城の中は夜になれば真っ暗だ。
必要な廊下に最小限の灯りを灯すのみなので、自室からそこに至るまでは本当に何も見えない。
小さな灯りを手にして、蛮骨は暗い廊下を歩いていた。
小さくとも灯りがあるので、昨夜のように頭をぶつけたりはしない。
由姫の部屋へ続く廊下には、さすがに灯りが配されていた。
手元の火を消し、蛮骨は普段と変わらぬ足取りで部屋をめざす。
部屋の前に着くと、足を止めて声をかけた。
「由姫、俺だ。
約束どおり、会いにきたぞ」
返事が返る前に、向こうから襖が開けられた。
「蛮骨さま。来てくださったのですね」
顔を覗かせた由姫は、蛮骨を部屋へ招き入れた。
警戒しながらもその色は見せず、蛮骨は中へ足を踏み入れた。
姫の部屋は、この城で今まで見た中では、一番飾り物が多かった。といっても、都などに住む金持ちの姫たちには遠く及ばないが。
勧められるままに座すると、由姫は当然のように傍へと寄ってきた。
「蛮骨さま、今夜はずっと一緒にいてくれるのですね?」
頭をもたせかけ、上目遣いに問うてくる姫と目を合わせ、蛮骨は胸中とは正反対の答えを返す。
「当たり前だろう。
そもそも俺たちをここに泊めてくれたのは由姫だ。
そのお前の願いをきかないでどうする」
手まで握って、蛮骨はできるだけ感情をこめて言う。
だが、心のなかでは自分の行動に吐き気がしている。
まさかこの自分がこんなことを言う日がくるとは。
「ああ、蛮骨さま……」
由姫は蛮骨に抱きついた。胸元に顔をよせ、感慨に浸っている。
蛮骨のほうは、身震いがしそうだった。
恐れというよりは、気持ち悪さから。
「由姫、まだ夜は長い。
そんなに急がなくてもいいんじゃねぇか?」
由姫は顔をあげた。
「私は一時でも長く蛮骨さまに触れていたいです。
明日でお別れと思うと、淋しいのです…」
俺ははやく別れたい、と胸中で毒づきながら、蛮骨はやわらかい手つきで彼女を引き剥がした。
「俺だって淋しいさ。
でもこれはお互いのためだ。
近づきすぎると、未練が残るからな。たのむ、わかってくれ」
「蛮骨さま……」
由姫はうっとりと瞳を細めた。
その瞳はまるで少女のそれではない。蛮骨より年下の少女が宿すような色とはまったく違う。
その色は、艶をはらんだ女のもの。
「由姫、聞きたいことがある。
……磯姫という妖怪を、知っているか?」
「磯姫、ですか?」
唐突に話の方向を変えられ、姫は驚いた顔をした。が、すぐに目を細め、首を傾ける。
「知りません。それより、どうしてそんな妖怪のことなど」
「退治してくれと頼まれているんだ。
知ってることがあれば少しでも聞かせてほしくてな」
「私が知るはずがありません」
先ほどとは打って変わり、彼女の返答は淡々としたものになった。
何か感付かれたかもしれない。
それならそれでいい。相手が感情的になって本性をさらしてくれれば、それこそこちらの望んだとおりだ。
由姫は再び蛮骨に身を寄せた。
「蛮骨さま。やはり耐えることなどできません。
私を、抱いてくださいませ」
おや、と蛮骨もわずかに目を瞠る。
今度は随分と性急だ。
ならばこちらも、さらに煽ってやろう。
「仕方ないな。
あとで後悔してもしらねぇぞ、『磯姫』」
由姫の動きがぴたりと止まった。
「……どういう意味です?」
眉を寄せている由姫を見下ろし、蛮骨は面白そうに笑った。
「あれ、違ったか?
わりぃ、俺の早とちりだったようだな」

