雑草

「でやぁ!!」
青く晴れた空に、気合いの入った掛け声が響く。
場所は村の外れ。 閑散とした場所に佇む古びた道場である。
竹刀をかまえる隼人の前には、厳格な気風を漂わせる男がいる。
この道場の師範だ。
腕は一流だが、いかんせん入門者がおらず、現在は隼人一人に稽古をつけている。
その隼人もまた度々謹慎を食らうために、定期的にきちんと通うことができていない。
そんなこんなで、道場は廃れきっていた。
「よし、ここまで」
師の一言を受け、隼人も竹刀を下ろす。
「大したものだ。毎日通い続けているわけでもないのに、私を凌ぐほどの腕だぞ」
褒められて、隼人は汗を拭いながら首を振った。
「まだまだ先生には及びません」
顔を洗いに、隼人は外の井戸へ出て行った。
その背を見つめて、師は思う。
謙虚な態度をとっていても、やはり隼人の実力は本物だ。
師にとって、それはとても誇らしいことだった。
なにしろ長い付き合いである。
隼人のことはずっと小さい時から知っていた。
この道場にやってきた、おそらく最後の弟子。 大切に教え込んできた。
「あの父母でなければ、もっと伸びるだろうに…」
ため息に似たものがこぼれる。
隼人の実の母、お悠が生きていた頃から顔なじみである師は、彼女が死んでから隼人がどんな仕打ちを受けてきたかも知っている。
数少ない隼人の理解者の一人であった。
隼人がここに来れるのも、師が後押しして懸命に父母に許しを請うたからなのだ。
彼の腕前を知っているから、勿体無いと思ってしまう。
「はやく、束縛から逃れられればな……」

井戸端で顔を洗っていた隼人は、ふと水に映る自分の顔を見た。
自分の面差しは、父よりも母の方に似ている。
久々に思い切り身体を動かしたためか、そこには生気が満ちているようだった。
外で待っていた蒼空がそろそろと近づいてきて、手を舐めた。
隼人は笑ってその頭を撫でる。
「ああ、もう終わったから、もう少しだ。そうだな…お袋の墓参りにでも行くか」
もうずっと行けてなかったから、花でも持って行こう。
顔の水滴を拭くと、隼人は道場の中へ戻った。
荷物をまとめていた時、ふと隼人は顔をあげた。
「先生」
「何だ?」
腕組みをした師範が振り返る。
「あの……本当に、稽古代はいらないんですか?」
ためらいがちに言う隼人に、師はわずかに目を瞠った。
稽古はつけているものの、見返りに金を納めているわけではない。
というよりも、それが条件で隼人の入門を許されているのだ。
あの理不尽な父母が、きちんと稽古代まで出してくれるはずがない。
それでもいいならという条件を、師範は受け入れてくれた。
「俺は…納得がいきません」
もとよりあの家に得心できることなど少ないが、やはり裕福な家柄なのだから貧乏な師範にそれなりの礼金を納めても間違ってはいないと思う。
隼人の心情を察して、師範はふっと笑った。
「なら、稽古代を寄こせと言ったとして、お前の親が払ってくれるだろうか?
失礼だが、私にはそうは思えん」
「ええ、家からはびた一文出ないでしょうね。だから、俺が働いて金を作ります」
「ほう?しかし、父母殿たちはお前が働くのを許可してないそうじゃないか」
ぐっと唇を噛む隼人の肩を、師範が軽く叩く。
「父母殿は世間体を気にしてなさるのだ。
裕福なはずの家の息子がそこらで働いていれば、経済的に苦しいのかと思われかねん」
「……そんなことは、俺には関係ありません」
「まあそんなに焦るな。時が来ればちゃんと自由になれるさ。
稽古代のことも気にしなくていい。下手に逆らうと、もっと肩身が狭くなるぞ?」
隼人はまだ何か言いたげだったが、一つ息をつくと「はい」と答えた。
師範はその頭を撫で、道場を出て行く隼人の背を押してやった。
「また来いよ~」
手を振る師に頭を下げ、隼人は白狼をともなって歩き出した。

