厚い雨雲が空を覆い、月の光はわずかも差さない。
地面を叩く雨の勢いは相変わらず、絶え間なく響いている。
玄関先で見張りに徹していた三匹の小妖怪だったが、変わりばえのない雨音を聞いている内に、こくりこくりと船を漕ぎ出していた。
「むにゃ…もう食えん……」
腹をかく一角の口から、至極幸せそうな呟きが漏れる。
と、廊下の板がぎしりと揺れた。
またひとつ、揺れる。
足音が暗闇の中を、一歩一歩進んでいく。
その音は雨音に隠れて、小妖怪たちにも、部屋で眠る人間たちにも届かない。
雨の闇に乗じて忍び込んだ人影は、適当に歩を進めた後、とある部屋の前で足を止めた。
そっと襖に手をかけ、音を立てずに開く。
横になっている男の姿が見え、一瞬冷やりと身を引いた。
が、その横に幼い少女の姿を認めると、その眼が怪しく光る。
そろりと部屋に侵入した影は眠っている男の様子を窺うと、少女に手を伸ばした。
突然に腕を掴まれ眠りの淵から引き戻された子供は、短い悲鳴をあげる。
雨音に掻き消されそうなその声に、隣の男ははっと目を見開いた。
「誰だっ!」
がばりと身を起こした蛮骨は、鈴の手を掴み上げる、顔を黒い布で覆い隠した男と対峙した。

しまった。
熟睡していた自分を叱咤しながら、蛮骨は見知らぬ男を剣呑に睨み据えた。
消さずにおいた灯火の明かりが、男の姿を照らし出す。
この店に関係のある者の顔など知りはしないが、この様相を見ると、盗人であることは間違いない。
「てめぇは何モンだ」
「盗人がそんなこと答えると思ってんのかい?」
くつくつと(わら)う男の声に、鈴がびくりと身を震わせる。
「その子供を放せ」
「無理だよ。この子供は使える。こんな金持ちの娘だってのに、目が見えねぇんだろう?
顔も知られねぇで済むし、人質にして島屋を揺するのに、これほど良い道具があるかい」
「道具だと…!」
蛮骨の目元に怒りが滲む。
「この数日、島屋は遠出でいなくなると聞いていた。
ろくに動けねぇ母子を残してな。新しい世話役がいるとは思わなかったが…」
言いながら、男は鋭く光る包丁を取り出す。
「あんたも、殺されたくなきゃあさっさと道を空けな」
「ふん、俺を脅すたぁ、よほど度胸があるようだな」
「ああ?」
一瞬、男は眉を寄せる。丸腰で隙だらけに見える蛮骨を、完全に(あなど)っているのだ。
「お兄ちゃん…」
物を映さぬ鈴の目が、恐怖に揺れる。
「そこをどけ!!」
男が包丁を振りかざし、蛮骨に斬りかかった。
無造作に避け、一気に間合いを詰めた蛮骨は、男の利き手を捻って刃物を奪い取る。
実に無駄のないその動きに、男は驚愕で目を見開いた。
男の腕を握り締め、蛮骨は低い声で言った。
「子供を放せ。その腕、切り落とすぞ」
奪った刃は男の手首に当てられている。
「ひぃっ!」
引きつった悲鳴と共に、男は慌てて鈴を解放した。
「なっ、なんなんだよお前っ……ただの使用人じゃなかったのかよ!?」
「ああ、ただの使用人だが?」
ぎりぎりと、盗人の腕を締め上げる。
骨まで砕けそうな激痛に、男はたまらず叫んだ。
「ゆ、許してくれぇ!」
「二度とこの家に近づくな」
「わ、分かったよ! 分かったからっ…」
失神寸前の表情で、男は懇願する。
顔を覆う黒布が取れて、人相もなにも丸見えだ。
ぱっと手を放すと、男はへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。
