ひやりとした空気に、隼人はのろのろと目を開ける。
いつの間にか秋の宵が深まっていた。空気が冬の寒さに近い。
浅い眠りについていたようだった。辺りを見回すが、すでに焚き火も消えている。
皆も就寝しており、秋雪も仮眠についたまま寝入ってしまったらしい。
刀を携えて、隼人は静かに立ち上がった。せっかく起きたので、弟が寒がっていないか見にいこうと考える。
一歩踏み出しかけたその時、彼は物凄い力で後ろに引き倒された。
「っ――――!?」
突然のことに受け身が取れず背中を打ちつける。幸い木の葉の上で痛みは少ないが、隼人は一瞬にして身動きを封じられていた。
夜闇の中で目を凝らすと、眠っていたはずの大男が上にいた。
「お前……!」
声を出そうとするが、巨大な手で首を掴まれる。大男が耳元に顔を寄せて聞き取りにくい声で言った。
「声を上げれば、首を折る」
瞠目する。助けたはずの相手になぜそんなことを言われなければならないのか。
男は空いた手で隼人の刀を奪い、届かない場所に放る。
組み敷かれた隼人は必死に抵抗を試みたが、男の巨体はぴくりとも動かなかった。
とても先ほどまで瀕死状態だったとは思えない力で押さえ付けられ、身体が落ち葉に沈み込む。
「お前、何者だ」
問いには答えず、男の腕をどかそうと手をかける。
すると、手にかかる力が増して喉に食い込んだ。
「く……っ!」
息が詰まり、胸が跳ねあがる。
まともに呼吸ができないまま、隼人は男を睨み据えた。
「はな…せ……!」
「俺を助けたのか。なぜ」
「はっ……」
「捨て置けば良かった」
かすむ視界の中で男の目を見る。感情が欠落していて光が無い。
初めてまともに見たその顔は、いびつに歪んでまさしく化け物のようだった。
「俺は、死にたかったのに」
「なん……」
指に力が入らず生命の危機を感じた時、ふいに男の視線が隼人から外れた。
前方を見つめてわずかに驚いた顔をしている。
組み敷かれた隼人は首を動かすことができず、男が何を見ているのか確認することはできない。
ややあって、男は隼人の上から退いた。
肺へ一気に空気が入り込み、激しく咳き込む。
肩で息をしていると、視界の隅に白い毛並みが現れた。
「…そ…ら……?」
いつの間に来たのか、蒼空が案ずるように鳴いて鼻先を押し付けてくる。男は、蒼空を見ていたのだろうか。
のろのろと身を起こし、男が放った刀を引き寄せる。
無言でそこに座っている男を警戒の眼差しで睨むと、蒼空が二人の間を遮るように座り込んだ。
「そいつ、お前の主人か」
男が聞き取りにくい声で語りかける。その声は白狼に向けられている。
「だいじ、か」
蒼空は返事の代わりにゆるく尾を振った。
「そうか……」
わけが分からず隼人は男を凝視する。男の視線がゆっくりと隼人を捉えた。
「獣が(なつ)く……ならお前、悪い奴じゃ…ないのか」
ついと目を細める。
「だけど、俺を助けた。それは悪いことだ」
隼人は瞬きをした。
死にたかったのだ、と。言っていなかったか。
「ありがた迷惑だとでも言いたそうだな」
「そうだとも。俺は死にたい。もう少しだったのにお前が邪魔した。
傷が癒えてしまう。また…生きなければならなくなる……」
男は嗚咽(おえつ)のような声を上げて顔を両手で覆った。
「俺には、居場所が無いのに……」
掠れたうめき声を上げ、巨躯を震わせる。頭を抱えて荒い呼吸を繰り返し、やがて男はぐらりとよろめいた。
はっとする隼人の前で落ち葉の中に倒れこむ。そして、そのまま動かなくなった。
ゆっくりと立ち上がり、隼人は男のもとへ近付いた。
気絶している男の顔は脂汗が滲んで蒼白だった。失血が激しい状態で隼人が抵抗できないほどの力を奮ったのだ、相当な無理をしたのだろう。
へたりと座り込み、肺が空になるほど息を吐く。蒼空が歩み寄ってその背を尾で擦った。
「蒼空、お前……俺にどうして欲しかったんだ」
瀕死の男を助けたら、余計なことをと殺されかけた。ではいっそ、止めをさせばよかったのか?
