能俊は目の前で起きていることが一瞬理解できなかった。
今宵は月が美しく、空気も冷えていないので訪れた姫とともに城内を散策していたのだが。
その菜奈姫は今、自分の家臣の腕の中にいる。
「空木……?」
瞳を閉じて意識のない姫。月光が注ぐ中、その体を支えて立つ空木は、真正面から能俊を見据えていた。
空木だけではない。能俊の周囲には幾多の黒装束の者たちが取り巻き、能俊を逃がすまいとしている。
「空木、何をしているんだ。 姫は……」
「姫は薬を嗅いで眠っておいでだ。しかし、今後の若の態度次第では……」
静かに告げ、空木は鋭い小刀を姫の首元に突き付けた。
能俊の顔からざっと血の気が引く。
悪い冗談だと思いたかったが、そこまで自分は間抜けではない。
「お主、外沼の――!?」
先の戦の相手国の名を口にした瞬間、背後に建つ倉庫から爆発が生じた。
「っ……!!」
「若! 若様!! 城のあちこちから火の手が――!!」
「源兵衛っ、こっちへ来るな!!」
能俊は後方から近づいてくる声に振り向きざまに叫ぶが、若君を第一に案じて駆けつけた老臣は周りを囲んでいた黒装束の忍たちに抵抗する間もなく取り押さえられてしまった。
「おのれ無礼者! 若に手を出したら承知せぬぞ!!」
稜樹(いつき)様、いかがなさいましょう」
源兵衛に猿轡(さるぐつわ)を噛ませ、忍の一人が空木に問う。
「殺すな。その爺も人質だ」
「いつ…き……?」
能俊は青ざめながら空木に視線を戻した。
「能俊様。お察しの通り、私は外沼の人間。空木という名も偽りにありますれば」
「そんな……」
冷たい笑みを向けられ、能俊はその場から動けなくなる。
「ひ、姫と爺を人質にして、何を望むというのだ……?」
「外沼に(くだ)ってください」
能俊の瞳が見開かれる。
すでに勝敗の決した、負けた敵国に降れと、言っているのか。
「あなたはじきにこの城と国を継ぐ。上様に進言なされば無下にはされぬでしょう」
稜樹は刃をさらに菜奈へ近づける。
爆発した背後の倉庫以外にも、城内のいたる場所で火の手が上がっている。
そちらの消火にあたっているために、この場の状況に気づく者はほとんどいない。
「そんなことができるわけ……」
「ならばあなたも人質として、上様に同じことを頼みに行くまでだ。それでも叶わぬなら……」
声にせずとも、彼が何を考えているのかわかる。
「父上を斬るつもりなのか!?」
「あなたが私に従えば何も犠牲にならなくて済むでしょう」
顔から一切の表情を消し、稜樹は決断を迫る。
「それとも」
その視線は能俊の腰元へ移り、
「その刀で我らを斬るか。蛮骨によってどの程度鍛えられたかは存じませぬがな」
周囲の忍たちからくつくつと笑い声が生じた。
能俊は刀に手をやるも、引き抜くことはできない。
そんなことをしたら姫と源兵衛に何をされるかわからない。
「わ……」
震える声で「わかった」と言いかけた彼の耳に、その時新たな足音が届いた。
近づいてくるのは足音と、うめき声。
「ぐっ」
「うぉっ!」
対面する稜樹の眉が怪訝(けげん)そうにひそめられる。
能俊が振り返った時ちょうど建物の陰から現れたのは、彼の師匠だった。
「ば……蛮骨殿!!」
「能俊、無事か!」
蛮骨は一直線に能俊のもとへ駆け抜ける。手には忍から奪った刀を持っており、迫りくる敵をその柄で突いたり殴ったりして蹴散らした。
「蛮骨……」
稜樹の低い声音に、蛮骨は彼を睨む。
「空木、お前なにを……」
状況は語らずとも見ればわかる。蛮骨が訊いているのは「なにを考えているのか」ということだ。
「もう少し足止めできるかと思ったのだがな。使えぬ奴らめ」
吐き捨て、稜樹は菜奈姫を手近の忍に託すと蛮骨と能俊に数歩近づいて刀に手をかけた。
蛮骨は能俊を下がらせ、謀反(むほん)者と対峙(たいじ)する。
彼は能俊を見ることなく、訊いた。
「能俊、お前人を斬れるか」
「え……」
即座に返答ができなかった。
強さを求めはしたが、人斬りへの十分な覚悟があったと言えば嘘になる。
だが。
今、能俊の目の前には、(とら)われの身となった大事な者たちがいるのだ。
「俺に剣を習ったのは遊びだったか」
「違います」
今度は即答した。覚悟を決めた。
「……斬れます。大事なものを守るために、強くなりたかったのですから」
国と引き換えなどでなく、自分の力で。
だから戦える。戦わねばならぬのだ。
その言葉を聞いて、蛮骨は満足したように小さく笑った。
「空木は俺が引き受ける。まずは自分の身を守ることだけ考えろ。
絶対に、無理に突っ込んだりするなよ」
「はい……!」
能俊の返事を聞くや否や、蛮骨は強く地を蹴った。一瞬にして稜樹までの間合いを詰める。
