ぴくりと、獣の耳が動いた。
閉じていた瞳がゆっくりと見開かれる。
うずくまっていた狼は、頭をもたげて彼方を見やった。
「……やっと来た」
待ち望んだこの時が。
二百年の願いが、やっと叶う。
狼は立ち上がると、はやる気持ちを抑えながら気配の方向へ向かった。

大願成就

七人隊は大きな森の中で、野宿の準備をしていた。
小枝を拾ってきて、火を付ける。
しばらくすると凶骨がイノシシを肩に担いで戻ってきた。
そのすぐ後に、睡骨が籠いっぱいに魚を獲って戻った。
「ほぉ~、今日は大量だな。腹いっぱい食えるぞ」
蛮骨は獲物を見て満足そうに言った。
「この辺は自然条件がいいみたいでよ、魚も動物もたくさんいるぜ」
籠を下ろした睡骨は川の方角を指差した。
「あっちに小さな滝があった。大兄貴、水浴びでもしてきたらどうだ?
魚焼いて待ってるぜ」
「おう、じゃあ行ってくる」
気温も高く汗をかいていた蛮骨は、仕度をすると睡骨が示した方向へ向かおうとした。
が、背後に嫌な気配を感じて足を止める。
「……蛇骨」
振り返らずとも、あの弟分が後ろにいるのがわかる。
「いいじゃんよ~、俺も汗かいたし、一緒に行こうぜ!」
「嫌だね。水浴びくらい一人でさせろ」
蛮骨は思い切り不機嫌な顔で蛇骨を睨む。
しかし蛇骨の方はニヤニヤと笑っていた。
「別に一人でしててもいいんだぜ?俺は横で眺めて……」
最後まで言い終わる前に、彼の言葉は途切れた。
「おい睡骨、そいつが来ないように縄で縛っとけ」
「おう、まかせとけー」
殴られて地に伏した蛇骨を睡骨に任せて、蛮骨は気を取り直して水場へ向かった。
「ほんと、こりねぇヤツ…」
蛮骨の背を見送って睡骨が呟くと、蛇骨が地面に倒れたまま、低く唸った。

陽が暮れかかっているので、視界が悪い。
つまづかないように注意しながら、蛮骨は水場を目指して歩いた。
しばらく行くと、睡骨の言っていた小さな滝があった。
滝といっても形だけで、本当に小さい。
水浴びをするのに丁度いい大きさだ。
水は冷たいが、この暑い時季ならそれも心地よかった。
一応、蛇骨がついてきてないことを最終確認し、蛮骨は着物の合わせに手をかける。
だが、その手が止まった。
視線を感じる。
(蛇骨のやつ、やっぱりまだついてきて…)
一瞬そう思ったが、何かが違うような気がした。
視線は感じるが、気配は感じないのだ。
蛇骨なら、蛮骨相手にいちいち気配を消すなどといった回りくどい事はしないのではないか。
むしろ、はたき倒されると知りながら、堂々と飛びついてくるような気がする。
蛮骨が不審に思った瞬間、目の前の水が跳ね上がった。
反射的にそこを飛び退くと、今までいた場所に無数の棘が刺さっていた。
はっとして顔をあげると、目の前に巨大な妖怪が水の中から身体を乗り出していた。
妖怪は魚のような体に前足があり、硬そうな毛に全身を覆われている。
「何だおまえはっ!!俺の楽しみを邪魔すんな!!」
「うるさいわ!俺の縄張りに侵入した罰だ、お前を食ろうてやる!!」
言うと妖怪は大口を開けて、鋭い棘を吐き出した。
蛮骨はそれを避け、間合いをつめると妖怪の体に蹴りを浴びせた。
が、妖怪の体は予想以上に頑丈で、蹴った衝撃がそのまま自分の足に返ってきた。
「ふん、人間ごときの攻撃がきくか!馬鹿者め、己の足を痛めおって」
隙をついて、妖怪が長い尻尾をはらった。
それに叩かれ、蛮骨は岩に激突してしまった。
(ちっくしょーっ、武器があればこんな妖怪……)
ヨロヨロと身体を起こし、蛮骨は妖怪を睨み上げる。
「何だその生意気な目は!」
妖怪は蛮骨に向けて棘を飛ばした。
蛮骨は痛みをこらえて飛び上がり、それを回避する。
それがいけなかった。
足の痛みがさらに増し、蛮骨は動けなくなってしまった。
「もう立てまい。愚かな人間、妖怪の縄張りに踏み入ったこと、後悔するがいい!!」
蛮骨は一瞬、睡骨を恨んだ。
(あのやろー、ちゃんと調べねぇで……)
だが、水浴びだからといって油断していた自分も悪かったんだろう。
蛇骨を追い払ったくらいで一安心していたのだ。
陽が暮れて、夜の帳が下り始めている。
きっと皆は、魚でも焼いて楽しくやってるに違いない。
そんなことを頭の隅で考えていると、妖怪がトドメと言わんばかりに尻尾で叩きつけてきた。
長く大きな尾が、眼前にせまる。
やられる、と思い、蛮骨は思わず目を閉じた。

