夜半過ぎ、蛇骨はのろのろと(まぶた)を上げた。
暗い。こんな時刻に目が覚めるとは。
いつの間にか外の雨が止んでいるのに気がつき、身体を起こして廊下に出る。
「やっと止んだんだ……」
空には月が浮いていた。雨の後のせいか、星もいつもよりはっきり見えるような気がする。
「蛇骨?」
月光を白銀の体毛に弾かせながら、蒼空が歩いてきた。その大きな背中では、三匹の小妖怪が重なり合いながら寝息を立てている。
「眠れないの?」
「ていうか、急に目が覚めてさぁ。雨が止んでたからちょっと出てきた。で、天邪鬼の気配はやっぱりしないか?」
うん、と蒼空は耳を垂れて答える。
「明日、一緒に探しに行こう。俺、隠れてるのを見つけるの、得意だから」
それから二人で、しばらく夜空を眺めていた。
どれほど経ったか。突然蒼空の耳がぴんと澄まされた。
「これは……」
「ん? どうしたんだ」
瞬時に険しい面持ちになり、白狼は首を巡らせる。
「妖気だ」
「え、天邪鬼のか!?」
「ちがう」
蒼空は背中から三匹を転がり落とした。
「げふっ」
「てっ」
「あうっ」
無理やりな覚醒に目を回しながら、小妖怪たちは狼を見上げた。
「親分、何てことするんだよぉ」
「なんだか不穏な気配がする。蛮骨たちを起こして、(ふもと)の村に行くよう伝えてくれ」
真剣な声音に背筋を正し、小丸、舜、一角は即座に皆の寝間へ駆けた。
「蛇骨、一足先に行こう。乗って」
「え? あ、ちょっと待ってろよ」
蛇骨は上手く状況が飲み込めないまま部屋に戻り、素早く寝巻きから着替えて得物を背負った。
急いで戻り、よいしょと蒼空の背に(またが)る。
「あのさ……俺、大兄貴みてぇに上手く乗りこなせねぇと思うから、ゆっくりめで頼むぜ」
「ええ? ……わかったよ」
半眼になりながらも承知して、抑えめにに走り出す。抑えめといえどもかなり早く村に到着した。
背中から降りた蛇骨は訝しげに眉をひそめる。
夜中だというのに、村の中が妙に明るい。村の衆が一箇所に集まり、火を焚いていた。
彼らから離れた木陰に身を隠し、蒼空とともに様子を窺う。
「こんな時間に何やってんだ?」
「……天邪鬼の気配がする」
「えっ!? さっき違うって言ったじゃねぇか」
「違うと思ったんだけどなぁ」
狼が怪訝な目をした時、群集が割れてちょうど中央が見える形になった。二人はあっと声を上げかける。
中央には庄屋の老人と屈強そうな男たちが数人いて、その真ん中にいる男の手には木でこしらえられた(おり)があった。檻はさらに外側から縄で縛られ、けして開かないように(ほどこ)されている。
檻の中に、小さな生き物がいた。
「あ、天邪鬼!」
立ち上がりかけた蛇骨の袖は蒼空に引き戻される。
「状況がわからないよ。もう少し様子を見てみよう」
蒼空の瞳が鋭利な光を帯びた。天邪鬼に危機が及ぶようなら、強行突破してでも助けるつもりだ。
視線の先で、男が声を張り上げた。
今宵(こよい)とうとう悪鬼を捕まえたぞ! みんな、もう畑荒らしに困ることはないし、何よりこの疫病神を目にすることもなくなる」
「そいつ、今日もまた荒らしに来ていたんだな!?」
「そうだ。畑に現れて今まさに荒らしてやろうというところを、俺が仕掛けた罠に足をとられやがった」
勝ち誇ったように背を反らす男。村人たちから歓声があがる。
檻の中の天邪鬼は力なく座っており、暴れる様子ひとつ見せない。
何もかも諦めたような顔を、蒼空の目は確かにとらえた。
「疫病神は火にくべちまえ!」
「おらたちの怒りを思い知れ!」
男が手を掲げて、天邪鬼を檻ごと炎に投じた。
「蒼空!!」
叫びとともに、蛇骨の(ふところ)から光が伸びる。声が届くより先に白狼は飛び出していた。
村人たちが後方からくる光を認識した瞬間、勢いをつけた蛇骨刀は頑丈な檻を真っ二つにした。
すっぱり斬れた折の中から反動で天邪鬼が宙に放り出される。眼下には燃え盛る炎が口を開けている。
が、その身体は熱気から遠ざけられた。空中で小鬼を捕まえた蒼空が炎を飛び越え、村人の輪からも離れた位置に着地する。
「な、何事だ!?」
「ひぃっ、狼!!」
腰を抜かして逃げ出そうとする村人の背後に得物を提げた蛇骨が立つ。
「お前は誰だ! そうか、昨日宿を訪ねた変な集団の仲間だな!?」
「変な集団とは言ってくれるじゃねぇか」