肉迫した瞬間に鞘走らせた刃を、しかし稜樹もまた同等の速度で受け止めた。
「武芸の才はねぇとか言ってなかったっけか」
「さて、ぬしとの会話などいちいち覚えておらぬわ」
刃の交わる音が響き渡る。
「お前ら七人隊の邪魔が入ったせいで、我らの国は負けたのだ……!その後も長々と居座りおって!」
「ああ、お前外沼の者か。それでこんな人質作戦を」
納得しつつ、どこか楽しげな蛮骨である。
その様子が稜樹の(かん)に障ったらしい。刀身にこもる力が増した。
「何としても勝利を持ち帰らねばならんのだ。邪魔をするのならここで叩き斬る!」
息をつかせぬ連撃を繰り出す稜樹から滲み出るのは明確な殺気とそれに伴う覚悟。
そして蛮骨はそこに、何やら違う感情も潜んでいるように感じた。
しかし、そこに考えを馳せてばかりもいられない。気を抜けば手傷を負うことになるだろう。
――久しぶりに、できる相手とやれる。
蛮骨の顔には薄い笑みすら張り付き、体にまとう空気そのものが刃のように鋭さを帯びる。
周囲はしばらく、両者の凄まじい太刀捌きに圧倒されて時が止まったかのようになっていた。
能俊も本気の斬り合いを見たのは初めてだ。ともすれば足がすくみそうになる。
しかし、いち早く立ち直った者たちが再び能俊を取り巻き始めたのに気付き、腰の刀を静かに引き抜く。
忍が仲間同士で目配せをする。
「どうする」
「なに、武器を奪い、少し痛めつけて捕えればよかろう。どうせこやつも人質だ」
顔を覆う布の下で笑い、彼らは能俊に語りかけた。
「殺しはせぬが、抵抗するならば痛い目を見て頂く。覚悟するのだな」
能俊は目の前の襲撃者たちを睨み据える。
ふいに、忍の一人が一気に間合いを詰めてきた。
そちらに視線を向けると同時に、気配で他の一名が動いたのを察知する。
勢いを乗せて最初の一人の刀を宙に撥ね上げた能俊は、すぐさま体を反転させて背後から迫っていた一人の首元に刃を突き付けた。
「っ……!?」
ひくりと忍が息をのむ。
「甘く見るな! 某は七人隊頭領、蛮骨殿から直々に剣の教えを受けた」
「ふん、なるほど成果はあったようだ。だが、所詮はこけおどし」
「こけおどしか否か、試してみるか」
刃を突き付けられた忍が大きく飛び退り、距離をあけたと同時に別の一人が間合いに入り込み、上段から斬りつける。
能俊はぐっと身をかがめ、その横をすり抜けると共に鋭く胴を薙いだ。
「ぐぅ……!」
暗闇に鮮血が飛び散る。
「お前たちは某を殺さぬと言ったな。しかし某は、向かってくるのなら遠慮なく斬らせてもらう」
斬られた忍は地面に伏してうめいている。周囲を囲む者たちがわずかな動揺を見せた。
一方、その様子を目の端に捉えていた蛮骨はわずかに口端を引き上げた。
気付いた稜樹が眉を寄せる。
「何を笑ろうておるか」
「なに、向こうは心配なさそうだと思ってな。こっちも早く仕舞いにしようぜ」
「言われなくとも……!」
鍔迫(つばぜ)り合っていた刀が離れ、怒涛の突きが襲いかかる。
目にも止まらぬ速さのそれを紙一重でかわす蛮骨の身体に、わずかな傷が刻まれていく。
「意外だぜ、こんな場所にこれだけの使い手がいるたぁ」
楽しむような口ぶりで避けていた蛮骨だが、不意に笑みを消し、一気に稜樹へと間合いを詰めた。
「なっ…」
これだけの突きに対して逆に向かってくる者など初めてだったのだろう、稜樹は無意識に驚きの声を漏らす。
わずかに攻撃の手が緩んだ一瞬の隙をついて、蛮骨は稜樹の刀身に手を滑らせ、根元からそれを叩き折った。
「しまっ……」
刀を折るという馬鹿げた腕力にうろたえている暇はない。腰元のもう一振りに手を伸ばした稜樹だったが、もう遅かった。
蛮骨の刀が一条の光のように軌道を描いて眼前に迫っていた。
そして。
一瞬後には稜樹の身体が宙に跳ね飛ばされていた。
どん、と地に叩きつけられ、周囲の忍たちの意識が一斉にこちらへ向けられる。
「稜樹さま!」
「か…はっ…! ぐっ……!!」
仰向けの状態のまま、稜樹は激しく咳込んだ。口の中に鉄の味が広がる。
「おのれ、貴様よくも!」
能俊を囲む以外の忍びたちが蛮骨に襲い来る。
だが、彼らは蛮骨の底冷えのする視線を受け、縫い止められたように動けなくなった。
蛮骨は未だ苦しげに咳をしている稜樹のもとへ歩み寄る。
稜樹は視線だけを蛮骨に向けたが、立ち上がる力はなかった。
一撃でここまでやられるとは。
苦渋に顔がゆがむ。
彼が動けないことを確認し、蛮骨は着物の襟首を掴み上げて手近の木にもたれさせた。
肩で息をする稜樹は、その時初めて、自分の身体に傷がないことを知った。
「なぜ……峰で」
「色々と訊きたいことがある。峰打ちでも十分動きは止められるしな」
