日差しが反射して、庭の置石が白く光っている。
入り口に張り出した軒の上に、憮然とした顔の小妖怪たちが座っていた。
見張り役として蛮骨が適任と判断したのは彼らだ。
外に投げ捨てたものの、すぐにまた戻ってくるに決まっている。
そう踏んで、蛮骨は自室の前に団子の乗った皿を仕掛けておいた。
読みは当たり、まんまとやってきた小妖怪たちが団子に夢中になっている間に、彼らはまとめて捕縛されてしまったのだった。
ぽかんとする彼らに手短に経緯を説明し、否やを言わせぬ勢いで見張りをしろと言い渡した。
――なんで俺たちがそんなことを!
――お前ら言ってたじゃねぇか。朔夜の用心棒だって。
言った。確かに言った。そして今に至る。
「妖怪使いが荒いぜまったく」
屋根の上は暑い。妖怪だから多少の暑さでどうこうなるわけではないのだが、不快なのに変わりない。
三匹はじとりと軒先から見える縁側を睨んだ。
蛮骨が涼しげな顔をして西瓜なぞ食べている。
「俺も西瓜食べたい」
「美味そうだな」
「いいなぁ」
待てど暮らせど恋文の差出人と思しき人物は現れない。あまりに暇だった。
屋根の上をごろごろと転がっていると、下に朔夜がやってきた。
「ああっ、西瓜だ!」
目を輝かせる三匹に笑いかけ、小ぶりに切った西瓜が載るまな板を差し出す。
「お疲れさま。ごめんね、蛮骨に脅されたんでしょ」
「大丈夫だよ! 俺たち朔夜の用心棒なんだから、これくらいへっちゃらだぜ!」
ひとり二切れずつの西瓜に感激しながら彼らは胸を張った。
「頼りにしているからね」
手を振って、彼女は蛮骨の許に戻っていった。
西瓜に舌鼓を打ち、その後も律儀に張り込みを続けていたが、結局その日は何者もやって来なかった。
食べなくても寝なくても特に支障がない小妖怪たちは、深夜も監視を続行した。
夜が更けて、空に星が瞬き始める。明日も晴れだ。
夜の帳の中でも妖怪たちは昼と同じに見通すことができる。しかし通行人の一人も通りかかる気配はない。
「……暇だなー」
「暇だなー」
「何か食べたいなー」
でも、こんな時間では朔夜も布団の中だろう。起こすのは忍びないし、そもそもそんなことをしたら蛮骨の怒りを買いそうだ。
ため息をついた時、眼下に人影が生じた。
「ややっ、現れたなこのやろう!」
「待て、俺だ」
飛びかかってきた一角を片手で無造作に受け止めたのは蛮骨だった。
「あれ、まだ起きてたのか」
「そうか、朔夜とお楽しみだったんだな」
蛮骨は半眼になる。なんでこいつらは毎度こう癇に障ることを言うのか。
「ほら」
手に持っていた盆を差し出す。その上に載っているものに三匹は飛び上がって喜んだ。
彼らにとっては一抱えもある握り飯だった。大根の漬け物も添えられている。
「朔夜がどうしてもって心配するからな。おかげでお楽しみどころじゃねぇっつの」
さすがにここまで届けるのは引き受けた。敷地内とはいえ、怪しい人物が来るかもしれないのに夜中に外へ出すわけにはいかない。
小丸たちが握り飯と漬け物を受け取ると、蛮骨は盆を小脇に挟んで腕を組む。
「戻らないのか?」
「一応、俺もしばらく見張っておく」
もともと言いだしたのは自分だ。小妖怪たちに任せっぱなしというのも居心地が悪い。
彼らはしばらく虫の声を聞いてそこに佇んでいた。
蛮骨にあまり眠気はなかった。弟分たちは酔いどれて夢の中だが、彼はとてもそれどころではなかったのだ。
昼間より涼しい風が髪を揺らす。月明かりに雲がゆっくり流れているのが見える。
「今日は収穫なさそうだな」
四半刻ほどねばったが変化はなく、蛮骨は伸びをしながら嘆息した。
寝ようかと身を翻しかけたとき、ふと足音が耳を掠めた。
瞠目して視線を戻し、耳を澄ませる。規則正しい足音がこちらへ近付いてくる。
蛮骨は庭に生える木の影へ滑り込み、息を潜ませた。小妖怪たちが軒先から身を乗り出して様子を窺っている。
やがて、人影がひとつ現れた。ちょうどその時雲が月に重なり、姿を覆い隠してしまう。
気配は玄関先で止まり、手元をがさごそ探る音と共に小さな灯りが点った。
蛮骨が呼吸を計る。
灯りに照らされたのはどうやら男だ。間違いなく、恋文の犯人だろう。
腕を伸ばして例の軒先に文を挟み込み、彼は来た道を戻ろうと身を返した。
そこに、蛮骨が仁王立ちしていた。
「――うわあああああああああああああああああああ!!」
絶叫が響き渡る。そこに居合わせた者たちがたまらず耳を塞ぐ。
「なっ、なんだお前は! 怪しい奴! ここに何の用だ!」
男は狼狽しながらも怒鳴りつけてきた。蛮骨のこめかみにびきっと筋が立つ。
開口する前に拳を振りかぶっていた。
「それはこっちの台詞だっ!!」
小気味良い音が夜の静寂にこだました。

