翌日、凪は襲の腕に抱えられ、森を遠く離れた上空を飛翔した。
襲は少なくともあと一日安静にしているよう言ったのだが、凪が頑なに「これ以上主を待たせるわけにはいきません」と言い張り、無理をしてでも出立しようとした結果、襲に送られることになってしまったのである。
自分では到底出せない速度と高度で空を駆けながら、凪は申し訳なさに縮こまる。
『あの……重ね重ねご迷惑を』
深紅の瞳が見下ろしてくる。頬の怪我は、本人が言ったとおり一夜にして跡形も無く消えていた。
怪我といえば、初めて会った時は指に噛み付いてしまったような気がする。あの時は理性より生存本能の方が強く働いていたとはいえ、今にして思えばありえない行為だった。
「たまには森の外を歩きたくなっただけだ。そのついでに送っていく」
淡々とした口調から察するに、半分以上本音なのだろう。
七人隊が頃来の拠点にしている建物の上空へ、あっという間に行き着いた。
少し離れた木立の中に着地すると同時に、襲は人身をとる。
黒い着流しに同じく黒の羽織を纏っただけの、どこにでもいる人間の格好だ。
「俺も行こう」
『えっ! それは、主たちにお会いになるという事ですか』
ここからは自分ひとりで行くつもりだった凪が目を剥く。
「お前の主に少し興味がある。顔を見たらすぐに帰るがな」
全く興味が無さそうな顔をしながら言う。
凪がはらはらとしている間に、隼を脇に抱えた二十代中程の男は寂びれた建物の戸口に立った。
「さて」
そう言ったかと思うと、それまで無表情だった面に人好きのする笑みが刻まれて、凪はぎょっとした。
「もし、どなたかいらっしゃいますか」
戸口からかける声も、これまでの抑揚に欠けるものから一変している。
少しして、入り口が開けられた。中から現れたのは蛇骨である。
「はいはいー。おりょ? あんた誰?」
誰何しながら、気怠げだった蛇骨の目がきらきらと輝いていく。すらりと背の高い襲の、涼しげな相貌に見入っているようだった。
「どうも。私は各地を旅しながら各種の情報を売って歩いてる者でして、名を襲と申します」
「かさねさん。へぇ、べっぴんな情報屋さんがいたもんだ」
情報を売りに来たのかい、と訊かれ、襲は肩をすくめ緩く笑った。
「そうしたいのは山々なんですけども。今回、なりゆきでこちらの怪我した鳥さんを拾いまして。もしや七人隊の皆様と関わりあるのではと尋ねて参った次第で」
蛇骨が男の小脇に抱えられた凪を見て目を瞬いた。
「あれ、凪じゃん。到着が遅れてるって大兄貴たちが気にしてたけど」
その声を聞きつけてか、奥から医者の睡骨が駆けつける。
「凪……! なかなか戻ってこないから心配してたんですよ、怪我をしたんですか!?」
あわあわと隼を覗き込む睡骨に、襲は少しだけ目を細めた。
「外傷はありませんが、今日明日は大人しくさせておいてください」
「あ、ありがとうございます! 何とお礼を申し上げれば良いか。鳥にお詳しいんですね」
凪を手渡された睡骨が何度も頭を下げると、襲は頬をかいて「まぁ、そこそこ」と嘯いた。
「では私はこれで」
襲が早々に立ち去ろうと踵を返しかけると、蛇骨ががしっとその肩を掴んで引き止めた。想定していなかった襲はおや、と目を瞬かせ肩越しに振り返る。
「なぁなぁ襲さんよ、急ぎじゃねぇなら、もうちっとゆっくりしていきなよ。お礼もしてぇって睡骨が言ってるしよ」
蛇骨は少し息を荒くして、何やらぎらついた目で襲を見つめた。
そんなことはまだ言ってないのだが、今まさに言おうとしていた睡骨は素直に頷いておく。
