時を同じくして、山の反対側から登ってくる五人の姿があった。
「蛇なんかどこにもいねぇじゃねぇか。煉骨、ガセだったんじゃねぇか」
七人隊のうち、生き残っている五人。のうち、三人からの冷ややかな視線を受けて煉骨は気まずげに明後日の方を向いた。
ちなみに冷視線を向けていない一人というのは、銀骨である。
「いや、目撃情報も多いみてぇだったし、こりゃあちょろいと思ったんだが……」
麓の里で火薬や諸々を調達した際、急ぎの旅でなければ妖怪退治を頼まれてくれないかと持ちかけられたのが事の発端だった。
普段ならばそんな面倒事は一蹴するのだが、塚から出てきたばかりで先立つ物が無い状態の七人隊としては一銭でも多く懐に入れておきたかったのである。
里人の話によると、巨大な蛇が頻繁に現れては住人を脅かしているのだという。
この山には蛇神を祀った社があるから、もしかしたら神の化身による祟りではないかと小さな里が恐怖に包まれている。
かといって祟られる覚えもなく、途方に暮れているとのことだった。
いっそ神でも何でもなく、妖怪であれば話が早い。確かめて退治してもらいたい。
と、このような内容を切実にお願いされたのだが。
もはや蛇を探す気がとうに失せている蛮骨は嘆息した。
今日一日がとんだ無駄足だったのかもしれないと思うと、疲れがどっと押し寄せる。四魂の欠片の効果か身体的疲労はほとんどないが、精神衛生がよろしくない。それは仲間たちも同じだろう。
「まぁ、しょうがねぇさ。がらにも無く人助けしようとするからこうなるんだ。今日のところは、ここいらで寝床になる場所を探そうぜ」
蛮骨が提案すると、それまで銀骨の上で器用に眠りこけていた蛇骨が目を開いて言った。
「ぎんこーつ、一時停止」
「ぎし?」
銀骨は言われた通りにその場で歩みを止める。
すると蛇骨以外の耳にも、それまで銀骨の足音でかき消されていた音が聞こえてきた。
水音である。
「お、ちょうど良いな。近くに沢があるのか。ちょっくら見てくらぁ」
刺激を求めていたらしい睡骨が自ら先頭を切って音の方へ向かった。
そしてすぐに引き返してくると、大きく手を振って仲間を呼んだ。
「朗報だ。湯が沸いてるぜ」
彼の後についていくと、さほど歩かないうちに木々が開けて、中央に温泉の湧き出る泉が姿を現した。わずかな茂みを挟んだ向こうには、五人が休息するには十分な広さの平地もある。
「うっひょお! 温泉温泉!」
蛇骨は銀骨から飛び降りて一直線に駆け、両足で温泉に突っ込んだ。湯の深さだとか熱さだとかは確かめなくて良いのだろうかと、後ろで見ている蛮骨はささやかな疑問を感じる。
「どうだ? そのまま入れそうか」
「適温だぜ! こりゃー良い湯だ」
「おい、先に飯の支度だ。抜け駆けすんじゃねぇ」
煉骨に睨まれ、蛇骨はへいへいと返事をしながら岸へ上がった。
「大兄貴、俺らは獣でも狩ってくるから、念のため見張りをしといてもらえるだろうか」
「ああ、構わねぇよ」
蛮骨一人を残して、七人隊の面々は日が落ちかけた森の中に消えていった。
しばらくは火をおこしたり簡単に寝床を準備していた蛮骨だが、それも終わると手持ち無沙汰になってしまった。どこまで狩りにいったものか、仲間たちが戻る気配はない。
見張りといっても盗られそうなものも無いので、蛮骨は待っている間に温泉を頂く事にした。
湧き出す湯は熱すぎず微温ぬる過ぎず、蛇骨の言ったとおり適温だった。
肩まで浸かってふうと長く息を吐き、改めて周囲の風景を眺める。温泉は良い具合に目隠しになる高さの岩で囲まれており、源泉があるであろう場所には、そびえ立つ巨大な一枚岩が鎮座している。その先は岩壁が広がっており、向こう側がどうなっているかは分からない。
湯気と霞が一体となって、辺りは薄い白に包まれている。
ぼんやりとそれを眺めているうちに、だんだんと眠気が襲ってきた。
思っていたより疲れていたのだろうか。これは、長湯せずに出た方が良い。
欠伸あくびをしながら考える。
もういい加減にあいつらも戻ってくるだろう。そしたら夕餉にありついて、それから……