……が。

いつまで経っても痛みは襲ってこない。
「……?」
不思議に感じた蛮骨は目を開けてみた。すると。
蛮骨は目を見開く。
目の前に大きな獣がいて、叩き付けたはずの妖怪の尾を受け止めていた。
四肢をふんばって、蛮骨をかばうようにして立っている。
白銀の毛が、夜の水の光を受けて淡く光っていた。
白い、狼だ。
妖怪は渾身の一撃を受け止められて、目を瞠った。
「お前はっ……!」
狼は鋭く妖怪をにらみ付け、牙をのぞかせる。
すると妖怪は、びくりと身を震わせて水の中へ引き返していった。
今まで威勢が良かったはずの妖怪の反応を見て、蛮骨は唖然としていた。
妖怪が退却したのを確認すると、白狼は蛮骨の方に身体を向けた。
あの妖怪がすごすごと退散したのを見ると、この狼は奴よりも強いのだろう。
自分をかばうフリをして、獲物を横取りしようとしているだけなのかもしれない。
蛮骨は警戒して、狼に強い視線を送った。
白狼は蛮骨のもとへ歩み寄ってくる。
そばでちゃんと見ると、その狼は普通の狼の倍以上はあるのではないかと思われた。
「怪我はないか…?」
いきなり、狼が話しかけてきた。
口をきいたことにまず驚いたが、なぜ自分を気遣うのかも訳がわからない。
蛮骨が答えるより先に、狼は彼の足に目をやった。
「ああ…。足を痛めたんだな。まったく無茶して、隼人はやっぱり変わってないなぁ」
「はやと……?」
聞きなれないその名前に、蛮骨は首をかしげた。
人違いをしているのだろうか。
「何で俺を助けたんだ…?」
問うと、狼は灰色の目を細めた。
「何でって、ずっと待ってたからさ。隼人たちがここに来るのを」
「隼人って誰だよ。俺は隼人なんて名前じゃねぇぞ」
「うん、そうだろうね。でも、お前こそが、俺の待ち続けた隼人なんだよ」
狼は嬉しそうに尻尾を振った。
蛮骨は全く意味がわからない。
「何のことだ…。俺が、隼人だって?」
「ワケがわからないのも仕方ないさ。
詳しい説明は後々するよ。とりあえず、仲間のもとに戻らないとね」
狼は蛮骨に、背中に乗るよう促した。
どうして仲間がいるとわかったのだろう。
蛮骨は一瞬躊躇したが、やはりこの足では歩くのも大変だと思い、大人しくその背に乗った。
「そうそう、俺の名前は蒼空そら。お前は?」
「蛮骨だ」
「蛮骨かぁ」
蒼空という名の狼は、面白そうに背を揺らした。
「何がおかしい?」
「おかしいんじゃないよ、嬉しいんだ。ずーっと一人で、お前に会えるのを待ってたんだよ」
蛮骨は首をひねった。
自分はこんな狼など知らない。
なのに蒼空のほうは、自分のことをよく知っているようだ。
白狼は、案内なしに七人隊の仲間たちがいる方向へと足を進めていた。
突然現れた大きな狼に、皆は目を剥いた。
そしてよく見れば、その背に蛮骨が乗っているではないか。
「大兄貴!そのでっけぇ狼は何だ!?」
狼の背から降りた蛮骨に、すかさず煉骨が訊いた。
「俺もよくわからねぇんだけど、助けてくれた」
「助けたって…何があったんだ?」
「水浴びしようとしたら、妖怪に襲われてな。足を怪我しちまったんだ。
で、この狼に助けられた」
蒼空は、七人を見て目を輝かせた。
「すごいっ!本当に皆いる!!」
「はぁ?お前、こいつらのことも知ってるのか?」
蛮骨が問うと、狼は嬉しそうに頷いた。
「皆のことを待ってたんだ!」
「大兄貴、そいつ何言ってんだ?」
睡骨が首を傾ける。