「せめてお茶でも」
わずかの逡巡の後、襲はにこりと笑って頷いた。
蛇骨に腕を引かれて、七人隊の揃った大部屋に通される。
襲は首領の蛮骨を見て一瞬だけ目を瞠ったが、すぐに微笑むとぺこりと辞儀をしてその正面に腰を下ろした。
怪我をした凪を拾ったのだと説明された蛮骨が、凪を労う。
「それで時間がかかってたのか。大変だったな凪」
『違うのです蛮骨さま、それだけでなく、もっとたくさん襲どのにお世話になったのです』
凪が必死に言い募るが、悲しいかな、ここでその言葉を解すものは襲以外にいない。
「襲さん……だっけ? あんた、こいつが俺たちの鳥だとよくわかったな」
「不躾ながらお手紙の内容を拝見させていただき、宛名の蛮骨殿といえば音に聞く七人隊の首領殿ではと思い至りまして。あとは人づてに、皆様がこちらで逗留されていると突き止めたのです」
「さすが情報屋だな」
すらすらと流れるようにのたまう襲に、睡骨に抱かれた凪は舌を巻いているのだが、誰も気付かない。
「はー……この状態からよく判別できたもんだ」
蛮骨は凪が運んだ文を眺めて感嘆した。一度ひどく濡れてしまったらしく、滲んで破れてほとんど読めない。
凪の意に反して、蛮骨がそれについて叱責することはなかった。せっかくの文が勿体無くはあるが、こうなってしまったものは仕方が無い。事情を話せば朔夜もわかってくれるだろうと苦笑を浮かべるに止まる。
「何か礼をさせてくれ。と言っても、大した事はできねぇが」
「大兄貴、この人七人隊に入れよう、八人隊になろう」
「何言ってんだお前」
私利私欲にまみれた主張をしてくる蛇骨を一蹴して、蛮骨はううむと首をひねる。
「そうだ、戦の情報があったら買うぜ」
「おや、それはありがたい」
襲が頷き、遠からず発生するであろう戦の情報をいくつか口にした。
「情報屋ってのは伊達じゃねぇな。俺が初耳のもんばっかだ。いや、その辺の情報屋じゃこんな事まで調べられねぇよ、大したもんだ」
帳面に書きとめながら煉骨が舌を巻く。しかもそれらを、何も参照せず頭の中から即座に引っ張り出すのだから相当なものだ。
「煉骨が褒めるって珍しいぞ。すげぇなあんた」
蛮骨は心付けを上乗せした銭を小袋に詰めて襲に手渡した。
「お力になれて何よりです」
「で。あんた、何者だ?」
小袋を受け取ろうとした襲の動きが止まる。次いで困ったような笑みを浮かべた。
「はて。申し上げましたとおりのしがない情報屋、です」
蛮骨が襲を真正面から見た。
「訊き方を変える。あんたは人間か?」
襲の顔からすっと笑みが消えた。
「これは困った……なぜそんなことを訊かれるのでしょうか」
「大兄貴?」
蛮骨を除く七人隊の面々は頭上に疑問符を浮かべて首領と情報屋を交互に見ている。
「なぜってーと言葉にしにくいんだが。なんとなく、そう思って」
襲はしばらく無言で蛮骨を見据えていたが、やがて息をつくと瞳を閉じた。
次に開いたそこには、暗い深紅が宿る。
「久しぶりに人里へ下りてみれば、おもしろい人間もいたものだ」
全く面白く無さそうな声音で襲は肩をすくめた。人の良さそうな笑顔も、抑揚のある声色もそこにはない。
「は? え?」
他の隊員は口をぱくぱくさせていたが、その背に現れた翼を見て理解が追いついたらしく、慌てて武器に手を伸ばしかけた。
「やめとけ」
蛮骨が短く制止する。
「凪の恩人だろうが。それに」
その先はあえて言葉にしなかったが、誰もが直感的に悟っていた。
これは恐らく、怒らせたら洒落にならない相手だ。何か人間とは次元の違う底知れなさを感じる。
