なぎさのかねごと

季節が秋口に差し掛かり、淡い灰色の曇り空が陽の光をぼかしていたある日のこと。
七人隊一行は長い山道を抜け、海を左手に見ながら平地を南下していた。
食料はほとんど底をついているが、道中で行き会った飛脚によるとこの海沿いに漁村があるという。休憩を入れても昼過ぎには到着できるはずだということで、誰も心配はしていなかった。
順調に道程を進み、やはり昼前に漁村へたどり着くことができた七人隊は、村へ一歩踏み入ると同時に何か異様な雰囲気を感じ取った。
漁村というのでそれなりに活気のある雰囲気を想像していたのだが、実際到着してみると寒村かと思うほど静まり返っている。
ここまで一本道で途中に分岐する箇所も無かったので、飛脚が言っていたのはここで間違いないはずなのだが。
何となく居心地の悪さを感じながら村の中を歩いていると、道沿いの家の戸口が突然がらりと開いて、一人の男が転げるように飛び出てきた。
「この大変な時に、そんなものにかかずらってる暇はないんだよ!」
そんな女声の怒鳴り声が聞こえるや否や、入り口がぴしゃりと閉められる。
「ああ、また駄目だ……」
出てきた男はその場にずるずるとへたり込み、頭を抱えて項垂うなだれた。片手には何やら折りたたまれた紙を持っているようだった。
「なんだあれ」
「見るな銀骨。とても嫌な予感がする」
煉骨が小声で警告した。
遠目にしながらの会話が聞こえたものか、男が耳ざとく顔を上げ、視線が七人隊と交差した。その目がくわっと見開かれる。
「旅のお方、どうか、後生だぁ」
必死の形相を浮かべた男が近づいてきた。
押し売りか金の無心か。どちらにしろさっきのやり取りを見るにろくな事ではないに違いない。そう考えて皆がきびすを返しかけた眼前に、男は手にしていた紙切れをばっと広げた。
「この絵を見てくだせぇ!」
「え、は…?」
予想外の言葉に思わず、言われた通り紙切れをまじまじと見てしまう。
そこには何とも形容しがたい、生き物らしき絵が描かれていた。
頭部は人間のようにも見えるが唇が長くくちばしのように尖っており、目にあたる部分も普通の人間の形状より角形に近い。首から下はまるで魚のうろこのようなものに覆われているし、極め付きは足と思われるものがなぜか三又になっている。
「……なんだこれ」
いかようにも反応しづらく、そう問う他なかった。
「いいからよく見てくれ! さあさあ」
男は七人隊の一人一人に、押し付けるように絵を見せつけた。
「見たぞ。見たからもういいだろ。じゃあな」
煉骨が苛立った風情でつっけんどんに言い、男の脇を抜けてさっさと歩き出した。ここに長居するつもりはないので、早めに食料その他を調達しなければならない。
仲間たちも男を一睨みすると彼の後に続いた。
男はまだ何か言いたげだったが、それ以上は追ってくることもなくその場にぽつんと取り残されていた。

七人は何組かに分かれ、必要物資を確保しようと村の中を歩き回ったが、これといった収穫が無いままずるずると時が経過していくばかりだった。
そもそも、どういうわけか屋外に人がいない。
漁に出ている船もごくわずかで、その他は浜辺で網の手入れ等をしている者が数人いるだけだった。
物売りを商っていそうな家屋の戸口を叩いても、「最近は商売してないんだ」と板戸も開けられないまま短い返事があるばかり。
大多数の村民が、家に閉じこもって固く扉を閉ざしているようだった。
「どういう事だ? こんな辛気臭ぇ漁村は初めてだぜ」
睡骨とともに開いている店を探し歩いていた霧骨が首をひねる。
さほど大きな村ではないので、店の数など限られている。かといってそこらの民家から食料を分けてもらおうにも、この状態では交渉すらままならない。
