まもりがたな

轟音が地を震わせる。
黒煙がいたるところから立ち昇る戦場で、七人隊は戦の先陣を切っていた。
彼らが属すは樋川(ひのかわ)。対する国は外沼(そとぬま)という。
七人の通るあとに残るは、恐怖の表情を貼りつかせた骸の海。
高台の本陣からその様を見下ろしていた外沼城主は、ぎりりと歯を食いしばる。
「情報と、違うではないか……っ!」
「食い止めることかないませぬ。このままではいずれここに――」
傍に片膝をつく家臣の言を、将軍は持っていた軍配を投げつけることで遮る。
「軍を引かせろ!勝てる見込みのない戦など続けぬわ」
立ち上がり、大股で陣の奥へ引き上げる。ここに馬鹿正直に座っていれば、一刻もしないうちに首がなくなるだろう。
「七人隊……これほどの力とはな」
最後に一度だけ戦場を顧みて、城主は憎々しげに呟いた。

「ちぇー、大将はとっととトンズラかよ。つまんねぇの」
頭の後ろで手を組み、唇を尖らせながら蛇骨が呻いている。
戦場では好き勝手に分散していた七人隊だが、ぞろぞろと退いていく敵兵に拍子抜けしてつい先ほど合流したところだ。
聞くところによると、どうやら戦は終了してしまったらしい。大将首を取るまでもなく、向こうが白旗を揚げたようだ。
最初は数の差で圧倒的な劣勢だった。敵は勝利を確信していたことだろう。
七人隊は二日前に領地内を偶然通りかかり、これぞ神の御加護と城の者たちに拝み倒された末に参戦した次第である。
誰も予期せぬ戦力の増強だった。
そして今、まさに七人隊の鬼神のごとき強さに恐れをなして、敵軍は撤退していった。
大逆転に家臣から雑兵までむせび泣いている光景はなかなか見ものだ。
宴の席で、なぜかものすごく上座に座らされている蛮骨は、頭の隅でそんなことを考えていた。
彼のもとには我も我もと酒瓶片手にやってきては酌をする。自分はいいが、隣りの煉骨がすでに潰れている。
「俺たちは負けを確信してたんだ。あんな大群相手に勝てるわけねぇと。
それがこうして生き長らえて、土地も人も奪われずにすんで……」
酌をしにきた何番目かわからない男が、目にいっぱい涙を溜めて鼻をすすりあげた。
ちなみにこの類の話は、この半刻で十回は軽く聞いているような気がする。
「七人隊の皆さんは神様だ。俺は今後あんたらを崇めることにする。
妻にも子供にも、いや、村中の奴らみんなに信仰を……」
「ああ。やめた方がいい」
自分で言うのもなんだが、教育上よろしくない。
引きつった笑いでやんわりと一蹴すると、男はさらに三回ほど礼を述べてから去って行った。
今度はその後ろに並んでいた男が進み出る。そのまた後ろにも何名か並んでいる。
(はぁ……)
そっと溜息を吐く。
最初は快く感謝の気持ちを受け取っていたが、さすがにうんざりしてきた。
今回の仕事は、七人隊にとって別に骨の折れるようなものではなかったのだ。暴れ足りないと、おそらく誰もが思っている。
むしろ蛮骨は、感謝の盃に応えることにこそ疲労を感じているのだった。
煉骨に丸投げしようにも、本人は夢の中である。
早く終われと内心で呟く間にも、目の前の男は涙に顔を光らせながら礼を述べている。四分の三は聞き流した。
その時。三間を一繋がりにした広大な宴席の襖を開く者があった。
「蛮骨どの。七人隊の蛮骨どのはおられるか」
顔を上げると、城の家臣らしき老人がきょろきょろと視線を巡らせている。
これ幸いと蛮骨は立ち上がり、家臣のもとへ向かった。
「俺が蛮骨だが、何か用でも?」
「おお、そなたが。説明は行きながらいたす、付いて参れ」
言うが早いか、家臣は再び廊下へ出て行く。自分をどこかへ連れて行こうとしているのだろうか。
何はともあれ、宴の席から抜けられる好機だ。蛮骨は素直に後に従った。
「申し遅れたが、私の名は源兵衛(げんべえ)。若様のお世話係を務めさせていただいておる者じゃ」
「はぁ」
道すがら、白髪頭の老臣は手短に名乗った。
「その若様が、そなたにぜひ会うてみたいと(おお)せであらせられるのだ」
「……何故(なぜ)ですかね」
「それは存ぜぬのぅ。私も詳しいことは聞かされておらぬゆえ」
若の部屋へ案内する源兵衛も首を傾げている。
