「ほう、まあまあ立派なもん拾ってきたじゃねえか」
凶骨が慎重に地面に下ろした黒い岩を、煉骨は斜に構えて見下ろした。
「まあまあ」と評しておきながら、その視線は明らかな興味を宿してちらちらと岩へ注がれている。原石というものを前に職人魂がうずいているのだろうかと、蛮骨は頭の隅で考えながら口を開いた。
「加工してえなら、任すが」
「誰がそんなしち面倒くせえ」
素気ない返事をしながらも、
「ま、まあ。どうしてもというなら、そんなに俺に頼みたいってんなら、見栄えよくしてやらんことも」
「うん、じゃあ、頼むわ」
言った傍から両手に工具を握りしめている上、後ろに助手として銀骨まで控えたのでは、頼らぬ方が酷というものだろう。さほど間を置かず、がががが、と岩を削る騒音が境内に響き始めた。
「で? てめえは晴れの日までびしょ濡れになってやがるが今日はどうした。ドジやって川に落ちたか」
霧骨は三日月形に細めた目で蛇骨を見上げた。対する蛇骨はさも得意げにふんぞり返る。
「はん、何を隠そう一番の功労者はこの俺様なんだぜ。あの岩見つけたのも俺なら……」
懐から親指大ほどの布包みを取り出すと勿体つけて中を開き、
「小僧の骨を手に入れたのも俺の手柄なんだからな!」
一見すると小石としか思えぬ白い欠片を、小男の眼前に突き付けた。
「骨だぁ? それが?」
霧骨が胡乱に首を傾げている遺骨を、蛮骨は遠目に見つめる。
死後、散り散りになった新之助の亡骸。食われた残骸は山中に打ち捨てられたはずだ。その内のひとつが巡り巡って、雨で増水した流れに乗り運ばれてきたのか。
あの時間、あの場所、それも川に落ちた蛇骨の袖の中に。
いっそ寒気がするほどに都合がいい。
一度きれいに諦めていただけに、いざ手に入ってみると狐にでもつままれた気分だった。しかし、何にせよこれで、墓が張りぼてになる事態は回避できる。
「それはすごい」
折よく姿を見せた睡骨が蛇骨たちの会話に加わった。
彼の腕には、素朴ながらも色とりどりの花を取り混ぜた花束が抱えられている。
『それ……』
目を留めた新之助に、睡骨は柔らかく笑いかけた。
「そこらから摘んできたものだが。墓が完成したら供えような」
煉骨と銀骨が墓石加工に精を出す間、手隙の者たちで墓作りに着手することとなった。
生前の新之助が作った住職の墓は、蛮骨たちが石探しに出ている間に睡骨によって整えられていた。上から土を加えて固め直し、繁茂していた雑草は取り除かれ、傾いた卒塔婆は深く挿し直してある。
その隣の空いた空間に、新たにひとつ穴が掘られた。径は小さいが縦に深い。
新之助が固唾を飲んで見守る中、出来たての墓穴の中心へと、蛮骨は遺骨を慎重に納める。土を盛り、崩れにくいよう周囲を砂利で固め終えたところに、
「てめえら、刮目しやがれ」
との声がかかった。
やりきった顔の煉骨と銀骨が墓所の入り口に仁王立ちしていた。二人の間にある物に、誰からともなく「おお」と声が上がる。
縁を滑らかに削り、表面は景色が映り込むほどに磨き上げられた見事な墓石が、いかにも誇らしげに陽光を浴びていた。
『わぁ! こっ、これがおいらの――』
あまりの出来栄えに感嘆すら漏らせなくなっている新之助。蛮骨がその横から進み出、煉骨の肩を労いを込めて叩いた。
「さすがは煉骨。お前に頼んで正解だった。俺はお前を自慢に思う」
「棒すぎるぞ」
気味悪げにしつつ満更でもなさそうな副将は、こほんとひとつ咳払いして顎を反らせる。
「まず注目されたいのは前後左右の四面にそれぞれ施した四季を表す彫刻だ。これは一見目立たないが、だからこそ発見者の遊び心をくすぐるだろう。しかも冬には雪が彫刻の溝に付着して白く際立たせ、夏とは一味違う趣を演出する細工になっている。そして何を置いても特徴的な、岩全体に散った砂金のような粒子。これは全て素材そのものに元から備わっていたもので、一粒として人の手で加えられたものはない。これらを最高の配置で活かす完璧な流線形の輪郭は、岩本来の黒色が醸し出す重厚な佇まいの中にも時代に囚われない斬新で大胆な……」