強い、弱いという秤では到底表せない何かを。
「俺が何者かと訊いたな。鴉天狗といえば多少はわかるか」
蛮骨がひくりと口端を上げた。
「そりゃ大層な御仁に助けられちまったな、凪」
凪がおろおろした様子で襲を見上げた。
『襲どの、ご気分を害されたのであれば……』
「そう心配するな。お前の主たちを害するつもりは無い」
「へぇ、凪と話ができるのか。羨ましいぜ」
張り詰めた空気が部屋に満ちていた。害する気は無いと言いつつも、何が天狗の癇に障るかわからない以上、誰も迂闊な行動ができない。
のだが。一人だけ緊張感に欠ける者がいた。
「ちょっ、やば! これなに、羽? やっべー!」
蛇骨が襲の背に出現した羽をわしわしと撫でさすっている。
「…………」
襲は無言で蛇骨を顧みた。蛮骨が苦虫を噛み潰したような表情をし、煉骨の顔面は蒼白になる。
「すっげーきれいな黒だな! あとその目も! もっとよく見ていい?」
返事を待たずに襲の両頬を押さえるとずいと顔を近づける。ほとんど口付けそうな距離に蛇骨が迫っても、襲は微動だにしない。
ただ、不思議な生き物を見る目で蛇骨を見ている。
「あー欲しいなぁ。でも抉り取ったらこんなにきれいにならなそうだし……」
蛇骨が呆然としている蛮骨たちを振り返る。
「なあ大兄貴たのむ! やっぱりこの人七人隊に入れよう! ほら何つーの、ちょうほーいん? 枠で。俺が責任もって面倒見るから!」
捨て犬か何かを拾ってきたような体で言う。
「あ、俺は蛇骨ってーんだ。襲ちゃんって呼んでいい?」
「好きに呼べ」
良いのか。という突っ込みが全員の胸中に生じた。
「さっきのにこやかなのも捨てがたいけど、今の感じも非常に良いわ。俺、どっちでも行ける」
「……?」
今度は襲の頭上にぽつぽつと疑問符が浮かび始めた。目の前の人間が何を言っているのか、さしもの鴉天狗も理解するのに時間がかかっているらしい。
「人間との交流が薄くなったせいかもしれんが、こやつの言っていることがいまいちわからん」
常日頃交流してる俺たちでもわからねぇ、と蛇骨以外の六人が同時に思う。
襲は頬ずりしてくる蛇骨をしばらく興味深げに観察していたが、やがて何か解を得たように頷いた。
「とりあえず喜んでいるのだと受け取っておく」
蛮骨が煉骨に耳打ちした。
「怒ってないのか? 怒ってないのかあの天狗は」
「信じられねぇ事に、怒ってないようだ」
たぶん蛇骨のことを犬か猫と同列に見ている。
ひとまずは胸を撫で下ろし、蛮骨はなんだかんだでまだ渡せていなかった金子入りの小袋を差し出した。
「襲。俺は別に、あんたが人間じゃねぇからってどうこうするつもりはねぇ。恩は恩だ。受け取ってくれ」
「そうか」
襲は蛇骨をぶら下げたまま小袋を受け取り、懐にしまう。
「では、そろそろ帰るとしよう」
立ち上がる襲に蛇骨が追いすがる。
「襲ちゃん、また遊びに来いよ?」
「……来ても良いのなら、構わないが」
襲は蛮骨たちに視線を向けた。その視線が何となく了承を欲しているように見えて、蛮骨は肩の力を抜く。
「ま、俺らみてぇのが相手で良ければ」
天狗はこくりと頷いた。そして少し考えるそぶりを見せた後、竹でできた小さな笛を取り出し、凪を抱く睡骨に手渡した。
「俺が情報屋をやっているというのは偽りではない。凪を俺のもとへ寄越せば、情報を売ってやろう」
その笛を吹けば襲が察知し、凪に風を送る。凪がその気流に乗って飛べば、彼がどこにいてもその場所へ辿り付けるのだという。