蒼空は静かな瞳で見つめ返してくる。確証はないが、隼人の決定に異議があるようには見えない。
「……隼人?」
背後からかけられた声に、隼人は驚いて振り向いた。
灯火を手にした秋雪と嵩重(たかしげ)がそこにいた。
二人は今しがた来たばかりで、何が起こったのかはまったく知らない様子だ。
「仮眠のつもりがいつの間にか寝入ってしまっていて、すみません。
起こしてくれれば……」
何かに気付いた風情で秋雪は言い差す。男のもとへ駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「呼吸が荒いですね。熱も高い」
包帯に新しい血が滲んでいるのを認めて、(いぶか)しげに眉をひそめる。
視線を向けられ、何と説明したものか隼人は答えに窮した。
彼の首元が赤くなっているのに気付き、秋雪が詰め寄る。
「何ですかこれは!?」
「この男が、ついさっきまで目を覚ましていて……」
「く、首を、絞められたんですか」
「ええっ!?」
嵩重がひどく狼狽(ろうばい)した。異常はないかと、上から下まで確認する。
「……正直、殺されかけた。蒼空のおかげで何とか助かったが」
二人は蒼くなって顔を見合わせる。
「こ、この野郎」
嵩重はわなわなと怒りに震え、気を失っている男の息の根を止めんばかりの殺気を(みなぎ)らせた。
「そんな危険な人だったとは……。仮にも命を救おうとしているのに、そんな仕打ちを受けることになるなんて」
「それが迷惑だったらしい。死にたいんだと、言っていた」
秋雪は言葉を失う。そんな患者には会ったことがなかったのだ。
「俺……」
隼人は目を伏せた。
「選択を、間違えたかもしれない。助けるべきじゃなかったかもしれない」
秋雪と嵩重は咄嗟(とっさ)にかける言葉が浮かばず口をつぐむ。
隼人は責任を感じているのだ。自分たちは何かと隼人の決定に従うと述べてきたが、それは知らず知らずに彼の責を重くしている。
それに気付いて、二人はこれまでの姿勢を反省した。
「この件は私に任せてもらえませんか」
秋雪の申し出に彼は目を(しばたた)かせる。
「もうしばらくこの人の様子を見て、治療を続けるか放っておくか、決めさせてください」
「だが…」
この判断は一行の身の安全そのものに関わるもの。誤れば、その責は大きい。
もの言いたげな顔をする隼人に、秋雪は大丈夫だと微笑んでみせた。

翌日、隼人と煉は小太郎を伴って近くの沢へ水を汲みに向かった。
早朝に秋雪から告げられた判断は、当初と同じ、五日間は面倒を見ようというものだった。
あれ以来男は目を覚ましていない。昨夜の出来事が夢だったのではとさえ思ったが、首にかけられた圧倒的な力を思い出せばそれはないと否定せざるをえない。
あの一件は今のところ、隼人と秋雪、嵩重の間だけの秘密になっていた。
「あの人、げんきになるかな」
(きのこ)を探しながら落ち葉を踏み進む小太郎に、曖昧な返事しか返せなかった。
こうして連れて来たのも、彼の近くに置くことに不安を覚えるからだ。
今度覚醒したら、見境なく力を奮う可能性もある。
「あと四日か。正直、最初は何を考えてるのかと思ったが……まあ、お前もこの機にできるだけ休んでおけよ」
煉の言葉に顔を上げる。そんなに疲れて見えただろうか。
小太郎には聞こえない程度に彼は声量を落した。
「人斬りを好んでるわけじゃねぇと知ってても、結局お前に頼ってるのが現状だ。
俺らも頭数(あたまかず)は結構いるんだし、たまには気を抜いた方が良い」
「そう……だな」
煉の背を見つめる。時々夜に起き出して追手を始末しているのを、知っているのかもしれない。
「近くに敵の気配は?」
「今のところは。しばらく平気だろう」
答えると、煉が肩の力を抜いた。それを見て隼人も少しだけ気を緩めた。
何本かの水筒と途中で採取した山菜を手に戻ると、それを認めた琴吹が口を開いた。
