罪と誓いと

うっすらと目を開けると、人の気配がした。
自分の横に膝をついて、こちらを見下ろしている。
それが誰なのか確かめようとするが、意識が朦朧として視界がはっきりしない。
「―――」
女のものと(おぼ)しき声が、響いた。
声は耳に心地よく滑り込み、混沌とした意識を(ほど)いていくようで。
ひどく懐かしかった。
「……と、…はや…と」
自分の名前を呼ぶ声と共に衣擦れの音がして、頬に手のひらが添えられる。
暖かい手が、優しく頭を撫ぜている。
この人は誰だろうか。
懸命に目を凝らすと、再び名を呼ばれた。
「隼人……」
ぼやけていた視界が一気に明るくなり、憂いを帯びた女の顔が一瞬だけ見える。
はっと目を瞠った刹那に、隼人は夢から覚めた。

硬く閉ざされていた瞼が、わずかに震えた。
のろのろと眼を開けるとまぶしい陽光が飛び込み、隼人は眉を寄せながら幾度か瞬きをして周りに視線を滑らせた。
と、頬に冷たいものが当たる。
驚いて横を見ると、白い狼がそこに座って鼻を寄せていた。
蒼空(そら)……?」
「お兄ちゃん!」
ぱたぱたと尾を振る狼に気付いた子供が、隼人のもとに駆け寄ってくる。
「小太郎…」
はっとして、隼人は身を起こす。途端に、わき腹がずきりと痛んだ。
「っ……」
「急に起きちゃだめだよっ、けがしてるんだから……」
思わず身体を折った隼人を支え、小太郎は血相を変える。
小太郎をじっと見つめて、隼人は息を吐いた。
「小太郎…無事、なんだな?」
安心した風情の隼人を見上げ、小太郎はきょとんと首を傾けた。
痛みはすぐに引き、隼人は周囲を見回す。
ここは師の家だ。自分は布団の中にいて、今の今まで眠っていたらしい。
着物の上から腹に手を当てると、固く布が巻かれているのが分かった。
倒れる前の出来事が脳裏に鮮明に蘇る。
自分は煉と秋雪、そして仲間たちを助けるために屋敷へ行った。そしてその場で、実の父と義母を殺したのだ。
顔を歪め、唇を噛みしめる。
二人だけではない。自分は、もっとたくさんの人を殺した。その事実は拭いようがない。
「まってて。今、だれか呼んでくるね」
小太郎は外へ駆けていく。その背を眺めて、隼人は苦笑を浮かべた。
さんざん煉と言い合ったが、結局殺さずにいてくれたのだ。
「隼人、目が覚めたのか」
戻ってきた小太郎の後ろには、師と秋雪がいた。二人は安堵(あんど)の表情で、彼のそばに膝をつく。
「三日も眠っていたんですよ」
「三日……」
秋雪の言葉に、隼人は口の中で繰り返す。
あれから三日も経っているのか。
「煉と…嵩重(たかしげ)たちは?」
「嵩重と玄次郎は町の様子を窺っている。
町一番の長者の屋敷が焼け、生存者が見つからないということでかなりの混乱ぶりのようだ」
「煉は……」
言いかけて、秋雪は師と視線を交わした。二人は揃って窓の外を見やり、肩をすくめる。
「何やら気まずいらしく…」
「気まずい? 何がだ」
怪訝(けげん)に首を傾げると、秋雪は右手で拳をつくってみせた。
「ほら…、煉、隼人を殴ったんでしょう? そのことを気にしているようです」
秋雪たちはその場にいなかったが、煉が自分でそう言ったのだそうだ。
それを聞いて隼人は目を丸くする。
確かに、殴られて胸倉を掴まれて、今までになく怒鳴りあった。
でもそれは、自分にも非のあったことだ。
「そんなこと、気にすることねぇのに」
「動けるようなら、後で会いに行ってやるといい」
頷き、隼人は秋雪と向き合った。
「傷の手当ては秋雪がしてくれたのか?」
「ええ。幸い、それほど深い傷ではなかったので安心しました。
でもしばらくは無理しないように」
微笑む秋雪の着物の袖を、小太郎が掴んで引っ張る。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん、だいじょうぶだよね? 元気になったよね?」
無邪気に笑う子どもに目を細め、秋雪はその頭を撫でる。