「ぬしに語るような……ことなど、ないわ…。さっさと、殺せば……よかろうが」
「能俊が納得しないだろ」
稜樹に刃を突き付けて、蛮骨は能俊に視線を投じた。
そちらは目に見えて忍の数が減っており、代わりに地面に倒れた者の数が増えているのが(うかが)える。
蛮骨と同様にそれを認め、稜樹は荒い呼吸の中でかすれた笑みをこぼした。
「若……確かに、強くなられたようだな」
能俊はぐっと唇を噛み、二人の元へ駆け寄った。取り巻く忍たちは呆然と手を出せぬままでいた。
「空木!! 某には訳がわからぬ! どうしてこのような……」
声を荒げかけた能俊だが、努めて一呼吸置き、静かな目で稜樹を見下ろした。
「話は後だ。奴らに命じて、姫と爺を解放せよ」
「……」
戦意を喪失している稜樹は素直に頷き、忍たちを見回した。
「我らに勝ち目は無い…。人質を解放し、引き上げよ」
「し、しかし」
黒装束の者たちはしばらく判断に迷っていた。
しかし外沼で敵なしと言われていた稜樹も敗れ、どうにもならぬと悟ったか、一人、また一人とその姿を消していった。
だが、人質を捕えた忍を含む十名ほどがその場から動こうとしない。
「稜樹様にできぬのなら、我らが上様の命を果たすまで!
あなたはもはや用済みだ――かかれっ!!」
一声が合図となり、忍が一斉に三人へ襲いかかってきた。
蛮骨と能俊が刀を構えた時、予期せぬ方向から光の筋が伸びてきて忍の一団を貫く。
それは月光をはじいて輝く蛇骨刀だった。
「おぉーい、俺を忘れんなよー」
刀を戻した蛇骨が妙に緊張感のない声でこちらへ向かってくる。
「蛇骨殿」
能俊はその名を呼びつつ、今の一瞬のできごとに感嘆していた。
蛇骨刀にあっという間に斬り伏せられた者たちが地面に倒れている。彼らはすでに事切れているようだ。
「蛇骨、火は収まったのか」
「もうちょっとだな。あっちにも忍が結構湧いてたけど、だいたい片してきた。
他の野郎は城の警備と消火にあたってて手が離せねぇ……てのを、大兄貴探して伝えて来いって煉骨の兄貴が」
蛇骨はそこらに倒れ伏す忍たちを見まわし、小首を傾げた。
「面白れぇことでもあったか?」
「……まぁな」
嘆息し、蛮骨は能俊に視線を向けた。
若君は今、最後に残った忍と対峙している。その者の腕には意識を失った菜奈姫が抱えられていた。
「この状況を見てもまだ観念せぬか! 姫を解放せよ!」
「ふん、姫などもういらぬ。代わりに」
忍は菜奈を放り、凄まじい勢いで能俊に接近しつつ刀を抜き放つ。
「若君殿の首を頂き、上様への手土産としてくれる!」
「っ……!」
能俊も刀でなんとか防ぐが、力で押される。この忍は一団の頭目らしく、技量が抜きんでている。
「能俊!」
「手出し無用です! こやつは某が自分で倒します!」
加勢に入ろうとする蛮骨に能俊が叫ぶ。
その目は怒りに燃えている。歯を食いしばり、必死で刀を押し返す。
蛮骨は静かに身を引いた。ただ、危なくなったら何と言われようとも加勢するつもりだ。
「お前になどやられるものか! 某は大切な者を守るため…強くなったのだ!」
「ほざけ小僧がっ! 首を寄こせ!!」
刀が交じり火花が散る。手加減抜きの攻撃にさしもの能俊も防戦一方に追い込まれつつあった。
「いいのか大兄貴、このままじゃ若様死んじまうんじゃねぇ?」
蛇骨の言に蛮骨は無言をもって戦況を見つめる。
「はぁっ!」
能俊が鋭く刀を払うも、忍の頭目は見越したようにそれをかわし、彼が体制を戻す前に当て身を食らわせた。能俊の身体がどう、と倒れる。
倒れた能俊の上に跨り、刀を持った右手を捻りあげた。
「ぐっ……ううっ!」
腕が折れそうなほどの痛みに能俊の口から悲鳴が漏れる。
蛮骨が刀を抜き、瞬時に間合いを詰めようと一歩を踏み出し……かけた時。
「はぁっ!!」
気合いのこもった声がしたかと思うと、頭目の身体が大きく跳ねとんだ。突然のことに受け身もとれず、もんどりうって転がる。
唖然とした蛮骨と蛇骨、そして能俊が視線を向けると、そこには気を失っていたはずの菜奈姫が仁王立ちになっていた。
その目は怒りに燃えあがり、忍を射殺さんばかりに睨んでいる。
「その方、私の大事な能俊様になんということを……! 事情は知りませぬがただで返す訳には参りません、成敗!!」
「なっ!?」
身体を起こして状況把握に努めようとしていた忍に、間髪いれず姫の拳が襲いかかった。
ごっ、ぐぼっ、という鈍い音がしばらく続いたと思うと、姫は豪奢な着物を纏っているのも忘れた風にすばやい回し蹴りを見舞った。
横っ面に食らった忍がまたも跳ねとび、庭木にぶつかる。
「まだまだぁ! こんなものでは終わらせません!」
