眠りに入ってからどのくらい経っただろう。
隼人の目元が、ぴくりと動いた。
ゆっくり瞼を上げて視線を彷徨わせる。
誰の気配もしない。煉と秋雪を助けに行ってから、まだ戻らないのだ。
ひとつ呼吸をして、彼は身体を起こしてみた。
少し眠っただけでも随分違う。身体が一気に軽くなっている。
毒の力に負けず劣らず、薬の効果も強いらしい。
立ち上がってみるとさすがにぐらりとよろめいた。壁に手をついて、体勢をなおす。
改めて自分の姿を見下ろしてみると、所々に渇いた血がついていた。
自分が吐いたものだろう。嵩重たちも、着替えを用意するほどの余裕がなかったのだ。
煉たちが帰ってくる前に着物を変えた方がいいかもしれない。
彼らは必要以上に心配してくるから、この姿を見たら血相を変えるだろう。
その様子が容易に想像できて、隼人は小さく笑った。
代えの着物になるものははないかと視線を巡らせた彼は、ある物を見つけて目を止めた。
質素な部屋に飾られた、色褪せた掛け軸。その下に、一本の刀が飾られている。
足を進めてそこに膝をつき、その刀に手を伸ばす。
持ち上げてみると、しっかりとした重さが腕に伝わった。
無意識に鞘から抜いてみる。
現れた刀身は、澄んだ輝きを放って彼の顔を映し出した。
見ているだけでも素晴らしい代物だが、これは飾るだけに限らず実戦でも十分に通用するだろうと思われた。
しばし刀に見入っていた隼人だが、はっと我に返ると慌てて刀身を鞘に戻した。
もとのように飾っておき、息を漏らす。
師の家にこんな物があるとは知らなかった。今まではほとんど道場にしか出入りしていなかったためだ。
貧乏な暮らしをしている師がこんな高価な刀を買えるとも思えない。家に代々伝わるものなのだろうか。
着物を探そうとしていたのを思い出し、隼人は再び立ち上がった。
と、戸口からカリカリという音が聞こえてきた。
「何だ…?」
首をかしげ、戸口へ向かう。
板戸を開けてみると、そこにはよく見知った狼がいた。
蒼空(そら)……」
その姿を認めた隼人は目を細める。
戸口を引っかいていた白狼は隼人に擦り寄り彼の手を舐めた。
「お前も心配してくれてたのか? ごめんな……」
苦笑して頭を撫でてやると、蒼空は隼人をじっと見つめ、やおら彼の袖を(くわ)えてぐいぐいと引っ張った。
「蒼空…? どうした?」
驚いて袖を引こうとするが、狼はそれを放そうとしない。
何かを訴えるように外へ引っ張り出そうとする蒼空に、隼人は困ったように眉を寄せた。
「蒼空、どうし…――」
言いかけた瞬間、彼の耳に僅かな音が滑り込んだ。
はっと視線を巡らせ、意識を研ぎ澄ませる。
明らかに、複数の気配が生じていた。
袖を放し、蒼空が吠え立てる。
木陰から一つ二つと人影が現れた。
「ふん、本当に生きてやがるとは……しぶとい坊主だな」
周りを囲む男たちの中央に立つ男が、口元を吊り上げる。
「親父の差し金か」
剣呑に睨み据え、隼人は少しずつ後退した。
「お前など、生きていても意味が無い。
煉と秋雪を助けに来たという者たちも、今ごろは斬り捨てられているだろうよ」
「なんだと…!」
息を詰め、隼人は屋敷の方角を振り仰いだ。
「お前のせいで皆死んでしまうぞ。
お前がさっさとあの世へ逝っていたら、こんなことにはならなかったのに」
使用人の顔に蔑むような笑みが張り付く。
彼の合図とともに、周りにいた仲間たちが一斉に刀を抜き放った。
蒼空が低く唸り、前へ踏み出す。
「っ……蒼空!」
