蛮骨と蛇骨は思いの外早く凶骨たちに追い付くことができた。三人と幽霊は寺の裏手から伸びる小径こみちを下り、眼下を流れる沢へと至る。
平素は膝程度の水深で穏やかだという流れは、一昨日からの沛雨はいうを受け著しく増水し、茶色く波打つ激流と化していた。
『危ないよ。やっぱり止めようか』
「岸辺にいりゃ大丈夫だろ」
岸には大量の流木や土砂に混じって大小様々な岩が転がっている。
「気に入ったのがあれば言えよ」
『かっこいいのがいい』
凶骨が流れの中に大岩を数個投げ込んで向こう岸までの飛び石をつくり、蛮骨はそれを伝って危なげなく対岸へと移動する。
その後に続いて沢を渡った蛇骨だったが、さりとて岩探しに手を貸すでもなく、専ら手近な木にもたれて彼らの作業を傍観する役に徹していた。
凶骨が積み重なった岩を崩し、見やすいようにひとつずつ岸辺へ並べている。新之助は中空からそれらをひとつひとつ吟味し、二人してあれはこれはと意見を交わし合う。
(……ありえねえ)
死人が、自分の墓に使う石を真面目な顔して選ぶなど。
視線をこちらの岸に戻せば、蛮骨もまた、いやに真剣な面持ちで糞真面目に岩を物色しているものだからたまらない。
一文にもならぬのに、よくやる。
よもや子供好きというわけでもなかろうが、確認したこともないので定かではない。蛇骨にとっては至極どうでもいいことだったのだ。
のだが、それにしたって幽霊と親しくしている彼の姿はさすがに、蛇骨の中である程度完成しつつあった蛮骨像との乖離が激しすぎる。
複雑な胸中に悶々としていた蛇骨は、やがてそれにも飽きて彼らから視線を外した。しゃがみ込み、手近な石を適当に物色し始める。
墓石選びに精を出す気になったわけではない。なにか色味の良い石でもあれば、どこぞで装飾品に加工させるのもありかと、そう思い付いたのである。手すさびの延長だ。
そして無論のこと、泥砂や流木の破片が雑然と覆い重なる中でそうそう良い石が発見できるわけもなく、その行為も早々に見切りをつけてしまった。
しゃがみ込んだまま、さわさわとした葉擦れを耳に、しばしぼけっとする。
もう、先に戻っていようか。
何とはなしに足元へ目を落とした蛇骨は、そのまま固まった。
自分が踏んづけている岩が目に入ったのだ。
よく見れば泥を被りながらも随所に覗く、黒く滑らかでつやりとした表面。砂金に似た煌めく粒子が広範囲に散り、見る角度に合わせて星空のような深い輝きが浮かぶ。
「……」
蛇骨は岩の上から退くと、口をへの字に曲げ、指先で顎を掴んでじっとりとそれを観察した。
その両目が徐々に細まり、
(なんかこれ、よくね……?)
どこか良家の庭に飾られていてもおかしくない代物に見える。
「おーあにきー」
間延びした声で呼ぶと蛮骨は胡乱げに振り返ったが、すぐに何かを察した様子で、岩と倒木だらけの岸辺をひょいひょいと俊敏に戻ってきた。
「おお、お前もちゃんと探してたんだな」
「うんまあ」
蛇骨の見つけた岩に好反応を示した蛮骨は、対岸にいる新之助を呼び寄せた。彼がやって来るまでに岩を地面から起こして軽く泥を洗い落としておく。垂直に立ててみると、蛮骨の胸元ほどの高さがあった。
新之助はしばらく息を詰め、職人さながらの目つきで岩を様々な角度から眺めまわしていたが、やがて
『これすごい! 一番かっこいい!』
頬を紅潮させて蛇骨を振り仰いだ。
『すごいや蛇骨、見つけてくれてありがとう! めちゃくちゃ気に入った!!』
「べ、別に偶然だし。気に入ったんならまあ、良かったんじゃねえの」
蛇骨はもごつく口調で返した。正面きったまっすぐな称賛には慣れていないのだ。何となく居心地がわるい。
横から蛮骨が追い打ちをかけてくる。
「お前が人の役に立つなんざ百年に一度あるかねえかなのにな……ああ、今に槍が降ってくるかもしれん」
「だああうるせえうるせえ! 用が済んだんなら俺ぁ先に戻って昼寝でもしてるかんな!」
どうにも面映おもはゆさに耐えかね、蛇骨は顔を背けたまま、飛び石を渡って対岸に戻ろうとした。
そして、明後日あさってを向いたまま飛んだが故に盛大に目測を誤り、怒涛の激流へと垂直に落下した。
余すところなく目撃していた蛮骨と新之助が笑んだ顔のまま硬直する。
「うわああ助けてえ」
「な、なにやってんだよお前!」
蛮骨たちが駆けつける間も無く蛇骨の身体は押し流された。濁流に頭まで浸かり、ぐるりと回転し、浮いては沈む。激しく目が回り、どちらが上かもわからない。
凶骨と蛮骨が両岸を追いかけてくるも、足場の悪さに邪魔され彼我の距離は開く一方である。
「ぶあっ、あぼぼ……」
「どっかに掴まれ!」
「どっか……て、どっ……ごぶぶぉ」
運良く水面に顔が出た際に息を吸い込むのがやっとで、目を開けることすらままならない。
無闇矢鱈ともがいても予想以上に深い川底に足先すらつかず、数多の流木と一緒くたになって流れることしかできなかった。
くそ。ちゃんと、前向いて、歩くんだった。
いよいよ過去の思い出が脳内を巡り始める。
あんなこと、こんなこと、あったなぁ。
まともな死に方はしないだろうと思っていたけれど。それにしたって。これはちょっと。
霞んでいく意識の中。
