あやしあやなし

夏の、暑い盛りのこと。

日暮れ時、山間の小さな農村に差し掛かった七人隊一行は、そこで本日の寝床を求めた。
幸いにして村で唯一の宿は空きがあり、大部屋を借りてのんびり荷解きしていたところ、茶を運んで来た宿の主人の口からとある情報がもたらされた。
折しもその日は、村で年に一度の夏祭りが催されるのだという。参道にはそれなりの数の露店も並び立つらしい。
ならば夕食は出店にて各自調達しようという話になり、七人は銘々、大なり小なりの休憩を挟んだ後で、好き勝手に村内へと繰り出した。
数日前より医者の人格が前に出たきりの睡骨もまた、陽が山向こうに八割方引っ込んだ空の下、ひとり見知らぬ村の見知らぬ屋台を冷やかしながらぶらつく一人である。
中心を貫く幅広の通りを一つ外れれば、民家以外にはもう田畑が広がっているばかりの長閑のどかな村である。さほど期待はしていなかったのだが、宿主の言っていたように、露店が通りの先までずらりと並んでいた。
近在の村々からも人出があると見え、村の規模に対して道行く人間の数はずいぶん多い。村民にとっては貴重な書き入れ時でもあるのだろう。
城下町などの賑やかな祭りに比べると流石にこじんまりとはしているものの、それ故に漂う気の置けない空気感は、余所よそ者の睡骨にさえも居心地の良さを感じさせた。
とはいえ、明日も旅は続くわけで、今日の疲れは今日のうちに取らねばならない。軽く一巡して食料を適当に買い求めたら、早々に宿へ引き上げるつもりだった。
屋台で目にする食べ物をあれが良いかこれが良いかと懐具合と相談しながら迷い歩いているうち、終端が近付いてくる。大きな村ではないから、中央通りを丸々使っているといえど、たかが知れているのだ。
これ以上店はないだろうかと目線を上げた睡骨は、そこに人垣ができているのを認めた。
これまでの出店にも数人が列を成している箇所はいくつかあったが、なぜかその周辺は一段と混み合っている。何かを中心にして、半円状に人々が取り巻いているようだった。
何か見世物みせものでも始まるのだろうかと立ち止まり、人だかりの後ろから眺めてみる。まもなく、波打つような人々の頭のむこうにこちらを向いた男の顔がひとつ、にゅっと突き出た。一段高い、台か何かの上に立っているようだ。
男は左手に掲げた鉄鍋の底を右手の柄杓ひしゃくで打ち鳴らし、やかましい金属音で衆目を己に集めると声を張り上げた。
「やって参りました戌の刻! 皆さんお待ちかね、きもだめしの時間だよ!」
高らかに響いた男の言に、集っていた老若男女がわっと沸き立つ。
男のそばに控えていた数人が、それまで横倒しにされていた一本の巨大なのぼりを持ち上げ、垂直に立てて地面に打ち込んだ丸太へと固定した。白地の、年季は入っているが丈夫な作りの一枚布である。風を受けはためき始めた幟にはでかでかと「きもだめし大会」と書かれている。どこからか「待ってました!」と興奮気味の声が上がった。
「我々一同、一夏のよき思い出として皆さんの心に残りますよう、今年も腕によりをかけて趣向を凝らしました。どうぞお楽しみあれ!」
さながら上方の演目でも上演されるかのごとく、あちこちから拍手やら口笛やらが飛び交った。睡骨の目の前で話を聞いていた村人たちもまた、にこやかに顔を見合わせている。
「ああ、夏って感じがするな」
「……あのう、この肝試しとやら、随分な賑わいですね」
近くにいた若い夫婦が興味深そうに彼らへ問いかけた。出立ちから察するに、こちらも七人隊と同様、何処いずこかへの旅の途中で偶然立ち寄った口のようだ。
そりゃあもう、と村人たちが得意げに説明し始めたので、睡骨は便乗して耳をそばだてた。
いわく。
この村の祭りの目玉は、何を置いてもこの「きもだめし」なのだそうだ。近隣の村里まで評判が流れるちょっとした名物で、これに参加するためにわざわざ遠出してくる者も少なくない、らしい。
「あんたたち良い時に来たよ。参加していけば土産みやげ話にちょうどいい」
村人たちの勧めに、夫婦も乗り気な様子で笑顔を見交わし、いそいそと参加者の列に加わりに向かった。
盗み聞きを終えた睡骨はもう一度幟を見上げる。