ずるずると木にもたれる忍に対し、顎の下から掌底を叩きこむ。
くらりと相手がよろめいたところを、襟首を引っ掴んでとどめとばかりに背負い投げた。
忍は幾度か地を打って転がり、やがて動かなくなった。
「……」
「……」
蛮骨と能俊に沈黙が流れる。
すると、菜奈姫がくるりと振り返って若君に駆け寄った。
「能俊様っ、お怪我は……?」
「え? あ、ああ。いや、大丈夫です…」
「しかし、このようにかすり傷が沢山。ああ、おいたわしいこと」
姫は目に涙を浮かべているようだ。
「私がもっと早く目覚めていれば、あのような賊などあっという間に叩きのめしておりましたのに。
本当に申し訳ありません」
「い、いいえ、そんな…。しかし……菜奈殿は、お強いのですね……」
小さな声で呟く能俊に、姫は目をぱちりと瞬かせた。
そして華のように微笑み
「はいっ! か弱くて儚げな能俊様を守って差し上げねばと、幼少の頃から日々鍛錬を重ねて参りましたから。
今では国でも指折りの強さだと師匠のお墨付きを頂いております」
そして能俊の手をとる。
「能俊様にどのような危機が迫ろうとも、この菜奈、必ずやお守り致します。ご安心を!」
そう言ってにっこり笑った。
「は、はは……」
能俊はどうしたら良いものかわからず、蛮骨を見上げた。
一方の蛮骨は額に手を当て、頭の痛そうな顔をして同情の眼差しを向けていた。

「どうしてこんなことをした」
動けない稜樹に、能俊は険しい面持ちで問うた。
蛮骨から受けた攻撃によって元より力が入らない身体を、さらにきつく縄で拘束されている。
口の端から血を流してはいるものの、内臓は無事なはずだ。万一喋れなくなっては生かしている意味がない。
一太刀にそれだけの計算を潜ませた実力に、稜樹に刀を突き付けている蛇骨は無言の下で感心していた。
「答える義理はない……。さっさと首を刎ねればよかろう」
「義理はあるだろ。お前を雇うように進言したのは若君だそうじゃねぇか」
「……」
沈黙する稜樹に、能俊がさらに問う。
「ここへ来て三年、お前はよく働いてくれていた。全てはこの日のために、皆を騙していたのか?」
「ああ、そうだ。他に理由など……」
「外沼の者だそうだが、頻繁にやり取りをしていたのか。
城の内部情報を敵国へ流していたと?」
目を覚ました源兵衛が問い詰める。すると稜樹は力なく笑った。
「命があるまで動くな、と言われたが。この城へ勤めてからというもの、外沼からの使いはほとんど無かった。
共に遣わされたはずの者たちもいつの間にか姿を消し、その頃には役職を与えられて辞めるに辞めれぬ状態。
情報を漏らす気にもならなんだ」
蛮骨たちは顔を見合わせた。どうやら稜樹の外沼に対する忠誠心はさほど無かったようだ。
「外沼の城主は此度(こたび)の敗戦を受けて、思い出したように使いを寄越してきた。
人質をとって外沼への降伏を約束させたならば、国へ戻し、預かり物を返そうと」
「預かり物とは?」
菜奈姫が能俊の横で小首を傾げた。こうしているとさっきとはまるで別人だと、蛮骨は思う。
稜樹はしばし躊躇ったが、諦めたように口を開いた。
「妻と、子供だ……。そもそも私がここへ遣わされたのも、半ば国を追い出されたようなもの。
外沼城主が妻を、妾にすることを目的にしてな」
「なんと」
源兵衛の驚きの声が闇に溶けた。菜奈姫も口元を袖で覆っている。
稜樹の剣の腕は外沼で右に出る者なしと言われている。
稜樹の妻を(なか)ば人質のように妾にし、力づくで手向かうおそれのある稜樹を敵地へ逗留させたのだ。
大役を果たした後には妻子と共に元通りの生活をさせると約束をして――。
「主は私が戻ることなど望んでおらん。
そういうことだ、このまま生かされて国へ戻ったとて、待つのはせいぜい恥を(そそ)ぐための切腹。
ここで罪人として斬られても同じこと」
稜樹は力なく視線を落とした。
失うものなど何もない。これ以上、絶望の中でこのまま生きることなど望まない。そう語っているかのようだ。
「一国の城主が家臣にそのような仕打ちをするとは……」
能俊はしばし逡巡した後、刀を鞘に納め源兵衛を振り返る。
「空木を牢へ繋げ。父上へ報告し、空木への裁きを決める」
「は!」
源兵衛と蛇骨が両脇から抱えて、稜樹を連れていった。
その姿が見えなくなると能俊は肩を落として蛮骨に頭を下げる。
「お手数をおかけして申し訳ありませぬ。何と申せば良いか……」
「気にすんなよ。むしろ俺がいる時で良かったと、そう思っておけ」
七人隊が城を発った後にこのような事態になっていたら、対処しきれていたかわからない。
あえて気さくに笑う蛮骨に能俊も苦笑を浮かべた。

翌日。稜樹が繋がれている牢に能俊と蛮骨、そして煉骨が訪れた。
