戦が終わりを告げたのは、陽が沈む直前、東の空が青く色づく頃だった。

七人隊の活躍により、寡兵だったこちらが勝利することができたが、皆の消耗は激しかった。
人間離れの体力を備える七人隊の面々でさえ、城に戻るなりへろへろと座り込む。
「よー煉骨の兄貴…そっちはどうだった?」
先に帰ってきた蛇骨が、やってきた煉骨に手を振る。汗を拭きながら、煉骨は口の端を上げた。
「大いに楽しめたぜ。新作の出来具合も試せたしな」
「あれ、そういや大兄貴は?」
「ん? お前と一緒じゃなかったのか」
二人はきょろきょろと周りを見回した。が、蛮骨の姿は見えない。
「まだ、戻ってねぇのかなぁ…」
蛇骨が首を傾げたとき、門の外を眺めていた睡骨が声をあげた。
「おーい、大兄貴が戻ってくるぞー!」
その言葉にどれどれと煉骨と蛇骨も門外へ出る。
向こうに、蛮竜を持つ蛮骨の姿が見えた。
「本当だ。おーいっ、大兄貴ー!!」
笑顔で手を振る蛇骨の横で、煉骨は何かに気付いた。
「大兄貴の隣にいるのは……蒼空じゃねぇか?」
「え、…あっ、本当だ!戦場で一緒にいるなんて、珍しーなぁ」
「蒼空がいるなら、乗って帰ってくりゃいいのに。何で歩いてるんだ…?」
彼らの姿が、ゆっくりと近づいてくる。
出迎えに駆け出した蛇骨は、蒼空の背にあるものを見て、驚いて立ち止まった。
「大兄貴、そいつ……」
蒼空の背には、少女が横たわっている。
その身体から、生気は感じられなかった。
「よぉ蛇骨、戦は楽しめたか…」
「え、うん…」
目を細め、それ以上は何も言わずに、蛮骨は蛇骨の横をすり抜けていく。
門前で待つ煉骨と睡骨も、勇音の骸に言葉を失った。
巨大な狼も構わずに城内へ入れると、そこにいた兵たちがざわめいた。
が、それはすぐに叫び声に変わる。
「勇音さま!!」
「勇音さまが…!」
蒼空の背から勇音を下ろし、(むしろ)の上に横たえる。
彼女の顔は白く血の気を失っていたが、それでもなお強さを放っているようだった。
「勇音姉さま……!!」
騒ぎを聞きつけた沙織が駆け寄る。
義姉の変わり果てた姿を認めると、彼女は力を失って泣き崩れた。
蛮骨は彼女の後ろに控える凶骨と霧骨に目を向ける。
「お前たち、姫を護ったんだな……よくやった」
「いや……」
誉めてもらえても素直に喜べず、二人は視線を落とした。

