隼人たちが宵闇の下へ転がり出たのと、山林を揺るがす轟音を伴って主殿が倒壊したのは、ほぼ同時だった。
「弘徳さま――!」
自分たちの寄る辺だった場所が瞬く間に原形を失っていく姿に、宗念と逢念が喉も裂けんばかりに絶叫した。
肩で息をしながら、隼人は一つの巨大な炎と化した寺を見上げる。
これは――これも、己の行動と決断の結果だ。
鉄の味が口内に広がった。無意識に奥歯を食いしばっていた。
打ちひしがれている暇など無い。
こちらへ駆けてくる獣の足音に顔を向ける。蒼空がまっすぐにやってくる。
「蒼空」
隼人の元へたどり着いた蒼空は鼻を押しつけてから、何かを訴えるように小さく鳴いた。
「慈念たちを見つけたか」
出火の報を受けてすぐに脱出させたという話だった。
しかし、蒼空の様子には切羽詰まったものがある。
無事ではないのか。
息を詰め、隼人は逢念を振り返った。
少年は焼け落ちる寺を前に、座り込んだまま微動だにしない。
ここから離すべきだが、そんな時間は無さそうだ。
炎の爆ぜる音の中に砂利を踏む足音が重なった。隼人は殺気を込めた眼差しで振り返る。
「おお、出てきやがった」
ぞろぞろと十人ほどの男たちが湧いてきた。いずれも薄汚れたなりで、ある者は腰に刀を帯び、またある者は斧や槍、山刀などを携えている。
逢念と宗念も男たちに気付き、身を固くして後退った。
頭目と思しき男が中央でふんぞり返る。最も大柄で上等な鎧を付けている。
「追加の燃料を投入してやったってのに、しぶてえ野郎だ」
隼人の纏う空気が一気に冷えた。的確な機を狙って投げ込まれた油入りの甕。外に賊がいるのはわかっていた。脱出してすぐ戦いになることも。
男はにやついたまま続ける。
「後で考えて『しまった』と思ったぜ、肝心の骸が燃えちまったんじゃ討った証明ができねえ。いやあ、出てきてくれて助かった」
まあ、勝手口から飛び込んでった時は頭がどうかしてるんじゃねえかと思ったがよ。
その言葉に同調する笑いが渦を巻いた。
隼人は逢念と宗念を庇う形で前に進み出、追捕の男たちと対峙する。
「一緒に手配されたお仲間はどうした? さすがに舞い戻るなんざ愚行に付き合ってくれる奴はいなかったか? 鐘楼にお前の首でもぶら下げときゃ、釣られてくれるかねぇ」
冗談めかした言葉と呵々大笑が飛んでくる。ひとしきり笑い飛ばした男たちは、のそりと得物に手をかけた。
「まあいい、こいつの首が一等高値だ。他はいようがいまいが構わねえ」
隼人は素早く視線を走らせる。
自分を取り囲む三人、その外側に五人、頭目の両脇に二人。
賊の背後に、見る影もなく踏み荒らされた畑があった。ばらばらに砕け潰れた、収穫間近の作物だったものが土の間に見え隠れしている。
「てめえン家丸ごと血の海にしたかと思や、老いぼれと餓鬼どもの命惜しさにのこのこ戻りやがる。どうにもよくわからねえ奴だ」
ひとりべらべらと言い募る頭目に、隼人は失笑した。
「やる事が姑息な上、口が減らないな。それだけ手下を引き連れながら、俺一人を相手取るのが怖いのか? 煽りに乗ってやるつもりはないぞ」
その返しに男は少なからぬ苛立ちを覚えたようだった。しかしすぐに口端を引き上げ、片手を振って仲間に合図する。
「てめえの状況もわかってねぇ、とんだ間抜けだ。早く三途の川を渡りたくてしょうがねえらしい。お望み通り、手伝ってやるよ」
隼人の左手が鯉口を切る。空気が痛いほど張りつめる中、頭目の男はにたりとわらった。
