翡翠ノ玉
暖かい陽気に包まれた昼下がり。
小さな農村で、一人の娘がせっせと畑を耕していた。
時々汗を拭う手には、小さな玉のついた飾りがある。
「お幸ちゃん、精が出るねぇ」
隣の家に住む顔見知りの女が、にこにこと挨拶をした。
「あ、おばさん。見て、今年は野菜の育ちがいいの」
お幸もにこやかに答え、また畑作業に戻る。
挨拶をした女は近所の友人たちと談笑しにいくところであった。
3、4人で他愛もない話に花を咲かせる。
村に住む女たちの貴重な楽しみの一つだ。
噂話や何やらで盛り上がっている時に、ふとお幸の話題が上った。
「お幸ちゃん、今日も一生懸命働いていたよ。まったく感心な子だねぇ」
「でも、戦に駆り出された恋人が戻らないんだろう?」
「戻ったら祝言を挙げるはずだったのに、気の毒だよ…」
彼女らは遠くに見えるお幸の姿を見やりながらその顔に同情の色を宿した。
数日経ったある日。
仕事の手を休めていたお幸は、手元の玉飾りを見ながらはぁとため息をついた。
もう何ヶ月だろう。
最愛の恋人が戦地に連れていかれ、その帰りを待つ日々は重く長いものだった。
もうあの人は生きてはいない。
そう周りが噂しても、受け入れる気になれないでいる。
彼が戦に出ると知った時から、自分でも覚悟していたはずなのに。
腕に光る玉飾り。
夫になるはずだった彼が、戦に赴く前にくれた物。
後にも先にも、たった一つの贈り物だった。
暗い気持ちを払うように頭を振り、顔を上げる。
と、何か焦げ臭い臭いが鼻をついた。
「――?」
不思議に思って視線を巡らせると、向こうに凄い量の黒煙が見えた。
「あれは……!」
お幸が息を呑むと同時に、村の中は盗賊で埋め尽くされる。
お幸の視界にも、数え切れない程の盗賊たちが刃物を持っている姿が映し出された。
「盗賊だ!! にげろ―――!!」
村人たちの引きつった悲鳴が木霊する。それに重なる盗賊たちの高笑い。
お幸の瞳が愕然と凍りついた。
小さい頃からよく知った人たちが、血飛沫を撒き散らしながら倒れていく。
逃げなければと思うのに、足が震えて一歩も動けない。
立ったまま硬直する彼女の背に、盗賊の振り上げた刃が浴びせられた。
「―――っ……!!」
声にならない絶叫が喧騒に呑まれて消えていく。
鮮血に彩られ、お幸の身体は前へ傾いだ。
倒れる寸前、手から外れた玉飾りが宙を舞う。
お幸から少し離れた場所に、それは落ちた。
「あ……あっ……」
朦朧とした意識の中でそれを捉えた彼女は、必死にそこまで身体を這わせた。
あれは大切なもの。自分とあの人を繋ぐ…。
力が入らず震える手を伸ばす。
もう少し、あとほんの少しで届く――。
触れる寸前で、その手が踏みつけられた。
「っ……」
痛みと恐怖で呼吸が引きつる。
口の端から流れ落ちる血が、地面を染めた。
「なんだこの女。まだ死んでねぇよ。とどめを刺してやるか」
頭上であざ笑うような声がする。
踏まれて感覚を失ってもなお、お幸は手を伸ばそうとしていた。
それに気付いた男が、彼女の手の先にある玉飾りに目を留めた。
「へぇ、結構奇麗じゃねぇか。町に持っていって売れば金になるかな」
お幸の目の前で、玉飾りが取り上げられる。
「っ……だ…め……」
返して。
涙が溢れて視界を遮る。
その様子を笑いながら眺め、男は刀を高く構えた。
「さあ、楽にしてやるぜ!」
冷たい色を放つ刃が、残酷に落とされた。
とある町の安宿の一室。
蛇骨を囲むように座している七人隊の面々の顔には、険悪な色が宿っている。
彼らの顔を直視できず、蛇骨は汗を浮かべながら俯いていた。
しんと静まっていた中で、ゆっくりと蛮骨が口を開く。
「……煉骨。一応副将であるお前の意見も聞いておきたい。
俺はこいつの行為を裏切りと見なすがお前どう思う?」
「大いに賛成です、大兄貴」
二人の言葉に蛇骨の肩が強張る。
彼はおずおずと顔を上げた。
「だ、だからよぉ……さっきから誤ってるじゃねぇか…」
「誤ればいいってモンじゃねぇ」
蛮骨がぴしゃりと言い放つ。
「裏切り者にはどうするって言ったっけ? 俺」
「死、あるのみです」
恐怖で答えられない蛇骨の代わりに煉骨が冷笑しながら答えた。
「そうそう。そう言ったよな俺。なぁ蛇骨?」
「う、うん……そう、聞いたような…」
あはは、と渇いた笑いをこぼす蛇骨に向けられる視線が鋭さを増し、彼はさらに小さくなった。
そもそも、何故このような状況になっているのかというと。
ことの発覚はついさっきである。