まあ、傭兵の自分に会いたいとなると、目的はいくつかに絞られるだろう。
今回の戦功を称えたい、これまでの武勇伝を聞かせてほしい、といったところだろうか。
いずれにせよ、若君の相手をすれば今日の仕事は終わりだ。その後に先ほどの宴席に戻るつもりもない。
階段をいくつか上り、喧騒の届かぬ落ち着いた部屋が立ち並ぶあたりに差し掛かったとき、源兵衛がくるりと振り向いた。
「この先が若様のお部屋である。くれぐれも、くれぐれもご無礼のないように」
念を押され、わかったと頷くと彼は膝をついてそろそろと若君の部屋の襖を開く。
「若、蛮骨どのをお連れいたしました」
「ああ、御苦労。お通ししてくれ」
応じたのは想像していたよりも若い声だった。
源兵衛が中へ踏み入り、蛮骨は入口付近に端座して礼の形をとる。慣れない所作なので、見様見真似だ。
「拝謁(たまわ)り光栄です。蛮骨と申します」
適当に頭に浮かんだ挨拶の言葉を口にすると、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「あなたが蛮骨殿か。いやいや、お顔をおあげくだされ」
目を(しばたた)かせ、ゆっくりと顔をあげると、すぐそばに蛮骨よりもいくつか年下かと思われる少年の姿があった。
「お話には聞いております。今回の戦では大層な活躍をお見せくださったとか。
さぁ、こちらへどうぞ」
若君は親しげに微笑み、奥に用意された座布団を示す。
茶や菓子も用意されているようだったが、今まで酒を飲まされていた身としてはこれ以上腹に物を入れたくない心境でもある。
あらためて座布団に腰を下ろすと、向い側に座った若君はにこにこと蛮骨を眺めた。
源兵衛は蛮骨の後方に座し、静かに彼らの様子を見守っている。
「あの……?」
「あ、失礼いたしました。こちらの自己紹介がまだでしたね。
(それがし)能俊(よしとし)と申します。いずれは父の跡を継いでこの城を任される身でありますが、まだまだ未熟な若輩者にございます」
「はあ」
「某は今回、戦場へ行くことはかないませなんだが、七人隊の帰還をこちらの窓より目にし、その雄姿に感動いたしました。
特に蛮骨殿はひときわ輝いて見えました」
「それは……勿体ないお言葉、ありがとうございます」
非常に反応に困る褒め言葉だが、偉い人に何か言われたらとりあえず頭を下げておく。
粗相(そそう)があって報酬を減らされたりしたら、仲間から睨まれかねない。
できるだけ丁寧に礼をすると、能俊はあわてたように手を振った。
「そ、某は自分の感想を申したまでです。どうかそのように硬くならず。頭を下げるべきは某の方にございますれば」
「……と、いうと?」
自分は若君に頭を下げられる覚えなどない。
能俊は擦り膝で蛮骨との距離を詰め、その瞳を真正面から見つめた。
「某、蛮骨殿に惚れ申した」
「―――――――――」
思考が停止し、言葉の解釈に通常よりも時間がかかる。
「………………はい?」
やっと出した声が制御を破ったのか、自分の血の気が音をたてて引くのがわかった。
身の内の危険信号が一斉に鳴り響く。
蛮骨は思わず座った状態でさっと後退した。失礼だの何だのという言葉は頭からすっぱり消えている。
「は、え、あ、や、何言って? え? いや、無理です」
「蛮骨殿?」
「いやいやいやいやすみませんけど俺には全く少しもこれっぽっちもそういう気はありませんし。
確かに七人隊には男しかいないですけど、俺にはちゃんと心に決めた女性もいますしこんな所で道を踏み外すわけにいかないっていうか」
さすがにこれに頭を下げて礼を言うことはできない。引き換えに大切なものをたくさん失ってしまうような気がする。
「首切られても舌抜かれても無理です嫌ですごめんなさい」
なぜか頭の中に蛇骨の顔がぐるぐる回っている。どうしよう。
「蛮骨殿、何をおっしゃっているのですか?」
能俊はきょとんと不思議そうな顔をしている。
しかし、蛮骨の反応を整理して何事かに気づいたらしい。
「あ――、もしかすると」
そして盛大に吹き出した。
「ば、蛮骨殿っ。よもやそういう意味で捉えておられるとは!
