城は慌ただしく、戦の準備に追われている。
城に来て三日目、いよいよ明日が戦の日だ。
霧骨と煉骨は戦で使用する道具の最終確認をし、蛮骨と蛇骨、睡骨は道具を借りて武器の手入れをしている。
夕方にはそれらの作業も終わり、蛮骨たちが片づけをしているところに、勇音が様子を見に来た。
「どうだ、準備は万端か?」
「心配することはねぇよ」
勇音が来たことで、蛇骨はあからさまに不機嫌な空気を漂わせた。隣の睡骨が、ちらちらと様子を窺っている。
「蛮骨、一緒に川に行かないか」
「何しに?」
「別に何もすることはないが……」
大した理由も見つからず、彼女は頭を押さえる。
「女っ!てめぇ、また大兄貴を連れ出そうとしてんのか!用がないならとっとと()せろ!」
「なっ…失礼にも程があるぞ!!」
礼を欠くことにそれほど頓着しない勇音だが、さすがに蛇骨のこの態度には柳眉(りゅうび)を逆立てた。
火花を飛ばして睨みあう蛇骨と勇音。すると蛮骨が勇音の肩を叩いた。
「いちいち怒るな。川に行くぞ」
「え……あ、ああ」
「大兄貴!またそいつの言うこと聞きやがって!!行かせるもんかぁー!!」
飛び掛ろうとするも、睡骨に着物の端を押さえられ、勢い余ってべしゃっと地面に突っ伏してしまう。
「ぶっ!!」
「大兄貴、行け」
涼しい顔で蛇骨を踏みつける睡骨に手を挙げて、蛮骨は勇音と共に城を出て行った。