「死にたいようだな」

語調が、がらりと変わった。語調だけではない、声そのものが。
体を離し、蛮骨を睨むその目は赤く、切れ込みのような瞳だった。
顔つきまで変わり、由姫の面影は欠片も残っていない。
「いらぬ詮索などしなければ、最後にいい思いができたのに、馬鹿な男よ」
耳まで裂けた口が笑いの形に歪む。
あの巻物でみた図と、よく似ていた。
長かった髪がさらに伸び、部屋の中を覆う。それぞれが意思を持ったように、うねうねと蠢いている。
蛮骨は忍ばせていた短刀を抜き、前に構えた。
急所は人間と同じ、心臓。
「蛇骨と睡骨を襲ったのはお前だろ。
始めから、食うつもりで俺らを招いたんだな」
「お前たちの肉は格別に美味そうだからねぇ。
他人の血の臭いまでたっぷり染みていて、食ってくれと言わんばかりじゃないか」
「この城の奴らも食ったのか」
「そうだよ。美味くはなかったがね。
酒をのんだヤツは私の術にかかっておびき出される。
そいつらの血を吸い取って、死体は崖から海に放ってやったさ。
あんたらが明日には出て行くっていうもんだから、せめて一番美味そうなお前だけでも食ってやる!」
言うが早いか、妖怪「磯姫」の髪が蛮骨に襲いかかった。
それを避け、磯姫の懐に突っ込んだ蛮骨は、心臓めがけて刀を振りあげた。
が、新たな髪が伸びてきて、あと少しのところでその腕を止める。
「っ……」
「馬鹿が。所詮人間がこの私にかなうことなどできん」
他の髪も、蛮骨の身体に絡み付いてきた。そして、ぎりぎりと締め付ける。
妖怪の赤い眼が、にぃと笑った。
「ああ、極上の血の臭いだ。お前を食ったらさぞ美味いだろうなぁ」
蛮骨の肩をおさえ、牙をむく。
黒い髪が、首元を締め付けた。蛮骨は苦しさに顔をゆがめる。
牙が首筋に食らいつこうとした、その時だった。
「うぐっ……」
くぐもったうめきがもれ、磯姫の身体が仰け反る。
「え…?」
髪の力が弱まり、蛮骨は解放された。
軽く咳き込んで首をさすりながらそちらに視線を向けると、磯姫の背後に誰かがいるのがわかった。
煉骨だろうか…。
一応彼にも、今夜のことは教えておいたから、助けにきたのかもしれない。
だが、ゆっくりとくずおれた妖怪の向こうにいたのは、煉骨ではなかった。
「よ、吉長!?」
そこにいたのは、刀を構えた城主だった。
「きさまっ……この城の…城、主…」
倒れた状態で、妖怪は吉長を睨みあげる。
吉長の刀は磯姫の背を斜めに斬り下ろし、傷はしっかりと心臓まで届いている。
妖怪は引きつった笑みを浮かべた。
「きさまの娘…本物の由姫は…
とうの昔に私が……」
最後の句を継ぐ前に、蛮骨がその心臓へ深々と刀を突き立てた。
ひくりと声を震わせ、断末魔の叫びを発することもなく、妖怪は息絶えた。
死んだ磯姫の身体や髪が、塵のようになってくずれていく。
その塵もまた、空気にとけるように、消えてしまった。
その様を見ていた蛮骨は、傍らの吉長を見た。
彼も冷たい瞳でそれを見つめている。しかしすぐに、そこには悲しみの色が広がった。
膝をついて、由姫の着物をたぐりよせる。
「由……っ」
蛮骨は複雑な気分だった。
妖怪だとはいえ、娘の姿をした者を斬るときの心境はどうだっただろう。
迷いのない瞳には見えたが、そこにたどり着くまでは。
「…以前から、娘の様子がおかしいとは思っていた…」
着物に顔をうずめ、城主は肩を震わせる。
「信じたくないという思いが、私の行動を鈍らせてしまった。
ゆえに、こんなにも多くの犠牲が……」
訊くべきではないかと思ったが、蛮骨は訊いた。
「娘を殺したくなかったんだろ?だったら何で……」
どうしてここに来たのか。どうして彼女を斬ったのか。
城主は蛮骨を見上げ、悲しげに笑った。
「そなただけに任せることはできぬと、やっと決意できた。
この妖怪は、城の者の命も、…由の命も、奪った。
私が仇をうたねばならなかったのだ、最初から」
すまない、と頭を下げ、城主はもう一度まっすぐ少年を見上げた。
「蛮骨どの、頼む。
私を…殺してくれ」
蛮骨は軽く瞠目し、眉をよせた。
「断る」
「頼む!
この世に生きたとしても、私にはっ……
由のおらぬこの世では生きる意味がない!!」
妻に先立たれ、最愛の娘もとうに死んでいた。この世に孤独に生きて、何になる。
だが蛮骨は、首を縦には振らなかった。
「あんたは生きろ。娘の分も、兵たちの分も。
一人で死んでった由姫のためを思うなら、あんたがきちんと供養してやらねぇとだめだろう」
「しかしっ……」
「あんたがヨボヨボのジジイになって、それこそ死んじまうまで、あんたは死んでったやつらのために生きるんだ。
……それが、あんたの責任だ」
静かな声に吉長は言葉を失った。
顔をくしゃくしゃにして、娘の物だった着物を握りしめる。
嗚咽をかみ殺して、ゆっくりと口を開いた。
「そなたの……言うとおりかも、しれんな…。
私は生きねばならんのだな……」
言い切り、顔をあげた彼の目は、意外にもしっかりとしていた。
立ち上がり、正面から蛮骨に向き直る。
「夜が明けたら、皆にこのことを伝える。
蛮骨どの、迷惑をかけてすまなかった」
いいや、と蛮骨が笑ったとき、廊下から騒々しい足音が聞こえてきた。
「大兄貴!大丈夫だったか!」
襖を開いて息をはずませているのは、煉骨だ。
煉骨は一瞬間をおき、部屋のなかの様子に目を点にした。
そんな彼の様子がおかしくて、蛮骨の顔に苦笑がにじむ。
「おまえ、遅すぎだって」