縛られたまま煉骨に引かれて日の下へ出された稜樹は、無言でなすがままになっている。
「父上と話し合った結果、お前の処遇は某が決めることとなった」
それが稜樹を雇い、かつ次期城主である能俊の責任だということだ。
「最後に言い残すことはあるか」
稜樹は視線を彷徨わせた後、能俊をまっすぐに見た。
「私の言などもはや聞く耳持たぬでしょうが……
若君に拾って頂けたこと、皆から実力を認められたこと、決して無駄な日々ではなかったと牢の中で考えておりました。
あなたや皆を騙して、結局妻子も取り戻せず、本当に情けなきこの身、どうか一思いにお斬り捨てください」
目を閉じて深く頭を下げ、稜樹はその場に膝をついた。
能俊が蛮骨に視線を向ける。蛮骨は頷き、煉骨と入れ替わるようにして稜樹の背後に立った。
刀を抜く音がする。稜樹の面持ちはどこまでも静かなままだ。
陽光を弾いた刃が空気を斬る音と共に振り下ろされた。
「……!」
稜樹は目を見開く。
その身体は痛みを感じず、代わりに身体を戒めていた縄が断ち切られている。
呆然と見上げると、能俊が微笑んだ。
「今、稜樹という名の罪人を斬リ捨てた。さあ空木、行くぞ!」
「い、行くとは……?」
理解できずに若君を凝視する彼に、蛮骨が面白げに笑みを刻んだ。
「外沼に殴り込みだ」


晴天の下、能俊と空木、そして蛮骨が城下をまっすぐに城へ向けて歩いて行く。
空木は数年ぶりとなる外沼の景色を眺めつつも、面持ちは暗い。
これから外沼城主と対面するのだ。その場には必然、自分も同席することになる。
妻と子供を奪った彼の者の前で、どうあるべきだろうか。
「空木、この国にお前の奥方と子息がおるのだな? 会うことはできぬのか」
横を歩く能俊が問う。城下に入るまでは馬を使っていたが、できるだけ目立たぬようにと今は徒歩(かち)だ。
「無理でございましょう。妻たちも現在は(そばめ)として城内で暮らしているはず。
それに……世間的には、私と妻子は既に縁なき間柄ということになっておりますゆえ」
「そうか」
「それよりも若君。……その、よろしいのでしょうか」
「何が?」
「自分で言うのもどうかと思いますが、私は罪人ですぞ。縄も打たれず、刀まで提げていて良いのでしょうか」
「ったく、うるせぇなぁ」
蛮骨が背後から空木の背を小突いた。
「若様の判断に口出しすんなよ。お前を信頼してのことだろ」
「どうして信頼などできるのか分らぬ。また、裏切るかもしれぬというのに」
首を落とされる覚悟でいた空木は複雑な面持ちだ。
そうしているうちに、一行は城門へ行きついた。
門番は見知らぬ一行を怪しげに見まわし、ぎょっと瞠目した。
「い、稜樹様!」
驚く門番に能俊が進み出た。
「某は樋川(ひのかわ)城主の息子、能俊と申す者。突然の来訪でご迷惑かと存じるが、何とぞ外沼殿に目通り願いたい」
門番は目を白黒させていたが、稜樹が真剣な面持ちで頷いたのを受け、慌てて城内へ(しら)せに走った。
しばし待たされ、一行は城の上階へ案内された。
辿り着いた座敷では、上座の中央によく肥えた城主が座していた。蛮骨も見覚えがある。
先の戦で尻尾を巻いて逃げて行った、あの城主だ。
城主は脇息(きょうそく)にもたれて悠然と構えているつもりなのだろうが、動揺しているのが目に見えて明らかであった。
「文も寄こさず、突然の訪問。誠に失礼いたします。
某は樋川城次期城主、能俊と申します」
畏まって能俊が平伏すると、城主は小さくうむ、とだけ答えた。
蛮骨も姿勢を低く保っているが、気配で察するに城主はちらちらと空木を気にしているようだ。
「面を上げよ。要件を申せ」
若君という身分とこの場に三人しかいないことを受けてか、敗戦国にもかかわらず城主の態度は尊大だった。
三人は無言で上体を起こす。空木が城主を凝視した。
「二日ほど前のことになりますが、我が城が夜襲の被害にあいました。
敵は某の許嫁(いいなずけ)と家臣一名を人質にとり、加えて某の命も狙ってきました」
「それはいたわしき事ですな。……して?」
「賊を捕え、誰の差し金かなど洗いざらい吐かせましたところ、
面白いことに外沼様の名前が挙がりましたため、こうして確認に参った次第です」
「なるほど、我が国に罪をなすりつけようとする輩がおるのですな」
「さて、某は外沼様こそが首謀で間違いないかと思っておりましたが」
淡々と語る能俊に城主は(まなじり)を吊り上げた。
「無礼な!根拠もなく賊の言葉を信用なさるか。
好奇心で来られたのやもしれぬが、樋川殿は随分と暇を弄ばれているようですな」
「某はまだ国政に深く関わる身ではないのは事実にございます。
しかしこれも父上から始末を仰せつかった立派な仕事。
