あれは何歳の頃だっただろう。
物心つくか否か。 自分がまだとても幼かった頃。
その頃は母親も生きていて、何の不安もなく、幸せに暮らしていた。
そんな穏やかな時間の中で、二人に出合った。
「隼人」
優しい声がして、庭で遊んでいた隼人は振り向いた。
縁に出てきたお悠が手招きしている。
ぱたぱたと駆けていくと、母はにっこりと微笑んだ。
「中へいらっしゃい。会わせたい人がいるの」
着物についた砂ぼこりを払いながら言う母に、隼人は首を傾げた。
「あわせたいひと?」
母の手をとり、縁から直接家に上がる。 すぐそこの部屋に連れていかれた。
日当たりのよい小さな座敷に、二人の少年がいた。
小さな隼人がお悠とともに入室すると、二人は頭をさげた。
「煉と申します」
「秋雪と申します」
彼らの向かいに座った隼人は、興味深げに二人を見ている。
二人が顔を上げると、母に軽く背を叩かれた。
「さ、あなたもちゃんと挨拶なさい」
「あ、はやとです」
慌ててぺこりとお辞儀する隼人の様子に、二人の少年の顔にも笑みが浮かぶ。
「隼人、この人たちはつい最近から家にお手伝いに来ているの。
これからは隼人のお友達よ」
「ともだち?」
隼人は目を丸くする。
一人で遊ぶことが多い隼人にとって、友達とは夢のような存在だった。
「そうよ。これからはお兄ちゃんたちが一緒に遊んでくれるのよ」
お悠の言葉に煉たちも微笑みながら頷いたので、隼人の顔にはみるみる喜びが広がった。
嬉しくて嬉しくて。幼い隼人の小さな胸には、その感情だけが溢れかえっていた。

「はーやーとぉーっ!!!」
屋敷の庭に怒声が響いた。
「どうしました?」
秋雪が問うと、煉は怒ったように木の上を指差す。
そこには7才になった隼人がいた。
「ああ、危ないですねぇ」
「『危ないですねぇ』じゃない!!まったく俺の言うことも聞かずに、するすると登っていっちまったんだ!!」
「運動神経いいですからね、あの子は。したいようにさせてあげればいいじゃないですか」
「あれだけ高く登ったら、降りてこれんだろうが!!怪我でもしたらどうするんだ!!」
わーわー騒ぐ煉を秋雪は適当になだめた。
「…ところで、何で登ってるんでしょうか」
「あれだ。ほら、あの上の方にある鳥の巣。あそこから落ちた雛を帰そうとしてるんだ」
「はぁ、いい子ですね。私たちのしつけがいいから……」
「言ってる場合か!!ああ、落ちたらどうしよう……!!」
隼人が心配でならない煉に対し、秋雪はそれほど慌てていない。
「大丈夫だと思いますが……あ」
丁度その時、木の上の隼人が手を振った。無事に雛を戻したのだろう。
「今降りるからー!」
煉はとりあえず息をつく。
「気をつけてな…って、あああああ!!!」
下にいる二人は目を剥いた。
木を伝って降りてくるかと思いきや、隼人は枝から枝へ飛び移るようにして降りてきたのだ。
「やめろやめろ!!隼人っ、頼むから普通に降りてきてくれ!!」
煉の顔が目に見えて青くなっていく。秋雪の方もさすがに驚いているようだった。
隼人は身軽な所作でひらりと着地すると、煉たちに駆け寄った。
「どうした二人とも。煉なんかそんなに青くなって…」
「隼人…お前ってヤツは~……!!!」
秋雪が止める間もなく、隼人の頭に拳が振り下ろされた。
「いってぇー!!何すんだよ!!」
頭を抱えて隼人が呻く。それでも泣き出すには至らない。
「煉、さすがに拳はまずいんじゃ…」
「いいや! 俺たちはこいつのお目付け役兼教育係だ。これくらいは許される!
こいつの今の行動のせいで、俺は絶対寿命が縮んだぞ!!」
一方の隼人は、なぜ叱られているのかわからない。
雛を巣に戻して、てっきり褒められると思っていたのに。
殴られた頭を、秋雪が優しく撫でてくる。
「煉が怒っているのは、隼人を思ってのことです。まあつまり、木は普通に降りなさいということですね」
「それだけじゃないだろ!!!」
ちょっと来い、と煉は隼人の手を掴んで去っていく。
家に入って狭い部屋の中で、懇々と説教するのだろう。
残された秋雪は困ったような笑みを浮かべて息をつくと、木の上にある鳥の巣を見やった。
巣から落ちた雛を、親鳥は二度と世話しないのだと聞いたことがある。
あの雛にしても同じだろう。
今隼人がやっていたことを、必ず親鳥はどこかから見ていたはずだ。
それでもいい。
自分たちにとって大切なのは、隼人が何をしたいか、なのだから。
隼人がしたいことをして、満足してくれるのが一番なのだ。
それが正しいか間違っているかなど、後の話。
初めて挨拶をした時。
あの子は本当に嬉しそうに笑っていた。
ああこの笑顔をもっと見たいなぁと、心から思ったのだ。

煉たちが仕事の合間に離れを訪れると、隼人は机に突っ伏して寝ていた。
ぽかぽかとした日差しが窓から差し込んで、気持ちが良かったのだろう。
「窓を開けっぱなしにして…まったく、風邪を引くから薄いものでも羽織れと言ってるのに」
ぶつぶつと文句を言いながら、煉は衣を隼人の肩にかけてやる。
秋雪は微笑みながら、隼人の手の中の書物をとった。
「…これは、煉の本ですね」
「本当だ…。こいつが読んでもわからんだろうに」
「可愛いもんじゃないですか」
二人の顔に自然と笑みが浮かぶ。
「隼人が小さかった頃のこと、覚えてるか?」
「ええ、しかっりと覚えてます。危なっかしくて目の離せない子でしたからね」
「じゃぁ、俺たちの誓いのことは?」
それを聞いて秋雪は真摯な顔つきになる。
隼人の母が亡くなった時、二人はある誓いを立てたのだ。
「忘れませんよ。隼人のことは、私たちが必ず幸せにします」
煉も頷く。
これは自分たちが課した誓いであると同時に、お悠の願いでもあるのだ。
だから、決して忘れない。
隼人に起きる気配がないので、二人はそっと部屋を出て仕事に戻っていった。

目を覚ました頃には、日が暮れかけていた。
身体を起こした隼人は、目をこすって窓の外を見る。
ちゃんと横になっていなかったせいか、身体が妙にだるい。
ふと見ると、肩に衣がかけられていた。
「煉たち、来てたなら起こしてくれりゃあ良かったのに…」
そうは言っても、あの煉がこういうところには気を使ってくれていることが微笑ましい。
そういえば、久しぶりに夢をみた。
幼い頃の夢だ。 煉も秋雪も、まだほんの少年だったころの。
思えば、あの頃から二人には迷惑をかけっぱなしだ。
かれこれもう十年以上。
兄弟以上に自分を大切にしてくれて、家族以上に信じられる存在。
いつかきっと、ちゃんと礼をしよう。
肩から衣を落として、隼人は大きく伸びをした。

<終>

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