蛮骨はとくに咎められることもなしに、自室へ戻された。
柱に寄りかかり、天井を見上げて目を閉じる。
脱力感で何も考えられない。
戦で死ぬのは誰にでも可能性があることだ。
だが、自分の目の前で射られたことが、自分を庇って死んだことが、胸の内を重くする。
仕方の無いことだと、気に病むことではないと、皆が言うようにはいかなかった。
夕餉を食べようと煉骨が誘いに来たが、とても食べられる気分ではなかった。
日が落ちて、暗くなっていく。
一度は布団に入ったが、やはり寝付けなかった蛮骨は、縁側に出て月を仰いでいた。
静かな夜である。城の者たちもとうに寝付いているのだろう。
額に手を当てて長く息をついた蛮骨の視界に、白いものが映った。
視線を巡らせると、蒼空がこちらにやってくる。
城の庭にいることを許してもらったのだ。
「蛮骨……眠れないのか?」
心配げな狼の瞳に、蛮骨は苦笑を返した。
「なぁ、俺のこと、やっぱり怒ってる…?」
俯いて、耳を垂れる狼。勇音に頼まれたからといって、彼女をあの場所から動かしてしまったことに責任を感じているのだ。
頭を撫でてやると、蒼空は灰色の瞳をこちらに向けた。
「怒ってねえよ……俺がお前と同じ立場でも、そうしただろうさ」
何しろ自分は、彼女と約束していた。彼女の決めたことに異は唱えないと。
蒼空を見つめた蛮骨は、その毛並みが汚れているのに気付いた。
勇音の血だ。彼女を背に乗せてきたから、付いてしまったのだろう。
「蒼空、川に…行こうか」
「えっ、今から?」
「お前の毛を洗ってやるよ」
戸惑う蒼空の背に跨り、蛮骨は狼を走らせた。
見張りに気付かれないように塀を飛び越え、蛮骨の教えるとおりに、蒼空は足を進める。
行き着いた川は、差し込む月光で青く照らされていた。
蒼空の背から降り、蛮骨は目を細める。
昨日勇音に連れて来られた時に見た光景とは、雰囲気が違う。
川に入り、蛮骨は蒼空の背についた血の跡をごしごしと擦った。
血の跡と一緒に、自分の心にわだかまるものも流してしまえればいいのにと、思う。
何かを堪えるように一心に手を動かす蛮骨を、蒼空が気遣わしげに見やる。
「いいよ蛮骨……自然に落ちるからさ」
鼻先で肩をつつくと、ぴたりと蛮骨の動きが止まる。
「無理するなよ、蛮骨……。俺でよかったら、何でも聞くから…」
首を傾けて見上げると、彼は僅かに目を見開いた。
岸辺に座り込み、川の流れを見つめる。蒼空もその隣に腰を落とした。
川の流れる音と、時々響く虫の声。
そんなものに囲まれてただぼうっとしていると、なるほど確かに、城内にいた時より気が楽だった。
「勇音に、惚れてたわけじゃ…ねぇんだ」
(ようよ)う呟いた言葉に、蒼空はうんと頷く。
蛮骨の心にいるのはいつも一人の少女。彼女以外は、ない。
「でも……死なせたくねぇと、思ってた」
またうんと頷き、蒼空は尾で蛮骨の背を軽く叩いた。
それもまた、好きという言葉の括りに入るもの。恋愛感情ではなく、大切だという意味で。
人間の好きという言葉には、色んな種類があることを、蒼空も知っている。
だからこそ、人は辛い思いをしてしまうのだということも。
「俺は、大切なものを護れなかった。
あれからずっと、いつかまた、俺は大切なものをこうして失っていくんじゃないかって、そればっかり考えて……」
そんな弱い考え方は、捨てたものだとばかり思っていたのに。
深く息を吐く蛮骨の背を、白狼は尻尾で(さす)り続ける。
いつもは頼りになる背中が、今はひどく小さく見えた。
それは、いつか見た少年の姿と重なる。
二百年待ち続けてやっと出会えた蛮骨の姿は、本当に彼とそっくりで。
彼のために、あの時できなかったことができたらと、そう思う。
ゆっくりと立ち上がる狼に、蛮骨は瞬いた。
「蒼空…?」
蒼空は目を細めて、背中を示す。
「乗って」
「は……? どこに行く?」
「いいから」
怪訝な顔をしながらも、言われたとおりにその背に跨ると、蒼空は行き先を告げることなく走り出した。
今までにない速さで。
「ちょっ……早っ…早すぎだって……!!」
辺りの景色がびゅんびゅんと過ぎていく。
風に頬を打たれながら、蛮骨は必死で蒼空の背にしがみついた。
目を開けるのもつらい風が止んだのは、随分と経ってからだった。
蒼空が足を止め、蛮骨はそろそろと目を開ける。
「ったく、どこに連れて来たんだよ……」
よろよろと背中から降り、何度か瞬きして辺りの景色を見つめる。
「よく見なよ」
頭が覚醒していない蛮骨の足を尾でつついて、蒼空は眼前を指す。
「ん……?」
頭を押さえ改めて自分のいる場所を認識した蛮骨は、瞠目した。
そこは、門の前。
真夜中、ひっそりと静まり返る町中に佇む、見慣れた場所だった。
蒼空を振り向き、蛮骨は口を開ける。
何かを言いたそうにしているのだが、うまく言葉が見つからない様子だ。
「会いたかったんだろ? 早く行けよ」
蒼空はぐいと腰を押して彼を門の内へ入れると、くるりと身を翻す。
「じゃ、帰るときにまた呼んでよ」
そのまま暗闇の中に消えていく白狼を呆然と見送る。
城から抜け出したままの姿でここにいるのは、どうにも不思議な気分だった。
久しぶりの家をまじまじと見つめ、夢ではないことを確認すると、蛮骨は家の中へゆっくりと踏み入った。
もうとっくに寝ている刻限である。起こさないように、極力足音を忍ばせた。
暗い中、廊下に差し込む微かな月明かりを頼りに、目的の部屋に行き着く。
ひとつ呼吸をして襖を開けると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ゆっくりと、その枕元に近寄る。丁度、障子窓から透ける青い光に、照らされていた。
膝をついてその顔を覗きこむ。
前に見た時と変わらない寝顔を認めた瞬間、言い知れぬ安堵に胸が満たされたようだった。
名前を呼びたい。でも、起こすわけにもいかない。
そっと手を伸ばし、その髪を撫でた。
―――お前が、好きだよ…
勇音の言葉が、蘇る。
―――お前の、好きな…人には…こんな思いは……
涙で濡れた、最後の言葉が。
項垂(うなだ)れていると、目の前の少女がのろのろと目を開けた。
二、三度ゆっくりと瞬き、彼女は手を伸ばす。
「蛮…骨…?」
声にはっとして顔を上げると、目があった。
朔夜(さくや)……」
驚き顔で、朔夜は身を起こす。
「えっ……本当に、蛮骨?夢じゃない?い、今帰ってきたの!?」
「へ…?あ、いや…そろそろ仕送りが入り用かと思って……」
言いながら、馬鹿なことを、と思った。
こんな常識外れの時間に仕送りなど持って来るわけがない。それに自分は今、一銭も持ち合わせていない。
言い訳が思いつかず言葉を切り、ふいに蛮骨は朔夜を抱きしめた。
突然のことに彼女は身を固くする。
「違う…理由なんかねぇ……お前に会いたかった。ずっと、会いたいと思ってた…
お前が無事にここにいてくれて、良かった……」
耳に滑り込む声が僅かに震えをはらんでいるのに気付き、朔夜は息を詰めた。
「蛮骨……」
何かあったのだと、聞かずとも分かった。
気にはなったが、それが何なのかは問わない。
自分にとって辛いことを、蛮骨はあまり語らないのだ。
「私も、会いたかった……ずっと待ってた…蛮骨」
背中に腕を回し、首筋に頬を寄せる。
「愛してる、朔夜……」
唇を合わせ、顔を離して互いを見つめ合う。
数刻前まで戦場に立っていたとは思えないほど、蛮骨は優しい目をしていた。