「何だこの犬は。まさかその小僧を(かば)うとでも?」
「狼じゃありませんかい?」
仲間の一人が恐々と言ったが、男はフンと笑い捨てる。
「小僧一人殺すのに手間取ることはない。邪魔をするならその犬も斬り捨ててしまえ」
刃のいくつかが、狼にも向けられた。
「蒼空、逃げろ!」
隼人が叫ぶと、白狼は彼を振り向いた。
その瞳は何かを訴えようとしている。
はっとして、隼人は師の家に視線を滑らせた。
()れ!!」
男の声と同時に、使用人たちが一斉に襲い掛かってきた。
蒼空が彼らに飛び掛る。
正面からくる刃を避け、牙を剥き出しにして敵の腕に噛み付いた。
「このっ、生意気な犬め…!!」
蒼空が敵を足止めしている隙をついて、隼人は家の中へ駆け戻った。
掛け軸の前へ行き、そこにある唯一の武器を手に取る。
物音に反応して身体を翻すと、今いた場所に刃が振り下ろされた。
追ってきた使用人たちが、部屋の中で刀を構えている。
「死に損ないが!! さっさとくたばれ!!」
敵を睨み、隼人は手にした刀を鞘走(さやばし)らせた。
鋭く光る刀身が現れる。
「へっ、刀なんか使えるのかよ、お坊ちゃんが」
立ち並ぶ使用人たちはにやにやと笑っている。
隼人は口の端を吊り上げた。
「舐めるなよ」
使用人の一人が怒号をあげて斬りかかってくる。それを受け流し、隼人は敵をばっさりと斬り捨てた。
刀身に血が(したた)る。
数瞬の出来事を目の当たりにした使用人たちは、驚きに目を剥いた。
「なっ……」
「怯むな! 全員でかかればひとたまりもねぇ!!」
男の声に敵が奮い立つ。
彼らは一斉に斬りかかった。
「死ね―――!!」


がきぃん、と鈍い音が響く。
頭上から落とされた刃を、師がかろうじて受け止めていた。
ちっと舌打ちして、押し返す。
敵の数は一向に減らないでいた。これほどの使用人がいたとは、(はなは)だ想定外のことだ。
それもただの使用人ではないらしく、皆刀の扱いに慣れている荒くればかり。
「ふん、金持ちなら誰でも雇えるということか……」
低く唸り、横合いから来る攻撃をまた受け止める。
嵩重(たかしげ)が渾身の力で地面を叩きつけるたびに、震動が生じる。
煉も敵から奪った刀を振るって必死に応戦していた。
戦う術のない秋雪(あきゆき)は玄次郎と共に後方へ下がっている。玄次郎は毒を使おうと言うのだが、
この状況でそれを使えば仲間も巻き込み危険だった。
後から後から敵が現れる。すでに何人斬ったかわからないが、師も他の者たちも確実に消耗していた。
このままではいずれやられてしまう。
(隼人がここにいれば……)
無意識のうちに、師はそう考えていた。
もしもあの少年が本調子でこの場にいたならば、凄まじい戦力になっていたはず。
何しろ彼の剣の腕は師を軽く凌駕(りょうが)するほどになっているのだ。
「はぁぁぁ!!」
怒号に重なって空を斬る音が伝わる。
我に返って素早く反応した師は、自分が考えていたことに気付いて苦笑した。
「情けないな…」
鍔迫(つばぜ)り合う刀身がぎりぎりと音を上げる。
「いい加減くたばれ!」
力任せに押してくる敵に、師は鋭い眼差しを向けた。
若造(わかぞう)が、甘く見るなよ。これでも師範の肩書きは持っているからな」
はるか後方から冷めた表情で喧騒(けんそう)を眺めていた父は、一つ息をつくと身を翻した。
「飽きたので部屋に戻っておる。適当に殺して、死体は井戸にでも捨てておけ」
「は」
そばにいた奉公人が応じて頷いた。
ふと父は視線を巡らせる。
