怨嗟
焦燥の色を滲ませながら、隼人は一心に屋敷を目指して駆けた。
「っ……」
ぐらりと身体が傾く。
そばにあった木に手をつき、隼人は胸元を押さえた。
「くそっ……!」
上がりそうになる呼吸を鎮め、屋敷の方角を睨み据える。
本調子ではないなどと、言っていられない。皆、自分のせいで危険な目にあっているのだ。
身体を立て直し、再び屋敷を目指した。
近づくほどに、聞こえてくる喧騒が大きくなる。
(煉、秋雪……!)
大切な者たちの顔が、脳裏をよぎる。
無事でいてくれと、それだけを願って、隼人は屋敷の門を抜けた。
敷地に入った瞬間に、数人の使用人たちが彼に気付いた。
「お前っ、生きて…!?」
驚愕しながらも刀を抜き放つ敵に、隼人は鋭い視線を向けた。
「邪魔をするな!!」
切りかかる使用人たちを避け、刹那の後に斬り捨てる。
断末魔をあげる屍には目もくれず、彼は敷地の奥にある人の群れへ斬り込んだ。
生きている彼を目の当たりにして驚く敵を否応なしに叩き切り、人の群れを蹴散らすと、そこには仲間の姿があった。
「煉っ、秋雪!!」
叫ぶ声を聞きとめた二人が、弾かれたようにこちらを振り向く。
「隼人!!」
「隼人!? 無事か!」
同様に振り向いた師も、安堵した様子で声をあげた。
そこにいる仲間たちを、隼人はざっと見渡す。
欠けている者は誰もいないようだ。
心の底から息を吐き、隼人は師と背中合わせになる形で敵と対峙した。
向かってくる敵を、切り結ぶ暇も与えず瞬殺する。
「さすがだな、隼人。
任せておけと言いながら、結局お前に頼らねばならないとは、恥ずかしいことだ」
師の呟きが聞こえ、隼人の顔に苦笑が浮かぶ。
「皆が無事なら、そんなことはどうでも良い。俺も、戦わせてもらいます」
戦闘力の高い者が加わり、敵の使用人たちは及び腰になるものも出始めた。
「小僧ひとり加わっただけだ! 大した違いはねぇ!!」
戦意を奮い立たせ、周囲を取り囲む敵が一気に斬りかかる。
しかし、今までの戦闘での疲れもあってか、彼らはあっという間に返り討ちにあってしまった。
「隼人、ここは私たちに任せて、行け」
次々と使用人を斬り倒し、その数も大分減ってきた頃、師がちらりと隼人を顧みた。
隼人ははっと目を瞠る。
「でも……」
「ここはもう、私たちだけで事足りる。それよりお前も、何かを決意してここへきたのだろう?」
「先生……」
視線を巡らせると、真摯な眼差しと行き会った。
ぐっと息を詰め、隼人は身を翻す。
去っていくその背を、煉と秋雪が痛ましげに見つめていた。
「隼人…」
「……どうするかは、あいつが決めることだ。俺たちはただ、見守ることしかできない」
たとえどんなに強い絆で繋がっていても、こればかりは、他の誰も手を出してはいけない。
隼人は、一つの思いを抱えて屋敷の中を突き進んだ。
使用人のほとんどが侵入者たちの相手に回っていたらしく、屋敷の内部はがらんとしている。
一歩一歩を踏みしめながら、隼人の身体は目的の場所へ近づいていく。
父の部屋の襖を、勢いよく開いた。
が、開いた先に人影は無く、見事な調度品がそこらに置かれているだけだった。
(逃げられたか…)
わずかに舌打ちしたその時、横合いの物影から、刃が襲ってきた。
「っ……!」
反射的に刀を振り上げて、刃を受け止める。
ぎりぎりと刀を押し付けてくるのは、他の誰でもなく、父だった。
「やはり来たか… 刺客を送り込んでもなお生きているとは、まるで化け物よな。
これが我が子と思うと、怖気が走りそうだわ」
物陰から現れた父の顔には、余裕を含んだ酷薄な笑みが貼り付いている。
「そうやって…人を見下したような言い方しかできないのか…あんたは……!」
渾身の力で刃を押し返し、隼人は刀を薙ぎ払った。
さっと身をかわし、父は彼を睥睨する。
「こうしてお前と刀を交える日が来ようとはな。
さっさと死ねば良かったものを、お前のせいで全て滅茶苦茶だ」
「最初はもう、死んでやろうかと思ったさ。だが、煉や秋雪にまで手を出すのは許さねぇ」
覚悟は決めた。
たとえ相討ちになろうとも、この場で、父を斬る。
鋭く睨みつける隼人に、父は嘲笑った。
「面白い。お前に出来るかな、血の繋がった肉親を斬ることが!」
言い終わらぬうちに、父の刀が叩き落とされた。
身体を捻ってそれを避けた隼人の目に、素早く閃いた刃が映る。
「くっ……」
刀身でそれを受ける。父は鋭い突きを休みなく繰り出してきた。
急所は何とか防ぐものの、腕や足に次々と裂傷が走り、紅い飛沫が散った。
刀が鈍い音を立てて組み合う。肉薄した父は、にいと哂った。
「防ぐのが精一杯か?分かるだろう、お前は私を超えられん。私に勝つことなどできん。
お前は、ここで死ぬのだ」