銀骨と新之助が感銘を受けた顔で聞き入っている他は、誰も煉骨の解説に耳を傾けていなかった。凶骨が慎重に墓石を持ち上げ、それを霧骨が誘導する。
「……その角度はもちろん計算あってのことで、雨が降れば自然に汚れが洗い流され」
「おーい、この配置、これで合ってんのか」
立て板に水のごとき煉骨の熱弁は、別口からの水を差されて終わりを余儀なくされた。若干不服げに口を曲げながらも、煉骨は解説を閉める。
「……どうだ小僧、お前には勿体ねえ代物だぜ。ちなみに持ち去ろうとする輩がいる場合に備え、墓から一定距離遠ざかると爆発する仕掛けをつけた」
新之助は頬を熱らせ、銀骨と揃って拍手を送った。
『すごいや煉骨……天才じゃん……』
「ぎっし。兄貴、すげえ。兄貴、てんさい」
「そんな安い言葉でまとめられるのは遺憾と言いてえところだが、まあ最大限の誉め言葉と受け取ってやろう」
彼らが新之助の墓へ身体を向けると、墓石はすでに所定の位置でしっかりと自立していた。
『これなんて書いてあるの』
「『新之助ノ墓』」
霧骨が、墓石に大きく刻まれた字をぼそりと読み上げてやる。新之助は恍惚とした面持ちで墓石を見上げた。
「この角度はこう。違う、そこは小指の爪ひとつ分後ろだ。まて、誰が凶骨のと言った、俺のだ」
煉骨は矯めつ眇めつで絶妙な配置になるまで神経質な指示を飛ばし続け、ついにこだわりが満たされると、地面へと固定する楔を打ちつけて仕上げとした。
最後に睡骨の手で、竹筒に生けた花束が添えられる。続けて彼は財布を取り出し、数枚の銭を盛土の手前に供えた。
『えっ、お金くれるの』
「三途の川の渡し賃というんだ。念のためな」
睡骨の言葉に蛮骨もうなずく。
「確かに、これでうまいことあの世に逝けたとして、今度は船に乗れず立ち往生なんてなぁ間抜けな話だな。貰っとけ貰っとけ」
こうして、素人作ながらも見かけは中々に一丁前な墓が、荒れ寺の一隅に加わった。
新之助はまるでこの世のあらゆる財を一遍に入手してしまったかのような表情で立ち尽くしていたが、やがてその双肩が打ち震え、
『はあぁーっ!!』
裏返った声で絶叫した。面食らう七人などお構いなしに、叫びながら墓の周囲を飛び回り、前後左右のあらゆる角度で眺め回し、がばりと全身で抱きついた。
『蛇骨見てっ、見てよ! おいらのお墓だ!』
「おーおー見てらぁ。で、この後どうなるんだ」
蛇骨の視線を受け蛮骨が首を傾げる。
「さあ。こん中に入る? のか?」
『やってみるね!』
新之助は墓石に両手で触れ、意識を集中するように目を閉じた。
七人が見ている前で子供の姿は次第に薄くなり、墓石へと溶け込んでいく。正確にはその下に埋められた遺骨に、長らく行き場を失っていた魂が戻ったのかもしれない。
子供の姿が完全に消え、静寂が落ちた。
一行は墓前に立ったまま、しばらく無言で成り行きを窺う。しかし、待てど暮らせど何か変化が起きる気配は訪れない。
「新之助? 一回出てみるか」
呼びかけても、新之助は姿を現さなかった。
「……」
「……え、もう成仏した?」
「呆気な」
困惑顔を見合わせる。
もしや、新之助は墓の中へ消えたと同時に、別れの挨拶ひとつ交わす間もなく、あの世へ旅立ったのだろうか。
手間をかけたわりに、なんとも味気ない。
だが、そんなものなのかもしれない。
「……じゃあ、これにて目標達成ってことで。俺らも行くか」
やや拍子抜けしつつも、一人また一人と背を向けていく。
瞬間。
墓石から凄まじい光が迸った。
全員が仰天して振り返る。
「なっ、なんだ!」
直視できぬほどの眩さに、誰もが腕を翳して目を庇う。
「煉骨てめえ、なに仕込みやがった!?」
「俺は爆破装置しか付けてねえ!」
口々に言い合っている間に、光はゆるゆると墓石の上部へ収束した。目視が叶う程度まで発光が収まる頃には、手のひら大ほどの光の球が中空に浮いていた。
