誠太郎に付き添ってきた者たちは、ひとまず近くの旅籠(はたご)に腰を据えていた。
まずは誠太郎一人で彼女を探し、連れ帰れなかった場合に、最後の手段として実力行使に至ろうという考えだ。
穏便に済むならそれに越したことはない。
脅し役に抜擢された睡骨と凶骨は手持ち無沙汰な様子で酒瓶を傾けた。
蛮骨と共に窓際に座っている朔夜が不安げに外を気にしている。
最初は睡骨と凶骨だけを派遣するつもりだった蛮骨だが、珍しく朔夜が一緒に行くと言うので自分も同伴してきている。
もちろん何があろうと今回は見ているだけだ。何よりも朔夜の安全を優先しなければならない。
「あっ、誠太郎さんが戻ってきたわ」
朔夜の声に、蛮骨も窓から顔を覗かせた。
外の通りを誠太郎が一人でとぼとぼ歩いている。
しばらく待っていると、誠太郎が彼らのいる部屋の襖を開けて入ってきた。
「おかえりなさい、誠太郎さん」
「会えたのか?」
蛮骨の問いに、暗い面持ちで腰を下ろした誠太郎は頭を抱えた。
「私は自分が情けない」
誠太郎はそれだけ言うと、ぽろぽろと涙をこぼした。
「おいおい、何がどうなって情けなくなったんだよ」
酒瓶を置いた睡骨と凶骨も成果を聞くべく彼に向き合う。誠太郎は何度も目元を拭い、努めて呼吸を落ち着けた。
「……彼女には――美郷には、会えました。小さい遊郭で働いていました」
彼女とのやりとりを淡々と伝える。そうして悲壮な面持ちでうつむいた。
「彼女がどんな思いでお腹の子を殺めたか、考えなくてもわかることだった。
なのに、私は咄嗟に気の利いた言葉も言えず、すっかり放心してしまって」
帰ってくれと言われるままに、店を出てしまった。これでは逃げ出したのと同じではないか。
何が独りにしないだ。何が守るだ。自分の安い言葉に殺意すら覚える。
「美郷はきっと、こんな私に幻滅したことでしょう。私にはもう、彼女の夫になる資格なんか…」
「それは……違うのではないですか」
朔夜の凛とした声が響き、蛮骨はわずかに目を瞠って隣に座る彼女を見た。
「本当の気持ちはご本人にしか分かりませんけれど…
私には、誠太郎さんを巻き込みたくない一心だったのではないかと思えます」
決して嫌ってもいないし邪魔だとも思っていない。会えて本当に嬉しかったはずだ。
「誠太郎さんの幸せを願って、身を引かれたのではないでしょうか」
「っ……」
朔夜の言葉に、誠太郎の目から新たな雫が湧き出す。
蛮骨が腕を組んで笑んだ。
「見つかったならあとは連れ帰るだけだな。まだ諦めるのは早いぜ誠太郎」
「おら、辛気臭く泣いてんじゃねぇよ。別に死んだわけじゃねぇんだろ」
睡骨も口端を吊り上げた。
そうだ、生きていれば何とでもなる。どこからだってやり直せる。
誠太郎は袖で涙を拭って大きく頷き、畳につくほど頭を下げた。
「力を、貸してください! どうか、どうかお願いします」
もう一度彼女に会う。そして、必ず連れ帰る。

