ひと抱えもある握り飯を幸福そうに平らげて腹を満たした凶骨は、仲間たちを昼寝していた場所に案内した。
屋敷の裏手にある草原に一本だけ生えた大木の下だ。行けばすぐにわかる。そこに手ごろな大きさの岩があって、枕代わりに使っていたのだった。
だが、小雨の中を言われた通りの場所へ行きついた蛮骨たちは怪訝けげんな表情を浮かべた。
「凶骨、こんなでこぼこの岩を枕にしたのか?」
「え、でこぼこ?」
凶骨は乗せてもらっていた蛇骨の頭の上で背伸びした。高い位置から見下ろすと、確かに自分が枕にしていた岩がごつごつと尖っているのがうかがえる。
凶骨は首をひねった。
「おかしいな、俺が頭をのっけたのはもっと平らな岩だったはずだぞ」
こんなに凹凸が激しいのでは、草むらに腕枕でもした方がずっと快適だろう。
「ふむ」
腕を組んで思案している風情だった襲が、蛮骨に目を向けた。
「岩を裏返してみろ」
「ん? おう」
言われるまま、蛮骨は岩に手をかけた。常人ならば両手で抱えたとしても一人では運べないだろう大きさの岩を難なく持ち上げ、ひっくり返して地面に置きなおす。
表の面と違い、岩の裏面はつるりと滑らかだった。
「上になっていたのは、こちら側ではなかったか」
襲に問われて岩をもう一度見直し、凶骨はあっと声を上げた。
「確かにそうだ」
どういうわけか寝ている間に表と裏が逆転したようである。
「そんなことあるか?」
睡骨たちがいぶかしげな声を上げる。小石ならばまだしも、こんな大岩がちょっとやそっとで裏返るとはにわかに信じがたい。
よほど凶骨の寝相が悪かったのだろうか。
すると身をかがめて岩の周囲を調べていた襲が静かに立ち上がった。
「おそらく、枕返まくらがえしの仕業だろう」
聞き慣れぬ名に、蛮骨は眉をひそめる。
「枕返し? って、妖怪か?」
「ああ。本来は寝ている人間の枕を返して邪魔するだけの妖怪だが、ごく稀に、返した拍子に夢と現の要素が入れ替わることがあると聞く」
入れ替わり現象が発生するのは非常に珍しいのだが、不運にも凶骨は引き当ててしまったようだ。
何と何が入れ替わるかは、当人がその時見ていた夢次第なので千差万別なのだという。
貧乏が金持ちにでもなるというのなら「有り難い話」程度で済むが、当人そのものが逆転してしまうのはかなり厄介な事例と言えるだろう。
「そうだ、俺、夢の中でも小さかったんだ」
はたと思い出した凶骨が目を見開いた。目覚めた後もなお、夢が続いているのではないかという感覚になったのを思い出す。
襲は蛇骨の頭上にいる彼を見据えた。
「夢と現が入れ替わった結果がその状態ならば、凶骨の本体は今、夢の中にあるという事になる」
「夢の中……?」
雲をつかむような話に、一同はぽかんとする。
凶骨は今起きているというのに、夢の中とはどういうことだろうか。
「その体は夢で生成された仮の器に、魂だけが入っている状態だ。お前が潰されたり引き伸ばされたり、飲まず食わずでいても死なずにいられたのはそのためだな」
本来夢の中の存在で実体を持たないはずの小さい凶骨は、物理的な負荷がかかっても簡単には壊れずにいられる。
だが、入れ替わりに夢の中で放置されている本体の方は魂が抜けたままにずっと眠り続けているはずで、その間も生命活動は続いているため、現実と同様に時が過ぎるほど衰弱していく。
「本体が弱り切れば、魂を戻す手立てが無くなる」
「それって、本体に戻れねえままだと凶骨は死んじまうって事か……?」
霧骨の言葉に凶骨がぎょっとした。
「そ、そんな」
確かに、体が死ねば魂とて生きてはいられないだろう。
「それもそうだが、本体が何らかの理由で夢を見るのをやめた時点で、その小さい体も消滅するだろう」