墓所は村はずれにあるので、道場からは割と近い。
隼人はお悠の墓のほこりを払い、摘んできた花を供えて手を合わせた。
そばには蒼空が大人しく座っている。
閉じていた目を開き、少年は辺りの様子を見た。
草がぼうぼうに生えており、手入れされた様子も無い。
ここには隼人がたまに訪れる程度で、あとは誰も来ないのだ。
父親がここに来たことすら、隼人は見たことがなかった。
お悠が亡くなるまでは、二人は仲のよいものだとばかり思っていたのに。
伸びきった草に手をかけながら、隼人は墓に語りかける。
「今日、先生にほめられた。剣の腕が上がったって」
答えは返らず、風が吹いていく。
頭を撫でられた感覚が、今も残っている。
こんな歳になって何だが、あの大きな手に撫でられるのはすごく温かくて、大好きだった。
素直に褒めてくれるのはあの師だけだ。
「先生が、親父なら良かったのに……」
ぶちりと、雑草を引き抜く。
家に帰るのが嫌で、隼人は無心で草を抜き続けた。

空が赤くなってきた頃、蒼空が身を寄せてきた。
「ん?ああ、そうか。 いい加減帰らないとな…」
ずっと草抜きを続けていたため、墓の周りは随分奇麗になった。
ぱんと手を払い、隼人は立ち上がる。
「じゃあお袋、また来るから」
墓を後にする少年に、蒼空も従う。
家路を共に歩き、門の前で狼と別れる。
「じゃあな蒼空。また今度な」
身体を撫でてやると、蒼空は尾を振って山へ帰っていった。
門をくぐるとすぐそこに煉と秋雪がいた。
「隼人。遅かったな」
「墓参りして、気付いたら日が暮れてた」
「そうですか、お悠さまもお喜びでしょうね」
秋雪が隼人の荷を預かり、三人は離れへ向かう。
途中、隼人はあるものを見つけて足を止めた。
「どうした?」
「あれは…誰だ?」
指差す先には、山のように大きな男が座り込んでいる。
「ああ、二、三日前から働いてる新人だ。名前は……何だっけかな?」
嵩重たかしげさんですよ。でも確か、仲間はずれにされてるとか」
「仲間はずれ?」
「ああ、図体がでかくて邪魔だの仕事がとろいだの、散々言われてるみたいだぜ」
それを聞いて、隼人は男のもとへ足を運んだ。
「隼人っ、早く部屋に戻った方が……」
「大丈夫だって。少し話するだけだから」
煉が止めるのも聞かず、隼人は縁側に座り込む男に話しかけた。
「よぉ、お前新人なんだって?」
隼人の気配に気付いていなかったのだろう、嵩重という男は驚いて振り返った。
「あ、あんたは…?」
「おい、隼人はこの家の長男だぞ。新人とはいえ、失礼じゃねぇか」
隼人について来た煉たちが呆れたように言う。
「長男!?え、子供は小太郎さまだけだと聞いていたんだが…」
三人は顔を見合わせた。
なるほど、もはや新人に対しては隼人の存在すらも明確に説明しない方向なのか。
嵩重は深々と頭を下げる。
「申し訳ねぇです。ご子息とも知らずに…」
「別にいい、気にするな。それよりもお前、どうしてこんな所で座り込んでるんだ」
「へぇ。どうにもあっしは嫌われてるみたいでして…まぁこんな図体だから仕方ないんですがね。
皆からとげとげした視線をおくられるよりは、一人でいた方が気が楽なんです」
邪魔なら退きますが、と男は立ち上がった。
「……なんか、お前の気持ちわかるなー」
「え?」
不思議そうに首を傾げる嵩重に、ふっと笑って隼人は肩をすくめてみせた。
「お前、嵩重っていうんだろ。俺は隼人だ。
ほとんどあの離れにいるから、暇になったら顔を見せろ。
茶菓子くらいは出してやる」
告げると、隼人は自室へ向かって歩みを再開した。
その背をぽかんと眺めていた嵩重は、横にいる煉たちに視線を向ける。
「あの……本当に、あっしなんかが行ってもいいので?」
「……隼人が良いと言ったのなら良いんだろう」
「隼人は暇を持て余してますから、いつでも会いに行ってやってください」
二人も隼人に続いてその場を去る。
嵩重は彼らの背に、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうごぜえます。隼人さま…」

<終>

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