「し、新之助くん、なのか…?」
腰を抜かしかけた睡骨がおそるおそる問いかける。
すると応えるかのように光球が縦に伸びた。息を呑む七人の眼前で、光の塊は頭部を形作り胴を作り、手足を生やしていく。
目を凝らせば、それはひとつの光が流線的に形を変えているのではなく、無数の淡い光の粒子が隙間なく集って流動しているのだとわかった。
やがて見覚えのある輪郭が出来上がると、その中に目を閉じた新之助の姿が浮かび上がった。
そしてその隣にもう一人。
彼と手を繋いだ老人が、慈愛深い眼差しで子供を見下ろしていた。
新之助の瞼がゆっくりと開く。
すぐには状況を把握できていないようだった。放心したように瞬きを繰り返している。
しかし、己の手を握る感触に気付いて隣を見上げた瞬間、その瞳が大きく揺れた。
『じ……、さ、ま……』
掠れた声。
老人は目を離さずに頷く。そして片膝をつくと、子供を懐へと抱き入れた。
『……ようやく、会えたなあ』
耳元へ語りかけ、包み込んで頭を撫でる。
その手は、すり抜けない。
されるがまま茫然としていた新之助の頬に、一筋の雫が伝い落ちた。
堰が切れる。
新之助の顔が見る間に歪んだ。
『爺さまぁぁっ……!』
叫び、僧衣にしがみつく。赤子のように嗚咽を漏らす。
そこにいるのは。
ずっと、ここにいたのは。
性質の悪い悪霊でも、邪な怨霊でもなく。
ただの、迷い子だった。
『よしよし、よう頑張った。怖かったろう。もう、大丈夫だからの』
あやすように繰り返し頭を撫で、背を叩き。老人もまた、声を震わせる。
新之助を抱いたまま、老人は七人に顔を向けた。
『旅のお方、この子が大変お世話になったようで』
蛮骨は老人と正面から向き合った。
「あんたが新之助の『爺さん』か」
『いかにも』
そこの土饅頭の下で眠っている、突然死したという住職。それがこうして現れたということは。
「あんたも成仏できてなかったのか」
そうではありませぬ、と首を振り、老人は静かに立ち上がった。顔を真っ赤にして泣きじゃくる子供に片手を添えて支える。
腰も曲がらず矍鑠としている。確かに、これが今日明日命を落とすと誰が予想できただろうか。
『このような場所に……置き去りにしてしまったのですな』
僧の眼差しが往時を偲ぶように墓所を、そして板塀の向こうに覗く本堂の屋根を見回した。
『ひたむきに仏に仕え人々を援けてきたつもりが、最後の最後に取り返しのつかぬ過ちを犯したものだと……儂はせめてもの償いに、この子の訪れをあちらの世の手前で待ち続けておりました。考えたくはなかったが、あの状況下ではおそらくこの子も――生き延びるのは難しかろうと』
住職の眉が痛ましく顰められる。
幾月、幾年。待っていても、新之助は来なかった。
『落命したのだという事実だけは、承知しておったのです』
しかしどういうわけか、新之助の魂は死後の順当な道筋を辿れずこの世に留まってしまった。
『その状態では魂の行方すらも掴むことができず……迎えに行かねばと願えども、こちらからは手も足も出せぬ状態でした』
この子には本当に辛い思いをさせた。
しがみつく新之助を見下ろし瞼を伏せる僧の言葉を、蛮骨は黙然と聞いている。
そんな事になった理由など、この場にいる誰も――新之助本人ですら、おそらく永遠にわからぬままだろう。
ただ、あのような最期を迎えたことは何かしらの関係があったのかもしれない。
そう思ったが、口には出さなかった。
深い絶望、悲しみ、諦め。その渦中で絶命した新之助は、一つ違えばもっと害悪なものと化していた可能性がある。
そうならずに済んだのは、幼さ故に己の感情の正体がわからず、わからぬうちに負の念が記憶もろとも消え去ったからではないか。結果、逝く機会を逸した魂だけが取り残された。
全ては想像に過ぎない。蛮骨が断片的に見た夢を繋ぎ合わせて無理やり解釈しただけのもので、全く的外れな推察かもしれない。
だから、あえて言葉にして真相を質す必要もない。新之助が覚えていないならば、最後まで知らぬままでいい。