某の判断で軍を動かすことも可能ですよ」
能俊は挑戦的な笑みを見せた。
「それに、根拠はあります。……空木」
後方に座した空木に声をかける。空木は応じて懐から書状を取り出した。
空木、という名に城主がぴくりと反応する。それを目聡く認めた能俊が
「ああ、ご紹介が遅れて申し訳ありません。これは某の家臣で空木と申す者。
流浪(るろう)の身であったのを登用したのでございますが、もしやこちらの出身であらせられましたか?」
「い、いや……。そのような者は知らぬ」
「ああ、空木というのは城に仕えてからの呼び名であったな。
元の名は……ええと、なんであったか」
わざと思案する風情の能俊に空木が薄く笑う。
「は。稜樹、と申します」
城主の身体が目に見えて揺れた。ずっと観察していた蛮骨は吹き出しそうになるのを必死にこらえる。
「う、空木だろうが稜樹だろうが知らぬものは知らぬ」
「それはそうでございましょうとも」
能俊は続いて蛮骨の方に視線を向ける。
「こちらは……ご存じかと思いますが?」
「う、うむ。その……」
「七人隊首領の蛮骨です。この前はどうも。命拾いしましたねぇ」
蛮骨は自ら名乗り、満面の笑みを向けてやった。戦での気迫を思い出したか、城主の顔が蒼白になる。
何も言わずに視線を背けられるが、蛮骨はかまわず続けた。
「樋川様は俺らの大事なお客ですし、おかげさまで若君とも懇意にさせて頂いてます。
下手に手を出されぬのが賢明だと思いますが」
空木が進み出て、能俊と城主の間に書状を広げた。
そしてその場、城主の間近に留まる。万一城主が激昂した場合、能俊に害をなすことがないようにだ。
「この書状は捕らえた忍が持っていたもの」
言うと、能俊は文末の辺りを示した。
そこには外沼の印がくっきりと押されている。通常の公文書に使うものとは違うようだが、紛れもない。
「忍びの者が申すには、これは外沼城内部でのみ使われる印だそうですね。
それも、殿の直々の達しである証明になるとか」
城主がぐっと言葉に詰まった。
城中の者でなければこの印の存在自体を知らぬだろうし、それなりに凝った彫りであるので偽装も困難だ。
樋川に遣わした者への命令に信憑性を持たせるために押したものが、裏目に出た。
「い……稜樹っ、おのれ……!」
ついに城主が声を荒げたが、空木は何も聞こえぬかのように見向きもしない。
かわりに右手が刀の鞘にかけられる。
「ひっ……」
彼の実力を知っている城主は青ざめ、ついにがくりと腰を抜かした。
「す、すま、すまなかった……!この通りだ」
「私はもはや外沼になど何の未練もない。あなたがどうなろうと知ったことか」
音もなく抜かれた刃が、迷いなく軌跡を描いて城主の首筋にぴたりとあてられた。
城主は泡を噴きそうな(てい)でがくがくと震えている。
座敷には外沼の家臣たちも控えているのだが、腰を浮かす程度で誰も率先して動こうとはしなかった。
外沼城主の人望の無さにかえって感動を覚える蛮骨である。
しばらく城主の惨めな姿を見下ろしていた空木だったが、やがて息をつくと刀を納めた。
「外沼様、こちらの条件をのんで下さるのであれば命まで奪おうとは申しません。
いかがいたしますかな」
能俊の問いに、城主は言葉も発せずにただ首を何度も縦に振った。
「条件は、まず、此度のような行いは金輪際二度となさらぬと誓うこと。
次に、被害にあった建物の修復費用を加えた賠償金を渡すこと。
最後に、こちらに人質を寄越すこと」
「ひ、人質……?」
「そうです。二人ほど頂きましょう。ああ、どなたを頂くかはこちらが決めますゆえ」
「異存があるのか? 外沼様」
蛮骨に眼光鋭く睨まれ、城主は青ざめながら「ない」と答えた。

外沼城内で最も広い部屋の上座に三人は立った。
眼前にはずらりと平伏した女が並んでおり、その後ろには家臣たちが固唾(かたず)をのんで控えていた。
能俊が人質に指定した条件は
「城主の正室、側室を含む城内のあらゆる女性を招集し、自分たちの目で選ぶ」
というものであった。
平伏した女たちは一見しただけでは見分けがつかない。
城主の足掻きなのか、並び順も階級に関わりなくばらばらだ。
三人の横に立った城主は怯えた風情で言った。
「さ、さあ、選ぶがいい…」
蛮骨が見ているだけでも、妾と呼ぶべき者はかなりいるようだった。随分囲い込んでいるらしい。
「空木」
「はい」
能俊に呼ばれて空木が不思議そうに首を傾けた。
「何をしておるか、そなたが選べ」
空木ははっと瞠目した。そして伏し並ぶ女たちに視線を投じる。
「よろしいのですか」
「何をしに来たと思ってるのだ」
苦笑交じりの若君の言葉に彼の肩が一瞬震えた。
