屋外へ繰り出した六人は、食料を求め恒雨の中を方々へ散った。
いの一番、蛮骨と蛇骨は新之助に言われた裏の畑を確認に向かう。
境内の一角に設けられた小ぢんまりとした畑は、御多分に洩れず人間やら獣やらの手垢が付き放題の有様で、足の踏み場に困る状態だった。下の土も見えぬほどに蔓や雑草が生い茂り、前もって畑と聞き知っていなければそこらの草地と見分けがつかなかったかもしれない。
「うぅわ、これじゃ望み薄だなぁ」
庫裏に残っていた穴あきざるを笠代わりに頭に載せた蛇骨が、早くもくじけ声で唸る。
「とりあえず一通り見てみようぜ」
雑草の繁茂する畑に入っていく蛮骨にならい、蛇骨も別方向から中腰になってうねと思しき隆起の間を進んだ。
当初はほとんど期待していなかったのだが、作物の中にはたくましくも繁殖の道を確立できたものがあったらしい。一巡する頃には細く不恰好ながら、芋や根菜をそれなりに得ることができた。
「へへ、探してみるもんだな」
すっかり濡れそぼち泥だらけになった二人は、少なからず収穫があったことに満足して畑を後にする。時間はたっぷりあるので、作物を本堂に置いてからさらに他の場所へ探索しに出ることも十分可能だ。
「ところで、あの餓鬼を成仏させるとかいうやつ、いい案は浮かんだか?」
戻りの道すがら蛇骨が問いかけてきた。
「考えちゃいるけどな。俺には畑違い過ぎてどうも」
「ほら見ろ余計なこと言っちまうから。煉骨の兄貴じゃねえけど、ほんと大兄貴の気まぐれも厄介だぜ」
蛮骨は苦虫を噛んだ表情をしながらも言い返す。
「お前もな、あんな小せえの相手にいつまでも騒ぎ立ててねえで、どんと構えたらどうだ。肝っ玉が小さく見えるぜ」
「俺様は刀で斬れねえ奴ぁ生理的に嫌なんだ。兄貴こそ、肝が太すぎんだよ」
「死人が怖くて傭兵が務まるか」
売り言葉に買い言葉で軽口を叩きあっていた二人だが、ふいに蛇骨が「ん?」と目を細めたことにより、応酬は打ち切られた。
蛇骨が見ているのは、敷地を取り囲む黒板塀である。その中に、奥へと引っ込んでいる一角があった。
「あっちは?」
「ああ、墓所があるんだとよ。今朝ぶらついた時、新之助が言ってた」
興味が湧かなかったため見物もせず素通りしたのだが。
「行くのか」
何やらそちらへと進んでいる蛇骨の背に問う。
「いやほら、供えもんとか」
「あったとして、それ食うのかよ」
いつ置かれたものかも分らぬものを。
「……凶骨なら食っても平気じゃね」
まあ確かにと、蛮骨も一瞬思ってしまう。
なにも本気でそれを目的としたわけではないのだが、すでに上から下まで濡れているのだし、急いで戻る理由もない。どんなものか一目見ておくくらいは構わぬだろうと、二人はそのままそちらへ足を向けた。
両側を塀に挟まれた短い細道の先に現れた墓所は、寺の規模に見合う広さの空間だった。
主に無縁の遺骨を引き取っていたのだろう。最奥にそこそこ立派な石碑が鎮座する他は、苔と草で覆われた土饅頭つちまんじゅうが連なっている。金をかけたような立派な墓石などは一つも見受けられない。もっとも、そんなものが置かれるほどの寺であれば、ここまで荒れる前に誰かしらの手が入っていただろう。
入口からざっと見回しただけで大方を把握した気になった蛮骨だったが、数歩前にいる蛇骨がふと、通路脇に屈み込んだ。
「これも墓か?」
首をひねっている。蛮骨も後ろから覗く。
入口近くに作られた、墓と思しきそれは、他の土饅頭とはどこか異なっていた。
なんというか、作り慣れていない。土の盛りが甘く不格好だ。
上に乗せられている、墓石と呼ぶには心許ない石。深く刺さらず大きく傾いだ、何も書かれていない卒塔婆。
全てが「形だけ」に見える。
その時、蛮骨の中でひとつ合点がいった。
「住職――新之助の爺さんの墓だろう」
「爺の?」
「突然死したのを、あいつが埋めたんだとよ」
「あの餓鬼がか」
穴はあらかじめ用意があったそうだが、土を被せたのは子供の手だ。本人も「上手くできなかった」と悔やんでいた。しかし、亡骸をここまで運ぶだけでもかなりの重労働だろうに、見様見真似でこれだけの墓を拵えたのならむしろ上出来と言えよう。
獣が掘り返そうとしたのか、地面にはえぐれた痕が薄ら残っている。
「おーい爺ぃー、あんたの孫、取り残されてんぞー。迎えに来なくて良いのかー」
蛇骨が間延びした口調で話しかけながら盛り土上の石をぺしぺし叩く姿を、蛮骨は傍らでただ眺めていた。
急拵えの粗末な墓。供え物も参る者もなく、雑草が蔓延はびこり獣に踏み荒らされ。
それでも、爺の方はしっかり成仏できたのか。
新之助は、どうして逝けないのだろう。