「小太郎がずっとついててくれたおかげですね、もう心配いりません」
彼の言を受けた子どもは心底安心したように満面の笑みを浮かべた。
薬草を摘みに行くために秋雪が腰を上げる。「ぼくも行くー」と小太郎もその後に続いた。
戸口から出て行く二人を見送る隼人に、師がついと視線を向けた。
「あの子ども、お前を心底心配していたよ。
お前が眠っている間、片時もそばを離れずにいた。…その、狼と一緒にな」
隼人は目を(しばた)いて横にいる蒼空を見つめた。
反応した白狼は尾を振ってその頬を舐めてくる。
蒼空は成長してからというもの、ずっと屋外で生活していた。
隼人が剣の修行をしている間も、いつも外で待っているのだ。
こうして師の家の中に座っているのを見るのは、何だか新鮮な感じがした。
「中に入れないうち戸口を引っかき続けるものでな。よほどお前が心配だったようだ」
苦笑を滲ませながら師は目を細める。
しばらく狼の首の辺りを撫でていた隼人だが、やがて思い出したように師を振り向いた。
「先生、あの…」
「ん? どうした」
「俺が使ってた……その、刀は」
ああと首を巡らせて、師は壁にある掛け軸の下を指差した。
そこには元のように、刀が飾られている。
「すみません、勝手に持ち出して……」
あの時はこれしか武器がなかったとはいえ、無断で持ち出し、何人もの人間の血で汚してしまった。
師にとってはきっと大切な物だろう。事が落ち着いたら謝ろうと、考えていた。
頭を下げる隼人を見下ろし、師は気さくに笑う。
「なに、お前の命を守ったんだ。
ただ飾るだけで終わると思っていたものがこうして役に立つのなら、その方がずっと良い」
「あの刀は、どうやって手に入れたんですか」
隼人は顔をあげ、刀を見つめる。
繊細な装飾がされているわけでもないのに、その存在感がひしひしと伝わってくるようだ。
「家に代々伝わるものでな、私もあれが実際に振るわれるところを見たのは初めてだった。
子どもの頃から、(おそ)れ多いから触るなと言い聞かされていてな」
その言葉に隼人がぴしりと固まる。
彼の反応に、師は声を立てて笑った。
「気にするな。もともと、本格的に金に困ったら売りに出そうと考えていた代物(しろもの)だ」
門弟のいない道場主。宝の持ち腐れでいるよりは生活の足しにしたいというのが、正直なところ。
おもむろに立ち上がると、師は刀を手にとって隼人のもとに戻った。
そしてそれを、真っ直ぐ彼に差し出す。
押し付けられるままに刀を受け取り、隼人は不思議な顔で師を見上げる。
「先生……?」
「……いいか隼人、それはお前にやろう。それを持って、皆と共に逃げろ」
真摯(しんし)な目をした師の言葉に、隼人は瞠目した。
「どういう……」
「嵩重たちの話だと町には今、役人どもがうろついている。
屋敷の人間を殺して火を放った者を探しているんだ。
ここは町から外れた目立たない所にあるからまだ調べは入ってないが、それも時間の問題だろう。
だから、奴らに嗅ぎつけられる前に……」
いつまでもここにいては、役人たちに捕えられることは必至だ。
斬った量から考えて、捕えられたら最後、打ち首になることは決まりきっている。
「殺しは殺し。役人どもはこちらの言い分になど耳を貸さないだろうからな。
死を(まぬが)れるには、逃げる他にない」
「先生は……一緒に行かないんですか」
「私はここに残る。私一人なら、役人を(あざむ)くことも可能だろう。
私はお前の家とは関わりがないと思われているから、それほど勘繰られることもないはずだ」
皆が逃げる手助けをしたいと師が言うのを、隼人は言葉もなく聞いている。
その肩に手を乗せ、師は苦笑した。
「案ずるな。これでもお前の師範だぞ?何かあっても、そうやすやすとやられはしない」
「それは……! っ…」
戸惑いと心配がない交ぜになった顔を、隼人はぐっとうつむかせる。
その頭を、師の大きな手がわしわしと撫でた。
「心配はいらない。私のことよりも、自分のことを考えろ、隼人……」