「今しがた、目を覚ましたって嵩重が言ってたよ」
煉と隼人は瞠目(どうもく)した。
「もう気がついたのか」
煉が感嘆を隠しきれずに問うと、琴吹は確かめてみろと言うように男を寝かせている方へ親指を立てた。
三人がそこへ駆けつけると、男が薄く目を開けてこちらを見た。
その視線が隼人に止まると、やや細められる。隼人は反射的に身を固くした。
「本当に目を覚ましたんだな。こりゃあ驚いたぜ」
煉の言葉に座していた秋雪が振り返り、小さく笑んだ。
「まだ動くことも喋ることもできないようですが、目覚めたのは大きな前進です」
目が覚めたなら、少しずつでも食事ができるだろう。失った血も補っていける。
隼人は剣呑(けんのん)な目をした。
昨夜は自分を殺さんばかりに襲いかかって来たのだ。動けぬ喋れぬと言われても信用できなかった。
「よかったぁ。これでげんきになれるね」
にこにこと見上げてくる小太郎に「そうだな」と返し、隼人は早々と身を翻した。
「お兄ちゃん?」
「病人の傍で騒ぐと傷に障る。向こうへ行こう」
小太郎はまだ男の様子を見ていたそうな風情だったが、こくりと頷くと兄の後をぱたぱたついて行った。
「すま……ねぇ……」
耳に届いた(かす)れ声に、秋雪と煉は驚いて男を覗きこむ。
「良かった、少しなら声が出るのですね」
「謝るこたぁねえさ。俺たちも長居はできねえ。こうしてる間にできるだけ回復するんだな」
「ど……して、た…す、け……」
煉は隼人の去った方向を見やる。
「あいつに聞きな。俺たちはあいつの決定についてきただけさ」
男もその方向をしばらく見つめていた。秋雪に視線を戻すと、彼は静かに頷き返した。

小太郎は、隼人が水を入れた器に火をかける様子をじっと眺めていた。
「そんなに珍しいものでもないだろう」
苦笑を浮かべる隼人を見上げる。
「僕もやってみたい」
「これをか?」
「だって、僕だけ何もしてない。おてつだいできるよ」
「じゃあ、火を見ててくれ。弱くなりそうだったら(まき)を追加するんだ。
適度に隙間を作ってうまくくべないと逆に弱くなるから、気をつけるんだぞ」
幾本かの薪を手渡され、小太郎は緊張した面持ちで炎を凝視した。
「あのね」
炎から目を離さず小太郎は兄に話しかける。
「お兄ちゃんがあの人の看病しよう、て言ったとき、嬉しかったんだぁ」
わずかに目を見張る隼人にえへへと笑う。
「だれかが怪我をしても、ちちうえとははうえは助けたりしたことなかった。しんぱいもしなかった。お兄ちゃんが優しいひとでよかったって、思ったよ」
「優しい……か」
隼人はついと視線を落とす。そして淡く微笑んだ。
「お前は俺よりもっと、ずっと、優しくなれるよ」
「本当に? じゃあ、お坊さんみたいになれるかな。煉みたいに、あたまがつるつるになるのかな」
蒼空と顔を見合わせて首を傾げる弟に、隼人は(まぶ)しげに目を細めた。

それからさらに二日が経過した。
明日、一行は旅を再開する予定になっている。
真夜中。一行から少し離れた場所で眠っていた男は、悪夢にうなされて目を覚ました。
開いた目には吸いこまれそうな星空が映った。
息が苦しく、夜の冷えた空気を意識して多く吸いこんだ。
しばらくそうしていて、ふと気付く。すぐそばに誰かがいる。
暗闇に目が慣れると、月明かりだけでその姿が判別できた。
腕を組んだ隼人が、静かな表情で見下ろしていた。男と目が合っても僅かな変化も見られない。
あれ以来、彼は一度も男のもとへ来ることはなかった。
それがどうして今になって。
男はゆっくりと上体を起こす。手を貸すわけでもなく、隼人はそれを見ているだけだ。
隼人が来ない二日間で男は驚異的な回復を見せていた。
食べた物がそのまま全て吸収されたかのように肌の色が戻り、傷口はふさがり始めた。
これには秋雪も驚愕を抑えきれなかったようである。
「うなされていたな」
やっと発された隼人の声は夜風より冷たかった。