「それが今になって、迎えに来れたのか」
導が見えたのです。そう言って住職は目元の皺を深くする。
『皆さまに弔っていただき、遺骨と魂が再び結びついたことで、この子はたった今、死に直すことができたのやもしれませぬ。改めてあちらへの道が繋がり、儂はそれを逆に辿って、こうして迎えに参ることができました』
本当に何とお礼を申せば良いか。
僧は繰り返し頭を垂れる。
死に直す――か。
「そういうことも…あるか」
説明されたところで、やはり雲をつかむような話だ。自分などには理解が及ばない。
蛮骨は新之助を見下ろす。
「……これで、成仏ってやつができそうだな」
『……っ、うん…!』
赤くなった目で力強く頷き、新之助は住職の袖を引いた。
『見て爺さま、これ、おいらのお墓!』
『いやはや、これはまた立派なものを拵えてもらったなあ』
「あー……本職に見られるとだいぶ適当なのがばれるから、あまり見ないでほしいんだが」
爆破装置が搭載されていますとは、口が裂けても言えない。
七人隊は気まずい顔をしたが、住職は『とんでもない』と相好を崩した。
『あのね、蛮骨がお墓作ろうって言ってくれて、蛇骨がかっこいい岩とおいらの骨を見つけてくれて、煉骨がもっとかっこよくしてくれたの。で、睡骨がお花とお金をくれて』
『うんうん。爺では一度に覚えられぬよ。向こうへの道すがら、お前の見たものをたくさん教えておくれ』
僧は腰を折り、新之助の頭を撫でた。そろそろ逝かねばな、と促す。
『長く留まってせっかくの機を逃しては、皆さまに申し訳が立たん』
新之助の大きな瞳が離愁に揺らいだ。彼はぐっと息を詰めてから、長雨の中に差す晴れ間のような笑顔で、ほんの数日を共にした旅人たちを見回した。
『みんな、本当にありがとう』
最後に、祖父の手を離れ蛮骨の元へと飛んでくる。
『蛮骨。蛮骨があの時、話聞いて、くれた…からっ…おい、ら、やっと……』
言葉の途中で声が震え、たまらず涙を落とししゃくり上げる新之助に、蛮骨の口元にも苦笑が滲んだ。腕を組んで肩を竦める。
「門出だろうが、泣いてんじゃねえよ。恩になんか思うなよ、ぜんぶ偶然だ。適当にやったら偶然、うまく運んだだけさ」
山越えの最中雨に降られたのも、この荒れ寺に避難したのも。墓作りを思い付いたのも、誂え向きな墓石が見つかったのも。蛇骨が川に落ちたのも、あの時あの状況で、新之助の遺骨を得られたのも。
すべて。
「じゃあな」
「ま、元気でやれよー」
蛇骨も気だるげな仕草で手を振る。医者の睡骨は瞳を潤ませながら手を合わせ、凶骨は地響きがするほどの轟音を立てて鼻をすすった。煉骨らは黙ったまま、廃寺の主たちの旅立ちを見届けている。
墓前に並んだ住職と新之助は深々と頭を下げた。顔を上げた二人は決して離れぬよう、しっかりと手を繋ぎなおして笑み交わす。新之助が皆に向けて大きく手を振った。
瞬きの間に、光の粒でできた彼らの姿は霧散して元の光の球へと収斂した。手のひら大の光と、その傍らにぴたりと身を寄せる小さな光となる。
ふたつは音もなく上昇した。どこまでも高く昇り、やがて碧空にとけて見えなくなった。
一陣、柔らかな風が吹いた。
足元で供え物の花がさわさわと揺れる。
「……やーっと逝ったか、うるせえ餓鬼だったなぁ、ったく」
蛇骨が大きく息を吐いた。どことなく大袈裟な身振りで伸びをし、肩を回す。蛮骨はそんな弟分が送った言を思い出して軽く噴き出した。
「お前、幽霊に『元気でやれよ』はどうなんだ」
「んあ? あー、そう言われりゃ確かに。じゃあなんだ、『この度はいい成仏日和で』ってか」
「なんだそりゃ」
見回せば、仲間たちは未だ新之助の消えていった空を眺めている。
手伝わないと言っていたものが結局、なんだかんだで全員が関わる結果となったわけだ。
「大兄貴の気は済んだか」
視線を下ろした霧骨がぼそりと問うてきた。
蛮骨はおうと晴れやかに返す。
まだ、日は高い。