一つの墓の前に、煉は佇んでいた。
あまり手入れがされていないその地面の下には、隼人の母が眠っている。
虫唾が走るあの家から解放された煉の心にあるのは、脱力感だった。
これからどうすればいいだろう。
答えは決まっているようで、決まっていない。
重く息を吐き出す煉の背に、声がかけられた。
「れーん」
はっとして振り向くと、そこにいたのは隼人だった。
いささか顔色が悪いものの、その両足はしっかりと身体を支えている。
「隼人っ……身体は、大丈夫なのか?」
「ああ。心配かけて悪かったな。……にしても、お前がここにいるなんて珍しい」
煉の横に立ち、隼人は墓を見下ろす。
その瞳は、複雑な色を(たた)えていた。
「長いこと来られなかったからな……。
俺にとってのおかみさんはこの人だけだから、この機に挨拶しとこうと思って」
言うと、煉は墓の前に膝をつく。隼人もそれに(なら)った。
手を合わせ、しばらく黙す二人。
先に顔を上げた隼人が、苦笑を浮かべた。
「おふくろ、今の俺を見たら、どう思うかな」
煉も閉じていた目を開いて、隼人を見つめる。
「実の父親と憎み合って……挙句、沢山の人間を手にかけた。
誰も、こんなこと望んでなかったのにな」
自由になれればそれで良かった。しかし現実は、こんな形になってしまった。
夢の中の、女の声が蘇える。
あれは、母だった。最後に一瞬だけ見えた顔は悲しげで、今も(まぶた)の裏に焼きついている。
何を悲しんでいたのだろう。自分の運命か、隼人の犯した罪か。
「もう、ここにも来れなくなるな。煉」
「……やっぱり、逃げるんだな」
「皆が生き延びるためにもな。お前も行くだろ?」
笑いかける隼人から、煉は視線を外す。
「俺も、行って良いのか」
「は?」
目を瞬く隼人に、煉は気まずげに言った。
「屋敷がなくなった今、俺はお前の使用人でもなんでもない。
それでもまだ、俺を傍に置いてくれるのか?」
「……煉」
半眼になった隼人が据わった声で名を呼ぶ。
反応して顔を上げた煉の頬に、拳が飛んだ。
予想だにしない攻撃に、煉の身体が吹っ飛ぶ。
地面に叩きつけられた彼は、口の端の赤い筋を拭いながら隼人を睨んだ。
「何しやがる……お前なぁ、手加減しても威力が半端ないんだぞ! それをわかって……」
「ふん、今のは仕返しだ」
口端を上げる隼人に、煉ははっとする。
「あ…あの時は、わる…」
煉が言い切らぬうちに、隼人はずかずかとやってきて彼の上に馬乗りになった。そのまま胸倉を掴んでもう一発、殴る。
「いちいち卑屈になるな。謝らなくたって、もともと誰も怒ってねぇっての」
「っ……だったら何で殴るんだよ!」
「お前の顔が気に入らねぇからだよ」
今度は、眉を吊り上げた煉の拳が飛ぶ。あえて避けずに、隼人はそれを受けた。
「やったな…。もう一発、仕返し!」
「このっ…調子に乗るな!!」
時間を忘れ、二人は延々と殴り合った。
片方が殴ればもう一方がやり返し、それにまた反撃する。
陽が山端にかかる頃、二人は墓の前で伸びていた。
前髪をかきあげて赤くなった空を見上げ、隼人は呟く。
「なんか、楽しいなぁ」
「楽しい?」
いまだぜえぜえと息を継ぐ煉は、(いぶか)しげに視線を向けた。
「うん、子供の頃に戻ったみてぇだ」
周りのことなんか気にせずに、好きなだけ暴れまわって。言いたいことを言い合って。
そんなことが、こんなにも嬉しい。
「な……俺には最初っから、お前たちしかないんだよ。
お前をただの使用人として見てたことなんか一度もなかった…。
だからさ、俺のそばからいなくなるなんてことは、もう言わないでくれ」
煉を覗き込む隼人の目から、ひとつの雫が落ちる。
煉は言葉も無く静かにそれを見て、ただ、その頭に手を乗せた。
添えた手に、震えが伝わってくる。
今まで抑えていた悲しみが、形になったように。
最後の最後まで父に受け入れてもらえなかった。愛してもらえなかった。
自分の存在理由が分からなくなったときに、いつも傍にいてくれたのは煉たちで。
そのたびに、計り知れない希望を貰っていたのだ。
声を殺して泣く隼人の頭に手をのせながら、煉の頬にもまた、涙が伝っていた。

「お兄ちゃーん!」
声に振り返ると、小太郎と蒼空がいた。
彼らは飛び跳ねるように駆けてくる。
「そろそろ帰ってきなさい、て秋雪がいってたよ」
「ああ、迎えにきてくれたのか。ありがとうな」
身体をかがめて頭を撫でてやると、子供は至極嬉しそうに微笑んだ。
元気に前を行く小太郎と蒼空のあとを歩きながら、煉はそっと囁く。
「あの子供を生かしておくと決めたのはお前だ。
だが忘れるなよ。自分が小太郎の仇なんだということを」
「ああ……。それは絶対に忘れない」
消し去ることのできない、自分の中に刻まれた罪。
それを償うためにも、小太郎を守りぬく。
いつか小太郎に恨まれる日が来ようとも、これは自分が選んだことだ。
焼け野原になった屋敷の方角をちらと見やり、隼人はすぐに視線を戻した。
その瞳には、固い決心が。
この先にどんな困難が待ち受けていても、決して背を向けない。
身体を張って自分のために戦ってくれた仲間のために。そして、小太郎のために。
一つの誓いを胸に、彼は暮れなずむ空を見上げた。

<終>

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