あははははっ、そんなわけ、ないではありませぬか……」
身をよじって笑い転げている。今度は蛮骨が茫然とした。
「え……」
能俊のなかなか収まらない笑いを見て、次いで背後に視線を向けると源兵衛の渋い顔がある。
青くなった顔が、徐々に赤くなってゆく。
「何か、聞き違いを……?」
「い、いえいえ、こちらの言葉が足りませなんだ。しかし蛮骨殿は冗談がお上手ですね」
眼尻の涙をぬぐって、ようやく若君は立ち直る。
「某が惚れたのは蛮骨殿の腕に、でございますよ」
蛮骨は目を瞬いた。
そうか。確かにこれまでの話の流れを思えば、普通はそう捉えるに決まっている。
蛇骨という危険要素が常に身近にあるがために、過敏な反応をしてしまった。
途端、火を噴くほど顔が赤くなる。
背後からごほん、とわざとらしい咳が生じる。
そろそろと首を巡らせると、老臣が額に青筋を立てているではないか。
「も、申し訳ありません。ご無礼この上なく……」
慌てて平身低頭すると、能俊は快活に笑った。
「いえいえ、こんなに笑ったのは久しぶりです。それよりも蛮骨殿、あなたの得物は大鉾ですよね」
「はあ」
「剣術はいかがですか? 心得ていらっしゃいませぬか?」
「剣術?」
突然の問いに蛮骨は首を傾げる。
「多少は……身につけていますが」
彼の返事に、能俊はおおっ、と目を輝かせる。
「なれば蛮骨殿、お願いしたき儀がございます!」
「な、なんでしょう?」
新しい仕事の依頼だろうか。などと考える蛮骨の前で、若君は興奮気味に口を開いた。
「某の師匠になってくださいませぬか!」
「―――――――は?」
思い切り間抜けな反応をしてしまう。
師匠。
師匠。
師匠とはつまり先生。つまりはこの若君を弟子にして剣術の手ほどきをすると、そういうことか。
この自分が。一介の傭兵にすぎない自分が。
「どうして俺が」
正直な疑問が口をつく。
「若君なら、望まれればもっと優秀な人を師匠にできると思うんですけど。
俺はこの通り、ろくに礼儀も作法も知りませんし、かえって悪影響かと」
「いいえ、某は蛮骨殿にお願いしたいのです。実践ですぐに役立つ剣術を学びたい。
短い期間でもかまいませぬ、どうか……っ」
能俊は畳に額がつくほど頭を下げた。それを見て源兵衛が身を乗り出す。
「若っ、そのように軽々と頭を下げてはなりませぬ!」
「何を言うか爺、頼みごとをするのに礼を尽くさずしてどうする!」
蛮骨を挟んで言い合いが始まる。老臣が何と言っても、能俊は畳に頭をつけたままの姿勢を貫いている。
「わ、若君。顔を上げてください。ほんとに、俺はそんな大層な人間じゃないんで」
見かねた蛮骨が声をかけても、能俊はふるふると首を振るばかりだ。
「蛮骨殿に引き受けていただくまで、こうしております」
困り果てる蛮骨である。
こうなれば老臣の怒りの視線は、なかなか承諾しない蛮骨に注がれることだろう。
蛮骨は内心で大きなため息をついた。
「俺は人にものを教えたことなどありません。若君に怪我をさせる可能性が高い」
「かまいませぬ。某を少しでも強くしてくだされ!」
「どうして強くなりたいんです?」
若君の肩がわずかに揺れた。
「い、今は……お話しできませぬが、後で必ず話します」
それはこの場に家臣がいるためだろうと察せられたので、深くは問わないことにする。
たっぷりと逡巡(しゅんじゅん)した後、蛮骨は肩をすくめた。
「……俺が剣術を教えれば満足なんですね」
その言葉に能俊はぱっと顔をあげる。
「では、ではっ……」
「俺で良ければ」
ほとんど投げやりに言い、蛮骨は頷いた。
「まことですか! ご無理を聞いていただいて、何とお礼を申せばいいやら…。
そ、そうだ蛮骨殿、師を務めてくださるのでしたら、実を言うともう一つお願いしたきことが」
「はい?」
今度は何だろうか。まぁ、剣の先生になれなどという突拍子もないことであれば聞いてやろうと、耳を傾ける。
顔を上げた能俊は姿勢を正した。
「蛮骨殿は某の師匠になるので、敬語は不要です。どうぞ身分など考えず、対等に接していただきたい」
「へ……いや、それはさすがに」
「この通りです! 某はこれまで大した苦労もなく、皆から大事に育てていただきました。
そろそろ『上から目線』というものに慣れ、跡取りとして様々な立場からの物の見方を知りとうございます」
一介の傭兵の蛮骨からしてみれば無茶苦茶な理由である。
(なんでそんなの、俺に頼む!?)
