「はーっ、うまかったなぁ! あんな上等な飯食ったの、初めてだ!」
茜色の雲が棚引く空の下、屋敷を後にしたましらと七人隊は宿場街の目抜き通りを北に歩いた。
着飾られたまま屋敷を辞したましらだが、敷居を一歩出た途端に態度が元に戻ったものだから、道行く者たちから奇異の視線を注がれている。
姉はましらを妹のように気に入ったらしく、「私のお古で悪いのだけど」と言いながら、見るからに高そうな衣を際限なく引っ張り出してきた。ましらの背にある巨大な風呂敷包みには、それらがみっちりと詰め込まれている。
遠慮する隙もなかった。その上「あとで宿に届けさせますから」と言っていたことから察するに、まだあるらしい。
「たくさんもらったなぁ。それ、ぜんぶ着るのか?」
凶骨が風呂敷を指させば、ましらは苦笑を浮かべて返す。
「荷物になるし、俺なんかがこんな高価なの持ってても、また変なやからに目を付けられるだけだしなぁ。申し訳ないけど、気に入ったやつ以外は売るつもり。上客を相手するときのために、いくつかは見栄えが良いのも必要だと思ってたとこだから丁度いいや」
ふと蛇骨を振り返り、
「あ、蛇骨が欲しいのあったら、あげるよ」
「……俺の趣味と違ぇ。いらねえ」
ぼそぼそ答える彼は最後尾よりさらに三歩ほど後ろにいる。先から複雑な表情をして不自然な距離を保っている蛇骨にましらは不思議そうに首を傾けたが、「じゃあやっぱ売ろう」と頷いた。
大旦那はましらへのせめてもの詫びにと、宿場に滞在中の宿や食事代をすべて肩代わりすると申し出た。のみならず、先代の猿回しとの約束通り、今後は後援として大いに助力してくれるという。
「今までに比べりゃ楽になるんじゃねぇか」
少なくとも、草木も眠る深夜に治安の悪い賭場まで芸を披露しにいく必要はなくなるだろう。
「まあね。でも半月くらいお世話になったら、また紋吉と一緒に色んな場所を周るつもりだよ」
ましらの言葉に睡骨はせぬと言いたげな目をする。わざわざ進んでそんな面倒をする必要がどこにあるのか。
彼の考えを読み取ったのか、ましらは軽く肩をすくめてみせた。
「ここを拠点に据えるにしても、胡座あぐらかいてちゃ腕が落ちちまうし」
それに、とましらの眼差しが足元に寄り添う紋吉に注がれる。
「こんな世の中だしさ。別に俺らの芸を見たところで平和になったり腹が膨れるわけじゃないけど……みんな、笑える時は笑ってほしいんだ。俺が悪党の下っ端やって、糞みてえだと思ってた世の中を面白くしてくれたのも、師匠と紋吉だからさ」
自分の言葉に気恥ずかしさを覚えた様子で肩を揺らし、風呂敷の位置を調整する。
「少なくとも一人前になるまでは、今の生活を続ける。大旦那さまも、困ったらいつでも声をかけてくれっていうし。頼れるもんはありがたく利用させてもらうさ」
「それまでにあの馬鹿息子がちったぁ改心してるといいがな」
話しながら歩いているうち、大通りの四つ辻に差し掛かった。
ましらの行先は商家が手配した一流の宿で、七人隊が目指すは宿場を出る道だ。方向が違うので、ここで別れることになる。
紋吉を抱き上げ、ましらは皆に向き直って頭を下げた。
「短い間だったけど、世話になったね。ありがとう」
「結局、大して役に立ってねえがな。最終的には鬱憤うっぷん晴らしに暴れただけだしよ」
「そんなことない。みんな一生懸命手伝ってくれたし、あのとき助けてもらえなきゃ、俺も紋吉もこんなもんじゃ済まなかった。本当に感謝してるよ」
睡骨は口を引き結んで、「ふん」と返事だか嘆息だかわからぬ息を漏らす。曇りのないまっすぐな目をして礼など言われると、妙にこそばゆくて居心地が悪い。
「そういえば聞きそびれてたけどさ。どうして紋吉とおっさんたちが一緒に現れたんだ?」
睡骨は渋い表情になる。
「そいつにまんまと誘導されたのさ」
あの時。
「猿が捕まったらしい」と駆けていく子供らの後を、四人は追いかけた。そんな彼らの前に、くだんの紋吉がひょっこり現れたのである。
――ぎっ、紋吉!?
――なんだよ、捕まえたっつーのは嘘かよ!
――落ち着け、今度こそとっ捕まえるぞ!
取り囲んでじりじりと間合いを詰めたが、紋吉の反応がどうにも先とは違うことに、睡骨は気が付いた。
挑発するような動きもせぬし、逃げようとすらしない。地面に突っ立って、じっとこちらを見上げてくるばかりなのだ。
――な、なんだよ。降参する気になったのか?
拍子抜けしかけていると、紋吉が話しかけるように小さな鳴き声を発した。そうしてさっと駆け出す。慌てた四人だが、紋吉はすぐに足を止め、四人を振り返ってまた小さく鳴いた。四人が近付けばまたも短い距離を駆け、振り返って呼びかけてくる。
その一連を繰り返すうち、猿がどこかに導こうとしているのだと、それだけはわかった。
「またなんか仕掛けるつもりかとも思ったが、とりあえずひたすら追いかけてみりゃ、とっ捕まってるお前に行き当たったっつーことさ」
「紋吉がみんなを呼んできてくれたんだな」
ましらがふわふわとした頭を撫でると、紋吉は満足げに目を細めた。
「じゃ、約束の報酬を渡すよ」
ましらは風呂敷の隙間に手を突っ込んで巾着を取り出した。屋敷で渡された詫び金で膨れている。その中から三分の一ほどの銭を自分の財布に分けると、残りを巾着ごと睡骨に差し出してくる。
「あ? こんなに寄こすのか?」
「あんまり懐に入れないようにしてるんだ。金は人をだめにするんだってのが師匠の口癖だったから。宿代浮くし着物も売るし、今はこれだけありゃ十分だよ」
凶骨と銀骨がましらの心がけに感動し、賞賛の拍手を送った。
「はあー、しっかりしてらぁ」
「ぎし。すばらしい」
「……そういうことなら」
一回り以上年の離れた小娘に恵んでもらういたたまれなさも無くはないのだが、そんな恥は焼き魚を買ってもらった段ですでに掻き捨てている。一度も二度も同じだと、睡骨は巾着を受け取った。
手のひらに乗るずしりとした確かな重さ。懐と同時に肺の中までも、ぽっと蝋燭ろうそくが灯ったように温かくなった気がする。
「今度は無駄づかいすんなよ。それじゃ、次はお客として会おうな。睡骨、蛇骨、凶骨、銀骨」
ましらは晴れやかな笑顔で手を振り、紋吉を伴って颯爽と歩き去った。
小柄な背中が雑踏に消えるのを見送って、四人も歩みを再開する。
初めて名を呼ばれたことに睡骨が気付いたのは、それからしばらく後のことだった。