蛮骨と能俊が見ている前で、空木はゆっくりと踏み出した。
女たちは顔を上げない。そう命じられているのかもしれない。誰が誰だか判別がつかない。
しかし空木は、迷いのない歩みで一人のもとへ向かった。
彼女の前で膝をつき、肩に手を置く。
「顔を上げてくれ」
声にはっとしたように、女は顔を上げた。
「あ……」
女の顔を認めて、空木は心底安堵したように、誰も見たことのない優しい表情になった。
心の底からの笑顔は数年ぶりで、どうしてもぎこちないものになってしまう。
「息災であったか?」
「い、つき……様…」
大きく開かれた双眸から涙がこぼれ落ちる。頬を伝うそれが後から後から止まらない。
「ご、ごめ…なさ……」
多くの人間が見ている前だ。彼女は何とか涙を止めようと努めるが、うまくいかない。
空木はそんな彼女を腕に抱いた。
「すまない。すまなかった……」
城主に抗うこともできず、この地に残していくしかできなかった自分。逆らったなら、命より大事な妻と息子に何をされるかわからなかった。
ずっと、気掛かりで気掛かりで仕方なかった。
二度と会えないかもしれないと、胸が張り裂ける思いだった。
「一緒に、来てくれるか……?」
空木の妻は夫の背に手をまわし、何度も頷く。
「はい、稜樹様……」
上座でその様子を見守っていた蛮骨は、ふと視線を巡らせた。
立ち並ぶ家臣や女たちの中にも、温かい眼差しで二人を見ている者も多い。
空木の事情を知っている者たちなのだろう。
しばし再開の喜びを噛み締め、妻の涙が落ち着いたところで、空木は彼女を伴って上座へ戻ってきた。
「若。その、もう一人…ということですが」
空木は何か言いたげに口を開閉する。能俊はふっと微笑んだ。
「分っているよ。もう一人はもう決まっているな」
そう言って、隣に立つ外沼城主を見上げた。
空木の妻が先に立ち、城の敷地内にある小さな(いおり)に一行は案内された。
妻が戸口に立って中へ声をかけると、ぱたぱたと小さな足音が近づいてくる。
蛮骨の隣で空木が息を詰めた。
まだ幼い男子(おのこ)が、戸口から顔を覗かせる。
見知らぬ者が立ち並ぶのを見て不安げだった瞳が、一人に留められた瞬間目いっぱい見開かれた。
「ちちうえ!」
顔がみるみる喜びに彩られ、まろぶようにかけてきた子供はまっすぐに空木の腕に飛び込んできた。
空木も我が子をしっかりと抱きとめる。
別れたのは言葉も喋れないような頃だ。数年の月日は幼子を見違えるほど成長させている。
太助たすけ……!父を覚えていてくれたか」
声が震える。熱いものがこみ上げてくる。
「ははうえと一緒に、ちちうえがいつか必ずおもどりになると、信じてました!
ちちうえっ……ちちうえぇ……!」
もうどこにも行かないでくださいと、太助という名の子供は父の腕で泣きじゃくる。
能俊は満足げに笑むと、後ろに立っていた家臣に声をかけた。
「もう一人の人質はこの子ということで、良いな?」
もらい泣きに目を潤ませていた家臣は慌てて姿勢を正す。
「はっ、殿には私からお伝えしておきます」
目元を抑えて熱いものを何とかやり過ごすと、空木は能俊に向き直って平伏した。
「大恩、なんと感謝を申し上げれば良いか……。
かくなる上は、私の生涯をかけて貴方様にお仕え申し上げます」
妻と息子も同様に平身低頭する。
「ああ、頼りにしている。ううむ、空木、やはりそなたにも一応は何かしらの罰を与えねばならぬであろうな。
うむ、無断で領外へ出ることを禁ず。あとは……蛮骨殿の去られた後、某の剣の手ほどきを引き継ぐのだ!」
果たしてそれは罰と呼べるのか。蛮骨が苦笑を滲ませる。
空木も同じ感想を抱いたのだろう、しばし唖然としていたが、「はっ」と頭を下げた。


外沼から帰還して三日。七人隊はこの日で城を出る予定になっている。
帰還後、空木は改めて樋川城主に目通りし、格別の計らいへ感謝の意を表した。
そして贖罪として稜樹の名を捨て、生涯この国のため、若君のために尽くすことを固く約束したのだった。
また、その後には菜奈姫にも深く謝罪し、姫も穏やかな様子でこの件について内密にすると進言してくれていた。
妻と息子は城のほど近くに家を与えられ、空木も今はそこで暮らしている。
人質なのでそれなりの制限はあるが、外沼城主に囲われていた時よりはずっと心安らかに暮らしているそうだ。
現在、能俊は空木を伴って、城下の見渡せる本丸の一角に(たたず)んでいる。
源兵衛は空木を側仕えにすることにかなり渋っていたが、最終的には能俊の(かたく)なさに根負けしていた。
「空木、仕事の方は障りないか? 暫くは皆からの風当たりも強いであろうが……。
何かあったら遠慮なく某に相談すれば良いぞ」