「お願いできませぬか、蛮骨殿」
若君の懇願の眼差しが突き刺さる。蛮骨は逃げ道を求めるように、源兵衛を見やった。
この老臣なら、いくらなんでもそんな無礼なことはさせないはずだ。
が。
「……若様のお決めになったこと。爺に異存はありませぬ」
源兵衛は悩ましげに頭を抱えながらも、能俊の意見を尊重した。
だが視線はしっかりと蛮骨を向いており、「若君に無礼を働いたら許さぬ」と告げている。
能俊に目を向ければ、好奇心の強そうな瞳がじいっと見つめてくる。
逃げ場がない。
蛮骨はあえて二人に聞こえるように吐息した。
「わかりました。…じゃなくて、わかった。若君の仰せの通りにしよう」
能俊の顔が再度明るく輝いた。
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします、蛮骨殿!!」

割り当てられた自室の襖を開けて、そこにすでに寝床が整えられていることに素直に感動を覚える。
若君の部屋を辞すと同時にどっと疲れが押し寄せてきた。身体に残る酒が、珍しくも不愉快で仕方ない。
「ああ、寝る前に言っといた方がいいかなぁ」
そのまま布団に飛び込みたい気持ちを何とか抑えて、蛮骨は隣室と仕切られた(ふすま)を開ける。
「煉骨」
開いた先は暗闇だった。耳を澄ませば規則正しい息遣いが聞こえてくる。
そういえば先ほども酒で潰れていた。
「煉骨さーん、なぁなぁ煉骨さんてば」
部屋の中心に延べられた寝床に近寄り、掛布(かけふ)の盛り上がりをつつく。
「れーんーこーつーさーん。なぁなぁ、起きてくれない?」
だが煉骨に起きる気配はない。
蛮骨はふっと微笑み、その耳元に囁く。
「起きないとくびり殺すぞー」
「起きる」
ぱっと煉骨が上体を起こした。蛮骨が半眼で(うな)る。
「起きてるならさっさと起きろ」
「今起きたんだって」
「嘘つけ。最初の呼びかけで起きただろうが」
ふん、と不機嫌そうに髪をかきあげる蛮骨に、煉骨は眉をひそめた。
「で、大兄貴は酔いが回ってらっしゃるのか? あいにく俺には話し相手になるほどの余力がない」
「酔いも覚めるようないい知らせを持ってきたんだよ」
蛮骨は、今し方若君の部屋で交わしてきた、もとい否応(いやおう)なく交わされた約束を煉骨に余すところなく聞かせてやった。
しばしぽかんと口を開けている煉骨である。
「えーと、大兄貴が若君のお師匠さんになって、なおかつ『上から目線体験会』も同時進行……と?」
「呑み込みが早くてよろしいね。ってことで、俺はまず間違いなく周囲から見て無礼千万な客人になることだろう」
煉骨も、仕方なかろうと頷く。
「ということで、せめてお前ら六人には(つつ)ましやかに生活していてほしいわけだ。特に蛇骨とか蛇骨とか蛇骨とかな。
俺に加えてあいつが何かしでかしたりしたら、全員の肩身が狭くなるだろ」
剣術の稽古をつけるということは、必然的に滞在期間を延長することになる。
その滞在期間を心安らかに過ごすには、いかに作法に(うと)い傭兵集団といえども「お行儀よく」せねばならない。
「うん。まぁ、そうだな」
「お前は物分かりがいいよな?」
「…………」
煉骨は口を真一文字に引き結び、是とも否とも答えない。
「あいつらの監視役、頼む」
顔の前で両手を合わせぐっと頭を下げる蛮骨に、煉骨は脱力気味に肩を落とした。


窓のごく近くで小鳥のさえずりがあり、のろのろと目を開く。
傭兵には勿体ない広さと調度品がしつらえられた部屋には、すでに陽光が明るく射し込んでいた。
大した疲れも残っておらず、いつものことながら二日酔いの気配もないので、蛮骨はそのままむくりと起き上がる。