「なー。もうこんな時間だし、今日も宿に泊まっちまおうぜ」
頭の後ろで手を組みながら歩く蛇骨の呼びかけを、睡骨は一蹴した。
「いつまでも繁華なとこにいるから金を使っちまうんだ」
一行は宿を求め町の中心へと吸い込まれていく旅人らの流れに逆らって進む。
懐はうるおったが、気を緩めたら昨日の轍を踏みかねない。蛮骨たちに合流するまでは野宿でしのぐのがいちばん安全といえる。
名物料理や土産物の店が軒を連ねる中心地を抜け、屋台や旅籠はたごもまばらな通りも外れの方に差し掛かった四人は、立ち並ぶ長屋の群れの間に、いやに真新しい建物を認めてふと足を緩めた。
軒先に提げられた大きな提灯にぼんやりと灯が入っている。
そのすぐ横に客引きと思しき男が立ち、景気の良い声で通行人に声をかけていた。
「兄さんがた、いい時に通りかかったねぇ!」
目ざとく四人を見つけ、当然のように接近してくる。
「ここぁ本日新装開店した店さ! 記念に今日限り、赤字覚悟の大盤振る舞い中だ。目をつむってても勝てるよ!」
「げえ、ここも賭場だ」
あからさまに警戒する凶骨に、男は剽軽な調子で続けた。
「賭場は賭場でも、うちは後ろ暗いところなんか何にも無い、健全な店だよ。宿場の組合から許可も得てるし、第三者の監視だってついてるんだからね」
「へえ」
立て板に水を流すがごとき饒舌な文句に、蛇骨の耳が傾く。
「なぁおい、さっきもらった金、もうちっと増やせんじゃねえか?」
「ぎし……?」
何を言っているのかと、凶骨と銀骨は顔を見合わせた。
いくら耳障りの良い文句を並べられたとて、実際それほどうまく運ぶわけがないことは、さしもの凶骨や銀骨にだってわかる道理だ。
痛い目を見たばかりの睡骨であればなおのことそう考えるだろう。と視線を向けた先で、何やら思慮深く顎に手を当てている彼を目撃してしまった凶骨と銀骨は、ますます当惑することとなった。
「……確かに、あいつから受け取った分でも、溶かした額にはちっとばかし足らねえんだよな」
煉骨に文で額を訊かれている状況でもある。見込み額より少なければ少ないほど、やれ交渉が下手だの俺がいないとどうだの、小うるさく言われる事になる。
「それは少し」
「考えすぎじゃ」
睡骨の口から漏れる独り言に、凶骨と銀骨が口をぱかりと開けた。
「ちょっとだけやってみようぜ。ツキが無さそうならさっさと引き揚げりゃいい」
「よし」
二人が口を挟むより早く、睡骨と蛇骨は決心を固め、加えて根拠のない自信を瞳にみなぎらせて、客引きに誘われるまま店の暖簾のれんを潜ってしまった。
「あっ」
「待てよ!」
人間離れした巨躯の二人は、体より小さな入り口を通ることができない。引き止めようとした手を伸ばしたまま店先にぽつねんと取り残されてしまう。
中心地の喧騒から離れた広い通りを、むなしい風が吹き去った。
「……俺ぁ馬鹿だけどよ、これが良くねえ事だってのは分かる」
「ぎ。せっかくましらがくれたのに」
がっくりと肩が落ちる。
金は人をだめにする。
今日ほどこの言葉を深く噛みしめた日があったろうか。
「やっぱ、煉骨の兄貴が財布の紐を締めておかねぇとだめだぁ」
突っ立っていても仕方がないので、二人だけで町の外を目指し、とぼとぼと歩き出す。
目につく場所で野宿していれば、そのうち二人が追い付くだろう。
その顔が喜色に彩られているか、あるいは悲壮に満ちているか。
凶骨と銀骨が賭けられるものといえば、その二択くらいのものだった。

<終>

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