「……夢を、見ていた」
男は額に浮かんでいた汗を拭った。その様子をしばらく眺めていた隼人はやがて向き合うように腰を下ろす。
男は隼人を真正面から見た。自分よりずっと華奢(きゃしゃ)で、歳も下だ。
だが、その瞳に宿る力強さには不思議と惹きつけられるものがあった。こんな目で見られたことはない。
「この前は……済まなかった」
「なんで謝る? 俺たちはお前に、かえって迷惑なことをしているんだろう」
「いや……」
男は沈んだ面持ちで(かぶり)を振った。
「礼を言わせてくれ。人に助けられるなんて初めてで、あの時は疑っちまった」
言うと、男は頭を垂れる。
「お前、名前は?」
問いかけると、男は少し沈黙した後に口を開いた。
鋼愧(こうぎ)…と、呼ばれていた。本当の名前は知らねぇ」
名乗ると鋼愧は力なく笑った。
「名前聞かれたのも初めてだ。お前、物好きだな。お前の名前も教えてくれ」
だが、隼人は頭を振る。
「こっちから聞いておいて悪いが、名乗るわけにはいかない。お前も、聞かない方が身のためだ」
鋼愧は何度か瞬き、そうかと応じた。少し淋しげだった。
「身体の具合はどうなんだ」
「ここまでくれば、あとは寝ているだけでじきに治る。いつもそうだ」
「いつも?」
隼人は眉をひそめて、あることに思い至る。
「……死にたいと言ってたな。それと関係あるのか」
鋼愧はひとつ長い息を吐いて夜空を仰いだ。冷えた風が包帯の隙間からのぞく髪を揺らす。
「俺、この(ふもと)にある村で生まれ育ったんだ。俺の家族は、親父もお袋も妹も、みんな普通じゃなかった。
みんな、俺みてぇな醜い形をしていて、身体はすげぇ頑丈で、力も強かった」
故に、彼らは村人たちから酷い迫害を受けた。
何をしたわけでなくとも石を投げられ、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ。
身体には傷が絶えなかったが、その並はずれた生命力ゆえに翌日には塞がっていた。それがさらに周囲を気味悪がらせた。
「俺は、山ん中でひっそり暮らそうと言ったんだ。でも親父たちは奴らと分かり合える日が来るはずだって聞かなかった」
妹ですらそうだった。おそらくは、自分が普通の人間と違うのだという事実を認めたくなかったのだろう。
鋼愧の家族は決して鬼でも妖怪変化でもない。身体が異常な方向へ発達した、人間であった。
何をされても村人たちとの共存を望み、反抗せずにいたのは、ひとえに彼らが優しかったからだ。
鋼愧はそれが気に食わなかった。
家族の望むものも理解できる。しかしそれは叶わぬことだと分かっていた。
「そんな時、俺たちにお呼びがかかった。
見たこともねぇ立派な着物を着た奴が、領主の使いだってやって来たんだ」
戦に出よと、彼らは命じられた。
その驚異的な力と生命力を買われたのだと言う。
父と母は最初こそ驚いていたが、やがて喜色を浮かべた。
役に立てば、皆から認めてもらえるに違いない。人並みの生活を送れるに違いない。
誰かから頼みごとをされるなど、初めてだったのだ。
「――頼みごとじゃねぇや、命令だ。結局、俺たちは人間として見られちゃいなかった」
隼人は黙然と鋼愧の話に耳を傾けた。
さすがに妹は村へ残していった。いくらなんでも戦場へ連れて行くことなどできなかった。
鋼愧は母親のことも置いて行きたかったのだが、本人は共に行くと言って聞かなかった。
並の男より遥かに力がある。だから大丈夫だと頼もしげに言うので、最終的には了解した。
そして、彼は全てを失ったのだ。
「親父もお袋も優しかった。虫も殺せねぇ奴らだったんだ。
戦に出たって戦えるわけなかった。お飾りの槍だの刀だの持って、棒立ちだ」
鋼愧だけは必死に戦っていた。敵の身体をひねり潰し、刺し貫いた。
両親は息子のそんな姿を、別の世界のできごとのように呆然と見ていて――
「俺が振り返った瞬間さ。二人とも刺された。何本もの刃先が背中からこっち側に突き出てた。
