おもてなし
「甘味を食べにいくぞ!」
唐突に告げられた朔夜は、作業の手を止めて呆けた顔を上げた。
居間で繕いものをしていたところ、庭先へひらりと降り立った鴉天狗。その左右の肩にしがみついた小妖怪たちが、高らかに声をそろえて放った一言である。
「うん?」
「大将が甘味を食いに連れてってくれるんだ! 朔夜も準備しろ」
縁側へ飛び降りた三匹が、朔夜の周りにわらわらとやってきてぴょんぴょこ跳ね回る。
「甘味?」
いまいち話が見えずに首を傾けていると、襲が縁側に腰かけて長い足を組んだ。同時に背中の巨大な羽が失せ、瞳が深紅から黒に転じる。かなり慣れてきたとはいえ、まだ朔夜の前では妖力を極力抑えるよう努めてくれているのだ。
「こやつらに一働きしてもらってな。見返りに、甘味の食える店へ連れていく事になっている」
「そうだぞ、俺らすごーく頑張ったんだぜ」
「俺らがいなかったら、今ごろ蛮骨らは泣きべそかいてたぜ」
「ほめろ朔夜」
「おれも」
「おれも」
「ああ、お仕事を手伝ったのね? すごいわ」
顔をほころばせ、順に頭を撫でてやる。恍惚とした顔でぐりぐり頭を押し付けてくる様が犬や猫のようで、朔夜も相好が崩れた。
「でも、みんなへのご褒美なのに私までご一緒していいのかしら」
「あたぼうよ! 朔夜はいつも美味いもん食わしてくれるからな」
「今日はこっちがお返しするんだ!」
「大将も良いって言ったぞ!」
肩越しにやりとりを聞いていた襲が、いつもながらの無表情で頷いた。
「俺もこれらも、いつも世話になっている。たまには贅沢をしたらいい」
「そんな、お世話だなんて」
とんでもない、と朔夜は手と首を横に振る。
どちらかといえば襲の方こそ、情報屋の仕事に止まらず、あれやこれやと世話を焼いてくれている。さらには己ひとりでは持て余すからと、本来なら朔夜などが口にできぬ高価で珍かな貰いものを惜しげもなく持ってきてくれるのだ。
朔夜が返せるものなど、せいぜいたまに菓子や食事を振る舞う程度でしかないというのに。
「ああもう、細かいことはいいんだって!」
「俺らが朔夜にご馳走したいの!」
「朔夜は行きたくないのか!」
痺れを切らした小妖怪たちがぷりぷりと頬を膨らまし始め、その後ろで襲が小さく嘆息した。
「蛮骨も承知済みだ。こちらとしては、あまり固辞せず誘われてくれると助かるのだが」
小妖怪たちには、食事に誘われて断る理由など一生かかってもわからない。首を縦に振るまで引き下がらぬことは目に見えており、であれば人間同士のような遠慮は、ただ時間を無駄に浪費するばかりなのだ。
「なら、お言葉に甘えないと」
その言葉に小妖怪たちの笑顔がぱっと弾ける。きゃいきゃいと喜色を体現するように縁側をせわしなく転げ回る三匹を、見かねた襲が捕らえて膝の上に乗せた。
「少しは大人しく待っていろ。そう逸らんでも、飯屋は逃げん」
言いながら朔夜を見やった襲の視線が、その手元に留まる。縫いかけの小袖があり、横には畳んだ反物もいくつか積み重ねられていた。
「都合が悪いのなら、日を改めようか」
「いえいえ。ちょうど終わったところなんです」
朔夜は慣れた手つきで糸を切ると、繕い終えた着物を持ち上げて出来を確かめた。鴉天狗もまじまじと眺める。
「子供の小袖だな」
「はい、近所の子のもので。そろそろ丈が足りなくなってきたから、裾を直してほしいと頼まれたんです」
母親は家事や畑仕事に追われてなかなか時間を割けぬというので、代わりに引き受けたものだ。
七人隊が留守にしている間、朔夜は日がな一日広い屋敷でぼんやり過ごしているわけではなかった。
裁縫やら野良作業の手伝い、親の仕事中に子らの面倒を見たりといった細々した仕事を引き受けては、日銭を稼いだり食材を分けてもらう。他にも七人隊のために携帯食を拵えたり、洗濯物を預かったり、庭で栽培している薬草や毒草の世話をしたりと、毎日それなりにやることが山積みだった。