夜はすぐに明けた。
そしてすぐに昼になり、七人隊は城の庭へ集まっていた。
蛇骨たちは何やらはしゃいでいる。
「おまえら、どうしたんだ?」
問うと、彼らはいくつかの徳利を出してみせた。
「城のやつらがよぉ、あの美味ぇ酒を分けてくれたんだ。
旅にでても、しばらくはこの酒が楽しめるぜぇ!」
気の早い蛇骨は、さっそく徳利の中身をあおった。
……が。
「うげぇっ、何だこれ!しょっぺぇ~!!」
はあ?と睡骨たちが首をかしげる。
蛇骨は怒ったように言った。
「それ、海水だぜ!あ~、思いっきり飲んじまった、喉がいてぇ…」
それを聞いて蛮骨だけが、ああ、と合点がいった。
あの美酒は、もともと磯姫が城の者を術にかけるために作ったもの。蛮骨は一口も飲まなかったので、何ともなかったが。
磯姫が死んで、酒の効力がきれたのだ。そうか、もとは海水だったのか。
そこへ、城主がやってきた。
「蛮骨どの、もう出発か?」
「ああ」
「そうか。色々と世話になったな。礼を言うぞ」
城主は空を見上げた。青く晴れわたり、いい天気である。
「死んでいった者たちのために、堂を建てることにしたよ。
私は、そこに毎日お参りする。……死ぬまで、毎日毎日な」
蛮骨も強く頷いた。
「じゃぁな、俺たちもう行く」
別れを告げ、七人は城の門を抜けた。
彼らの姿が見えなくなるまで、城主はその背を見送る。
ありがとうという呟きが、風にとけた。

「大兄貴」
煉骨に呼ばれ、蛮骨は振り向いた。
「なんだよ」
「大兄貴よぉ、実はあの城主のこと、気に入ってただろ」
声をひそめた煉骨の言葉に、蛮骨はぎくりとした。
「何言ってんだ…」
「俺だって副将だ。それくらいわかってたぜ」
フフフ、と笑い、煉骨は蛮骨を追い抜いて行ってしまった。
あの頭の切れる副将には、すべて見抜かれていたようだ。
やれやれ、俺もまだまだだなあと、蛮骨も笑ってしまった。
空が青い。真夏の空だ。
今日もまた暑くなりそうだと、蛮骨は思い切り伸びをしながら思ったのだった。

<終>

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