戦の朝は早い。
陽も覗かぬ時刻に、勇音が蛮骨の部屋を訪れた。
こちらもすでに身支度を整えている蛮骨に、彼女は戸口に立ったままで告げる。
「こちらも奇襲隊を編成して、敵の陣に乗り込むことになった。
私は奇襲隊と共に行動するので、先に出るぞ」
「なに？ なら俺も…」
立ち上がろうとする蛮骨に、しかし彼女は首を振った。
「大丈夫だ。お前は予定通り戦に出て、敵の目を引いてくれ」
「だが……」
言いかけて口を閉ざす蛮骨に、勇音は淡く笑む。
「心配するな。お前に言われたとおり、死ぬことなど考えないよ。
砦を一つ潰したら、すぐに戻る」
「…そうか。わかった、気をつけてな」
頷き、勇音は身を翻した。
廊下を行く足音が、遠ざかっていく。
畳を見つめていた蛮骨は、しばらくすると不意に立ち上がって、仲間たちのいる部屋へ向かった。
「皆、準備はできたか」
「おう！ バッチリよ！」
今か今かと出陣を心待ちにしている蛇骨が、ぶんぶんと手を振る。
その拍子に持っていた蛇骨刀が飛び出し、後ろにいた睡骨の足元の畳に突き刺さった。
「あぶねーだろっ！！」
強か殴られ、蛇骨は睡骨をジロリと睨みつける。
「てめェ……昨日といい今日といい、俺の邪魔しやがって、何様のつもりだぁ？」
「あぁ？ 睡骨様だが、何か文句あるか！」
ぎゃあぎゃあと取っ組み合いを始めた二人を半眼で見据え、蛮骨は凶骨と霧骨に向き直った。
「お前たちは、言ってあったように、沙織姫を守っていろ。いざとなったら、姫を連れて逃げて構わない」
「おう！」
「綺麗な姫の護衛かぁ～。やる気が出てくるぜ」
エヘヘと笑い、彼らはさっそく姫の部屋に向かって出て行った。
朝日が顔を出し始めた頃に、蛮骨たちは外へ出た。
城壁の上から様子を窺う。遥か向こうに、敵軍の旗がはためいていた。
出陣は近い。
今ごろ、勇音の奇襲隊はどの辺りにいるのだろうと、蛮骨は遠くを見晴かす。
「こっちは寡兵なんだろ、邪魔されずに敵をうんと殺せるな！」
鉄爪を握り締め、睡骨が口の端を吊り上げた。
ほら貝の音が、太鼓の音に乗って空に響いた。
それを合図に、朝焼けの滲む大地を、数え切れない軍勢が雄叫びと共に駆け出す。
「さて、行くぞ。戦い方はそれぞれに任せる。好きなだけ暴れて来い！」
「おう！！」
七人隊の者たちも、各々好きな方角へ散っていった。
戦場に飛び交う、轟音。
その狭間に悲鳴が重なるようになるのに、そう時間はかからなかった。
圧倒的な七人隊の力に、敵兵たちは恐れおののく。
個々に散らばった七人隊は、己の得物を振りかざして、見る間に戦場を紅く染めた。
遠くから耳に届く微かな悲鳴に、勇音は首を巡らせる。
あの方角で、七人隊が戦っているのだろうか。
彼女らの奇襲隊は、山中の木々に紛れながら敵の砦の後方に回り、突入の機会を窺っていた。
戦場にいくつか点在する敵方の砦。一つでも多く落とせれば、敵兵力の削減に繋がる。
戦場に現れた七人隊に、敵方は恐怖して多くの兵を送り込む。
砦の中が、だんだんと手薄になっていった。
「よし、そろそろ行こう」
そろりと立ち上がる勇音に、味方の武将が心配げな顔を見せる。
「勇音さま、決して無茶な真似はしないでくだされ」
「ここは戦場だ。私よりも、自分の身を案じていろ。
……大丈夫、自分のできることしか、やらないつもりだ」
口元に笑みを乗せ、勇音は兵を率いて砦に突入した。
「おー、やってるやってる」
沙織の部屋の窓から戦場を眺め、霧骨は愉しげに言った。
「ここには誰も攻めてこねぇなあ」
凶骨は、いささかつまらなそうだ。
「あの……戦は、どのような感じでしょうか」
沙織姫がおずおずと尋ねてくる。霧骨は顎に手を当ててじっくりと外を見渡した。
「まだ、こっちが不利な状況だな。俺らの仲間たちが、敵の兵力を削ってはいるみてぇだが。
なに、時間が経てば逆転するさ」
「そう、ですか」
「そうだぜ！ 俺たちは負け戦を何度も覆してきてるんだ！！
万が一ここが攻められたって、ちゃんと沙織姫を守ってやるぜ！！」
腕を振るってみせる凶骨に、沙織姫は微笑んで小さく頷いた。
霧骨が大男の脇を小突く。