襲の淡々とした言い方が余計に不安をあおり、凶骨は震え上がる。
小さくなってからすでに丸二日も経過してしまった。いくら寝ているだけとはいえ、飲まず食わずでいる己の本体がそれほど長持ちするとは思えない。自慢ではないが、ただ黙っているだけでも消費が人一倍激しい自覚がある。
再び焦燥に押しつぶされそうな顔をして、凶骨は青くなる。
「ぎし、はやく見つけないと」
銀骨も眉を八の字にして兄貴分たちを見た。煉骨が難しい顔で唸る。
「けど、夢の中にあるもんなんかどうやって……」
まさしく夢物語のような話で、人間である自分たちにどうこうできる問題ではない気がする。
襲が顎に手を当て、思慮深く目を細めた。
「……兎にも角にも、夢浮橋ゆめのうきはしへ行かねばなるまい」
皆がぱちりと瞬きする。睡骨が聞き返した。
「ゆめのうきはし?」
異界いかいの一つだ」
「異界?」
「そうだな……」
襲が目を閉じて小さく唸る。そして簡易的な――あくまで彼にとっては簡易的な説明を口にした。
「この世とは異なる時空だ。この世を顕界げんかい――要するに現世うつしよと呼ぶのに対し、冥界・神界・仙界、その他無数にある大小の時空はまとめて『異界』と総称される。基本的に生身の人間が行き来することはできんが、霊体や思念体の状態ならば行き来がかなう異界も存在する。こちらの一日があちらの三日だったりと、時間の流れ方はそれぞれ異なっていて、例えば伝承に出てくる浦島が向かった竜宮などは典型的な異界の一つで……」
珍しく滔々と語っていた鴉天狗だが、七人隊の頭上に膨大な数の疑問符が生まれては破裂していくのを見て取り、言葉を切った。
「つまり……今言った『夢浮橋』もこの世とは別の場所という事だ。そこに行けば他人の夢の中へ入ることができる」
「この世ではない」という時点で理解を放棄した蛮骨はいち早く立ち直り、問いかけた。
「そこへ行ってどうすれば良い」
「凶骨の見ていた夢を探し、その中にある本体に小さな凶骨を触れさせる。魂は本来の体を覚えているから、あとは勝手に元に戻るだろう」
七人隊は互いの顔を見合わせた。現実離れした、途方もない話だった。
「それじゃ、難しい話は置いといてさっさと『夢浮橋』とやらに行こうぜ。連れてってくれるんだろ?」
蛮骨の言葉に、しかし鴉天狗は頭を横に振る。
「連れて行くとは言ってないだろう。先も言ったが、向こうへ行くにはお前たちの魂を一時的に肉体から切り離さねばならん。その状態で下手を打てばこちらへ戻ってこれんぞ」
えっ、と凶骨は息を呑んだ。
「そんな! 俺のために、兄貴たちにそんな危険はおかさせられねえよ」
慌てる凶骨に襲が頷く。
「俺と凶骨だけで向かう。多少時間は要するかもしれんが、その方が危険は少ない」
しかし、蛮骨は譲らなかった。
「そこがどんな場所か知らねえが、凶骨の夢を探すんだったら人手は多い方が良いだろ。時間がねえならなおさらだ。こんな時に仲間の命より自分の安全を取るつもりはねえ」
「お、大兄貴……」
澱みない蛮骨の言葉に、凶骨は衝撃を受けた様子で立ち尽くした。よもや自分などのためにこんな事を言ってくれるとは、思いもしていなかった。
「ま、大兄貴の言うとおりだぜ」
「こんなんで七人隊が六人に減るっつーのも間抜けな話だ」
仲間たちが口端を引き上げて同意を示す。
「みんな……」
凶骨は瞳が潤むのを禁じ得ず、うずくまる。
「おい凶骨、俺の髪に鼻水付けんじゃねえぞ」
凶骨に乗られている蛇骨が頭上を睨むが、感涙にむせぶ小さな巨人には聞こえていない様子だった。
「というわけで、頼むぞ襲」
