待つ人、来る人
庭先に洗濯物を干し終わり、ぱんぱんと手を払った時、羽音が降ってきた。
朔夜は空を見上げる。
「あら凪。久しぶり」
一羽のハヤブサが、庭の木に止まった。
朔夜は凪の足に括られた手紙をはずし、急いで広げた。
文を追うごとに、笑みがひろがっていく。
「やった。皆もうすぐ帰ってくるのね」
もう二、三日。
そのくらいしたらこの町に着くと、短い手紙には記してあった。
「蛮骨の兄貴、町が見えてきたぜ~」
遠くに小さく見える町を指して、蛇骨が言った。
凪をつかって文を出してから三日目。
予定通り、仕事に暇ができた七人隊は塒にしている町へと戻ってきている。
蛮骨はその顔に微笑みを乗せた。
もうすぐだ。もうすぐ会える。
足取りが無意識に軽くなり、速度が増していく。
「大兄貴、ちょっと急ぎすぎじゃねぇか?」
睡骨が苦笑を浮かべる。
「そ、そうか?
普通に歩いてるつもりなんだがなー」
蛮骨は慌てて速度を落とし、頭をかいた。
蛇骨が意地悪く笑む。
「俺、さきに行ってるぜ」
言うが早いか、蛇骨は駆け出した。
「あっ、蛇骨!!」
咄嗟に蛮骨が叫ぶも、彼は風のごとく行ってしまっていた。
先を越された感があり、蛮骨は少々眉をしかめる。
「まったく蛇骨の野郎は……
大兄貴、からかわれてますよ」
「……わかってる」
蛮骨の様子がいつもとちがうのは、皆わかっている。そしてその理由も。
蛮骨の心理を忠実に表現すると今の蛇骨のようになるのだろうが、
さすがに七人隊首領はぐっと自分を押しとどめている。
大丈夫、普通に歩いたって町はもうすぐだ。
そう言い聞かせて。
町に近づくにつれ、賑やかな人々の声が聞こえてきた。
さきに行った蛇骨はもう朔夜に会ったのだろうか。
それが気になり、町の声に引かれるように、蛮骨の歩く速度はまた速くなっていった。
七人が帰ってくるということで、朔夜は夕飯の食材を仕入れに市へ行った。
「何がいいかしら…」
金銭にはまだ余裕がある。
みんなが帰ってきた時に美味しい物が作れるよう、なるべく節約しているのだ。
今から皆の顔が浮かんできて、楽しみだった。
新鮮な食材を買って家路についていた時、朔夜の前に柄の悪い男たちが現れて道をふさいだ。
はっとして朔夜は足を止める。
「おう、姉ちゃん。金だしな」
男たちはニヤニヤ笑いながら朔夜の肩をつかんだ。
「やめてください!お金なんてありません」
朔夜は手を振り払おうとしたが、他の男たちにまで腕を押さえられてしまった。
「金がねぇなら仕方ねーな。
他のモンで楽しませてもらおうか」
身動きがとれないまま、朔夜は人気のない林の中へ連れて行かれた。
「やめて!はなして!!」
買った食材もそこらに捨てられ、朔夜は押さえられながらも強く男たちを睨んだ。
「見かけのわりに威勢がいいねぇ。
まぁ、すぐに大人しくなるだろうさ」
厭らしい笑いを浮かべた男は、ふと朔夜の簪に目をとめた。
「ほう?綺麗な簪だ。結構高いんじゃねぇか?」
言うと男は、遠慮なしにその簪を抜き取った。
「それは駄目!返して!!」
朔夜は必死にもがいたが、男数人に押さえられてはその努力もむなしかった。
蛮骨からもらった大切な簪が、こんな男たちに盗られてしまう。
朔夜は絶望的な気持ちになった。
男たちの一人が、着物に手をかける。
怖くて、もう声も出せなかった。
心の中で、懸命に一人の名を呼ぶ。
(蛮骨――!)