 

そびえ立つ一枚岩の上から、その姿を見下ろす影があった。
影はのそりと動いて、岩の反対側を覗く。
一枚岩を隔てて、そこにはほとんど同じ造りの温泉があるのだ。
そして今、そちらでも見慣れぬ者たちが入浴にいそしんでいるところだった。
『何という無礼者ども。今にここへ来た事を後悔させてくれる……!』
真っ赤なあぎとを開いて、影は鎌首をもたげた。

 

どれほど経っただろうか。蛮骨はゆっくりとまぶたを上げた。頭上から呼ばれたような気がしたためである。
気をつけていたはずなのだが、結局眠ってしまったらしい。帰ってきた蛇骨たちがそんな自分を発見して、起こそうとしているのかもしれない。
そんな事を考えていた時──。
ごっ!
と鈍い音と共に、頭をしたたか殴られた。
あまりの事に打ち据えられたまま動けずにいると、呆れたような声が降ってくる。
「起きろと言ってるのが聞こえないのか? いつまで入っているんだ」
その声は、予想していた誰のものでもなかった。
「は……?」
今やはっきり覚醒した目をしばたいて、殴られた部分をさすりながら振り返る。
そこには法衣を纏った男が錫杖を手に眉をつり上げていた。
「お前がいると入浴できぬと、女子おなごたちが困っていますよ。さっさと上がりなさい」
「お、お前は……!」
口をあんぐりと開けて見上げてくる蛮骨に、今しがた彼を容赦なく錫杖で殴った男──犬夜叉一行の弥勒は、怪訝けげんな顔をした。
逆上のぼせて頭がおかしくなったのか? 大蛇が現れるかもしれない山の中で、呑気なもんだ」
蛮骨は咄嗟に身構えようとして、自分が全裸であることを思い出した。もちろん蛮竜は手元に無い。いや、武器がなくとも素手で相手をすることはできる。
それよりも、この男がここにいるということは犬夜叉たちも近くにいるに違いない。
七人隊の仲間たちに知らせようと口を開きかけるが、目の前の法師が先に言葉を発した。
「じゃ、私は起こしましたから。これ以上かごめ様たちのお小言を食らいたいなら、犬夜叉、お前一人でどうぞ」
そう言ってすたすたと歩き去っていく。
「い……?」
今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
自分に向かって「犬夜叉」と、奴はそう呼びかけなかったか。
その時、視界に髪の毛が入り込んだ。その色は、銀。
おそるおそる視線を下げていく。
水面に映った姿は────────犬夜叉のものだった。
「はい⁉︎」
慌てて自分の顔にべたべた触って確かめる。そして、耳が定位置に無い事に気づいてしまった。そろそろと頭の上まで手を動かすと、柔らかな獣の耳の感触に行きあたる。
顔から手を離して蛮骨は深呼吸した。

そうか、これは夢の中なのだ。

なるほどなるほど。自分は相当疲れていたようだ。目下の敵である犬夜叉一行を意識するあまり、こんな事を夢に見てしまうとは。しかし最近の夢はよくできているなぁ。
蛮骨はおもむろに拳を作ると、それで自らの顔を殴った。
痛い。思ったよりも、けっこう痛い。
さてそろそろ目が覚めただろうかと再び水面を覗き込んだが、そこから見返してくるのはやはり犬夜叉のむかつく顔だった。
「うそ……だろ」
顔からだんだんと血の気が引いていった。

次ページ>

【読み物へ戻る】