対極

暗い、穴の中。
小さく響いた足音に、青年が胡乱に首を巡らせる。
闇の中から現れたのは、自分たちを雇うために蘇らせた人物だった。
一見、その姿は人間のもの。しかし目の前にいる者は、半分妖怪の力を持っている。
「……奈落」
青年が低く呼びかけると、男は僅かに口端を上げた。
ゆっくりとした所作で青年に近づき、座っている彼の前で自分も膝をつく。
「腕を見せろ、蛮骨」
暗い穴の中、声が重く反響した。
蛮骨は一瞬逡巡したが、断る理由もないので下げていた腕を奈落の前に差し出した。
ぼろぼろになった衣から白い骨がのぞいている。
右腕の肘から手首までが、先の戦いで骨に還されたのだ。
改めてその様を見て、蛮骨は苛立ちながら視線を逸らす。
腕を掴み、奈落が低く哂った。
「破魔の矢を受けたのだろう。損傷がこの程度で済んだのなら良い方だ」
「どうしたら治せる」
「これを使え」
奈落は懐からある物を取り出し、掲げて見せた。
蛮骨は軽く目を見開く。
色は全く違うが、その形状にはよく見覚えがある。
「四魂の…欠片、か」
ふ、と口元を歪めると、奈落は蛮骨の手のひらにそれを落としこんだ。
「っ―――!」
欠片が手に触れた瞬間、じゅっという音と共に焼け付くような痛みが走り、蛮骨は思わず欠片を取り落とす。
聞こえるか否かという程度の音を発し、欠片がでこぼことした地面の上を僅かに転がった。
奈落はそれを取り上げ、もう一度目線の高さに掲げる。
「これにはわしの瘴気が込められている。
元は確かに四魂の欠片だが、妖力を持たぬ生身の人間が触れると…そのようになる。
扱いには気をつけよ」
蛮骨は手のひらの火傷に似た後を見て眉をひそめた。
そして、奈落が持つ欠片を見据える。
黒い、四魂の欠片。
自分たちの中にある物のように、時間と共に黒くなったのではない。
奈落が無理やりに瘴気を封じ込め、そのために抑制が効かないほどの力を発している。
「使った後は、身体に仕込むなり仲間に与えるなり、好きにすれば良い」
そう告げると、奈落は欠片を紙に包んで蛮骨に渡し、洞窟を去っていった。
その背が闇に消えるまで視線を逸らさず、蛮骨は一つ息をつく。
紙に包まれた欠片を懐に入れ、自分も立ち上がると洞窟の出口を目指した。

「犬夜叉のばか―――っ!!」
かごめの怒声が轟き、家の外に非難していた弥勒と珊瑚は揃って肩をすくめた。
「やっぱり、こうなったね法師さま」
「まったく。だからあれほど忠告したのに」
「かごめが怒っとる原因はなんじゃ?」
弥勒の肩に乗っている七宝が首を傾げる。
「いつもの通りだよ」
「犬夜叉がまた……」
「桔梗のところに行ったんじゃな!」
ずばり言い当てた七宝に、二人はうんうんと頷いた。
「昨日の夜、犬夜叉はこっそりと桔梗様に会いにいったんです。
私は止めたんですが、大丈夫だと言って……
で、結局かごめさまにもバレて、今こんな状況になっていると」
話している間にも「おすわり」の連呼によって家がみしみしと悲鳴をあげている。
「そろそろ止めないと…家が無くなっちゃうよ」
「ですな」
やれやれと彼らを止めるべく二人が家に入った時。
「お前に俺と桔梗の何がわかる!!」
犬夜叉が発した言葉に、辺りの空気が固まった。
「なん…ですって……?」
「犬夜叉…っ」
弥勒が犬夜叉を諫めようと声を上げるが、かごめの怒りが爆発する方が早かった。
「最っっ低!!アンタ私を何だと思ってるのよ―――っ!!」
思い切り叫ぶと、かごめは家を飛び出していってしまった。
「……犬夜叉、今のはあんまりに無神経ではないか」
弥勒の厳しい視線を受け、犬夜叉はフンとそっぽを向く。
「だってあいつ、ちょっと桔梗に会いにいっただけで毎度毎度…」
「おなごとはそういうものです。お前とて、鋼牙がかごめさまに絡むとあんなに怒るではないか」
「う……それとこれとは別の話だ!」
「別じゃないよ」
珊瑚がぴしゃりと言い放つ。
「すべてがお前の思う通りにはならない。お前がそんな態度では、かごめ様も他の男のところへ行ってしまうぞ」
「ふん、行けるモンなら行ってみやがれってんだ」
弥勒と珊瑚は顔を見合わせて深いため息をついた。
犬夜叉はわかっていない。
かごめの気持ちよりも自分の感情を優先して、それが結果的に溝を作っていることに気付いていないのだ。
「かごめ様でなければとっくに愛想を尽かしているところですな」
「あたしなら捨てるよ、多分」
妙に重みのある珊瑚の言葉に、弥勒は顔を引きつらせてアハハと笑った。

家を飛び出したかごめは、一人で森の中をずんずん歩いていた。
「有り得ない! 信じられないわっ!!何なのアイツ、何が『お前に俺と桔梗の何がわかる』よ!!」
ふいにかごめは顔を歪める。
「そんなの……知りたくもないっての…」
犬夜叉と桔梗の関係は五十年も前のことで、桔梗が死んでしまった今は終わったも同然のはずなのに。
それとも、五十年ずっと眠り続けていた犬夜叉にとっては、桔梗と過ごした日々が昨日のことのように思えるのだろうか。
今でも犬夜叉は自分の中に桔梗の姿を探している。その視線が、たまらなく嫌だと感じたことは何度もある。
「どうして私の気持ち、わかってくれないんだろう……」
自分は犬夜叉のことを一生懸命考えているのに。
桔梗のことでついつい喧嘩ごしになってしまうのも、犬夜叉を思うからこそ。
「はぁ……現代に帰ろうかな…」
このままここにいたくない。ずっと自分の気持ちを押し殺しているのに、疲れていた。
「じゃあ、雲母に頼んで……ん?」
かごめはふと視線を巡らせた。
静かな森の中、微かだが気配がする。
「これは…四魂の欠片?」
気配は森の奥の方から感じられた。
しかし、何かおかしい。
いつも感じているものとはどこか違う。
戸惑いながらも、確かめてみなければ分からないので、かごめは森の奥に向かって慎重に進んでいった。
進むごとに気配が強くなり、近づいているのだということがわかる。
昼間なので森の中にも日が差し、見通しは良いのだが、欠片がどこにあるのかは見えずにいた。
木々の隙間を通り、茂みを掻き分けて行く。
歩きながら、かごめはあることに気付いた。
四魂の欠片の気配が一つではない。
同じ場所から、複数発されているらしいのだ。
息を詰め、かごめは慎重に進んでいく。
最後の茂みを掻き分けると、突然視界が開けた。
目の前に、泉がある。
「うわ、奇麗ー…」
泉に光が差し込んで、神秘的な雰囲気を作り出している。
しばし景色に見とれていたかごめだが、はたと我に返ると欠片のことを思い出して辺りを見回した。
欠片の気配が強い。この辺りから発されているはずだ。
かごめは気配を追って目を凝らし、視線を一点で止めた。
「あ……っ」
瞳が驚きの色に染まる。
視線の先には、身をかがめた一人の青年がいた。
かごめが発した僅かな声に気付き、彼は弾かれたように振り返る。
「お前は……!」
驚愕に目を見開き、互いに一歩も動くことができなかった。

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