そこで過ごした時間は、一時(ひととき)もあったろうか。
「……そろそろ、戻らねぇと」
夜具の中で呟く蛮骨の身体に身を寄せていた朔夜が、窓の外に目をやる。
「まだ外は暗いわ…もう、帰ってしまうの……?」
「俺がここに来ていることは、誰も知らないんだ。朝になる前に、城に戻った方がいい」
「そう……」
一瞬、淋しそうな顔を浮かべたものの、彼女も共に身を起こす。
見送りに外へ出た朔夜を振り返り、蛮骨は苦笑した。
「変な時間に来て悪かった。お前のことも起こしちまったし…」
「それはいいの。でも……」
袖を引き、朔夜は心配げな目を向ける。
「また、辛いことがあったら……ここで良ければ、いつでも帰ってきていいから……」
軽く目を見張り、蛮骨は仄かに笑って頷いた。
最後に一度口付けを交わし、蛮骨は身を翻した。
門前で待っている蒼空に跨る。
その首を擦り、彼は目を細めた。
「蒼空」
「ん?」
「……ありがとな」
蒼空は小さく笑い、尾を揺らすと一気に駆け出した。


「本当に、もう行かれてしまうのですか?」
「ああ、俺たちは雇われ兵だからな。次の仕事がもう入ってるんだ」
「せめて、姉の葬儀の間だけでも……」
言い募ろうとする沙織の肩を、城主が叩く。
彼が首をふると、沙織も諦めて黙り込んだ。
「皆の働きには感謝している。いつかまた、この辺りに来ることがあったら、どうか勇音の墓に立ち寄ってもらいたい」
「ああ。そうする」
七人隊は別れを告げると、城を後にした。
数刻前まで蛮骨が全く別の場所にいたことは、誰にも知られていない。
「あーあ、沙織姫とせっかく仲良くなれたのになぁ……」
口惜しそうに肩を落とす凶骨が、後ろを振り返る。
沙織が手を振っているのに気付いて、彼も小さく手を振り替えした。
「まぁ、おめぇには百年に一度の好機だったかもしれねぇな」
くくく、と笑う霧骨をギロリと睨み、大男は怒号する。
「なんだと! てめぇにだけは言われたくねぇ!!」
「静かにしねぇか!! 頭の上から叫ぶんじゃねぇよ!」
煉骨に叱咤(しった)され、凶骨はしゅんとしている。
「へへっ、凶骨も可哀想になぁ~」
蛮骨の隣を歩く蛇骨がにやにやと笑う。
「でも、大兄貴が元気になって良かったよ。昨日はちょっと暗かったからさぁ」
「心配かけたか? そりゃ悪かったな」
「ま、気にすんなよ。大兄貴も人間なんだし、明るくなったり暗くなったりしても当たり前だって」
「……お前はそれが激しすぎるがな」
「え、なんか言った?」
「何でもない」
笑いながら、蛮骨は歩を早める。
負けじと蛇骨も早足になった。
「おいおい、待てよ」
睡骨が二人を追いかけ、その背をつつく。
振り返ると、銀骨が故障を起こしていた。
「えーっ、出発したばっかでもう!?煉骨の兄貴、ちゃんと点検したのかよ!!」
呆れ返る蛇骨の言葉が聞こえたのか、煉骨が何やら言い返している。
そんな言葉を遠くに聞きながら、蛮骨はまた一つ、笑った。

<終>

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