逆に襲を呼びたい時があれば、長めに吹けば応じるということだった。
「ありがとうございます。あ、凪の背負ってる竹筒も、作ってくださったのですよね」
「凪が、文を失くして死ぬほど狼狽えていたのでな」
「え、失くし……?」
「ではな、凪」
襲が手を差し出すと、凪が名残惜しそうにその指に頭を擦り付けた。
天狗は最後にもう一度蛮骨を見やると、目を閉じて一羽の鴉に変じた。
彼が窓枠から空に舞い上がっていくと部屋中の緊張が解け、蛇骨以外の全員が肺が空になるほど息を吐き出した。
「――と、いうのが経緯だ」
ぱちん、と王手をかけて、襲は話を締めくくった。
それが最初の出会いで、以降何かとやり取りの機会があって今に至る。
彼の差し向かいでは煉骨が頭を押さえている。
回想しながらすでに四局目を終えたが、煉骨の全敗だった。
ちなみに一局目は蛇骨が対戦していたのだが、瞬殺に終わった。今は襲の膝を枕にしながら菓子を食うという行儀の悪さを遺憾無く発揮している。
「へぇ、ただ凪を拾っただけかと思ってたら、結構色々あったんだな」
「そういえば、読めなくなったから手紙を書き直してって頼まれた事があったわね。あの時だったんだ……」
蛮骨が意外そうに言い、その横で朔夜も思い当たった様子で頷いた。
「も、もう一戦、頼む!」
煉骨が懇願すると、襲はあっさりと了承して駒を初期配置に戻し始めた。
「つーかさ、襲ちゃん八百歳なの? やばくね。俺よりちょい上くらいだと思ってたのに全然年上じゃん」
「ちょい上は流石にないだろ……」
蛇骨の言に煉骨が呆れ顔を向ける。しかし、二百年以上生きているという蒼空にも度肝を抜かれたものだが、遥かに上を行っているとは。
「でも大丈夫だぜ! じじいでも襲ちゃんなら俺、行ける」
「……俺は爺ではない」
襲が淡々と否定した。
五局目も煉骨の奮闘はかなわず、王手は襲のものとなった。
「あんた、未来が見えるとかそういうんじゃないよな」
「そんな力は無い」
本気で疑う煉骨に、襲は首を振る。そして開け放った障子戸の外を見た。空がすでに濃い朱に染まっている。そろそろ帰る頃合だ。
「長居をしたな」
「あ、ちょっと待ってくださいね」
腰を上げようとした襲を朔夜が呼び止め、大福をいくつか笹の葉に包んで差し出した。
「お土産にどうぞ」
「だが、あれらの分だろう」
襲は部屋の隅で縮こまった小妖怪たちを見やる。彼らは食欲どころではなくなり、あんなに楽しみにしていた菓子にほとんど手を付けていない。
「あの子たちの分も、まだありますから」
朔夜が微笑むと、襲は包みを受け取った。
「良かったら、ここにもまた遊びに来てください」
襲は再び小妖怪たちに視線を向けた。強大な力ゆえに怖れられるのは慣れているが、だからといって不用意に怖がらせたいわけではない。
気持ちだけ受け取ろう、と口を開きかけた時、小妖怪たちがぱたぱたと駆け寄ってきて大口で叫んだ。
「――大将!」
「…………」
たっぷり三呼吸ほどの沈黙が部屋に降り立った。
「……それは俺のことか」
襲が、念のため確認の言葉を口にする。その後ろで蛮骨たちが一斉に噴き出した。
「だって親分は蒼空の親分のことだから、親分より強いってことは大将だよな?」
三匹が互いに頷きあっている。
はたして親分の上が大将で合っているのかと誰もが疑問に思ったが、本人たちは何の違和感も感じていないらしい。
小妖怪たちは襲の足元に取りすがった。
「お、俺たち、もう怖くないよ」
「だから遊びに来てもいいよ」
まだ少し緊張した面持ちで言い募る三匹に、襲は目を瞬いた。