目を覚ますと部屋の中だった。
一発殴られて伸びてしまった男が何度か瞬きをする。
「あ、気が付かれましたか」
朔夜がほっとした様子で声をかけた。その隣では蛮骨がむすっと腕を組んで座っている。
どうして不法侵入者のこいつを看病せねばならんのだ。
かなり渋ったのだが、朔夜の困り顔に負けてしまった。
「ここは……」
「家の中です。ごめんなさい、何も聞かずに手を上げてしまって。
痛みますか?」
気遣うように問う朔夜を実に不満げな顔をした蛮骨が引き寄せた。
「朔夜、こんなやつの心配なんかしなくていい。当然の報いだ」
「もう、蛮骨」
(たしな)めるような目をする彼女に口をへの字に曲げる。だってむかつくものはむかつく。
男は朔夜を見て片眉を上げた。
「あなたは……?」
朔夜と蛮骨は顔を見合わせた。
「あなたたちは誰なんですか。どうしてこの家に住んでいるのです」
男の眉は不審そうに顰められている。
「どうしてもこうしても……」
「あの。もしかして、何か勘違いをしていらっしゃるのでは」
「勘違い?」
怪訝に訊き返す男に、朔夜は横に置いていた紙の束を差し出した。
軒先に挟まれていた恋文。それを一目見て男の目が瞠られた。
「これを時々置いて行かれたのは、あなたでは……?」
彼は恋文を手に取り、それと朔夜とを何度も見比べた。
その顔がみるみる赤くなっていくのが、薄暗い中でもよく分かった。
「た、確かにこれは…私が書いたもの、です」
語尾は消え入りそうだった。
「よ、読みました……よ、ね」
朔夜が気まずげに首肯すると彼は何やら悲鳴のようなものを上げて頭を抱えた。
「あ、あの。私たちはそれを他言するつもりはありません。
それよりも、その文をどうしてこの家に?」
恋文の束を両手に握り締めたまま、彼はゆっくりと口を開いた。
「ご挨拶が送れて申し訳ありません。私の名は誠太郎と申します。
……この文は、ここに住んでいたはずの恋人に宛てたものです」
二人は驚いた様子で目を瞬いた。
二人はもともと町の外れの、小さな家に居を構えていた。
七人隊というひとつの組織になって、人数も増えたためにこの屋敷へ移ったのだ。
ここはちょうどその頃売り家になっていたもので、立地も造りも条件が良いにもかかわらず、手ごろな値がつけられていた。
いわくがあるわけではないということで購入に至り、煉骨がさらに手直しを加えて今の状態になっている。
だが、さすがに移り住む以前の住人については全く知らない。
「私はつい最近まで地方へ赴任しておりました。ここにはずっと、恋人とそのご家族が暮らしていて、彼女とは帰ったら夫婦になろうと約束していたのです」
彼女は身体が弱く、一緒に連れて行くことはできなかった。
「一年の任期を終えて、こうして帰ってくることができたので、私はすぐに文をしたためました。
そして、以前からの習慣としてこの家の軒先に挟んでいたのです」
「どうしてそんな回りくどいことをするんだ? 直接渡せばいいだろう」
誠太郎は沈痛な面持ちをした。
「彼女の父親は、最後まで私たちの関係を認めて下さりませんでした。確かに、私には身分も財産もない。
文を渡すところを見つかって怒りに触れるのは良くないと、そこに挟むことに決めたんです」
誠太郎が夜のうちに挟み、一番早く起き出す彼女がそれを回収する。
そうやって、二人は想いをはぐくんできた。
「赴任してから、何度か文を送りました。でも返事はなかった。
お父上に見つかって強く叱られたか、彼女に届くことすらなかったのだと思います」
「…で、帰省してこうして元のように文を挟んだものの、それを受け取ったのは朔夜だった、と」
「この家を手放されているとは知らなかったのです。ご迷惑を……」
頭を垂れる彼に、朔夜はふるふると首を振った。
「いえ、お気になさらないでください。……蛮骨」
呼びかけられた蛮骨はそちらに視線を向ける。
彼女は気の毒そうな顔をして誠太郎の手元の文を見つめていた。
「この家を紹介してくれた方なら、その方たちの移り先を知っているんじゃないかしら」
「それは……どうだろうな」
腕を組んで難しい顔をする。
そういう事情を全く知らないから、仲介人に訊くこともなかった。仲介人が事情を把握していたかも微妙なところだ。
「で、できれば、その方にお話を伺いたい」
誠太郎がすがるような目をする。
「お前の方では何も見当がつかないのか? 向こうの親戚の家とか」
「彼女の家は確か親戚筋とも疎遠で…事情があったとしても、そちらを頼ることは考えにくいと思うのです」
風が吹きぬけた。昼間に比べて冷気を伴った風だ。
外に目をやるとかなり夜が更けていた。
「朔夜、さすがにそろそろ寝た方が良い。お前、誠太郎って言ったか?