気遣う若君に空木は(ほの)かに笑んだ。
「勿体無きお言葉。自分で撒いた種ゆえ、いかなる扱いを受けようと覚悟の上にございます」
それでも若君の優しさは痛み入る。皆が皆ではないが、やはり難色を示す者もいるのは確かだ。
元が有能な文官だったために、事情を理解していても誰の心境も複雑だろう。
敵国の者と知った今、手放しに受け入れられる方がおかしいというものだ。
「何年かかろうとも、再び信頼を得られるよう努める所存です」
微笑む空木に能俊も目を細めて頷いた。
空木はあの一件以来、随分と丸くなった印象だ。思えば以前は常に張りつめた空気を纏っていた気がする。
これが、あのとき妻子に向けた表情が、本来の彼の姿なのだろう。
「空木ぃぃぃぃ!!」
突然後方からかけられた声に二人はぎょっとして振り返る。
見ると蛮骨が眉を吊り上げて猛然と向かってくるではないか。
「蛮骨殿? いかがなされました」
まだ出立まで間があるはずだ。蛮骨はまっすぐに空木へ詰めよった。
「お前! 霧骨の居場所を知ってるだろ!!」
胸倉を掴まれたまま目を瞬かせていた空木は、三呼吸ほどたっぷり時間を空けて
「―――――あ」
「あ、じゃねぇ!」
「す、すまない…! 本当に、きれいさっぱり、失念していた……」
滝のように汗をかいて慌てふためく空木。こういう反応も実に新鮮だ。
「忘れてた? 忘れてただと!? お前ってやつは本っ当に最後の最後まで気に食わねぇ野郎だな!」
「ぬ、ぬしこそ忘れておったのだろう。仲間の存在を忘れるのもどうかと思うが」
「うるせぇ! それはそれ、これはこれだ――!」
自分のことは思い切り棚に上げて怒号する蛮骨。
「わ、わかった。すぐに連れて……」
視線を巡らせた空木は、すぐそばで始終を見ていた数人の家臣たちに声をかけた。
彼らは冷静沈着、真面目一筋と認識していた空木の慌てように随分驚いた風情だったが、当の本人が近寄ってくるのを認めて背筋を正した。
「そなたら、すまぬが城の牢へ行って七人隊の霧骨殿を連れてきてもらえぬだろうか」
少し言いにくそうに頼むと、彼らは意外にも快く引き受けてくれた。
家臣たちに丁寧に礼を言う空木を眺め、蛮骨はふうと息をつく。
気に食わなくはあるが、以前に比べれば空木への嫌悪は大分薄れた。
今はそれなりに表情豊かであるし、あからさまな敵意を含んだ視線を向けられることもない。
能俊をちらりと見やる。
鍛練中に小言を挟んできたのは、真実心配してのことだったのだろう。
視線に気づいた能俊が蛮骨見上げた。
「某の顔に何かついてますか?」
「いや、あいつも随分心配性みたいだと思ってな。稽古をつけてもらうなら、手を抜かないように言ってやれよ
……まぁ、あの姫様がいればお前が多少弱くても何とかなりそうだが」
遠い目をすると、能俊も微苦笑を浮かべる。
「それを言わないでくださいよ。手は抜くなと頼んであります。
爺と揃って心配ばかりされていては困りますからね」
「若、困るとは。何か不備がございましたか?」
戻ってきた空木が気遣うように問うてくるのを受けて、蛮骨と能俊は思わず噴き出した。
日も随分高くなり、七人隊は出立するべく城門に集まった。
「おぉ、霧骨。少しは痩せてるかと思えばそうでもねぇなぁ」
「飯は普通に食えたからな」
囚われの身ではあったが、縛られたり拷問を受けたりといったことはなく、牢に閉じ込められていただけらしい。
皆が霧骨をからかう横で、能俊は別れの挨拶を蛮骨とかわす。
「本当にお世話になりました、大した御礼もできず……」
「そんなに畏まるなって、ただの傭兵相手に。それなりに楽しませてもらったしな」
「そうだ、朔夜殿との祝言の折にはご連絡くださいね! 必ず贈り物をさせていただきますゆえ!」
思いがけない提案に蛮骨は目を白黒させた。
空木も驚いた様子だったが、やがて肩をすくめて仕方ないといった風情で笑みをこぼす。
「あ、ああ。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「約束ですよ!」
「お前も頑張れよ、立派な後継ぎになれるように。
空木、あんたはあんまり好きになれなかったが、まぁ、頑張れ」
「いずれは美味い酒も交わせよう。近くに来ることがあったら、立ち寄ると良い」
本気で剣を交えた者同士、二人の間には友情や信頼とはまた違う何かが生まれていた。
半月以上を過ごしてすっかり見慣れた城門をくぐりぬける。空は雲ひとつない快晴だ。
能俊と空木が見送る中、七人隊は樋川の領地を後にするのだった。

<終>

 

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