くっと歯を食いしばり、刀を弾き返すと、隼人は大きく跳躍し、屋外へ着地した。
体勢を立て直し、呼吸を整える。
確かに、今の状態では押されっぱなしだ。
父を殺すのだと、頭では決心していても、身体が思うように動かない。
(どうして……あいつのせいで、俺は…)
家族の間にできた溝。否、溝は最初からあったのだ。隼人が生まれた時すでに。
母、お悠が父と夫婦になったのさえ、財産目当て。その時からすでに、影にはお染がいて。
ならば自分は、父に望まれて生まれたわけではない。自分が生まれたことに、父はわずかな喜びも感じなかったのだ。
だからこそ、彼の攻撃には躊躇いの色が全くない。
ゆっくりと庭に下りてきた父の顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。
刀に付いたわずかな血を払う姿を見て、隼人は唇を噛み締めた。
父がこれほど刀を扱えることも、知らなかった。自分たちにどれほど距離があったのかを痛感する。
「私とお前では、斬った人間の数が違うのだ。勢いはあっても、いざとなると足がすくむだろう?」
口端を吊り上げる父親を、隼人はぎっと睨み据えた。
「黙れ……足がすくもうが何だろうが、結果は変わらねぇ!」
刀を握り締めて、隼人は地を蹴った。
一気に間合いを詰め、渾身の力で刃を叩き下ろす。
受け止めた衝撃で、父は数歩後退った。間髪いれず攻撃を仕掛ける。
打ち合う音が、絶え間なく響き続けた。
幾度目かに刃が組み合ったとき、父の刀が弾き飛ばされた。
「おのれ…っ」
父の呻きが耳朶に触れる。
生じた大きな隙を狙って、隼人の刀が一閃された。腕に、確かな感触が伝わる。
それを確かめた瞬間、腹部がじわりと濡れた。
「っ―――……!」
二人は、同時に地に膝をついた。
わき腹に当てた手の指の隙間から、生温かな流れが滴っている。隼人の額に冷や汗が浮いた。
必死に視線を彷徨わせると、仰向けに倒れている父がいた。
左の肩から袈裟懸けに刀傷がある。そしてその右手には、血塗れの懐刀が。
懐刀が、指から滑り落ちる。
父はまだ意識があるようだが、それを取ることはできないようだった。
「おや…じ……」
よろめきながら、隼人は彼のもとへ近づいた。
血の海が、足元に広がっていく。
「親父……」
「触るな」
伸ばされた指が、ぴたりと止まる。
「貴様なぞに…父と呼ばれる、など…虫唾が走る……」
瞳だけは苛烈に、息子を見上げていた。
顔を歪め、唇を引き結ぶと、隼人は手を下ろした。
「貴様は、ただの人斬りよ……貴様の憎む、私と同じ……汚れた……」
父の唇が醜く吊り上る。
そのまま、彼の瞳は閉じていった。
「あっ、あんた……!!」
唐突に金切り声が空を裂き、隼人は弾かれたように顔をあげた。
お染が驚愕に眼を見開いて、夫の骸を凝視している。
「お前さま……!っ、お前が殺したのか!!」
怒りに燃える双眸が、隼人に向けられる。
「この、人殺し!!毒を飲んでも生きてるなんて……化け物! 疫病神!」
屍のそばに転がる懐刀を拾い上げ、お染は隼人に振りかぶった。
「お前に人殺しと言われる筋合いはない」
刀を握る手に力を込め、隼人は彼女を下から一気に切り上げる。
声にならない絶叫と共に、呆気なく、お染は斬り捨てられた。
並んで横たわる二つの亡骸を前に、隼人は呆然と座り込んでいた。
(終わったのか……? これで…)
心の中は重く沈んだままだ。
母の仇を、自分たちにしてきた仕打ちへの怒りをぶつけた後には、言いようのない虚無感だけが残っている。
自由になれたのに、悲願を達成できたのに、なぜ。
こんなに悲しいのだろう。
それからさほど経たぬうちに、屋敷に火の手が上がった。
のろのろと視線を巡らせて、隼人は燃える屋根を見つめた。
煉たちの方も、片付いたのだろうか。ならば自分もそろそろ戻った方が良い。
わき腹に走る激痛をこらえて、隼人は立ち上がった。
屋敷の炎は勢いを増している。
屋敷も、屍も、この炎が焼き払ってくれる。全てを、消し去ってくれる。
身体を引きずる隼人の耳に、不意に小さな声が滑り込んだ。
「なんだ……?」
歩を止めて耳を澄ますと、炎の中から、また、声が聞こえた。
小さな子供の、泣き声。
隼人は目を見開く。
「小…太郎……」
足は、燃え盛る炎へ向いた。
屋敷の、炎に囲まれる部屋の中に、子供はいた。
屋敷に踏み入った隼人の姿を認めると、小太郎はくしゃくしゃにした顔を上げて、転びそうに走り寄ってきた。
「おにい…お兄ちゃん…!」
「小太郎……」
隼人の手が刀にかけられる。
どうして、自分はここへ来たのだろう。
この子供は、自分が最も憎む二人の子供だ。
放っておいても炎に焼かれて死ぬ。自分が斬る必要はない。ならば、なぜここに来てしまった?