明日また来い。仲介人の所へ案内くらいはしてやる」
不本意そうな顔をしながらも朔夜の前では無下にもできず、蛮骨はそう言った。
「本当ですか!? あ、ありがとうございますっ」
誠太郎の顔にわずかに明るさが戻り、がばっと頭を下げた。


「ええと、ああ。あのお宅ね。思い出した。
そうそう、あんたたちに売るちょっと前に、一家離散しちまったんだよ」
仲介人の男の言葉に、蛮骨、朔夜、誠太郎の三人は瞠目した。
「り……離散?」
誠太郎が呆然と呟く。
「あそこの旦那は自尊心というか矜持というか、そういうもんが人一倍高くてねぇ。
家計が火の車だってのに、誰かの下で働こうとか、とりあえず金を工面してもらおうとか、全くしねぇ人だった。
家族が必死にやりくりしてるの横目に、大黒柱よろしくその場から動かずふんぞり返ってたっけ」
男は店先の椅子で片胡坐をかきながら当時を思い出すように天井を見ている。
「あの屋敷だって爺さんから代々回ってきたもんで、別にその旦那が頑張って建てたもんでもねぇ。
だが一家の主がそんな体たらくだから、まぁ、結局暮らしていけなくなったのさ」
彼女の家は兄弟も多く、日々の暮らしだけでかなり切り詰めた状態だったそうだ。
先代から受け継いだ財産もそこを尽き、他に道がなくなって家を手放したらしい。
そのときに旦那は縁を切られ、多かった兄弟は何名かに分かれて散り散りになった。
その内の一組が今、村はずれの小さな家にひっそりと暮らしているということだった。
「そんな…」
誠太郎は青ざめた。自分が離れていた間にそんなことになっていたとは思いもよらなかった。
彼女は、村はずれにあるという家にいるのだろうか。それとも別の場所にいるのか。
「その家に直接行って、話を聞くしかないんじゃねぇか」
「そ、そう…ですよね」
男から件の家の場所を教えてもらい、三人は店を出た。
誠太郎が蛮骨と朔夜へ振り向き、努めて明るく笑った。
「お付き合いくださり、ありがとうございました。
これから、その家を訪ねてみます」
「お一人で大丈夫ですか」
朔夜が気遣うのに頷いてみせる。
「これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません。
そこに彼女がいなかったとしても、どこに住んでいるのか教えて貰えるでしょう。
あとは自力で何とかしますから」
もう一度深く礼を言い、誠太郎は歩き出した。
蛮骨と朔夜は顔を見合わせる。
「無事に会えるといいのだけど…」
「まぁ、当人同士の問題だ。俺たちが深入りすることでもない」
「そうね……」
首肯しながらも気遣わしげな目をする朔夜を覗き込む。
「どうした。えらく気にしてるな」
「……文が届かないのは、とても淋しいと思うの。
帰ってきてもそこに会いたい人がいないというのは、もっと辛いはずよ。
私は、自分がそういう状況になったら、不安でたまらないと思う」
朔夜と蛮骨も普段は離れているが、定期的に文のやり取りをして、凪のお陰で普通よりもそれが容易だから淋しさも紛れている。
帰ってくる、帰れば待っていてくれる、という確信もある。
それが打ち砕かれたら。
蛮骨も誠太郎の去った方角に視線を投じた。
「そうだな。
俺も、帰ってきてお前がいなくなってたら、どうなるか分からない」
朔夜は淡く微笑んで蛮骨の手に指を絡ませた。
「私はずっと、ここで待っているわ」
約束の言葉を紡いだ。

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