「どうやら、俺たちが来るのを待ってたらしいぜ。でも何でだ?」
見ると、蒼空は目を潤ませていた。
「ううぅぅ~、俺、嬉しいよぉ。二百年、皆の転生を待ち続けてたんだ」
涙ながらの蒼空の言葉に、煉骨は耳を疑った。
「はいっ!?二百年?転生だと!?」
まったくこの狼は何を言っているのかわからない。
だが、狼は至極真面目にうなずいた。
「そうだよ。おれは、お前たちを知ってるというよりは、お前たちの前世を知ってるんだ。」
「前世?俺たちの?」
蛇骨はよく分からないという風情で聞き返す。
「そう。二百年前の、お前たちと同じ魂を持っていた人たちをね」
それを聞いて、思いついたかのように蛮骨は顔をあげた。
「それじゃ、お前がさっき言ってた、隼人ってのは…」
「前世の蛮骨の名前だよ」
一同は唖然としていた。
言葉が見つからない。
すごく嘘くさいが、狼は大真面目に話している。
こそっ、と煉骨が蛮骨にささやいた。
「大兄貴、どうすんだよコイツ。まさか、こんな狼の言うこと信じちゃいねぇだろーな?」
「し、信じてるワケねーだろ。でも、だとしたら何で俺を助けたんだ?」
「知るかそんなの」
蛇骨は、白狼の方へ近づいた。
「それにしても、でっけー狼だな。それに、白い狼なんて初めて見たぜ。
お前、妖怪なのか?」
「もとはタダの狼だったよ。
でも、皆を待って二百年も生きてたから、今はもう妖怪みたいなものかもしれない…」
「俺、難しい話はよくわかんねーけどさ。
つまりお前は、そんなに長い間俺たちを待ち続けてくれたんだな。
うう…健気なヤツだなぁ……」
蛇骨は、蒼空と一緒になって涙をこぼし始めた。
それを見て煉骨は呆れてしまう。
「大兄貴…」
「ほっとけ。あいつの場合、意味もわからず泣いてるんだから」
蛮骨は彼らをそのままにし、焚き火のそばへ行った。
そこにはすでに焼き魚が用意され、イノシシの肉もあった。
「蒼空」
蛮骨が呼ぶと、狼はぴくんと耳を動かした。
「蛇骨!蛮骨が、俺の名前呼んでくれたよっ!!」
「おう!よかったなぁ~」
この一瞬のうちに、蛇骨と蒼空は一気に仲良くなっていたらしい。
「いちいち感動するな!それより、早くこっちに来い」
蒼空は嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってきた。
そこに、蛮骨が焼き魚をさしだす。
「助けてくれた礼だ。食っていいぞ」
今日は大量だったので、自分が食べる分もまだある。
蒼空は目を輝かせて魚に食いついた。
はぐはぐと魚を食べる狼を横目に、蛮骨も夕食を口にする。
「それ食ったら、さっさと家に帰んな」
それを聞いて、蒼空ははたと顔を上げた。
「おれ、帰らないよ。これからは蛮骨たちと一緒に生きるんだから」
「はぁ!?そんなの無理に決まってるだろ! 狼なんか連れていけるか!!」
慌てて反論する蛮骨に、蒼空も負けじと言い返す。
「俺だって、せっかく皆と会えたのに、また別れるなんていやだよ!!
二百年も待っててやったのに、そんな言い方あんまりだ!!」
「何だと!大体、待っててくれなんて頼んでねーし、お前の話はさっきから嘘くさいんだよ!!
馴れ馴れしくすんじゃねぇ!!!」
がんっ、と蒼空は衝撃を受けたようだった。
魚も食べかけのまま、ふらりと立ち上がるとそのままどこかへ歩き出していった。
蛮骨はフンとそっぽを向いて魚を食べ続ける。
子供のような喧嘩がやっと終わったと、煉骨はほっとしていた。