鋭い一閃に、視界が覆われた。
次いで、男の叫び声が響き渡る。
「ぎゃあああ!!」
朔夜の着物に手をかけんとしていた男が、腕を押さえてうずくまっている。
押さえた指の間から、血が滴っていた。
はっと朔夜が顔をあげると、木々のむこうに一つの影が見えた。
彼女は大きく目を瞠る。
「蛇骨!!」
視線の先には、得物をかまえた蛇骨が立っていた。
蛇骨は男たちを睥睨して、フンと鼻を鳴らした。
「むっさい男ばっかだな~、興醒めだぜ」
男たちは朔夜を投げ出して、蛇骨に向かい合った。
「ちくしょう、何だこいつ、男か!?」
「邪魔しやがって。やっちまえ!!」
次々に刀を抜く男たちを前に、蛇骨は少しも怯む様子はない。
再度蛇骨刀を振りかぶろうとした蛇骨に、投げ出されて草むらに倒れこんでいた朔夜が慌てて声をあげる。
「蛇骨っ、殺しちゃ駄目よ!この町で殺しは……」
せっかく町の人たちも七人隊に警戒を解いているのに、殺人など犯したらこの町にいられなくなってしまう。
蛇骨は眉をひそめて蛇骨刀を下げた。
じりじりと間合いを詰める男たちに、蛇骨は朔夜を背後に庇って後退する。
下手に戦うと自分の得物では相手を殺しかねない。
仲間に知らせに行こうとも思ったが、朔夜を置いていくことはできなかった。
刀を納めた蛇骨に、男たちは卑劣な笑みを向ける。
「どうした、戦えねーのかよ?
じゃあ遠慮なく、死んでもらうぜ!!」
刀が振り上げられる。
それを避けているうちに、蛇骨と朔夜の距離が離れてしまった。
(しまった……!)
蛇骨が朔夜を顧みると、まさに刃が振り下ろされるところだった。
咄嗟に蛇骨刀を抜き放とうとするが、その手が止まる。
朔夜に向けて真っ直ぐ振り下ろされた刃が、直前で止められたのだ。
刀を持つ男の手が、別の手に押さえられていた。
「てめぇ、俺の女に手ぇ出すとは、いい度胸だな」
低い声に、男は息を詰める。
「七人隊首領の女だぜ。
あんまり乱暴なことはしないで欲しいんだが」
朔夜は声の主を見て、身体の力が抜けていくのがわかった。
「蛮骨……」
一方、周りの男たちの反応は大変なものだった。
「七人隊」の名を聞いて、すっかり怯えてしまったのだ。
「や、やべぇ……七人隊の首領だって!?」
「ひぃぃぃ、お許しを!!」
一斉に跪いた男たちに、蛮骨は冷たい視線を向ける。
「通常なら殺してるところだが…今日は見逃しておいてやる。
もうこいつに近づかねぇと約束するならな」
「約束します!!絶対に手はだしませんから!!」
約束すると男たちは急いで逃げ出そうとした。
「あ…待って!」
しかし朔夜に呼び止められ、ビクッとしながら足を止める。
「な、なんでしょう…?」
「簪を返してください」
言われて、男の一人が慌てて懐から簪を取り出し、蛮骨に差し出すと彼らは一目散に逃げていった。
誰もいなくなり、蛮骨は息をつくと朔夜に簪を渡した。
「朔夜、怪我はないか?」
「うん。蛇骨が助けてくれたから…」
「そうか、良かった。蛇骨、よくやったな」
久しぶりに褒められて、蛇骨は顔を輝かせた。
だが、と蛮骨は肩をすくめる。
「あんな雑魚ども、七人隊の名を出せば尻尾巻いて逃げるだろ。
最初からそうすればよかったのに」
「あはは、俺、気付かなかったぜ」
頭をかいて笑う蛇骨に、蛮骨も笑って返す。
朔夜も笑いながら、彼らが帰ってきたことに安堵を覚えていた。
「あっ」
三人で並んで帰っていた時、朔夜が突然声をあげた。
「どうした?」
「夕飯の材料。
せっかく買ったのに、捨てられちゃったの」
「なにー!!」
蛇骨が激怒する。
食べ物のことになると黙っていられないらしい。
金を持っているので、蛮骨は今から買いに行こうと言った。
「じゃ、二人で行ってこいよ。
俺は先に帰ってるからさ」
蛇骨はそう言って家までの道のりを駆けていった。
その後姿を見送って、蛮骨は息をつく。
「ったくアイツは、変なところで気を遣おうとしやがる……」
蛮骨の呟きを聞いて、朔夜は小さく笑う。
「いいじゃないの。
さ、店へ行きましょ」
朔夜は蛮骨の手をとって、歩き出した。
空が夕日で橙色に染まっていく。
手を繋いだ二人の影が、長く道に伸びていた。
「今回は少し長くいられると思う」
蛮骨の言葉に、朔夜は驚いて彼の顔を見上げた。
「ほんと!?」
「ああ」
蛮骨の穏やかな笑顔を受けて、朔夜も満面の笑みを浮かべた。
そんな顔を見ているだけで、蛮骨は柄にもなく幸せだなぁ、と思う。
この感覚のために、帰ってきている。
自分にも人並みの幸せが味わえる瞬間だ。
穏やかな時間を包み込むように、夕日がゆっくりと沈んでいった。
<終>