「失せろ」
蹴り上げて、縁から庭先へ落とす。慌てて立ち上がった男は、一目散に門から出て行った。
それを見届けて、蛮骨はほっと息をついた。
「鈴、怪我は…」
童女に目を向けると、彼女は蛮骨に駆け寄り、腰元にぎゅっと抱きついてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
目線を合わせるように膝を折ると、くしゃくしゃに歪んだ顔が見えた。
「ごめんな、怖かっただろ」
わしわしと頭を撫でると、鈴は(せき)を切ったように大声で泣き出した。
泣き声を聞きつけて、眠っていたらしい睡骨が駆けつける。
「どうなさったんですか!?」
部屋の中は数少ない調度品が散乱している。睡骨は驚いた風情で蛮骨を見つめた。
「な、何かあったので…?」
「盗人が入り込んだ。今し方追い払ったがな」
「そんな…!」
睡骨の顔が一気に青ざめる。
「全然気付きませんでした、申し訳ありません…」
「それは俺もだ。それより、部屋を片付けてくれるか」
「はい」
蛮骨は鈴を布団に入れた。
恐怖で身体を震わせているが、怪我はないようだ。手首が少し赤くなっているものの、これもすぐに消えるだろう。
小さな手は、蛮骨の手を握って放さない。
その時、外で雷鳴が轟いた。鈴が悲鳴をあげる。
「怖いよぅ…」
「大丈夫だ。あの雷は、今の泥棒を叱りつけてるんだ」
なだめると、鈴は窓の外に顔を向けた。
「雷さまが…」
蛮骨はほっとする鈴の額を撫で、眠りに誘う。
「ねぇお兄ちゃん…父さまは、いつ、帰ってくる…?」
うとうととしながら、鈴は小さな声で問うた。
「ん? 明日にでも、帰ってくるんじゃねぇかな…」
答えると、彼女は安心したように目を細め、ゆっくりと眠りに就いた。
片づけを終えた睡骨が鈴を覗き込む。
「やはり、父親がいないと不安なのでしょうね…」
「そりゃあな、俺たちは赤の他人だし…親には(かな)わねぇだろうさ」
おまけに、強盗に入られる始末。不安が募るのも無理はない。
目をすがめる蛮骨に、睡骨は小さく笑った。
「しかし、なぜ盗人を捕えなかったのですか?」
「強盗が入ったなんて、旦那にバレたら何て言われるかわかんねぇじゃねぇか」
「ですが、鈴が言ってしまうかも…」
「その時は、仕方ないだろ」
自分の失態が絡んでいる以上、鈴まで口止めできる権限はない。彼女が恐ろしい思いをしたのは確かだ。
「何というか、律儀ですよね、そういうところは…」
感心する睡骨に、蛮骨は怪訝な目を向ける。
「何か言ったか」
「何も」
睡骨が肩をすくめて首を振ると、暗闇からそろそろと小丸たちが現れた。
「あ、あのよぅ…」
蛮骨の視線が鋭さを増し、彼らに向けられる。
三匹はびくりと身を強張こわばらせて、上目遣いに蛮骨を見つめた。
「ご、ごめんな…俺たち…見張りやるって言ったのに、寝ちまって…」
「お前らに任せた俺が馬鹿だった」
ぴしゃりと言い放つと、彼らはしゅんと項垂れ、返す言葉も無く部屋の隅に座り込んだ。
蛮骨がいなかったら、鈴は誘拐されていたかもしれない。自分たちの不手際を、深く反省しているようだ。
覇気の無い彼らを哀れな眼差しで見つめていた睡骨だが、ふと蛮骨に小声で尋ねた。
「叱責の言葉は、それだけですか?」
「俺にも責任はある」
あさってを向き、蛮骨は大きくため息を吐いた。