「無理はしなくていい」
泡を吹いて気絶するほど怖かったものが、一朝一夕どころかほんの数刻で克服できるとも思えない。
だが彼らは引かなかった。
「も、もう大丈夫だよ!」
「凪の恩人なら、怖いわけないもん」
「大将が助けてくれなかったら、凪が大変なことになってたかもしれない」
致し方のないこととはいえ、小妖怪たちは先入観で勝手に怯えていたことを反省した。自分たちが同じことをされたらどんな気分になるだろうと、今更ながら後悔する。
「ごめんなさい」
しゅんと頭を垂れる彼らにわずかに目元を緩め、襲は朔夜へ向けて言った。
「では、暇ができたらまた来る」
三匹と朔夜がぱっと顔を輝かせた。
「またなー襲ちゃん」
蛇骨がぶんぶんと手を振るのに黙然と首肯した襲が縁側から庭に下りると、凪が見送りのために飛んでくる。
『すみません襲どの、あやつらめが色々とご無礼を……!』
「構わない。お前の誘いに応じて良かったと思っている」
そこへ、塀を飛び越えて巨大な白狼が庭に下り立った。襲の目の前に勢いよく着地する形になる。
「俺の菓子まだある!?」
顔を上げて開口一番問うた蒼空は、目の前にいる見知らぬ男に首を傾げた。
「……だれ?」
一方の襲はというと、いきなり現れた狼を無言で凝視している。その目には珍しく驚きの色が宿っているようだった。
「蒼空が珍しいのか? 襲」
蛮骨が首を傾ける。八百年も生きている鴉天狗ならば、人語を話す巨大な生き物くらいは見慣れていそうなものだが。
「ああ……いや」
襲は何かを考えるように口元に手を当て、小さく「因果なものだ」と呟いた。
その言葉の意味するところは誰にもわからない。
「こちらの事だ。ではな」
瞬きの間に襲は鴉の姿に転じ、空高く飛翔した。
家の上を円を描くように一回り飛び、棲家の方角へ帰っていく。
空の彼方へ消えていく黒い点を、小妖怪たちと、状況を理解できず目を丸くしている蒼空が見送った。
「蒼空の親分、ずいぶん遅かったな」
「そうね。呼んだのは凪と襲さんが来る前だったのに」
蒼空は少々ばつの悪そうな顔をした。
「呼ばれてすぐに来るつもりだったんだよ。でもさ、途中の山の中で迷子になってる人間の子供を見つけて」
素通りするのも良心が痛み、親の近くまで連れて行ってやろうとしたのだが、巨大な狼の姿に余計に泣き出すわ、どこに住んでいるか訊いても要領を得ないわで、えらく時間がかかってしまったのだ。
「なんとか無事に帰せたけど」
「とても良いことをしたわね。えらいえらい」
ぐったりと疲れた様子の蒼空の頭を朔夜がよしよしと撫でた。ふさふさとした尻尾がゆるく揺れる。
「さっきの人、妖怪だよね」
「鴉天狗ですって。凪のお友達で、襲さん」
「ええ、いつの間にそんな友達が!?」
蒼空は先ほど見た面差しを脳裏に描いた。
なにか引っかかるものがある気がするのだが、はて。
しばらく首を傾けていた狼だが、ぐうと腹の虫が騒ぎ出したのを受けて、その思考はすぐに掻き消えてしまったのだった。
急ぐでもなく風に身を任せながら、鴉の姿をした襲は今しがた出会った狼を思い起こした。
記憶違いでなければ、あれは。
いや、おそらく間違っていないだろう。何しろ蛮骨たちと一緒なのだから。
「まさか二百年越しに会うことになるとは。しかもあれは……」
八百余年生きていてもまだ、予想だにしないことというのは起こるものらしい。
「しばらくは飽きずに済むか」
我知らず、襲の口端に小さな笑みが刻まれる。
濡れ羽色にきらめく姿が、夕闇の昏黒に溶けていった。
<終>