「はたしてお優しい殺人鬼様は、こいつらを見殺しにできるかな?」
その声に、隼人の後ろで膝をついていた逢念がのろのろと顔を上げた。刹那、両目が愕然と見張られる。
「慈念……!」
男たちに引きずられて、縛られた慈念が現れた。続いて簀巻すまきにされた道念と久念が転がされる。皆、恐怖で総身を震わせていた。
「みんな……」
力なく呟いた逢念が、ゆらりと立ち上がった。
「か、え…せ……」
虚ろだった瞳がかっと血走り、男たちを睨み上げる。
「俺の家族に、触るな……返せっ、返せぇぇぇ!!」
逢念は傍に転がっていた板材の切れ端を掴むと、隼人が制止する間もなくめちゃくちゃに振り回しながら賊に突進した。
しかし、勢いだけの大ぶりな攻撃はあっさりと避けられる。それどころか逆に腹を蹴られ、ぐっと身を屈めて崩れ落ちた。身を捩って咳き込み、腹の中のものを地面に吐きだす。
「ぐっ、うぅ……!」
「くそ餓鬼が! てめえから先に死にてぇようだな!」
刀を振りかざした一人が、少年の頭を踏みつけて鋭く刃を叩き込んだ。
切っ先が肉にかかる間際、閃光の速さで滑り込んだ影がその刃を弾き返す。
横合いからの正確な一撃に賊の刀は根元から折れ、刀身が回転しながら夜空に飛んだ。
「なっ」
予期せぬ事態に動きが止まった男は、同時に身体の前面から血を噴き出した。
返す刀で脇腹から斜めに斬り上げた隼人が、生温かい血飛沫を浴びて固まる逢念の襟首を掴んで力任せに後方へと放る。
「邪魔だ!」
細身の身体が砂利の上を転がる。腕や足にいくつもの擦り傷が刻まれた。すぐに立ち上がることができず、逢念は地面に這いつくばったまま軋むような嗚咽を漏らした。
賊の一団がにわかに色めき立った。子供の衝動的な行動に気を取られた一瞬が、陣形を崩す好機を隼人に与えたと気付いたのだ。
「てめえら、いつまで暢気にしてやがる! 早くこの殺人鬼をなますにしろ!」
一人が背後から斬りかかってくる。隼人は振り向きざま、逆手に持ち替えた刃を一閃させた。
肘上で断たれた二本の腕が得物を握ったままぼとりと地に落ち、一拍遅れて絶叫と血飛沫が炎明かりに躍った。
「いでええぇぇ!」
泣き叫ぶ男を炎に向けて蹴り飛ばす。受け身も取れず立ち上がることもできず、男は炎に全身を舐められて断末魔に悶えた。
「てっ、てめえ!」
仲間の悲惨な死に様を目の当たりにし、男たちがさらにどよめく。
「一人でかかるな、とっ捕まえてなぶり殺せ!」
四方から刃が殺到した。
踏み込んで姿勢を低くし、鞘に戻した刀を横一文字に振り薙ぐ。軌道にいた三人から次々と血潮が噴き出し、折れた刀や切断された指が飛ぶ。
先ほど無茶な使い方をしたにも関わらず、刀の切れ味は落ちていなかった。
なおも向かってこようとする一人の胸を正面から貫き、素早く引き抜くと同時に目にも留まらぬ速さでその向こうにいる敵へと肉迫。相手がその動きに対応しきれぬうちに、くびを断ち切る。
ばたばたと人が倒れた。
「この!」
横合いから突き出された槍を最小の動きでかわし、柄を掴んで懐に引き寄せる。たたらを踏む男の左脇腹へ深々と刀を入れ、そのまま右の肩口まで切り上げる。口からがぼりと血を吐いた頭を掴み、真下の石畳へ叩きつける。
「それ以上動くんじゃねえ!」
裏返った声が響いた。
男の一人が、慈念の首に匕首あいくちを押し付けて喚いた。
「こっ、この小僧がどうなっても――」