うーんと伸びをして、顔を洗いに井戸へ向かった。
途中で仲間達の部屋の様子を窺ってみると、自分以外はまだ誰も起きていないらしい。
早朝と言うには遅い時間だが、一番遅く寝た自分が一番早く起きているというのも何だか(しゃく)だった。
気分を払拭(ふっしょく)させるべく、冷たい井戸水でばしゃばしゃと顔を洗う。
十分に目が覚めたところで、脇から手拭いを差し出される気配に気がついた。
「おお、悪い悪い」
仲間の誰かが起きだしてきたのだろうと顔を上げると、眼前に能俊(よしとし)がいた。
「わあっ!? わわわ、若君……!」
予期せぬ事態に柄にもない声を発してしまう蛮骨に、能俊はわずかに眉根を寄せる。
「蛮骨殿、ちがいます。若君ではありません。呼び捨てでお願いします」
「え? ああ、えーと……お、おはよう能俊……どの」
「次からは『どの』も取ってくださいね。おはようございます師匠、お身体には疲れなど残っておりませぬか?」
「ああ、それは大丈夫だ」
師匠という呼ばれ方はやはりしっくりこないが、気にしていてもきりがない。
「すぐに朝餉(あさげ)を運ばせます。稽古(けいこ)は……」
「じゃあ、朝飯を食べたら始めるか」
能俊は目を輝かせた。
「はい! 城の裏手に道場がございますので、そこでお待ちしております!」
うれしそうに笑うと、ぱたぱたと走り去っていく。朝餉の支度を言いつけに行ったのだろう。
足音が聞こえなくなると同時に、頭痛を覚えて蛮骨は頭を押さえた。

城の裏手と言えば、蛮骨たちの寝泊まりする部屋からさほどの距離もない。
傭兵には不釣り合いな明らかに豪勢な朝食を気まずい気分で腹に入れた蛮骨は、道場への道を一人で歩いていた。
そこへ通りかかった他の傭兵が声をかけてくる。
「おお、あんた七人隊の頭目さんだろう。いやぁ雇われ兵の内でもけっこうな噂だぜ」
「そりゃあどうも」
「聞いた話だが、ここの若様に稽古をつけることになったんだって?」
「ああ」
いつ誰がどうして知ったのだろう。自分は煉骨にしか話していないはずだが、彼がそんな無駄な吹聴(ふいちょう)をするようにも思えない。
「あんたも大変だねぇ、同情するぜ。俺は一回だけ若様が鍛練(たんれん)してるとこを見たことがあるんだが……」
「うん?」
「あれはなぁ。こう言っちゃ失礼なのはわかってるが……ものすごく、弱い。ものすごくな」
「……そんなにか?」
「ははっ、手加減して適当に相手してやりゃあ満足すると思うぜ」
肩をすくめて笑うと、男は蛮骨の横を抜けて行ってしまった。
さらに少し歩いて行くと道場の屋根が見えてくる。道着姿の者たちがちらほらと行きかっている。
道場の正面に人だかりがあった。
「おっ、師匠のお越しだ」
蛮骨に気づいた一人が声を上げると、人だかりがさっと割れた。
中から、困り顔の若君が駆け寄ってくる。
「蛮骨殿、すみません。いつもはこんなに人が多くはないのですが……そもそも、某が剣を習うことがなぜこれほどに知れ渡っているのか」
それは心配症の老臣が触れ回っているからではないかと、蛮骨は踏んでいる。
「構わない。道場が混んでるようなら、他の場所でもできるさ」
兎にも角にも二人は道場の中へ足を踏み入れる。外の雰囲気とは打って変わり、中で真面目に竹刀(しない)を振っている人間はごくわずかだった。
そのわずかの人間たちも、若の姿を目にするなり頭を下げて辞していく。
見物の野次馬を外に追いやり、蛮骨はふぅと息をついた。
「正直、何から始めればいいのかもよく考えてなくてな」
壁に掛けられた竹刀を二本持ち出し、一つを能俊に手渡す。
「とりあえず、打ち合ってみるか」