「おい、お前、姫に変な気起こしてるんじゃねぇか？」
「えっ？ そ、そんなことねぇと思うけど…！」
「そうかぁ？」
なおも訝しげな霧骨に、凶骨はほんのりと紅くなる。
「だってよぉ、沙織姫、こんな姿の俺にも、優しく接してくれるんだぜ。なんか、嬉しくてよぉ」
「そりゃ、良かったな」
頭をかいて小さくなる凶骨の様子がおかしくて、霧骨は布の下でくつくつと笑った。
彼らが窓の外を眺めている間に、沙織は胸元に手を当てて戦場の義姉に思いを馳せる。
無理はしないと約束したが、彼女の性格を考えると、どこで何をするかわからないのだ。
腹違いの自分を、幼い頃から実の妹のように可愛がってくれた勇音。
もしも彼女が正室の娘で、自分が側室の娘だったら。
運命はどうなっていたのだろう。
勇音は武将になろうとも考えず、穏やかな生活を送っていただろう。
そう思うと、なんだか申し訳なかった。
（姉さま、どうか無事で――……）
ただそれだけを祈るしか、できなかった。
砦は、半時もしないで落ちた。
「よし、一旦城に戻ろう！」
額の汗を拭い、勇音が叫ぶ。
彼女たちは、来た山道を戻って城へ引き返した。
山道を行く途中、勇音は違和感を感じて足を止める。気付いた武将が、首を傾げて振り向いた。
「勇音さま、どうなさいました？」
「いや、なにか、臭いがしたような…」
言いかけた瞬間、前方から轟音が響いた。
はっとして顔を上げると、目の前の足場が崩れている。味方の兵たちが、爆風にのまれて転がり落ちていく。
道に、強力な爆破装置が仕掛けられていたのだ。
「でも、来るときは何も……！」
「まさか、奇襲が読まれていたのでは！？」
隣の武将の言葉に、勇音は歯噛みする。
自分たちが砦を襲っていたときに、罠が仕掛けられたのか。
「早く逃げなければ…！」
前の道は断たれている。一度砦の方角に戻って道を逸れようと考えた勇音は、身を翻して瞠目した。
後方には、敵兵がずらりと並んでいたのだ。
弓や刀をこちらに向けて、一歩も逃げる隙がない。
敵将が前へ出てきて、にやりと笑った。
「残念だが、お前たちにはもう逃げ場はない。こちらに寝返るか、腹を斬るかしてもらおうか」
勇音はちらりと視線を滑らせた。
味方の兵はほとんどが崩れた土砂とともに落ちてしまい、残っているのはごくわずか。
立ち向かっても、勝てる可能性は無いに等しかった。
「どうだ、寝返る気になったか？」
「寝返るくらいならば腹を斬る！！」
勇音ははっとして、後ろにいた武将を顧みる。
彼は刀を引き抜き、敵の兵に向かって駆け出した。
「平助！！ やめろ！！」
引きとめようとした指は、むなしく空を掴んだ。
矢が、放たれる。
それらは、刀を振り上げた武将に、味方の兵たちに、次々と突き刺さった。
勇音の瞳が凍りつく。
武将の身体が、横に倒れた。
そのまま、抵抗も無く斜面を転がり落ちていく。
「平助――――っ！！！」
勇音は愕然と膝をつき、山の斜面を必死に覗いた。
その肩を、乱暴に敵将が掴み、振り向かせる。
「つまらん武将だ。さあ、次はお前か？」
「っ……」
敵将と目が合う。すると、不審なものを感じたのか、彼は僅かに眉を寄せた。
兜を剥ぎ取られ、結い上げた長い髪が、肩にこぼれ落ちた。
「ほう、女だとは」
顎を掴み無理に上向かされる。痛みに顔が歪んだ。
「ん？ その顔は…」
敵将が目を剥く。
「どうされました？ その女に見覚えでも？」
敵兵が尋ねると、彼は頷いた。
「以前城を訪れたときに、見たぞ。確か、城の姫君だ。名は……沙織、といったか」
はっと、勇音は目を見開いた。
この男は、自分を沙織と勘違いしている。
「この女は使えるぞ。おい、殺さずに、縄で縛っておけ」
「は！」
兵たちに囲まれ、勇音は抵抗する間もなく拘束された。
それでもなお、強い瞳で敵を睨み据える。
「私をどうするつもりだ」
「敵城の姫となると、いい人質だ。
どういうつもりで戦に紛れ込んでいたのかは知らんが、こちらにとっては良い拾い物ぞ」
縄を引き、敵は山を登っていく。猿轡をされ、周りを兵に取り巻かれて、勇音は連れて行かれた。