「天邪鬼なぞ助けてどうする!」
「てめぇらが畑荒らしの罪を天邪鬼に押し付けようとするのを、黙って見てられるか」
「なんだと! 来たばかりのお前に邪魔される筋合いはない!!」
蛇骨は静かに蛇骨刀を振り上げる。村人がびくりと反応した。
「そ、そんなことを言うなら、天邪鬼が犯人じゃねぇっていう証拠を見せてみろ! 俺達が納得するような証拠を!!」
「証拠だぁ? そんなもん……」
言いかけて、ぴたりと止まる蛇骨。
証拠、証拠、証拠……。
「はい、天邪鬼を信じてるからです」では絶対に通用しない。
だが、彼らを頷かせるような理由が浮かばない。村人たちは実際に何度も畑で天邪鬼を目撃しているし、今回はこうして捕えてもいる。
圧倒的に不利だ。
蛇骨の額に嫌な汗がにじんだ。
ああ、何で俺は蛇骨なんだ。煉骨の兄貴に生まれればよかった。
刀を振り上げたまま現実逃避に陥りかけた時、その兄貴分の声がした。
「蛇骨――!!」
「煉骨の兄貴か!?」
「てめー勝手に何やってんだー!」
重なるように蛮骨の声。あれ、なんだか怒っているような。
暗い中、ろくに状況もわからぬままに長い石段をひた走らされた六人は、村の中の異様な雰囲気を理解するのにしばし時間がかかった。
「……何やってんだ?」
霧骨が本心から問う。
「見てわかんねぇかよ! 天邪鬼が焼かれそうになったけど助けて証拠がねぇんだ!!」
「わかんねぇよ」
煉骨がこほんと(せき)をする。
「天邪鬼が捕えられて焼かれそうになり、それを助けたはいいが、じゃあ天邪鬼が畑荒らしの犯人じゃねぇ証拠を見せろと言われて困ってる。……違うか?」
「やべぇよ煉骨の兄貴、すげぇ」
「何でわかるんだ」
蛇骨と霧骨は感嘆(かんたん)した。
「あんたら何をこそこそ話してるんだい!?」
村人たちが(まなじり)を吊り上げている。屈強な男達が、かかってこいとばかりに構えた。
蛇骨は彼らに切っ先を向け、睨みつける。
「うるせぇよ。とにかく天邪鬼はやってねぇんだ!」
「待て」
蛮骨の地を這うような声が滑り込み、蛇骨は無意識にぶるりと震えた。肩越しに振り返ると不機嫌な顔がある。
「この状況じゃ普通に俺達が悪者だ」
「もう良いんじゃねぇの。殺しちまえば関係ねぇよ」
「それはお前の言い分だろ。天邪鬼はそう思ってない」
ちらりと視線を向けると、天邪鬼も蛇骨を見つめていた。
肩をすくめて二、三歩後退した蛇骨はそこにいた睡骨に問いかける。
「大兄貴、何か怒ってねぇ?」
睡骨は渇いた笑みを浮かべ、
「ああ、起こされ方が酷くてな」
とだけ口にした。
村人たちと向き合いながら、煉骨はどうしたものかと思案顔だ。まだ村を訪れて二日目、それも大半を寺の中で過ごしていた自分たちが口出しできるものでもない。
村人たちは鎌や(くわ)を構えながらも、凶骨と銀骨が睨みを利かせているためかかかってくる気配はなかった。
炎がはぜる。
その時、蒼空と天邪鬼が同時に天を仰いだ。
「妖気が近付いてる……!」
その言葉に蛮骨たちも弾かれたように振り仰ぐ。
漆黒のはずの空が、ある箇所だけ他よりもさらに黒いのが一目でわかった。それが急速に迫っている。
無数の妖怪。
「なんだありゃあ!?」
「う、うわあああ!」
村人たちが一斉に逃げ出し、家々の中へ隠れてかたく心張り棒をかけてしまった。
「おいお前ら! 自分たちの村だろ、少しは戦う素振りくらい見せやがれ!!」
蛇骨が怒号するが、天邪鬼相手に余裕を見せていた頑強な男衆さえ出てくる様子はない。
妖怪たちが荒らされていない畑に降り立ち作物を食いあさり始めた。七人に気付いた者たちが、あぎとを開いて襲い掛かる。
「このっ……!」
蛇骨刀が一閃されそれらを両断するも、後から後から湧いてくる。
蛮竜を薙ぎ払いながら、蛮骨は視線を滑らせて退路を探した。こんな名も知らない村のために怪我の一つも負うつもりはない。
だが、予想もしない襲撃のために対処が遅れ、四方八方を妖怪に囲まれてしまっていた。
仲間達もそれぞれに応戦している。妖怪たちは単体ではさほど強くないのだが、何しろ数が多いために先の見えぬ戦いで、皆の顔にも焦りがにじんでいた。
そのとき、蒼空の背にしがみついていた天邪鬼が妖怪たちへ飛び掛かった。
「天邪鬼っ、危ない!」
蒼空が絶叫するも、妖怪の牙の方が速い。
小さな身体に牙が掛かったかと思われた瞬間、天邪鬼の瞳が金色に輝き、全身から激しい妖気がほとばしった。