白目剥いて、二人ともぶっ倒れた」
一撃二撃程度では彼らは死なない。死ねない。
無数の兵に足蹴にされて、何度も刃を振り下ろされて。
飛び散る赤い飛沫(しぶき)を見て、鋼愧はもうだめだと悟った。
その隙をついて彼も傷を負った。深々と身体に刃が食い込み、数えきれない程の矢が降って来た。
逃げ伸びることができたのは奇跡としか言い様が無いだろう。
満身創痍で彼は戦場を落ち延びた。必死に村を目指した。
妹に会わなければ。両親の死を伝えなければ。そして分からせるのだ。
自分たちは受け入れられないのだと。
村に着いたのは幾日も経った真夜中だ。何も口にしておらず体力は限界だった。
住んでいた小屋の戸口を叩いても反応はなかった。開けると誰の影も見えない。
嫌な予感がして、鋼愧は村中を探し歩いた。
そして。
村の中心の開けた場所に、見慣れない(くい)が立っていた。そこだけ地面が黒いのが、暗闇の中でもわかった。
近付いて灯りを翳し、彼は絶望した。
「妹が括り付けられて、両側から槍で突かれて死んでいた。
身ぐるみを剥がされて、見世物にされたんだ」
村人と友達になりたがっていた、優しい妹。彼女は死の間際までその醜い姿を笑いものにされて。
地面の黒ずみは妹の身体から出たおびただしい血だった。
「鋼愧」
隼人は思わず声を上げた。これ以上語らせるのはいたたまれなかった。
だが、大男は手でそれを制して続けた。
「後はわかるだろ。俺は気付いたら村ごとぶっ壊してた。女も子供も見境なく殺した。
村中炎に包まれて、それでも生き残ったやつらが、俺にかかって来た」
ほとんど相討ちだった。生き残りは何とか始末したが、鋼愧の命もまた尽きる寸前だった。
あてもなく彷徨(さまよ)い、この山の中で死を待つばかりとなっていた。
「そこへ俺たちが来た……ということか」
「ああ。今回ばかりは駄目だと確信してたんだがなぁ」
死んでも良かった。むしろ死にたかった。行くべき場所も帰る場所も残されていないのだから。
話し終えると、鋼愧はぐいと目元を拭った。
「そうだったのか……。それなら、あの時お前が言った言葉の意味もわかるな」
「でも、やっぱり俺のしたことは間違いだった。お前は命の恩人なのに、この手で殺そうとしちまった。
親父たちが聞いたら喜んだだろうに、情けねぇ…情けねぇなぁ……」
許してくれと、鋼愧は巨躯を精一杯かがめて侘びた。
「もういいって。俺も、浅慮だったな」
助けることの残酷さを、初めて知った。人一人の運命を左右する責任ははこれほどに重いのか。
我知らず息をつく隼人の横顔を、鋼愧はじっと見つめた。
「なんだ?」
「あのよ……」
鋼愧はなかなか続きを喋らなかった。何度も口を開きかけて、その度に躊躇(ためら)う。
隼人が静かに待っていると、彼は(ようよ)う意を決したようだった。
「お、俺を……お前らの仲間に加えてくれないか」
隼人はわずかに目を瞠った。
鋼愧は初めて頼み事をした反動なのか、しきりに視線を彷徨わせている。
「お、俺なんか邪魔になるだけで、何の役にも立たねぇかもしれねぇ。
お前らが何か訳ありだってのも、何となくわかる。
そ、それでも、俺にはもう居場所が無ぇ。俺のことを助けてくれて、こんなに話を聞いてくれた人間はいなかった」
「俺はお前が思っているような優しい人間じゃない」
隼人の声は突き放すように冷めていた。鋼愧はぐっと息を詰める。
「お前よりずっと醜い理由で、俺の手はどす黒く染まってる。
きっと、お前を嫌っていたそいつらと大差ない」
「違う。全然違う。俺にはわかる、お前はまっすぐに俺を見てくれている。
俺を治してくれたあいつらだって、お前をすごく信頼していた」
鋼愧は(かたく)なに言い募ったが、隼人は話は終わりだと言うように立ち上がった。
悲しげに肩を落とす鋼愧を見下ろす。
「もう寝ろ。どの道、俺たちは明日ここを発つ」