「ほう……」
特筆するような事もない村かと思っていたが、意外な特色があるものだ。ひとしきり感心した睡骨は、こくりと頷いた。
「私はお呼びじゃないな」
声を大にして言えた事ではないが、自分は幽霊だとかお化けだとか、そういうたぐいがめっぽう苦手だ。たとえ作り物と知れていても、人並み以上に恐怖する自信しかない。ましてや目玉などと銘打たれるからには、かなり気合が入ったものであるに違いない。
考えただけでぞっとする。
子供たちの一団や親子連れ、男女の組などが浮足立って列を成していく流れに逆らい、睡骨はそそくさと輪を抜け出た。帰り道で目星をつけていた食べ物を買って、宿に帰って、早いところ休まねば。
しかし、ほんの数歩踏み出したところで足が止まる。視界に、よく見知った人影を見つけたのだ。目を瞬き、思わずその名を口にしていた。
「──蛮骨さん?」
人垣からやや距離をとった乾物屋の軒下に、自分と同じく旅装を解いて身軽になった蛮骨がいた。
向こうはとうに睡骨の存在に気付いていたようで、まっすぐにこちらを向いた視線と目が合った。
切長の双眸が睡骨と、「きもだめし」の字が躍る幟とを往復した。
「……」
彼は何かを考えるように口元へ指を当てた。見ているとその唇がゆっくりと弧を描いていく。
面白い思い付きをしたと、言わんばかりに。
本能的な危機を察して睡骨は無意識に後退った。
しかし目が合ってしまった以上、無視して素通る度胸はない。かといってこちらから声を掛けるのは、それはそれで見える地雷を踏みに行くのと同義なような。
どうするべきか考えあぐねているうちに、蛮骨が大股で目前までやってきてしまった。
「おう睡骨、丁度いいところに。これ、やるだろ?」
軽い調子の蛮骨に、睡骨の眉が若干寄る。なにが「丁度いいところに」だ。
「いや、私は……」
「何か用事でもあるのか」
「……そういうわけでは、ないですけど」
答えてすぐ、嘘でも「そうです」と言えばよかったと後悔を覚える。馬鹿正直な己を恨むも、後の祭りだ。
うんうんそうかそうか、と、蛮骨は答えを聞いているのだかいないのだか分からない風情でうなずきながら、睡骨の襟首を掴んで歩き出した。
何かを言い募る隙もなく、ほとんど引きずられるようにして、睡骨はきもだめしの列の最後尾まで連行された。
「かっ、勘弁してください!」
振りほどく気概などあろうはずもなく情けない声を出せば、二列で隣に並んだ蛮骨はようやく手を放し、すがめた目で見上げてくる。
「ただの肝試しだろ、何をそんなに」
「いや本当に、私はこういうの……」
だめなんですよ、と言いかけた声が尻すぼみになる。
周囲には女子供を含む多くの客が期待を膨らませて並んでおり、その中にあってたくましい見てくれの己が、人一倍物怖じしているというのはそれなりに気恥ずかしいものがある。
蛮骨の眉が寄せられた。
「人間がそれっぽく扮装してるだけだろうがよ。日頃あんだけ雑魚ざこ妖やら鴉天狗やらとふつうに会話しておいて、何を今さら」
「そ、それはそれ、これはこれで……」
面識があり段階を経て慣れ親しんできた妖怪たちに接するのとはわけが違う。催しとなれば、相手は「怖がらそう」という明確な意志を持ってこちらに仕掛けてくるのだ。それが分かっていてわざわざ餌食になりにいく行為の方が、睡骨には理解できない。そもそも本物の妖怪がそこらに闊歩しているのだから、わざわざ扮しなくたっていいではないか。
「大袈裟な」と辟易する蛮骨の横で小さくなっていると、列の前方から案内係がやってきた。睡骨と蛮骨を含めたいくつかの客の組を一所に集め、声を大きくする。
「お待ちの間に、きもだめしの規則を説明いたしますー」
簡単な地図の記された木板を掲げて案内係が述べた内容は次の通り。
村の奥から続く坂を上った先に小さな社があり、そこの賽銭箱の脇に、札の置かれた台が据えられている。挑戦者はそこから札を一枚取り、順路に沿って終点へと持ち帰る。
先の挑戦者が後の者に仕掛けのねたばらしをせぬよう、肝試しの道筋や内容はいくつもの種類が用意されており、自分の順番が来るその時まで、どれを辿ることになるかは不明だという。