突風が吹き荒れ、妖気が触れた傍から妖怪たちが霧散していく。
あれほど無数にいた妖怪たちが、瞬く間に消滅する。
腕をかざして衝撃に耐えていた七人は、燐光(りんこう)を放つ小鬼の姿を呆然と見つめていた。

妖怪ってあんなもんなんだなぁと、改めて痛感した。
それはもうこちらの矜持(きょうじ)もやる気も根こそぎ掻っ(さら)うくらい、天邪鬼は強かった。脱力して失笑がこぼれるほどに。
寺の回廊に座って、蛮骨は気持ちよく晴れた青空をぼんやり眺める。
一件落着。
今朝から村の人間が大勢訪ねてきた。今まですまなかったと妙楽や天邪鬼に頭を下げ、妖怪を退治てくれていたことに何度も礼を言って。
天邪鬼がいなければあの村はとうに作物が尽きて、人間たちが餌食になっていただろう。
今までもずっと、天邪鬼が独りで戦ってきたのだった。
ただ、あの時間一人だけ眠っていた妙楽はいまいち何があったのかわかっていないようで、蛮骨たちが詳しく説明して初めて村人たちの言っていることを理解したらしい。
煉骨と睡骨が碁をさす音が小気味よく響いている。
一夜明けて今日は晴天。もうじき、ここを発つ。
「蛮骨の兄貴」
蛇骨の声に振り返ると、天邪鬼を肩に乗せてこちらへ歩いてきた。
「ああ、仲直りしたか」
「俺だって自分が悪いと思えば謝るさ。天邪鬼の言いたいこと、ちゃんとわかったんだって伝えたら、すげぇ喜んでさ」
蛇骨と天邪鬼は顔を見合わせて笑った。
「そういや大兄貴、昨日はひでぇ起こされ方したって聞いたけど、どんなだったんだ?」
隣に腰を下ろして尋ねると、蛮骨の顔がさっと不機嫌になった。一瞬ぎくりとする蛇骨だが、興味の方が勝る。
離れた場所で平和な寝息を立てている三匹の小妖怪に呪うような視線を送りながら、蛮骨が暗い声で語った。
「俺はちょうど、夢を見てたんだ。それはそれは良い夢でな、まあ、詳しいことは秘密だが朔夜(さくや)もいた。今までの疲れも吹っ飛ぶような夢だ」
「うん」
「そこへ突然両耳の至近距離から大音声(だいおんじょう)で甲高くてむかつくことこの上ない声で雑魚妖らが叫ぶもんだから、俺の夢はぶち壊しだ。そうさ、朔夜も粉々さ。俺はもう耳が聞こえなくなったんじゃないかとすら思った」
「へ、へぇ」
心なしか蛮骨の肩が震えている。
「朦朧とした意識の中、それでも俺は起きてやったさ。起きろって言うんだからな。それなのに、目を開けた瞬間星が飛んだんだ」
「は?」
「小丸が頭突きしてきた」
「……」
それは痛そうだ。いや、蛇骨は実際に食らったことがないのだが。
「俺が何をしたって言うんだ……」
けっこう首領として頑張ってると思うんだけどなぁ俺。
青筋を刻みながらなんだか泣きそうな声の蛮骨におろおろし、必死で慰める羽目になってしまった蛇骨だった。

「じゃーな、妙楽じいさん、天邪鬼!」
境内から続く石段を下りながら蛇骨は何度も振り返って手を振った。
村の人々がお詫びにと持ち込んだ作物や和尚の自家菜園から食料を分けてもらい、荷はずっしりと重みを取り戻している。
「さーて。俺達も旅立つかぁ」
残っていた小妖怪たちが蒼空の上に飛び乗る。
妙楽は天邪鬼を見つめた。
「天邪鬼や、小丸君たちと行ってもいいのだよ?」
天邪鬼は驚いた様子で大きな目を瞬かせる。
「私はずっとお前と一緒にいることはできないよ。お前は人間の世界より、妖怪の世界にいる方が幸せになれるんじゃないのかい」
天邪鬼は和尚と妖怪たちを交互に見た。小丸、舜、一角は天邪鬼に任せるといった体で微笑んでいる。
天邪鬼はしばし考えたあと、ふるふると首を振った。
「ここにいたくない」
ぎゅっとたもとに抱きつく小鬼に、妙楽はさらに顔を皺くちゃにして破顔し、抱きしめる。
「そうかい、この老いぼれと一緒にいてくれるのかい」
「じゃあな天邪鬼、また遊びに来るからな」
三匹と天邪鬼は笑いながら手を振り合う。蒼空が軽やかに駆け出す。
山門を飛び越えたとき、眼下を子供たちが境内に入ってゆくのが見えた。
「和尚さまー、あまのじゃくと遊んでもいいですかー」
元気な声が紅葉に染められた山に響く。
小さく笑って、白狼の姿は風にまぎれた。

<終>

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