煉と秋雪が辿り着いた時、境内の様相は別物となり果てていた。
絶対についてくるなと、半刻で戻らなければ先に行くようにと隼人に言われ、しばらくはその言葉に従っていた。
待つ事しかできぬ自分を歯痒く思い、さりとて同行したところで足手まといにしかならない。
そんな葛藤に堪えていたが、地を揺らす崩落音が聞こえてくると、ついに居ても立ってもいられなくなった。結局、煉と秋雪は仲間たちに小太郎を託して隼人を追いかけた。
しかし、ようやく追いついたときには全てが終わっていた。
破壊された石灯篭。濛々と黒煙を上げる巨大な炎塊と化した寺。
そして、白い砂利や石畳に夥しく広がる赤黒い染み。
敵の姿はおろか骸ひとつ見当たらない。
目を凝らして巡らせた視界の中に隼人の背中を見つけた二人は、密かに息を詰めた。
「は――、……」
呼びかけようとした秋雪の声が喉に絡まる。ちらと秋雪を見やり、煉が引き継いだ。
「隼人」
隼人は初めて二人に気付いた様子でこちらを振り向き、微かに口端を上げて見せた。
「なんだ。あんなに来るなって言ったのに」
仄かに笑う彼は、こちらが肩透かしを食うほど平素と変わりなく見えた。今しがたこの場所で繰り広げられたであろう惨状の名残を、その態度に見出すことは叶わない。
それが努めて抑えている何よりの証だということを、長く共に過ごしてきた煉と秋雪は承知している。
「……怪我は」
秋雪が問うた。
「軽い火傷だけだ、心配いらない」
俺よりも、と隼人の視線が横へ滑る。その向く先を追うと、境内の一隅に身を寄せ合っている小僧たちがいた。どの子も煤と血で汚れ、顔は泣き腫らしている。
そこにいるべき姿がないことに気づき、秋雪の顔から血の気が引く。
「弘徳殿は――」
数呼吸の間があった。隼人は独り言のように
「死んだよ。あの下にいる」
そう呟いて今なお激しく燃え続ける、寺だったものを示した。
煉と秋雪はかけるべき言葉に迷って下を向いたが、隼人は端からそんなものなど求めていない風情で、再び明るい調子で言った。
「まあ、来てくれて丁度良かった。あいつら運ぶの手伝ってくれ」
五人の小僧たちを肩越しに親指で示す。
大所帯になればますます旅路は困難なものになる。しかし、この状況で置いていけるはずもなかった。
煉と秋雪が近付くと、子らは生気のない顔で二人を見上げた。秋雪が目線を合わせて頭を撫でてやると、取りすがって嗚咽を漏らした。
しかし隼人の足音を耳にするや、彼らの表情がさっと恐怖に引き攣った。座り込んだ姿勢のまま後退り、がたがたと震えだす体を両手で抱きしめるようにする。
尋常ではない怯え様に、煉と秋雪は無言で視線を交わした。
悲惨な状況だった事はわかるが、それにしても。
彼らの恐れは今しがたの出来事にというより、隼人自身に向けられているように見える。
いったい、何を見たというのか。
隼人は構わずすたすたと小僧たちに歩み寄ると、一番手前にいた宗念の脇に手を入れ抱き上げた。
悲鳴を上げかけた宗念の小さな体は、すぐに煉の胸元へと押し付けられる。
「もうここに用はない。行こう」
「え、ええ」
秋雪は道念と久念の手を取る。
隼人が慈念に手を差し出すと、彼は躊躇った後にその手を取って立ち上がり、すぐに離した。震える膝を拳で何度も叩き、涙を拭いて、気丈に顔を上げる。
「……自分で歩けます」
「そうか」
隼人の目が、最後まで俯いたままの逢念を見下ろす。
小僧たちの中で一番年長の彼は手足に軽度の火傷をいくつか負い、右腕を大きく擦りむいていた。動けないほどの怪我ではないが、急いでいる今は自力で歩かせても足手まといになる。
背負うために背を向けて腰を落とした隼人を、逢念は憎悪の眼光で睨んだ。
「急いでいる。言いたいことはあるだろうが、今は大人しく乗ってくれ」
「うるさい! お前なんかっ…、お前の、助けなんか……っ!」
梃子でも動こうとしない。隼人は目を伏せて小さく息をつき、少年に向き直った。
次の瞬間響いた鈍い音に、煉と秋雪が瞠目する。振り向いた時にはすでに逢念は隼人に横抱きにされ、手と足が力なく垂れ下がっていた。
「ほ、逢念っ……」
愕然と駆け寄ろうとする慈念を、秋雪が押し止めた。「心配いらない」と諭しながらも、秋雪の瞳にもまた「あまりではないか」と言いたげな色が滲む。しかし非難の言葉は出ない。隼人がやむを得ず実力行使に出ているのだと分かっていた。
隼人の静かな目に出発を促され、首肯した二人は小僧たちを伴って歩き出した。
小僧たちが全員いることを確認し、隼人は最後に一度だけ、弘徳が息絶えた方角に視線を投じた。
「……」
そっと口が開かれるが、生じた声は炎と風の音にかき消され、誰の耳にも届かない。
隼人は黙然と、寺の残骸に背を向けた。
<終>