「頼むぞ、ではない。お前たちを連れて行くとなると少々勝手が変わる。簡単に考えるな」
「じゃあ、何人までなら行ける?」
話を聞いているのかいないのか、あくまで同道しようとする姿勢を崩さない蛮骨に、襲はやや閉口する。
しばらく返答を渋っていた鴉天狗だが、蛮骨にしつこく詰め寄られると根負けしたように嘆息した。
「……四人」
つまり、必然的に行かねばならない凶骨を除いてあと三名。
凶骨以外の六名は、誰が行くかを話し合う。
「俺が行く」
真っ先に霧骨が手を挙げて進み出た。普段、こういう面倒ごとからは外れたがる彼にしては非常に珍しいことだった。
「霧骨……」
「おめえとは不細工どうし気の置けねえ間だからよ。いなくなられると俺様の引き立て役が足りなくなっちまうしな」
霧骨はぶっきらぼうに言うと明後日の方を向いた。
「ぎし、俺も凶骨の力になりたい」
続いて銀骨も勇んで挙手したが、煉骨が冷静に引き留めた。
「銀骨の体形は探し物には向かねえ。気持ちはわかるが、今回は留守番しとけ」
「ぎ、ぎし……そうかぁ」
残念そうな顔をしながらも、銀骨は素直に手を引っ込める。
「そう肩を落とすな。お前の代わりってわけじゃねえが、俺が行ってくる」
煉骨の言葉に仲間たちは驚く。金儲け以外で自ら危険に飛び込むなど、これまた彼らしくない。
「お、俺が預けた本に挟まっちまったわけだろ。見て見ぬふりすんのも寝覚めが悪いというか」
気まずそうに頬を掻き、煉骨もまた腕を組んで視線を逸らした。
「残る一人は俺だ。弟分の大事だからな」
次に蛮骨が意気揚々と名乗り出たが、今度は襲がそれを止めた。
「いや、お前はこちらに残れ」
「なんでだよ」
襲は先ほどから一蹴され続けて不服そうな蛮骨に近付くと声を潜めた。
「蛇骨を押さえていてほしい。術中に邪魔が入ると、色々と面倒な事になる」
蛮骨はそっと蛇骨を顧みた。
今この一瞬でさえ襲に触りたがってうずうずしている彼のことだから、煉骨たちが夢浮橋へ行って戻るまでの間、術に集中して無防備な状態の襲を前に大人しくしていられるわけがない。
かといって異界に同行させれば良いかと言えば、おそらく連れて行ったところであまり役に立たないことは目に見えて明らかだ。
そして襲のことで暴走状態になった蛇骨を止められるのは、もはや蛮骨しかいないのである。
「…………わかった」
最大の敵は身内にあり、ということか。これはこれで責任重大だ。
蛮骨と襲の視線に気付いた蛇骨が半眼になる。
「大兄貴と襲ちゃん、なんか今すげー失礼なこと考えてなかった?」
「んなわけねえだろ。蛇骨、俺と一緒に残って酒でも飲みながら待ってようぜ」
「んー、まあ、良いけど」
肩を組んで蛮骨が誘うと、蛇骨はあっさりと了承する。
「となると、残ってんのは俺だけか。構わねえぜ」
最後に睡骨が特段の異論もなく応じ、こうして異界に向かう人員が決定した。

屋敷に戻った一行は、もともと集会などで使われていたであろう広い部屋に集まり、術の準備に取り掛かる鴉天狗の様子を興味深げに眺めた。
「俺たちが同行すると勝手が変わるって言ってたよな。どういう意味だ?」
煉骨の問いに、小刀で料紙に切れ目を入れながら襲は淡々と答えた。
「本来であれば、俺は霊体にならずこのまま異界へ行くことができる。だがお前たちを連れていくとなると、この世と結ぶ道を繋ぎ続けておく必要があるので、くさびとしてこの身を置いて行かねばならん」
「それで何か支障が出るのか」
襲は料紙から切り出したばかりのものを見せた。人の形をかたどった、手のひらほどの大きさの形代かたしろである。