頭の中に子供の声が響いた。
『右手を上げて! 枝が張り出してる!』
「っ……!」
ほとんど反射的に水上へ右腕を突き出すと、岸辺から伸びた枝が手中に飛び込んだ。咄嗟とっさに握りしめれば、体が反動とともに流れの中で留まった。
その一瞬を逃さず、追い付いた凶骨が引き上げる。
「生きてっか蛇骨!」
「ひぇー、はあっ、ひぃ……」
茶色の濁り水に揉まれて見る影もなく変わり果てた蛇骨は、ひとしきり咳き込むと天を向いて大の字に倒れた。死にかけの形相で激しく息を吸い、胸を大きく上下させる。
「ったく、手間かけんじゃねえよ」
嘆息した蛮骨がその横に屈み込んだ。
「死ぬかと、思ったぁぁ……」
「怪我は」
「たっ……たぶん、大したこと、ねえ」
その言葉に嘘はなく、しばらくして呼吸が落ち着いた蛇骨はよたりと上体を起こした。腰帯を解いて前を開き、念のため身体を確かめる。
幸いにして大きな怪我もなく済んだものの、岩や流木に擦った細かな傷をあちこちにこさえてしまった。時間が経てば青あざも目立ってくるだろう。
『蛇骨、大丈夫……?』
新之助がそろそろと問いかけてきた。よほど肝が冷えたのか、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「た――大したことねえって。そのあの……、お前のおかげで助かったと言えなくも……ないっつうか」
「残念だったなあ、もう少しで幽霊仲間が増えるとこだったのに」
おそらく凶骨は、軽口を叩いて新之助を元気付けようとしたのだろう。しかし逆効果だった。
『やめて!! そんなことになったって、おいらちっとも嬉しくないよ!』
顔をくしゃくしゃにして本気で怒る子供幽霊に、凶骨も己の失言を悟ったらしい。巨体に似合わぬしんみりとした表情になる。
「あ、いや…、俺はちょっとした冗談のつもりで……ああ、すまねえ、悪かった」
その言葉に、俯いた新之助もぐいと目元をひとぬぐいして小さく首を振る。
『……ううん、おいらこそごめん』
一連を見届けた蛮骨が、肩の力を抜いて立ち上がった。ひとまずは大事ないと判じたのだろう。
「最近ろくに水浴びもしてなかったしな。ちったぁきれいになっただろ」
「この有様見てそう思うかよ」
蛇骨は地を這う声で言い返した。
上から下、口内まで余さず泥だらけになり、まとめた髪はすっかり解けてかんざしは行方不明である。散々だ。
蛇骨は衣から腕を抜いて地面に放った。肌に貼りついた無数のくずがむずがゆく、ぺしぺしと手で払い落とす。
細かな屑を指先で取り除くのに苦戦する横で、蛮骨が放られた衣を拾い上げた。大雑把に絞るだけで大量の水が滴り落ちる。
そでん中にもかなり入り込んでんな」
「うへえ。取ってくれえ」
蛮骨は地道にたもとの内側へと手を突っ込んで掻き出し始めたが、やがてきりがないと吐き捨て、袖ごと裏にひっくり返した。おびただしいちりがばらばらと岸に散らばる。
「井戸で洗わねえと無理だぞこれは」
「捨てるわもう。替えの衣あったかなぁ……」
「見つかるまでは着とくしかねえだろ」
左右にぴんと張った着物をばさばさと揺する。しぶとく残っている細かな塵が飛ぶ。
その時、衣のたゆみに挟まっていた白い何かが、跳ね上げられて宙を舞った。
「あ?」
弧を描いて落ちる様が、やけにゆっくりと映る。
気付いた時には右手を伸ばし、地につく寸前のそれを受け止めていた。
「あ…れ。なんで俺……」
「なんだよそれ、石っころじゃねえのか」
衣を粗雑に丸めながら、蛮骨が訝しげに蛇骨の手元を一瞥する。蛇骨自身も己の行動に戸惑ったまま、握った手を開いた。
そこにあるのは、確かにただの白い石だ。細長くて少し赤茶がかっている。
蛮骨と凶骨が蛇骨の手の内を覗き込んできた。
「ん? それって」
蛮骨の首がわずかに傾き、同時に蛇骨の脳裏にもある予感が閃く。それを凶骨が声にした。
「骨じゃねえか?」
予感が確信となった。
「骨、だよなぁ……うえっ、捨てろ捨てろ!」
蛇骨は慌てて手中の塊を握り込み、濁流へ投じようと右腕を振りかぶる。
『待って!』
そこへ新之助の鋭い制止が飛び込んできたため、すんでのところでたたらを踏む羽目になった。
「な、なんだ急に!」
『見せて』
返事を待たず、新之助は蛇骨の手元に顔を近づけた。どこか緊張した声音に、蛇骨はわけがわからぬまま、手を開いて骨片を見せてやる。
瞬きひとつせず、呼吸すら忘れた風情でそれを凝視していた新之助の双眸が、次の瞬間、驚愕に彩られた。
『これ――これ、おいらの骨!!』
「はぁ!?」
その場の生者たちから頓狂な声が上がる。
蛇骨は信じられずに手中の骨を頭上にかざした。
「で、出鱈目でたらめ言うんじゃねえや。そんなん、なんでわかるんだよ」
『何となくわかるじゃん、自分の骨なんだから!』
「いや、じゃんって言われても……どこの骨だよ」
『それはわかんないよ!』
「なんだそりゃ。どうすりゃいいんだこれ、蛮骨の兄貴」
持て余して首領に助け舟を請う。
答えが返らぬので目を向けると、彼にしては珍しく、呆気にとられた顔で骨を見つめていた。

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