「へっ?」
能俊はぱちくりと目を丸くして蛮骨を見上げた。
「若…能俊の今の実力を知りたい。ああ、形がなってないとかは気にするな。
俺もほとんど我流だし、そこまで細かく教えられない」
「は、はい……」
蛮骨と適当な間隔をあけ、能俊は竹刀を構える。その目には、なぜだか必要以上の緊張が見て取れた。
「まずはそっちから攻めてきてくれ」
「はい」
数回の呼吸の後に、能俊は足を踏み出した。
「やああっ」
ぺしん。
およそ、竹刀同士がぶつかったとは思えない軽い音が響く。
横に構えて攻めを受けた蛮骨は、さすがにぽかんと口を開けた。
攻めと受けの体勢で竹刀を交差させたまま、次に何をすればいいのか分からず、能俊は蛮骨に視線を向けた。
「え、えっと……」
「そのまま、ひたすらに打ち続けろ」
「は、はいっ」
能俊は竹刀を再度振りかぶり、蛮骨のそれに振り下ろす。
ぺしん。
ぺしん。
ぺしん。
ぺしん。
一振りごとに速度が弱まる。
その上、威力がほとんどない。これでは片手で楽に受けられてしまう。
さらに、五回目に振り下ろす頃にはすでに能俊の息が上がりつつあった。
肩で息をする能俊が、ふらりとよろめく。
数歩下がって足をもつれさせ、能俊は転倒した。
「若君!?」
ぎょっとした蛮骨は慌てて駆け寄り、彼を覗きこむ。
胸を上下させる能俊が息も絶え絶えに口を開いた。
「すみませ……自分で頼んでおいて、お恥ずかしい…話ですが、某の今の実力とは、これしきのものなのです……」
蛮骨は青くなった。本人の頼みのためとはいえ、若君が倒れるなど言語道断だ。ここに源兵衛がいたら何を言われた事か。
しかし、これはひどい。ここへ来る途中に会った男も言っていたが、予想以上だ。
これでよく剣の師になってくれなどと言えたものだと、蛮骨はいっそ怒りすら覚えた。
「蛮骨殿……某は、強く、なれますでしょうか……」
ふざけるなと言ってやりたかった。これでは鍛える以前の問題だ。自分をどれほどの長期間ここへ留めておく気なのか。
半分睨むような形で能俊に目を向けた蛮骨は、思いがけず真摯(しんし)な表情に行き合って息を詰めた。
「某は、昔から武芸が苦手です。体力もなく、女子(おなご)のように室内で育って参りました。
竹刀を初めて握ったのも、ほんの数か月前です……」
「数か月?」
息遣いの落ち着いてきた能俊は、困ったようにはいと微笑んだ。
「某は周りの者に教えを請いましたが、爺は心配症が過ぎる性質(たち)でして。
あれの目の光る中で某を鍛える役など、誰も買いたがりませんでした。
無理に我がままを通すのも申し訳ないので、人のいなくなった頃に、ここで自己流の訓練を重ねて過ごしてきました」
結果、能俊の自己流の努力は残念ながら実らなかったようだ。
「源兵衛殿は若君がご自分を鍛えようとすることに反対なのか?」
「いえ、決してそういうわけではないのです。ただ、城中の者は、やはり爺や城主(ちちうえ)の怒りを買ったときのことが怖いのでしょう。
それは外部の先生でも同じこと。城から金で雇われるわけですから」
鍛錬に怪我はつきもの。もしもそれで首を切られるようなことがあってはかなわない。
「……俺は、金で雇われてるわけじゃないと?」
半眼になった蛮骨に、能俊はぶんぶんと首を振る。
「そっ、そういう意味ではありませぬ! 蛮骨殿に教えを請うことは某と爺の間だけの秘密なのです。
ですから、このことに城は関与せず、かかる費用も某が負担します。加えて蛮骨殿は傭兵。
万が一そちらに不都合が生じた時には、すぐにでも城を()てるようにはかることもできましょう」
「秘密にしては、そこら中に知れ渡っていたように見えたが」