「身体を術の維持に使う都合上、俺は霊体の一部分をこの形代に憑依させて向こうへ行くことになるが、そうなると今の力の半分も発揮できんのだ」
「つまり……向こうで危険があったとしても、あんたが確実に助けてくれる保証がないと?」
黙然と頷く襲に、話を聞いていた霧骨がいささか表情を強張らせた。
「そんなに危険なとこなのか? その、夢浮橋ってのは」
「いくらか注意は必要だが、夢浮橋そのものは静謐せいひつで穏やかな場所だ。だが、そこに棲む『幻魎げんりょう』という存在が、常に生者の魂を狙って彷徨っている」
「幻魎……」
霧骨はごくりと唾を飲み込んだ。
「詳細は追って説明する。幻魎を出し抜くため、お前たちをあちらの世界に同化させる必要があるのだが……」
何か良い手はあるだろうかと考えかけた襲が、ふと目を瞬く。
「ああ。丁度いいものを持っていた」
そう言って袂から取り出された三枚の鬼面に、蛮骨が片眉を上げた。
「なんでそんなもん持ってんだ? あんたの趣味なのか」
「断じて違う」
即座に否定して鬼面を床に並べると、襲は形代を切り出すのに使用した小刀で己の左掌を切り裂いた。
「わっ!? 何してんだよ襲ちゃん」
見る間に鮮血が流れ出した手を見て蛇骨が瞠目する。
だが襲は意に介した風もなく、掌の窪みに溜まった血液を指先に取って鬼面の上に複雑な紋様を描き記していった。
三つの鬼面全てに紋様を施し終わると、それを煉骨、睡骨、霧骨に手渡す。
「それを顔に付け、解けないように固く結んでおけ」
「こいつで生者だとばれずにいられるわけか」
いまいち半信半疑ではあったが、三人は指示通り面を装着した。
「睡骨、鬼面があっても無くても変わらねえな」
「うるせえ」
霧骨がくつくつと笑い、睡骨がじとりと睨み返す。
面を付けた三人は並んで仰向けに寝転んだ。
その一番端で凶骨も同様に寝そべる。
襲は彼の横に小皿を置き、その上に形代を載せた。
何とはなしにそちらを見た凶骨は軽く息を呑む。白かったはずの形代は血液で真っ赤に染まっていたのだ。
形代に向けて掌の血を滴らせながら、凶骨の様子に気付いた襲が口を開いた。
「気味が悪いだろうが、念のための仕掛けだ」
凶骨は言葉もなくその様子を凝視する。
いくら妖怪とはいえ、自分のために流血させているのだから、気味が悪いだなどとはとても思えなかった。
形代が十分に浸り切り、小皿にもある程度の血液が溜まると、天狗は傷口を軽く押さえて息を吹きかける。手を放したあとには、傷跡は浅く残ったままだが出血は止まっていた。
「では道を繋ぐぞ。辞退するならば今のうちだが」
天狗の最終確認に申し出る者はいなかった。
少し緊張した面持ちで四人は天井を見上げ、部屋の隅の方では留守を預かる蛮骨たちが固唾かたずをのんで彼らを見守っていた。
襲は寝そべる者たちの中央に座し、一呼吸置くと瞳を閉じて手を合わせた。
途端に室内の空気が張り詰め、その場にいた人間たちは気温が一気に下がったような感覚に囚われる。
襲の口から異界への道を開く言葉が紡がれた。
果敢無はかなき世 涯無はてなき世 の身をしるべみちを繋げん 夢の渡りの浮橋」
扉も窓も閉ざされているにもかかわらず、空気が逆巻き、髪や衣がひるがえる。
蛮骨たちが見ている前で、彼らの頭上に渦のようなものが生じた。それは見る間に大きくなり、やがて一つの円環を構築する。
大きく口を開いた円の向こう側には光さえ呑み込むくらく深い闇が覗いていた。
吸い込まれるような感覚で闇の向こうを見上げていた三人と小さな一人は、己の意識が急速に遠のいていくのを感じた。

 

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