「蛮骨の仕送りだけじゃきついのか?」
深刻な顔つきをする小妖怪たちに、朔夜は肩を揺らして笑った。
「そういうわけじゃないの。でも、蛮骨たちが命がけで稼いできたお金を、私のことに使うのはやっぱり気が引けるから。それに、ご近所づきあいは何かと大切なのよ」
留守にしていることの方が多い七人隊が帰ってきた時、住人たちとの間に壁ができていては、気詰まりを感じてしまうかもしれない。
年貢は年の始めに傭兵業の稼ぎからまとめて納めており、名目上は堂々と居所を離れられる身分ではあるのだが、そうは言っても田畑は村の惣持だ。数件の家が組になり、それぞれに割り当てられた区画を協力して管理する。納めるものは納めているからと、持ちつ持たれつの営みから全く外れてしまっては、そもそもが余所者の寄せ集めである七人隊が余計に孤立しかねない。
実のところ、壁があったところで彼らは意にも介さぬのだろう。朔夜が勝手に気を回しているだけだといえば、そうなのだが。
「心象が良いと、後々助かることもあるかもしれないし。私にできる事はしておこうと思って」
「ふーん」
小妖怪たちは天狗に抱かれたまま、わかったようなわからないような返事をした。
針と端切れを裁縫箱にしまい、朔夜は縁側に出た。
「お待たせ。どこへ行くか、もう決めてあるの?」
三匹が襲を見上げる。襲はいいやと首を横に振る。
「お前たちの行きたい店に連れて行くつもりだった。希望があるなら、近くでも遠くでも構わない」
「どこがいいかなぁ」
「俺たち、人間の店はよくわかんないし」
「朔夜、どっかお勧めないか?」
「そうねぇ」
朔夜は頬に手を当てて思案した。朔夜も滅多に外食をしないため、それほど詳しくはない。
蛮骨と出かけたことのある店はどこも美味しかった。しかし、はたして甘味は扱っていただろうか。
しばし考えを巡らせていたが、ふいに「あ」と手を叩く。
「向こうの通りに福寿庵っていう料理屋さんがあるの。蛮骨たちが帰ってくる時にお酒を頼んだりする所なんだけれど、そこが少し前から甘味も出し始めたみたいよ」
とても美味しいと、近所の井戸端で女房たちが噂していたことがある。
常ならば市井の民にとって甘味など贅沢品であり、そうそう口にできるものではない。そんな中、件の店では工夫を凝らし、手頃な値で提供しているのだと評判になっていた。
小丸たちの目が爛爛と光を放った。
「そこがいい! そこにするっ!」
ぐいぐい袖を引かれ、天狗がわかったわかったと立ち上がる。朔夜も手早く身支度を済ませると、弾んだ足取りで玄関へと向かった。
「蒼空の親分も誘えたらよかったのになぁ」
「福寿庵」を目指して大通りを行く道中、朔夜の両肩に陣取った小妖怪たちがしみじみと呟いた。
さすがに狼な上にあの巨体では、店に入って食事を共に、というわけにもいかない。ここへ呼び出しただけでも大騒ぎになってしまう。
「せめて土産を買ってってやろう」
「何だと喜ぶかなぁ」
あれがいいこれがいいと議論する三匹の会話を楽しんで聞いていた朔夜だが、あれと目を瞬いた。
「でも、それは――みんなも同じじゃないの?」
巨大な狼もそうだが、小妖怪だって十分、飯屋の卓にいたら目立つ。
しかし、小妖怪たちは得意げにふんぞり返ってみせた。
「ふっ、そこんとこは手を打ってあるぜ」
「見てろよぉ」
「せえの」
掛け声に合わせ、三匹の姿がぱっと立ち消えた。驚いた朔夜はきょろきょろと視線を彷徨わせたが、影も形も見当たらない。感心したのも束の間、朔夜は困り顔で眉を下げた。
「確かにこれなら怪しまれないけれど……私からも見えないわ」
せっかく一緒に食事をするのに、小妖怪たちが幸せそうに甘味を食べる姿を拝めないのはいささか残念だ。
「朔夜」
隣を歩いていた襲に呼ばれてそちらを見る。何やら指でちょいちょいと手招かれている。