「う……」
若殿は両手で頭を抱えて「爺……」とうめいた。
心配性な老臣が、ほんの数名に漏らしたために瞬く間に広まってしまったようだ。
「大丈夫なはず…です。爺と約束を致しました。此度(こたび)のことについては何があっても口出しをするなと」
「はぁ」
その約束に効力があることを期待する蛮骨である。
能俊は立ち上がり、頭を掻いて蛮骨に頭を下げた。
「無様な姿をお見せしてしまい、お恥ずかしゅうございます。某は、強くなりとうございます」
蛮骨は腕を組んで思案する。
正直、なんとなく想像していたような訓練法では太刀打ちできない気がする。
自分とてきちんとした師から学んでいるわけではなく、ほとんど自己流だ。務まるだろうか。
「……失礼ですが、若君」
「あ! 蛮骨殿、いつの間にか口調が敬語になっております」
そうだった。驚愕のあまり忘れていた。
「よ、能俊。こう言うと失礼だとは思うが、今の実力を見るに、俺の滞在できる期間でお前を『強く』するのは…正直言って難しいと思う」
一言発するごとに背筋が寒くなるような気がする。背後にあの老臣がいる気がしてならない。
蛮骨の言に能俊は目に見えて暗くなり、うなだれた。
肩を落とす若君を元気づけようと、あえて明るい声を出す。
「能俊が無理して強くならなくても、いざとなれば家臣や皆が守ってくれるだろ?
そんなに気負うこともないと思うぞ」
能俊は黙然(もくぜん)と唇を引き結んでいる。
「……能俊?」
「遅すぎますよね。強くならねばと気付くのが。ぬくぬくと育ってきたくせに、何を今さらと思われても仕方ないです」
もしかしたら、自分は何か酷いことを言ってしまったのかもしれない。
多少の後悔をしていると、能俊が「でも」と口を開いた。
「せめて今よりも、少しでも、強くなりたいんです」
家臣の目を盗んで、こっそりと道場で鍛錬に励む者たちに手合わせを請うたこともあった。自分の実力を知りたかった。
だが、まるで敵わない。相手にならない。若様だからと少しは加減されているだろうに、誰からも、一本も取れた試しがないのだ。
表立っては顔に出さなくても、陰では皆笑いの種にしていることだろう。
笑い物にされるのは構わない。弱いのは自分の責任だ。
ただ、数か月の努力が全く実らないのは悔しかった。
「ほんのわずかな期間で劇的に成長できるとは、某とて考えてはおりませぬ。
でも、このままでは、今後も成果なく時間を浪費してしまうような気がするのです」
どうすれば強くなれるのかわからない。せめて鍛錬の方法だけでも指南してもらえれば。
蛮骨はわずかに首を傾けて訪ねた。
「能俊は、どうして急に強くなりたいと思ったんだ」
今まで武芸とは縁遠かったものが、ここまで強くなりたいと願うようになるには、相応の理由があるのだろう。
昨夜も()いたが、能俊は口をつぐんでいたことだ。
源兵衛が傍にいないためか、能俊は今回はすんなりと答える。
「年が明けたら、某は縁ある国の姫君と祝言(しゅうげん)を挙げることになっています」
「祝言?」
「はい。相手は幼い時分から幾度も一緒に遊んだお方。この婚姻が決まった時には、天にも昇る気持ちになりました」
よほど嬉しいのだろう、話しながら、顔がほころんでゆく。
「……しかし」
かくりと肩を落とす能俊に、蛮骨は瞬く。
「某はこの通り、弱くて頼りない。これでは何かがあった時に姫を、家族を守ることなどできませぬ」
「確かに」
「情けのう思いました。男子として、これまで武芸から逃げてきた己を恥じました。
せめて大切な人を守れるくらいには強くならねばと」