「出口がふさがれて…にげおくれて…」
泣きながらすがりつく子供を、隼人は無言で見下ろす。
刀にかけられた手は、そのまま。抜くことも、離すこともできずにいた。
「お兄ちゃん、いっしょににげよう?外にいけば、きっとだれかいるよ……」
何も知らない小太郎の言葉に、隼人は目を閉じた。
「……喋るな。煙を吸う」
それだけ言うと、小さな身体を抱えあげて身体を翻す。
来た道を戻り、一気に外へ飛び出した。
その瞬間、今までいた場所が音を立てて崩れ落ちる。
傷口の痛みが増し、小太郎を地に下ろすと、隼人はその場に膝をついた。
「お兄ちゃん…! けがしてるの!?まってて、今、だれかよんで……」
「隼人!!」
小太郎の声に重なるようにして、煉の声が響いた。
駆け寄ってきた煉は、隼人の腹の傷を見て色を失う。
「煉……そっちは、片付いたんだな」
「あ、ああ。お前も、親父とお染を……」
隼人は力なく笑う。
小太郎に気付き、煉の瞳が見開かれた。
「小太郎…!? どういうことだ、隼人!」
「すまない…」
「この子供を斬れ! 小太郎を生かしておいて、良いことはないんだぞ!
今はまだ分からなくても、いずれ両親を殺された仇に、お前を襲うことになるかもしれねぇ…」
煉は敵から奪った刀を引き抜き、切っ先を小太郎に向けた。
「お前が斬れねぇなら、俺が斬る!!」
隼人は二人を見上げた。
刀を構える煉と、何が何だか分からずにいる小太郎。
煉の言うことは重々分かっている。自分は、この子供に恨まれる存在に成り下がったのだ。
生かしておけばいずれ危うくなるかもしれない。
だが、自分はどうしても、あそこで刀が抜けなかった。
「子供を斬るのは寝覚めが悪いが、仕方ねぇんだ!」
煉骨の刀が振り下ろされた。
「――やめてくれ!」
隼人は叫んでいた。
ぴたりと、煉の身体が止まる。
「な、何言ってんだよ隼人!! どうして止める!?」
「斬らないでくれ、頼む……!」
すがりついて、隼人は痛切に懇願した。
「俺はお前のためにやってるんだぞ!!」
「わかってる、わかってるけど…っ!」
「わかってねぇよ!!」
隼人の頬に拳が飛んだ。
隼人の身体が地面に打ち付けられる。
はっとして、煉は自分の拳を見た。
「っ……お前が小太郎を嫌いじゃなかったのは分かってる。
でもその優しさが、裏目に出ちまうんだよ。
辛いことは、ここで全部終わらせてぇだろ……!」
しかし隼人は、強く煉を睨んだ。
よろよろと身体を起こし、小太郎を庇うように抱き寄せる。
「頼む…責任は俺がとる」
「まだ分からねぇのか!」
胸倉を掴んで怒鳴ると、腕の中にいる小太郎が怯えて泣き出した。
その時、角を曲がって秋雪が姿を見せた。
「煉、隼人!」
二人が睨み合っているのを目にし、秋雪は慌てて駆けつける。
その後ろには、師範や嵩重たちもいた。
「煉、何を争っている?」
師範が怪訝な視線を向けると、煉は小太郎を指した。
「隼人がこいつを庇いやがるんだ…!」
「小太郎さま…」
隼人が抱えている子供に、他の者たちも複雑な表情を向けた。
隼人は、小太郎を離さない。片手でしっかりと、その小さな身体を包み込んでいる。
しかし、ふいにその視界がぐらりと揺らいだ。
胸倉を掴んでいた煉がはっとする。
前のめりに倒れこむ隼人を、彼は反射的に受け止めた。
「隼人っ!!」
見ると、腹を押さえる指の間から鮮血が止めどなく滴り落ちている。
それを認めて、秋雪たちも青ざめた。
「隼人、怪我を…っ!」
呼びかけるが、隼人はぐったりとして動かない。早い呼吸が、口から漏れるばかりだった。
力なく煉にもたれた状態で、隼人の意識は急速に闇へ引きずり込まれた。
<終>