 

翌日の昼過ぎ、旦那の一行は帰ってきた。
ほがらかとした島屋の旦那は、出迎えた蛮骨と睡骨に頭を下げた。
「いやはや、ちゃんとした説明もなしに出発してしまい、失礼した」
「父さま…」
遠慮がちに、鈴が蛮骨の影から顔を覗かせる。旦那は驚いたように目を見開いた。
「鈴、外に出ていたのか。不用意に出歩くと危ないから、部屋でじっとしておいで」
旦那の言葉に、蛮骨は呆れて額に手をあてた。
過保護になるあまり、方向性を間違っている。
「旦那、ちゃんと手を引いてやれば、鈴は外に出ても大丈夫だ。
昨日は友達も作れたんだし、これからはもっと外に出してやった方が良い」
「ですが、今は乳母が…」
「あんたが一緒にいてやれば良いだろ。
鈴があんたに構ってもらえなくて、淋しい思いをしているのも、分かってるはずだ。
金で解決できないことから、目を逸らすな」
妻のことも鈴のことも家の者に任せきりで、自分は遊郭に行くなど(もっ)ての外だ。
雇われ人らしからぬ語調で言われ、旦那は口を閉ざした。
鈴を見つめ、目を細める。
「そうですな、あなたの言うとおりだ。仕事を言い訳にして、家族から遠ざかってましたよ。
鈴の目も、妻の病気も、どうにもできないと決め付けて…」
「あ、奥様のご病気ですが」
睡骨が、いそいそと紙切れを差し出した。
「薬の調合の仕方が書いてあります。これを、かかり付けのお医者様に見せてください」
「なんと、この薬で、妻は治るのですか!?」
にわかには信じられない様子で、旦那は口を開閉させる。睡骨はにこりと笑って頷いた。
「良かったなぁ鈴! これで母さんが元気になるぞ!
そしたら、皆で散歩をしたり、遠くへ出かけたりしような!」
旦那が鈴の肩を叩いて破顔する。今にも泣き出しそうな顔であった。
旦那は懐から報酬を取り出した。薬の分も上乗せし、随分な額だった。
「本当にお世話になった。また近くに来たら、遠慮なく立ち寄ってください」
「ありがとうございます、奥様にも、宜しくお伝えください」
蛮骨と睡骨の仕事は終わりだ。彼らは、仲間の待つ宿へ戻らねばならない。
引いていた手をそっと放すと、鈴がぴくりと反応した。
「お兄ちゃん…」
視線を合わせる蛮骨に、彼女は淋しそうに笑った。
「ありがとう。また、会いにきてくれる…?」
蛮骨はわずかに瞠目すると、笑って「ああ」と首肯(しゅこう)した。
「これからは父さんも遊んでくれるから、淋しくないな、鈴」
「うん」
父の手が娘の小さな手をとる。二人は、蛮骨たちを手を振りながら見送った。
昨夜降りしきっていた雨はどこかへ消え、眩しい陽光が注いでいる。
「淋しくないですか、蛮骨さん?」
にやりと笑む睡骨に、蛮骨は胡乱(うろん)な眼差しを返す。
「俺は戦場に身を置く人間だ。鈴たちとは住む世界が違う。
淋しいなんて、言ってられねェだろ」
淋しくない、とは言わない。睡骨はそっと苦笑を滲ませた。
「この町にも、長居しちまったなぁ」
三日のうちに、戦の情報が入っているかもしれない。出発するには良い頃合だろう。
「ぅおーいっ! 蛮骨ー、睡骨ー!」
甲高い声に振り向くと、小妖怪たちである。
「そういえば、あいつらもいたな…」
高く飛び上がる三匹は、そのまま蛮骨の肩に着地した。
「俺たちを忘れて行くなよ!」
「お前ら、ちゃんと鈴に別れを言ってきたか」
「おうよ、しっかり挨拶してきたぜぃ!ついでに昨日のことも謝ったしな!」
昨夜の暗さから一転、元に戻っている小妖怪に、蛮骨は肩眉を吊り上げる。
「昨日は随分反省してたようだが、今日はえらく明るいな」
「だって、鈴が許してくれたんだからよぉ、もう暗くなる必要ないだろ?
蛮骨に睨まれないように大人しくしてるのも、結構疲れるんだよなぁ」
短い手で肩を叩く真似をする小丸に、舜と一角も頷く。
「なんだとっ!? じゃあお前ら、反省の証に大人しくしてたんじゃないのか!?」
「はぁ?」
「あれはっ、あれは演技だったのか!」
「演技っつうか…うん、まあ、演技」
「同情を誘うためのなー」
「大成功だなー」
しみじみと呟く小妖怪たちを、蛮骨は怒り心頭で肩から払い落とした。
「ぎゃっ」
「乱暴はよせよぉ。失態の分はちゃんと謝っただろー」
「いつまでも根に持つと、嫌われるぞぉ」
「うーるーさ―――い!!!こんなことなら、二度と顔を上げれねェくらいに叱り付けてボコボコにして原形なくす程に打ちのめしゃあ良かった!!」
少しでも同情してしまった自分が腹立たしい。
「大兄貴、人に見られてますから…」
睡骨に肩を叩かれて、蛮骨はここが活気付く市の中心であることを思い出した。
「あらあら、あんな小さいのを怒りつけて…」
「大人気ないわねぇ…」
ひそひそとした話し声がそこらから聞こえてくる。
真っ赤になって言葉に詰まる蛮骨を、三匹はニヤリと笑んで見上げた。
その笑みの憎たらしいこと。
「ええい、てめぇらさっさとどっかへ行っちまえ!」
蹴りつけようとすると、紙一重のところで彼らは消えてしまった。
<また会いに来るぜぃ>
<じゃ~な~>
<早く子供作れよー>
声が風にとけていく。
「こ…の……」
わなわなと肩を震わせる蛮骨を、後ろから睡骨が心配そうに眺めている。
我らが大兄貴をここまでおちょくるとは、あの三匹も相当なものだ。
表では神妙な面持ちをしながらも、面白いものが見られたと内心で笑う睡骨であった。

<終>

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