勇音の言う川というのは、城を出てすぐのところにあった。
道から逸れた森の中にある、静かな場所だ。
「ここは、私が気に入ってる場所なんだ」
少女は草むらに腰を下ろし、流れる川面を見つめる。
「武人になろうと決める前から…沙織姫と二人で、姫として生きてた頃から。
 この場所に来て一人になると、なぜか気持ちが軽くなった」
「そんな場所に、なんで俺を連れてくる?」
自分も腰を下ろしながら、蛮骨は訊いた。
「わからないが……お前にも教えておきたかった。お前になら、教えてもいいかなって…」
苦笑した勇音は、わずかに顔を俯ける。
「明日の戦で、もし私が死んだら……。
 その時は、私を沙織姫だと偽るように、家臣たちには言ってある」
「なに?」
蛮骨が肩眉を吊り上げる。少女は彼の顔を見ずに、続けた。
「沙織姫に何かあってはいけない。だから……
 顔がそっくりな私を、姫だと偽れば、本物の姫が狙われる確率は薄くなるだろう?」
「影武者じみた真似をするのか」
「これほど似通って生まれているんだ、有効に利用しなければな」
ただの側室の姫として城に居座るより、こちらの方がよほど役に立てる。
そう、勇音は考えている。
「死んでも悔いは残らないと言ったのは、こういうことだ。
 私の死には、ちゃんと価値をつけられる」
蛮骨の眉間に皺が立つ。
(いきどお)った様子で立ち上がった蛮骨を、勇音は驚いた様子で見上げた。
「どうした?」
「お前みたいな奴が一番嫌いだ」
「何を言う、私はただ、姫を…!」
「自分が死んでもいいと思ってる奴に、誰かを生かすことができるとでも?」
鋭い一言に、勇音は言葉に詰まる。
「死にたければ死ねばいい。お前の死の価値ってのが、どれほどのものかは知らねぇがな。
 ただ、そんな心構えのヤツに使われてると思うと、虫唾が走る」
冷たい瞳に見据えられ、勇音は無意識に身が(すく)んだ。
今まで、こんなに真正面から自分の意見を否定されたことはなかった。
蛮骨の言葉が、胸の内に何度も反芻(はんすう)する。
打ちのめされて言葉がない勇音をしばし見下ろし、蛮骨は身を翻した。
「蛮骨……」
やっと(つむ)いだ一言が、耳に滑り込み、彼の足を止める。
「蛮骨…私は……」
顧みた視界に映ったのは、いつもの覇気が抜け落ちた小さな肩だった。
死にたいわけでは、ないのだ。死んでもいいなど、本気で思っているわけではない。
彼女がそう思っていることを、蛮骨もわかっている。
もし本気ならば、女といえども(はた)き倒しているところだろう。
軽く息をついて、蛮骨は勇音の隣に戻った。
「俺が何を言いたいのか、わかるか」
こくりと、勇音は頷いた。
わしわしとその頭を撫でると、彼女は恐る恐る蛮骨の顔を見上げた。
そこには、先ほどの冷たい視線はなかった。
「最初から、死んでも良いなんて考えるな。お前はお前だ。誰かのために死ぬ必要はない。
 それだけ守れるなら、俺はもうお前の決めたことに異は唱えない」
「……うん…」
蛮骨が仄かに笑む。勇音も微笑み返した。
それから、二人はしばらく無言で川が流れるのを見つめていた。
夕日に照らされて、川面は赤く色づき、黄金(こがね)に輝く。
ぼーっとしていた蛮骨の手を、唐突に勇音が掴んだ。
「うわっ……何だよ!?」
驚いた蛮骨が怪訝な顔をするのをよそに、彼女は両手で蛮骨の手を握る。
「いや、蛮骨の手は、冷たいのか温かいのか、どっちなんだろうと思って」
「……で?」
「温かい。強い者の手は、温かいものなんだな」
笑って言う少女に、蛮骨はため息をついて額に手を当てた。
「な、なんだ、何かおかしいか!?」
掴まれた手を離し、目をすがめて勇音を見やる。
「お前、絶っっ対今まで恋とかしたことないだろ」
「は…?な、なぜわかる?」
戸惑った様子で勇音が訊いてくるので、蛮骨は疲れたような顔をした。
なぜと言われても、彼女の行動を見ていればそう思うのが普通だろう。
口調や態度はまるで女らしくないし、躊躇いもなく男の身体に触れてくる。
この年頃の娘なら、そうそう簡単にできるものでもないと思うのだが。
指摘され、勇音の顔はだんだんと紅くなっていく。
「い、いいんだ! 武将とは本来、恋などするものではない!
 そんなものに(うつつ)を抜かしていたら、技が鈍るだろう!」
「そうか? 俺はそうでもねぇと思うが」
思いがけない言葉に、勇音はきょとんとした顔で首を傾げた。
「え、お前には心に決めた女でもいるのか?」
「ああ、いるよ」
蛮骨の胸の中に、ある少女の面影が浮かんだ。
わずかに目元が穏やかになったのを認めて、勇音は考えを巡らせる。
「蛮骨が好きになるような女性か…どんな人なんだろう」
「お前とは正反対だ」
にやりと笑う蛮骨に、勇音はむっとする。
「どういう意味だ。……でも、その人は幸せだな。何だかうらやましい」
「俺の女になれるのがか」
「だって、簡単なことじゃないだろ?」
「さぁ…」
自分では何とも言えず、首をひねる。
だが、勇音の言うように、朔夜が幸せと感じてくれるといいなぁと思う。
くすりと笑って、勇音は立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか。夕餉の時間になるだろう」

夜が、更けていく。
「勇音姉さま」
ぼんやりとした灯火に照らされた室内で、呼ばれた勇音は首を巡らせた。
「どうした、沙織姫」
義妹の瞳が、不安げに揺れている。
「姉さま…明日の、戦は…」
小さな声音に、勇音は苦笑して目を細めた。
「恐れることはない。姫のことは、七人隊の者たちが守ってくれる」
「いえ、私のことよりも…姉さまのことが、心配で」
語尾が小さくなっていく。
目を見開いた勇音の前で、俯いた沙織は僅かに顔を歪める。
「姉さまがお強いというのは、家臣たちから聞いて知っています。
 しかし…もし何かあったらと思うと…」
勇音の心の中に、蛮骨の言葉が蘇った。
死んでも良いなどと、考えてはいけない。
「私の心配はいらない。私は生きることだけを考えて、戦うつもりだ。
 沙織姫のもとに、必ず戻ってくるよ」
「……はい。でも、どうか無理はなさらないでください」
「わかった」
しっかりと頷くと、沙織の顔にも微笑みが戻った。
「では、今日はもうお休みください。明日のご武運、お祈りいたしております」
沙織に見送られて、勇音は部屋を出た。
自室へ戻り、準備はとうに済ませてあるので早々に床に着く。
暗い天井を見つめ、明日の戦のことを考えた。
そして、蛮骨のことを。
だんだんと、瞼が落ちてくる。
静かな暗闇の中で、勇音はゆっくりと眠りに沈んでいった。

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