国の民を守れるように、家臣を守れるようにとは思っていない。今の自分にとって、そんなのは目標にするだけ重荷だ。
でも、一人や二人を守れるくらいには。あわよくば自分の命を自分で守れるくらいには、強くなりたい。
若君は期待と不安の入り混じった顔で蛮骨を見上げた。
蛮骨は息をつき、腕を組む。
「……ま、そういう気持ちはわからんでもない」
「ほ、本当ですか!」
「俺にも守りたいやつがいる」
軽く口端を上げる。能俊が目を輝かせる。
「蛮骨殿はすでに所帯持ちですか」
経験談を聞きたそうな様子だ。
「まだ夫婦じゃない。でもまぁ、いずれそうなるだろうから同じ事かな」
「蛮骨殿に大切にされるならば、きっと美しくて気立てが良い方なのでしょうね」
「ああ、もちろんだ。綺麗で可愛くて優しくてしとやかで、清楚だけど芯が強い。
ついでに料理も美味いし裁縫は得意だし沸かす風呂は素晴らしく心地いい」
もっと褒めろと言わんばかりに一息で言い切る蛮骨に、能俊は若干押され気味になっている。
だが、本当にそう思うのだから仕方ないではないか。
「よし」
何かを決めたように、蛮骨が能俊を見据える。若君は思わず姿勢を正した。
「依頼は依頼だ。七人隊首領として、請け負った以上は責任を持つ。お前を強くしてやる」
あくまでも「今よりは」の話だ。もちろん。
能俊は一瞬言葉を忘れ、ついでぱっと顔を輝かせた。
「は、はいっ!! よろしくお願いいたします!」

夕刻。
城の書庫から借りた書物を読みふけっていた煉骨の部屋に、蛮骨が訪れた。
「頼みがある」
「嫌だね」
後ろから呼びかける蛮骨に、煉骨は書物から目を離さずに応じた。
「……まだ何も言ってないぞ」
「俺はすでに、他の隊員を見張るという重大な役目を仰せつかっているはずだ」
蛮骨はじとりと半眼になる。
そこへ、なぜか煉骨の部屋でくつろいでいた蛇骨が蛮骨にしなだれかかってきた。
「なんだよ大兄貴ぃ。つれない煉骨の兄貴じゃなくて、俺に頼んでみれば?」
「お前じゃ無理」
「じゃあ無理だな」
からからと笑い、彼は再びごろんと横になる。
ふぅと嘆息し、蛮骨はもう一度煉骨に呼びかけた。
「なぁ、お前にしか頼めないんだよ。なんなら、見張り役は睡骨に押しつければいい」
懐から畳んだ紙を取り出し煉骨の眼前に広げる。
書物から目を離し、彼はそれをまじまじと眺めた。
「……これは?」
「設計図。もどき」
白い紙には、墨で幾筋もの直線が描かれている。
「設計図?」
紙を手に取り眺める煉骨。蛇骨も起き上がって覗き込む。
「なんの設計図なんだ?」
「若君鍛錬装置」
二人の弟分が顔を見合わせる。
「なに、若様を鍛練してぇわけ?」
「直々に申し込まれたって、煉骨から聞かなかったか?」
「聞いたけどよぉ、大兄貴もそんなに乗り気じゃないんだろ。
こんなもんまで作る義理があるか? 適当に相手して、やり過ごせばいいんじゃねぇの」
蛮骨は後頭部をかく。
「まぁ、俺も最初はそう思ってたんだけどな……」
「お人好(ひとよ)しか」
「お人好しだぜ」
「言うな」
自覚はある。でも、強くしてやると言ったからには強くしなければならないとも思う。
我ながら変なところで律儀(りちぎ)だ。
「煉骨。若君鍛錬装置、作ってくれないか? 無理ならいいさ、家臣どもに頼めば喜んでやってくれるさ」
「いや、作る」
「は?」
疑問の声を上げたのは蛇骨だ。
「お前らの監視をしてるよりはずっと楽しそうだ」
もっともな意見である。
煉骨は墨と筆、そして新しい紙を取り出し、蛮骨に装置の詳細を訊き始めた。

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