「そ、そんな」
鋼愧は絶望したような瞳で見上げてきた。縫い目だらけで継ぎ接ぎのような顔が一層歪んでいる。
隼人は僅かに目を細めると、懐から紙切れを取りだして彼に突き付けた。
呆然とそれを受け取る鋼愧に言い放つ。
「それを読めば、俺が何者かは大体わかるはずだ。それでも付いてくるってんなら、好きにしろ」
「え……」
鋼愧が何か言いかける前に、隼人は身を翻して夜闇の中に消えてしまった。

翌日、山には霧がかかっていた。空気がひんやりと冷たい。
荷物をまとめ、できるかぎり滞在の痕跡を無くす。
旅の再開にあたって皆が気を引き締める中、小太郎は少しだけ暗い面持ちだった。
「どうした小太郎、寒いか」
上着は着せているが、もう一枚必要だろうか。
案じる兄を小太郎は見上げた。
「やっぱり、出発するんだ……よね」
「ん?」
「あの人、まだちゃんと治ってないから。大丈夫かな、って」
ちらちらと彼の寝ているだろう方向を気にする小太郎。視線の先は霧によってよく見えなかった。
「お前の気持もわかるが、初めから五日と決めていただろう。
これ以上は俺たちも危ない」
「うん……」
何が危ないのか、小太郎は聞かなかった。
優しい弟の頭をひと撫でして、隼人は微苦笑を浮かべる。
「あいつは普通よりずっと頑丈だ。しばらく寝てれば動けるようになるだろう。
心配するな」
小太郎がこくりと頷き、一行は旅路を再開した。
特に鋼愧へ別れの言葉もない。これきりの縁なのだから必要もない。
分かっていても浮かない顔の秋雪を煉が小突く。
「もう忘れろ」
「べ、別に気にしちゃいませんよ…。私もやれるだけのことはしましたし」
ぶつぶつと呟きながら歩く秋雪の姿に、数歩後ろを行く琴吹もやれやれと肩をすくめる。
半刻ほど下った先は、ごつごつとした岩場になっていた。それを分裂するように幅のある川が流れている。
川の流れは激しく、とても歩いて渡ることはできそうになかった。
「迂回するしかねぇな」
玄次郎が嘆息交じりに言った時、背後で轟音が生じた。
驚いて振り返ればそこに鋼愧が(たたず)んでいた。
「お、お前……!」
一同が目を瞠る。鋼愧は今しがた倒した大木を引きずりながら近づいてくる。その足はまっすぐ隼人を目指していた。
その足取りはふらふらとしていて、一行の後をついてきたとは考え難かった。
おそらくはずっとここで待っていたのだろう。霧のせいであの場所にいないことに気付かなかったのだ。
目の前に止まった巨躯を隼人は静かに見上げる。
「決めたのか」
「ああ、決めた」
「……そうか」
ついと目を細め、隼人は薄く笑った。
「自分の道は自分で決めればいい。よろしくな、鋼愧」
隼人を除く面々は当然のことながら唖然としている。
隼人は彼を避けているように感じていた。いつのまにこれほど親しげになったのか。
名前だって、いつの間に聞き出したのだ。
それに今何と言った?
「待て待て待て待て。話が見えない」
煉が疑問符を大量に撒き散らしながら詰め寄るも、軽く受け流される。
「つぅことで皆、新しく仲間になった、鋼愧だ」
「ふぅん、そういう事になったのね。まぁよろしく」
「動いて大丈夫なのか? おう、あっしは嵩重ってんだ」
「鋼愧さんと言うのですか。よろしくお願いします」
「物好きな野郎だな。しっかりついてこいよ」
皆が即座に打ち解ける中、煉だけ混乱している。
鋼愧は倒木を川にかけて橋を作ると進言した。
嵩重も手伝い、歩いて渡るのに十分な幅の道ができ、一人また一人と向こう岸へ渡っていく。
最後に残されてもなお悶々と思考している煉の背に声がかけられた。
「煉! 来ないなら橋を外してもいいですかー!?」
「いっ、いいわけねぇだろ!」
がばりと振り返ると、煉もまた怒涛の速さで橋を渡ったのだった。

<終>

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