「なんです?」
「少し触れる」
はい? と言い終わらぬ間に、襲の右手が伸びて頭の上にぽんと置かれた。その手はすぐに離れ、次の瞬間、先ほどと変わらぬ位置に小妖怪たちの姿が現れた。
「あ、また見えるようになったわ」
「微弱な妖気でも視えるよう、術をかけた。半日ほどは持つ」
「やった、成功だ。妖気をものすごーく抑えてるから、霊力の強いやつにしか見えないぜ」
「これで、他のやつにばれずに朔夜とおしゃべりできるな」
「外で一緒にいても怪しまれないぞ!」
にまにまとほくそ笑む三匹に、胸のあたりがじんと温かくなる。
人間の自分を食事に誘いたいがために、妖怪たちがあれこれと手を尽くしてくれているのだ。蛮骨は事あるごとに小妖怪らを目の上のたん瘤扱いしているが、これだけ慕ってくれるものを無碍にしては罰が当たってしまう。
「ありがとう、みんな」
襲にも礼を言おうと見上げると、彼はどこか探るように、周囲の様子を窺っていた。
「どうしました、襲さん? なにか……」
問いかければ、襲は短く「視線を感じた」と答える。
「……珍しい事でもないが。何というか、今日は数が多い上、たった今、それらが一斉に鋭くなったような」
「それって、誰かが俺たちをつけ狙ってるってこと!?」
ぶわっと毛を膨らませて朔夜にしがみつく舜に、いいやと首を振る。
「害意は感じない。ただ見ているだけのようだ」
襲がそう断じるからには、警戒するほどのことは無いのだろう。
それでも気になった朔夜は、さりげない動きで周囲を見回してみた。
そして、はたと固まる。
鴉天狗の言う「視線」の正体が一目でわかったのだ。
大通りの両側にずらりと軒を連ねる大小の店々。奉公人として客として、多くの人間が縦横に行き交う昼日中の道は雑多な喧騒で大層賑やかだ。
その人混みの中。一部の女人たちが、いやにぎらついた目でこちらを凝視しているのだった。
「あれは……」
同じ女性である朔夜には、その熱のこもった眼差しの意味するところが瞬時に理解できてしまった。
襲の端正な容貌に見惚れているのだ。
そういうことかと、そっと息をつく。
無理もない。見慣れている朔夜でさえ、ふとした拍子につい目を引かれてしまうほど、襲の容姿は整っている。華美な格好をしているわけでもないのに、背の高さも手伝ってか佇んでいるだけで非常に絵になる。
そこで朔夜ははっとした。気付いたのだ。彼女たちのじりじりと灼けつくような視線が、襲の隣を歩く自分にももれなく注がれていることに。
「あの女は誰だ」と、声ならぬ声が突き刺さってくる錯覚に見舞われた。
ぶるりと身震いし、慌てて目を逸らす。
はからずも、今しがた術をかけられた仕草が頭を撫でているように見えたのかもしれない。それが彼女たちの嫉心に付け火をしたものか。
(ちょっと待って)
そこまで考えて、朔夜は傍から見た今現在の状況が、実はあまりよろしくないのではと悟った。
見目の良い男と連れ歩く妙齢の娘。真っ先に抱かれる印象はひとつに決まっている。そして、憶測を巡らせるのは見知らぬ女人たちに限らない。
この通町だけでも、朔夜や七人隊と面識のある店や顔なじみは何人もいる。その誰もが、襲を見て同じ疑問を抱くだろう。
つまるところ、「新しい男ができたのか」と。
「おーい、朔夜? どうしたんだ、さっきから黙りこくって」
小妖怪たちが不思議そうに顔を覗き込んでくる。朔夜は難しい顔で唸った。
「うーん……」
まったく面識のない者にならどう思われようと構わないが、知人となると話は別だ。
七人隊の留守中に別の男を連れ込んでいる、とか。蛮骨が甲斐性なしだから乗り換えられたのだ、とか。そういう風聞が一人歩きするのは、とても困る。
自分の肩身が狭くなるだけならまだましだ。しかし、蛮骨が陰で笑い者にでもされてしまったら。
朔夜はぐっと唇を引き結ぶと、隣にいる襲を見上げた。