「こちらからお渡しするもの以外は持ち込み禁止で、出発直前にこちらが責任をもってお預かりします。また、同時に入場可能な人数についてですが、子供三名までで一組、女性二名までで一組、男性は原則お一人での挑戦となります。ただし子供や女性への付き添いであれば、一組につき男性一名までの同行が認められます」
恒例なだけあり手慣れているのだろう。中々にかっちりとした規則を、案内係は立て板に水を流すように述べた。
説明を終え列の後方へと歩き去った案内係と入れ違いに、今度は手に帳面と筆を持った年増の女がやってきた。
「規則はお聞きになりました?」
「はあ」
「じゃ、怖さの階級を選んでくださいな。お子向け・下級・中級・上級・鬼・死・地獄。お二方は男性ですので、『死』または『地獄』のどちらかから選べますよ」
睡骨の眉が八の字に下がる。どうして男はその二択だけなのか。選べぬならいっそ、他の選択肢は提示しないでほしかった。
医者としては軽々しく口にしたくない言葉だが、背に腹は代えられない。ここは少しでも易しい方を選ばなくてば。
「…じゃあ……し、死……」
「どっちも地獄で」
横から蛮骨がさらりと口を挟んだ。帳面を持った女は「あい、地獄行き二名様」と呟きながら書き付け、さっさと次の客の方へ向かってしまった。
「……」
表情の抜け落ちた顔で立ち尽くす睡骨など気にも留めていない風情で、蛮骨は周囲にたむろする他の挑戦者たちを手持ち無沙汰に眺めている。
その余裕綽々しゃくしゃくたる態度の少年の横、彼と十近く齢の差がある立派な体躯の男はただ黙然と、星のちらつき始めた夜天を見上げるしかない。
一人で挑戦して、果たして生きて帰れるだろうか、地獄から。
(……いや)
先の説明では、女子供に同伴する事は可能と言っていたではないか。その規則を逆手に取れば、男だからといって何がなんでも一人で挑戦せねばならないわけでもないのだ。ここは一か八か、蛮骨はまだ子供なので同伴が必要ですということで通ら
「ねえよ馬鹿」
地をうような低い声が耳に突き刺さり、心臓が口から飛び出しかけた。信じられないことに、いつの間にか心の声がだだ漏れになっていたらしい。おそるおそる視線を向ければ蛮骨が冷え冷えとした眼でこちらを睥睨へいげいしているではないか。
顔色を失う睡骨に、彼はしばらく仏頂面を保ってから呆れ混じりに嘆息した。
「お前なあ、そんな怖えのか?」
睡骨は「う、」と詰まったが、すぐにこくりと大きめに頷いた。
虚勢を張ったところで意味がない。七人隊首領だとて人の子なのだから、心から訴えれば「そうか、なら仕方ない」と情けをかけてくれるかもしれない。
嫌で嫌で嫌で仕方ないのだという気持ちを、持てる限りの表現力でおもてに描き出す弟分を見た蛮骨は神妙に眉をひそめた。やがて、睡骨の行く末を案じてでもいるかのような声音で言う。
「……それはよろしくない。戦闘中に万が一あっちのお前から交替した場合、そんな体たらくじゃあ秒で死ぬぞ」
やっぱりお前はここで一皮剥けるべきだ、と深く深く頷く蛮骨を前に、睡骨の心中に淡く浮かんでいた仏顔の首領像はあっけなく砕け散った。
「はい、お待たせしました、次のお客様ー」
そこへ案内係の声がかかる。無情にも二人の番が来てしまった。
「一名ずつになりますので、先に挑戦される方、こちらへどうぞ」
うながされ、二人は視線を交わす。
「そうだなぁ」
どっちが先でもいいが、と蛮骨が見上げてくる。これについてだけは睡骨に決定を託すようだ。
(蛮骨を先に行かせて、私がとんずらを図る可能性もあるのに)
その懸念はしていないのか。あるいはそうする度胸があるなら上等だ、と言いたいのか。
「……私が先に」
切腹の順番を決めさせられるような心地で沈鬱に片手を上げると、蛮骨がさも意外そうに「へえ」と目をしばたたく。
「乗り気だな」
「嫌なことは早く終わらせた方が良いでしょう」
白々しさ全開の少年に絶望とあきらめを煮詰め声を返し、睡骨は肝試し会場へと臨んだ。

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