夜になって、みんなが寝静まっても、蒼空は戻ってこない。
なぜだかそれが気になって、蛮骨は眠れずにいた。
自分が帰れと言ったのだから、蒼空が出て行ったのは願ったり叶ったりのはずなのに。
蒼空が話していたことを、思い返してみた。
自分たちの前世と縁がある狼。
自分の前世は隼人という人間で、おそらく蒼空と仲がよかったのだろう。
で、蒼空が前世の七人を知っているということは、七人隊は前世でも七人一緒だったことになる。
やっぱり、嘘くさい。
だが、もしそれが真実だったら…。
しばらく夜空の星を眺めていた蛮骨は、頭をかいて起き上がった。
(あーもう、スッキリしねぇ。わかったよ、蒼空に会いに行けばいいんだろ)
立ち上がろうとした時、すぐそこの寝床がガサリと動いた。
息をひそめていると、蛇骨が起き上がる。
「やっぱ気になる。蒼空を探しにいこ…」
ぼそりと呟くと、蛮骨に気付かないまま蛇骨は歩き出した。
森の中だが、月明かりが差し込んで見通しがきく。
蛮骨は少し逡巡した後、そっと蛇骨の後をついていった。

蛇骨は適当に、ずんずん歩いてゆく。
彼に気付かれないようにしながら、蛮骨もその後に続いた。
それほど行かないうちに、蛇骨は歩みを止めた。
気付かれたのだろうかと蛮骨は一瞬身を硬くしたが、すぐに違うことがわかった。
「蒼空っ!」
蛇骨が駆け出す。その先には、月明かりに蒼く照らし出された、大きな獣がうずくまっていた。
蛇骨の声を聞きとめて、蒼空は顔をあげる。
「蛇骨……? どうして…」
「何か心配になってさ。でも、案外近くにいたんだな」
蛇骨は蒼空の横に座り、大きな体に身をあずけた。
「戻ってこないのかよ」
「だって、蛮骨が…俺のこと、邪魔に思ってるだろう?」
「大兄貴は素直じゃないからなー。
でもさ、そんなことでお前の二百年の苦労を水の泡にしていいのか?」
白狼はうつむいた。
「蛇骨は信じてくれてるんだね。俺だって一緒にいたいよ…もう、一人で待つのは嫌だ。
みんなに会いたくて会いたくて、そればっかり考えて生きてきた」
「そういえば、俺の前世ってどんなだった?」
突然蛇骨に訊かれて、狼はうーんと首を傾ける。
「今とそんなに変わらなかった気がする」
「そうなのか?大兄貴も、他のみんなもか?」
「うん。みんな、びっくりするぐらいそっくりなんだ」
蒼空は星空を見上げた。
「隼人は優しかったんだ。蒼空って名前も、隼人がつけてくれたんだよ。
おれ、隼人が大好きだった……でも、蛮骨は俺のこと全然覚えてないんだよな、当たり前だけど…」
淋しげに言う蒼空の背を、蛇骨はぽんぽん叩いた。
「大丈夫だって。俺も、大兄貴が大好きだ。記憶がなくたって、絶対お前も大兄貴が好きになる。俺が後押ししてやっから、明日また頼んでみろよ」
「本当?じゃぁ俺、もう一回頑張ってみるよ」
蒼空は尻尾をふって喜んだ。
木の陰からそれを見ていた蛮骨は、小さく息をついてその場を後にしたのだった。

翌朝。
七人が旅じたくをしている時、蒼空がやってきた。
蛮骨は知らぬふりをして、自分の手荷物を確認していた。
「蛮骨…」
蒼空は蛮骨のもとまで来ると、頭を垂れた。
「なんだよ」
「俺も一緒に行きたい」
蛮骨は静かに狼の灰色の瞳を見つめた。
蒼空はそれを正面から受け止め、おずおずと言葉を続ける。
「邪魔にはならないようにする。食べ物も自分で獲るし、ちゃんと荷物運びとかも手伝うよ。
何でも言いつけていいから、俺も蛮骨たちと一緒に連れて行ってくれ」
蒼空が必死にお願いしているのを、遠くから蛇骨が不安そうに眺めていた。
蛮骨はしばらく無言で考え、蒼空の目を再びのぞきこんだ。
「たまになら」
「え?」
「いつも一緒にいることはできない。俺たちも仕事があるからな。
だから、たまに時間がある時とか、俺が呼んだ時に、会いに来ればいいんじゃねぇの?」
「い、いいの!?蛮骨、俺のこと忘れないで呼んでくれる?」
驚いた顔の狼に、蛮骨はこくりと頷いた。
すると、みるみる蒼空の顔が明るくなった。
蒼空は蛇骨の方へ駆け出していった。
願いが叶ったことを報告しにいったのだろう。
やれやれと蛮骨が肩をすくめていると、煉骨がそばへ来た。
「どうして許可したんだ。てっきりまた追い払おうとするのかと思ったのに」
「気まぐれだよ、いつもの」
にっ、と笑って言う蛮骨に煉骨は腑に落ちない様子だったが、それ以上追及しようとはしなかった。

深い森を抜け、次の目的地までの長い道のりを、彼らは歩き続ける。

いつもと同じ旅が今日もまた始まる。
ただ、昨日までと違うのは。

その七人に寄り添うように、しっかり後をついていく白い獣の姿があることだ。

<終>

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