「隼人に(とど)めを刺しに行った者たちは戻ったか」
「そういえば、まだですね」
「まぁ、もうじき戻るだろうな。戻ったら成果を聞きたい。部屋に通せ」
「承知しました」
奉公人が頭を下げると、父は騒がしい庭を後にした。


視界は一面、おびただしい赤で染まった。
荒い息を継ぎ、隼人はがくりと膝をつく。
目の前にあるのは、すでに息絶えた者たちの(かばね)
彼の指は小刻みに震えていた。渇いた喉から息が漏れる。
赤く()れた指を見つめる。
――殺してしまった。
その事実に、どうしようもなく身体が震えている。
真剣で戦ったのは初めてではない。だが、本当に斬ってしまったのは生まれて初めてのことだった。
しかも、一度にこんなに大勢を。
隼人の腕ならばそれは造作も無いことだった。それでも慣れないことに胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
殺らねば殺られていた。
そう何度も言い聞かせ、隼人は呼吸を整えると顔を上げた。
「そうだ、蒼空……」
外に残してきてしまった狼。部屋の中に転がる死体の他にも、(おもて)にまだ敵が残っているのだ。
刀を支えに立ち上がり、隼人は急いで外へ向かった。
外に飛び出した瞬間、ぎゃんと悲痛な鳴き声が響く。
「蒼空っ!!」
地面に叩きつけられた白狼のもとに駆け寄り、隼人は蒼白になってその毛並みに触れた。
大きく息をして、蒼空が首をもたげる。その瞳に、刀を掲げた男の姿が映った。
「死ね!!」
目を見開き振り返った隼人が見たのは、白刃の(ひらめ)きと、男の笑い顔。
がきんと、音がした。
まっすぐ肩口に下ろされると思われた刃は、しかしその直前で阻まれる。
首を伸ばした蒼空が、刀身をがっちりと(くわ)え込んでいた。
「なにっ!?」
予期せぬことに男は狼狽(うろた)える。
刃を己の牙で受け止めた蒼空は、低く唸ると力任せに刀を奪い取った。
男の手から(つか)がはずれ、無防備になる。
慌てて彼は腰に差していたもう一本を引き抜こうと手をかけるが、その前に隼人が刀を横一文字に薙ぎ払った。
「ぐぅっ!!」
腹を裂かれ、男は折れ曲がるように前へ倒れた。血が少年と狼に降りかかる。
どしゃ、という音の後、辺りはしんと静まり返った。
もう敵は残っていないらしい。
注意深く気配を探っていた隼人はようやく肩を下ろすと、慌てて蒼空を覗き込んだ。
「そら…蒼空…っ」
未だに銜えられているままの刀をそっと引き抜く。すると開いた口から喘ぎがこぼれた。
その首を抱き上げ、少年は毛並みに顔を埋める。
大丈夫だと言うように、蒼空がぱたぱたと尾で地面を叩いた。
「ごめんな…教えてくれてたのに、俺……」
(かす)れそうな声が耳に届いて、白狼は目を細めた。
顔を上げる隼人の、返り血で塗れた顔を舐める。
その首をさすり、隼人は蒼空の身体に目を移した。
所々の打撲はあるが、深い傷は負ってないようだ。白い毛並みは赤く染まっているものの、これもさっきの男の返り血。
ほうと胸を撫で下ろし、隼人はゆっくりと蒼空の頭を地面に横たえた。
「蒼空、ここで休んでろ。俺は、屋敷に行く」
蒼空が目を向けてくる。隼人は小さく笑ってその頭を撫でた。
「心配するな」
刀についた血糊(ちのり)を拭き取り、鞘に収める。
立ち上がった隼人は、皆がいるだろう屋敷の方へ駆け出した。

<終>

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