西日が窓から赤く差し込む。
この真っ赤な日差しはすぐに闇に覆われて、じきに夜を連れて来るだろう。
夜は長い。客も酒を大量に飲んで加減がなくなるし、昼間に相手をするより面倒だった。
常連が自分の肩を抱きながら酒を煽っているのを見て、美郷は心中で息をついた。
(誠太郎さん……)
きっと傷ついただろう。自分はあえて傷つけるような言い方をした。
傷つけて、嫌われて、二度とここに来ないのが一番だと思ったから。
(私はあなたの妻に相応しくないから。もう、私のことは忘れて……)
最後にもう一度会えて嬉しかった。でも、もう忘れてほしい。
自分のことを覚えている限り、彼は幸せになれないだろう。
「美郷、今日は何人相手した?」
「昼間にお一人を…」
客の男が冷やかすように問いかけるのに、何の感情も抱かぬまま偽りなく答える。
「ふぅん。んで? 俺とそいつとどっちが上手い」
くだらない。思い人でなければ、誰に抱かれても感想は同じだ。
「まぁまぁ。私が相手しているのは、あなたとその方だけではないのですから。
いちいち手管まで覚えておりませんわ」
「へへ。客は所詮客、金のなる木かい? 汚い女だな」
「そう仰らないで」
男が喜ぶようにしなを作って甘えた声を出してやる。男の手が着物の中に滑り込んだ。
「気が早いですよ。まだ日も落ちていないのに」
「期待してるんだろうに。良いもんだなぁ女は。悦楽ついでに金稼ぎできるなんてな」
目の前の下衆な顔を張り倒したかった。誰が好きでこんなことをするものかと叫んでやりたかった。
(誠太郎さん……ごめんなさい)
客から見ても醜いこんな女を、迎えに来てくれた。それだけで幸せだ。
男が唇を吸おうと顔を寄せてきたとき、外から何かが割れる音と悲鳴が聞こえてきた。
「何だ?」
男は身体を離し、障子窓を開けて外を見た。美郷も隣に立ち上がって視線を投じる。
見たこともないほど大きく、凶暴な顔つきの男と、背が高くこれまた羅刹のような形相の男が店先に立っている。
その足元には傘立てにされていたはずの大きな壷がばらばらに砕けて転がっていた。
そして美郷の目が見開かれる。
二人の男に挟まれる形で、誠太郎が仁王立ちしていた。
誠太郎が高らかに叫ぶ。
「美郷!! 帰るぞ、出てくるんだ!」
「ああ? 美郷って、あいつお前のこと呼んでるのか?」
隣に立つ男が首を傾げる。
美郷は誠太郎を凝視していた。
番頭が外に出てきて彼らに怒鳴りつける。
「あんたら、なんてことしてくれるんだ! どういう了見か知らんが――」
「美郷を出せ! 店を壊されたいのか!」
番頭を睨みつけて誠太郎が叫んだ。両隣の凶悪そうな男たちに睨まれて番頭は恐怖におののく。
「あ、あんたぁ昼間に来た人だろ!? 昼間だって美郷に会わせてやったじゃないか!
なのに抱きもしない料理も食わないで帰って、ひどい客だった!」
美郷を金儲けの道具としか思っていない言葉に、誠太郎は眦を決する。
「私は客ではない! 美郷は私の妻だ!」
美郷の瞳が大きく震えた。隣の男があきれたような息をつく。
「何言ってんのかねあいつ。大方、お前に入れ込んでる客だろ?
わかってねぇよなぁ。お前は今から俺に抱かれるっつーのに、妻も夫もねぇだろ」
興味を失った風情で、男は美郷の肩に手をかけて着物を落とそうとした。
「はなして!」
その手をぱしんと引っぱたき、美郷は夢中で駆け出した。
「誠太郎さん……誠太郎さん……!」
涙が次々に溢れて視界が滲む。客も女も突き飛ばしながら廊下を一心に駆ける。
助けてほしい。忘れないでほしい。ずっと傍にいてほしい。
抑えていた思いが溢れかえり、熱い雫となって頬を伝っていく。
裸足のまま店の外に走り出て、誠太郎の胸に飛び込んだ。
「美郷…!」
「誠太郎さん、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
ぼろぼろと涙をこぼす彼女を抱きしめ、誠太郎も泣きそうな顔で笑った。
「ふざけるんじゃないよ! そんな勝手は許されないぞ!」
怒り心頭な番頭が美郷を引き剥がそうと手をかける。だが、睡骨がそれをひねり上げた。
「誠太郎よ、感動の再会は後でだ。とりあえず逃げな」
「はい!」
誠太郎は美郷を横抱きに抱え上げ、全速力で駆け出した。
「こら待て!」
番頭と、店に勤める男たちや用心棒がわらわらと追いかけて来たが、一様に凶悪そうな二人に阻まれた。
「誠太郎さん……」
「美郷、私の妻になってくれ。一緒に、幸せになろう」
全力で走りながら誠太郎は子供のような笑顔を向ける。
美郷は濡れた瞳で眩しそうに微笑み、「はい」と答えた。
「誠太郎、こっちだ」
突き当たりで二手に分かれた曲がり角の一方から蛮骨が手招きした。
誠太郎を先に行かせ、通り町の喧噪をちらと眺めて嘆息する。
「穏便にしろって言ったのに…」
力を伴う脅しは最後までとっておけと言い聞かせた気がするのだが、まさか初動で壷を壊すとは思わなかった。
まあ良いかと身を翻し、誠太郎の後を追う。
彼らは一目散に町を出て、手近な森の中へ逃げ込んだ。
待っていた朔夜が駆け寄ってくる。
「蛮骨、上手くいった?」
「うーん、終わり良ければ良いんじゃなかろうか」
渋い表情から何となく経緯を察し、朔夜も苦笑を浮かべた。
「蛮骨さん、朔夜さん、本当にありがとう。
皆さんのおかげで美郷を連れ戻すことができました」
美郷を草の上に降ろすと、二人は揃って深く頭を下げた。朔夜がほっと息をつく。
「良かった…。これで夫婦になって、ずっと一緒に暮らせますね」
二人は手をつなぎ、頬を染めて微笑み合った。
「これからどうしましょうか、誠太郎さん」
「町に戻ったらご家族に挨拶をして、あの町とは別の場所に移ろう。
遊郭の連中が追ってこないとも限らないし」
小さな店だったのでそこまで執拗(しつよう)ではないかもしれないが、隣町というのはいささか危険だ。
睡骨たちとの合流を待って、彼らは居を構える町へと引き返した。

それから数日後。
早朝、七人隊が滞在する家に誠太郎と美郷が訪ねてきた。
二人は旅装束だったが、美郷の髪には花簪がさりげなく揺れている。
「発つ前にもう一度挨拶したいと思って」
家には上がらず、庭先で別れの言葉を交わす。
美郷は元住んでいた家を懐かしげに見上げた。
「この家を買ってくださったのがあなた方で本当に良かった」
「そうだね」
誠太郎も屋敷を眺め、深く頷く。
二人はこれから町を出て、他の土地で暮らしていくのだと告げた。
そしていつかは、離れ離れになった美郷の家族も呼んで、元のように一緒に暮らしたいと。
そろそろ出立しようかと頷き合う二人を朔夜が呼び止める。
「忘れるところでした。これを」
差し出されたのは事の発端になった恋文の束。
「まぁ」
目を丸くしてそれを受け取り、美郷は笑った。
「朔夜さんに読まれてしまいましたか」
「本当にお恥ずかしい…」
赤面してうつむく誠太郎に、美郷が微笑みかける。
「何を言うの。私の宝物ですよ」
丁寧に畳まれた文を胸に抱き、彼女は幸せそうな顔をした。
二人の姿が朝靄に霞んでいく。
その背を見送って、蛮骨はやれやれと息をついた。
朔夜は隣でその顔を見上げ、目元を和ませ微笑んだ。

<終>


 

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