「大兄貴っ、俺たちの貯金が無くなってる!!」
煉骨の叫びに蛮骨は驚いて振り向いた。
いい具合に安い宿を見つけ、それぞれが疲れた身体を伸ばしてくつろいでいた時のことだった。
見ると、つづらを開けた煉骨の顔が蒼白になっている。
「貯金が無くなったって……?どういうことだ、盗まれたのか!?」
「わからねぇ。あれは少ない持ち金から少しずつコツコツ貯めてきた大事なものなのに…!」
煉骨のつづらに貯金が預けられているのを知っているのは七人隊の者だけだ。
となると、犯人は内部の誰か。
煉骨の報告を聞いた瞬間あさっての方を向いた蛇骨を、睡骨は見逃さなかった。
「おい蛇骨! テメェ何か隠してやがるな!!」
「な、何言ってんだよ! 俺は何にもしらねーよ!」
蛇骨は慌てて否定したが、蛮骨の目は誤魔化せなかった。
何しろ長い付き合いだ。
そして蛇骨は嘘をつくと顔に表れるのを蛮骨はよく知っている。
「蛇骨、どういうことか説明してもらおうか…」
有無を言わさぬ首領の目つきに、もはやこれ以上嘘をつくのは不可能だった。
蛇骨はなるべく視線を外しながら小さく口を開く。
「……この前立ち寄った町でな、すっげー奇麗なカンザシがあったんだよ。
で、どうしてもそれが欲しくてさぁ…つい、皆の貯金を……」
「使ったのか、勝手に!しかもそんなくだらないことに!!」
煉骨と蛮骨は揃って烈火のごとく怒った。
顔を俯けている蛇骨の胸倉を掴み、蛮骨はその顔を思いっきり引っぱたいた。
衝撃で彼の身体が畳に叩きつけられる。
「弟分だろうが仲間だろうが関係ねぇ、けじめはつける。俺からの仕置きは今の一発だ。
こういうことをしたらどうなるか、お前たち、こいつの身体によく叩き込んでおけ」
蛮骨が冷たく言い放つと、彼の一発の威力に目を瞠っていた弟分たちが無言で首肯した。
「それと、煉骨」
呼ばれた煉骨は蛮骨と共に立ち上がる。
二人はそのまま外へ出ていった。
外へ出た二人は、揃って盛大なため息をつく。
脱力した蛮骨は煉骨にもたれかかった。
「なんか俺…もう疲れた。肩貸せ煉骨」
「やめてくれ…俺も頭痛で立ってるのがやっとなんだ」
「殺すまではいかないとして、あの野郎にはきつく灸を据えないとな。まったく手のかかる……」
「あの野郎を痛めつけても無くなった貯金は戻らねぇしなぁ…
情報屋にでも行って、割のいい仕事でも探さねぇと」
嘆く二人は重い心をずるずると引きずって情報屋を探しに出かけた。
その道すがら。
後方からどたどたと騒々しい足音が近づいてきた。
「おぉーいっ! 盗賊だぁぁ!!誰かそいつらを捕まえてくれ!!」
こちらに向かってくる柄の悪い連中の後ろから、役人が声を張り上げている。
振り返った蛮骨は、盗賊たちとすれ違う瞬間にひょいと足を差し出した。
先頭を走っていた男がそれにつまずき、ビタンと音を立ててすっ転ぶ。
「さすが大兄貴」
煉骨が小さく拍手した。
転んだ男を捨て置き、盗賊の仲間たちは砂埃を巻き上げながら瞬く間に走り去ってしまった。
「あ~あ見捨てられてやんの。可哀想に」
蛮骨は転んだ男の腕を拘束して立たせる。
そこへ息を切らした役人が駆けつけた。
「おおっ、すまない。協力感謝する」
「一人しか捕まえられなかったけどな」
「いやいや、こいつに仲間の居場所を吐かせることもできる」
役人は蛮骨から男の身柄を預かり、懐から金子の入った小袋を取り出した。
「協力してくれた礼だ。駄賃にとっておいてくれ」
「おお、思わぬところで収入だな」
「…だが、本当に駄賃にする程度の金だぞ」
袋の中を覗き込んだ煉骨が肩を落とす。
中の銭は、無くした貯金を補うには全然足りない。
「そうだあんた、この町の情報屋がどこにあるか教えてくれ」
蛮骨が役人に尋ねると、彼は快く「あっちだよ」と教えてくれた。
「行くぞ、煉骨」
歩き出そうとした蛮骨の視界を、その時一瞬光るものが掠めた。
「ん?」
目を向けると、地面に玉飾りが落ちている。
「腕輪?へぇ、上質の翡翠だな」
拾い上げてまじまじと眺める。
「さっきの輩が落としていったんじゃねぇか?」
一緒に見ていた煉骨が言った。
「盗賊の落としもんなら、貰っても構わないよな?」
「なんだ? 朔夜への土産にでもするのか?」
「誰が落し物なんか土産にするか。結構良い品だから売って金にするんだよ」
それでもどれだけの足しになるかはわからないが、無いよりはマシというもの。
それを懐にしまい込み、二人は情報屋に向けて歩き出した。