冬になると状況は一変した。
山から採れるものは激減し、なけなしの山幸は冬眠し損ねたものたちとの早い者勝ちの奪い合いとなった。
住職が生前、保存用に漬けておいたものや乾物の類が多少は残っていたが、そもそもここで越冬する予定ではなかったため、大した備蓄はない。辛抱しながらかじっていたものの、間もなく底をついてしまった。
氷の張った川で釣りの真似事をし、山中では粗末な罠もどきで小動物の捕獲を試みたりもした。しかし、芳しい収穫はなかなか得られない。動物の食べ残しや低木に残る実などは、貴重なご馳走だった。
降り積もる雪の厚さに比例するように、気力と体力は日増しに削がれてゆく。
元は修行場としての役が大きかったためだろう、この寺は元来、人の出入りが乏しい。そしてその限られた訪問客らは、冬季中ここが無人となることを心得ている。
こんな雪深い季節に来訪者など、あろうはずがなかった。
本格的な冬に先んじて下山してくるはずの二人が今年は一向に姿を見せぬことに不審を抱き、里人の誰ぞが様子を見に来やしないか――今や、そんな淡い可能性に縋るしかない。
格子窓に張られた障子紙を破って口に入れた。唾液に溶ける糊の味でその場は気が紛れたものの、やがて腹を壊すことになった。
屋根に雪庇ができれば、垂れる氷柱つららを折って齧りついた。腹は膨れず、手も口も感覚を失うほどに冷えて痛むばかりだった。
瞳に映る景色は色味を失い、灰色になり、やがて全てが白と黒で構築されるようになった。視界の半分は常に、欠けた月のように黒で塗りつぶされていた。
空と地面の境が曖昧になった世界を見ながら、ふと思う。
以前は寸断されていた道が、今ならば雪によって渡れるようになっているかもしれない。
――しかし、もしも当てが外れたら。
痩せた指を見る。爪が割れ、骨が浮いている。力はもう、ほとんど入らない。
――自分はもう、ここへ戻れない。

山の冬は早く、春は遅い。
雪の深さと冷え込みが最高潮に達した、とある大禍時おおまがとき
山門に人影が現れた。


「……き、…にき、…お、お、あ、に、き!」
耳に飛び込んだ声で、蛮骨は我に返った。
「……蛇骨?」
幾度か瞬きをする。
雨が降っている。髪も衣も濡れている。じとりと蒸した空気が肌にもたれつく。
冬ではない。
目の前にいる蛇骨が、怪訝そうにこちらを覗き込んでいた。
「さっきから呼んでんのに、なにぼけーっとしてんだよ」
「あー。悪い、なんだ、何か言ったか」
取りつくろうように頬をかくが、その後も蛇骨の言葉は右から左へすり抜けて、ほとんど頭に入りはしなかった。
昨夜の夢。
そしてたった今、脳裏に浮いた光景。
白昼夢というものだろうか。
己の記憶ではない。しかし、あたかも己が体験したかのような。その場の空気までも肌に感じるような。
走馬灯でも、見ているような。
あれはおそらく。
ひとりで死んだ子供。飢えと渇き。寒さと孤独。
満たされず。欠けたものは欠けたまま、埋まることなく。
欠けているものとは何だ。
足元にある土饅頭。この下に眠る住職は。
あの世へ逝けたのか。
「……」
わずかに目を見開く。
思考の淵に沈んでいる蛮骨に気付いた蛇骨が、再び声を上ずらせた。
「兄貴? 聞いてっか。おーい」
蛮骨は強い衝撃を受けたように顔を上げた。ぎょっとする蛇骨を押しのけ、
「先に戻る」
「は? ま、待てよ兄貴、こんなとこ置いてくなって!」
足早に去っていく蛮骨の背を、作物の載った笊を抱え直した蛇骨が慌てて追いかけた。

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