが、やがてふうと息をつきかごめを振り返った。
「あの…ありがとう、助けてくれて…」
「お前を助けたわけじゃない。自分の身体を守ったまでだ」
蛮骨の目に、蛮竜が留まる。かごめが持っているのが気に入らないらしく、彼は眉をひそめてそれを取り上げようとした。
「っ―――!?」
がくりと身体が沈む。蛮竜はわずかも持ち上がらない。
「あのー…その身体じゃ、無理だと思うけど」
「くうっ、なんたることだ…! 自分の得物さえ持てなくなってるとはっ…」
蛮骨はわなわなと震えて頭を抱える。どうやら、彼にとっては今までで一番のショックだったらしい。
蛮骨が打ちひしがれている横で軽々と大鉾を担ぎ上げたかごめは、地面に転がる山賊たちの骸を見て顔を歪めた。
「どうしよう…私の身体で、人殺しなんて…」
「だからほれ、返り血は浴びないようにしただろ。誰も、お前がやったとは思わねぇさ」
「そういうことじゃなくて…」
腕をを広げてみせる蛮骨に深いため息をつき、かごめは額に手を当てた。
これからの人生、何か重いものを背負って生きていかなければ駄目なような気がする。
「気にするなぃ。俺に比べりゃ何のその」
けろりとした風情でかごめの肩を叩くと、蛮骨は周囲を見はるかした。
火事は早々に消し止められたようだ。
いつの間にやら悲鳴も止んでいるから、弟分たちが山賊退治をすでに完了させているのかもしれない。
一つ息をつき、かごめを見上げる。
「やっぱり、仲間たちには言っといた方がいいのかもなぁ」
「そうね…もうこんなのはごめんだわ」
蛇骨の反応は怖いが、お互い今日一日で他人の身体の不便さをだいぶ思い知った。
妖怪退治も山賊退治も完了したのだし、旅を再開するためにも、早く身体を戻さなければ。
「皆で考えれば、もしかしたら何か策が浮かぶかもしれないしな」
二人は頷きあい、とりあえず犬夜叉一行と合流すべく歩き出す。
「そうだ、もしも犬夜叉が私に攻撃しようとしたら、『おすわり』って言って止めてね」
「犬夜叉はその言葉に弱いのか?」
「私が言わないと効果がないんだけどね」
村の中央部まで歩くと、そこに犬夜叉一行はいた。
「犬夜叉ー」
「かごめ! お前どこに行って…」
少女の呼びかけに振り向いた犬夜叉は、その後ろにいる人物に目を剥いた。
「なっ…、蛮骨!?」
犬夜叉の身体から一気に闘気が立ち昇る。珊瑚と弥勒も驚きながら武器を構えた。
「てめぇ! かごめから離れろ!!」
牙をむいて、犬夜叉は蛮骨の姿に踊りかかった。
「おすわり」
蛮骨が例の言霊ことだまを発する。その瞬間、犬夜叉はべしゃんと地面に打ち付けられた。
「ぐへぁっ!」
言霊の効果に蛮骨は軽くまばたく。これはおもしろい。
「おすわり、おすわり、おすわりおすわりおすわりおすわりおすわりおすわり」
地面に連続で打ち付けられる犬夜叉。
調子に乗って連呼する蛮骨を、慌ててかごめが止める。
「もうっ、蛮骨! 楽しんでる場合じゃないわよ! 気持ちはわかるけど…!」
ようやく連呼をやめた蛮骨だが、犬夜叉はすっかり伸びていた。
「ちょっ…かごめちゃん、どういうこと!?」
「蛮骨の味方をしておられるのですか?」
怪訝な目をする弥勒たちに、蛮骨はこほんと一つ咳払いをする。
「驚くと思うが、驚かないで聞いてくれよ」


幸い被害が少なく済んだ村は、落ち着きを取り戻しつつあった。
村人たちに深く頭を下げられ一仕事終えた七人隊は今、屋敷の一室で犬夜叉一行と睨み合っている。
蛇骨でさえ、今回ばかりは犬夜叉に取り付くことなく難しい顔をしていた。
無言で火花を散らす双方を見やり、間に挟まれた蛮骨とかごめは視線を下げた。
「その話は、本当なのですか」
弥勒が剣呑に問う。他の者たちも、二人に視線を注いだ。
「ああ。俺とかごめは、昨日から入れ替わってる」
「信じ難いが、その様子では信じるほかなさそうですな。
で、どうしてもっと早くに言わなかったのです?」
う…、と詰まり、入れ替わった二人は揃って蛇骨を見た。それを受けた蛇骨は瞠目する。
「え、おれ?」
二人の行動から大体言いたいことを察した煉骨と弥勒である。
と、犬夜叉がかごめの姿の蛮骨の肩をがしっと掴んだ。
「蛮骨、てめぇさっさとかごめの身体から出やがれ!」
「それが出来ればとっくにやってる!」
「なにをぉ~っ!!」
「おすわり」
なすすべなく突っ伏した犬夜叉を呆れたように見下ろし、弥勒は口元に指を当てて考えるそぶりをした。
「確かに、かごめ様の様子が少しおかしいとは思ってましたが、まさかこういうことだったとは…。
とにかく、元に戻さねばなりませんね」
「できるのか?」
「残念ながら、私でも方法がわかりません」
一瞬目を輝かせた蛮骨とかごめだが、落胆して肩を落とす。
沈黙が漂った。
しばらくして、珊瑚があっと声を上げる。
「どうしたの、珊瑚ちゃん」
「楓さまに相談してみたらどうだろう」
「楓?」
蛮骨は首を傾げたが、弥勒とかごめはなるほどと手を叩いた。
「その手がありますな」
「楓ばあちゃんなら、何か策があるかもしれないわね!」
頼るものは他にない。
まだ陽も高いので、今からでも楓のところに行こう。
「行きましょ、蛮骨!」
かごめに促され、蛮骨も立ち上がった。そして、犬夜叉も。
「こいつと二人にはさせられねぇ、俺も行く!」
「犬夜叉が来ても大して役に立たないだろうから、大人しく留守番してて」
かごめにばっさりと斬り捨てられ、犬夜叉は硬直した。
蛮骨の顔で言われたものだからさらにショックが大きいようだ。
「おすわり」ではないが、かごめの言葉は犬夜叉に絶大な効果を発揮するらしい。
妙に感心してしまった蛮骨は、かごめと共に外へ出た。
彼らの前で雲母が変化する。それに跨り、かごめは珊瑚たちを振り返った。
「とりあえず、行ってくるわ」
「うん、帰ってくるまで待ってるよ」
蛮骨の姿に手を振る弥勒と珊瑚、そして七人隊の面々は二人を見送った。
雲母が地を蹴り、空へ飛び上がる。
かごめの後ろに乗った蛮骨は、遠くなっていく仲間たちを肩越しに振り返った。
戻ってくるころには、元の身体に戻っていることを願って。

次ページ>

【読み物へ戻る】