蒼白になって硬直していた慈念が、急に言葉を途切れさせた男をそろそろと見上げる。折れた刀身を額にまっすぐ突き立たせ、目と口をかっと開いたまま絶命しているのを認め「ひっ」と悲鳴が転がり出た。
ゆっくりと後ろ向きに倒れる男を前に慈念はがくがくと膝を震わせていたが、急に弾かれたように、逢念が蹲っている方へと駆け出した。
追いかけようとする一人と慈念の間に滑り込んだ隼人が抜き身の刀を突きつける。
賊の数は、頭目を含め残り二人となっていた。
ほんの瞬きの間にできあがった血の海に、頭目も最後の手下も呆然と立ち尽くす。
「ばっ、化け物! こんなの相手にできるか……!」
恐れをなした手下が、頭目を差し置いて逃げ出した。
しかしその首は隼人とすれ違いざまに消失し、赤い雨を噴き上げる胴体が石畳にまっすぐ倒れる。音も無く撥ね飛んだ頭が、芋虫のように転がる道念と久念の目の前に落ちた。小僧らは猿轡さるぐつわの下で絶叫し、身を捩ってそれから離れようとする。
最後の一人となった頭目格の男の顔には、もはや欠片ほどの余裕も残っていなかった。ひたひたと迫る死の気配を確信し肌はどす黒く染まっている。歯の根ががちがちと絶え間なく鳴る音が、まだ距離のある隼人の耳にまで聞こえてくる。
その状態でも打開策を求め必死に彷徨っていた視線が、座り込んでいる逢念と慈念を捉えた。次の瞬間、頭目は刀を振り上げ奇声を発して小僧たちへと疾駆した。
「ひぃっ!」
慈念が身を縮め、逢念は彼を庇おうと覆い被さる。
男が上段から打ちかかる。その時、横合いから白い塊がぶつかった。
白狼の牙を深々と腕に食らった男の喚き声は、すぐににふつりと途絶えた。
「よくやった」
一刀のもとに最後の首を切断した隼人は、抑揚の失せた声で蒼空を褒める。蒼空は一度尾を振ると、逢念と慈念の無事を確認するように舐めまわした。
他に残党の気配はない。隼人は纏っていた殺気を解いた。
簀巻きにされている道念と久念に歩み寄り、二人の前に転がる首を無造作に炎の中へ蹴り込む。縄を断ち切ってやると、兄弟は腰を抜かした様子で隼人から距離を取り、逢念たちがひと塊に集まっている場所へ泣きながら駆け込んだ。
「道念! 久念!」
逢念と慈念が飛び込んできた兄弟をそれぞれ抱き留める。猿轡を解いてもらい、二人は堰を切ったように泣きじゃくった。その泣き声は伝播して、宗念も再びしゃくり上げ始める。
誰もが煤と血に汚れていた。
「こ、弘徳さまは……」
年少の小僧たちを抱きしめたまま、慈念が不安に揺れる瞳で逢念に尋ねる。聡い彼はどこか答えを察しているようでありながら、それでも一縷の望みに縋ろうとしていた。
問われた逢念は何度も口を開いては閉じ、しかし言葉が出てこず両手で顔を覆った。
「ご、ごめ……っ、俺が、もっと……」
がたがたと震えて途切れ途切れの悲痛な声に、慈念の瞳から光が失せ、がくりと力が抜けた。
小僧たちの嗚咽を傍らに、隼人はやけに静寂した心持ちで周囲に転がる賊の亡骸を見ていた。
片付けなければ。
このままにしては、次なる追っ手に足跡を残すことになる。
事切れた人体は重い。両手に一体ずつ引き摺って運び、勢いの衰えぬ炎に投げ入れる。弘徳を呑み込んだ炎が、与えられたものへ貪欲に食らいつく。
やがて全ての骸を炎の餌食とした隼人が振り返ると、小僧たちがこちらを凝視していた。
まるで鬼を見るかのような、五対の目が。

 

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