「この状況はまるで……」
医者の睡骨が顎に手を当てて考えていると、浜辺の方から誰かがこちらへ歩いてくるのが見えた。
「おや、あの方は」
目を凝らしてみると、先ほど七人隊に絵を見せつけてきた男である。とぼとぼとした足取りでうつむきながら歩いていた男は、数歩先のところで二人に気づいて顔を上げた。
「ああ。さっきの旅人さん方」
「また会ったな。しょぼくれてどうしたよ」
霧骨が問うと、男は視線を足元に落として口を開閉した。と、見る間にぼろぼろとしずくこぼれ落ち始める。
「えっ、ど、どうしたんですか!」
人目もはばからず急に泣き出した男に、二人はぎょっと目を剥いた。
背を丸めて嗚咽おえつを漏らす男をひとまず道端の切り株へ座らせると、睡骨は竹筒を差し出してやった。
中の水をぐびぐびと飲んで少し落ち着いたらしい男は、顔を赤らめて二人に頭を下げる。
「恥ずかしいとこをお見せして、申し訳ねえ」
「そりゃ別に構わねえけどよ、あんたみてえな見るからに漁師って男がめそめそ泣くってんだから、よっぽどの何かがあったんだろ」
男はずびっと鼻をすすった。
「絵を見てもらえねぇんだ」
「絵って……さっきのあれですよね」
「なんだお前さん、絵を見せて、誰かに褒めて欲しいのかよ」
やや呆れた声で霧骨が問うと、男は眉を吊り上げた。
「そんなわけねぇ! そんなくだらねぇ理由じゃねぇんだ。このままじゃ村も、おっ母も……」
思いつめた様子の男の姿に、睡骨は真面目な顔つきになる。
「この村の異様な様子と何か関係があるという事ですか」
男がうなずく。
「俺は魴太ほうたっていう、この村で生まれ育った漁師だ。おっ母と二人で村の外れの方に住んでる。お前さん方、村人たちが引きこもっちまってるのを見てきただろう」
「ああ」
「ありゃ、ここんとこ疫病が流行はやってるせいなんだ。どうも人伝いに感染うつるらしくて、みんな極力他人との接触を避けてる」
「ははあ、なら納得だ」
「ええ。そんな事ではないかと思いました」
霧骨と睡骨が得心顔で頷いた。
「年寄りや赤子が罹ると、見る間に弱って数日後には死んじまう。若いのだってばたばた倒れていくから、みんな恐ろしくてたまらねえんだ。……うちも気を付けていたつもりだったのに、三日前からおっ母がせっちまった」
「そりゃ気の毒だが、それと絵を見てもらいてえ事と何の関係があるんだ?」
絵を見せつけて回る暇があるなら病人の看病をした方が良かろうと、傍目には思う。睡骨も不思議そうに頷いた。
「俺だってこんなことしてる場合じゃねえと思ってる。だけど、おっ母が言うんだ。自分はこの病が流行るって予言を、前に聞いたことがあるんだって」
「予言?」
「その予言者を絵に描いてたくさんの人間に見せれば、病が流行ったとしても早く収まるって言われたらしいんだ」
「はあ」
二人は無言で視線を交わした。
正直、とても胡散臭い。新興宗教か何かの勧誘だったのではなかろうか。
「そうすると、その絵に描いてあんのが予言者なのか? その半魚人みてえのが」
魴太も困った顔をしながら頷いた。
「おっ母の話をもとに描いてみたんだ。おっ母は、似てるって言ってたんだが」
魴太から先の紙切れを受け取って、改めて眺めてみる。
どう見たって人間ではない。これは。
「妖怪……に、見えるのですが」
「おっ母の話だと、夜の海辺を歩いてた時にいきなりそいつが海中から現れて、お告げだけ喋って帰ってったらしい」
「いつの話だよ」
「五、六年前だとか」
「あー。言いにくいんだがな。あんたそりゃ、おっ母さんが熱に浮かされて記憶が違っちまってるんだよ」
霧骨の言に、魴太は沈んだ面持ちで肩を落とした。
「村の連中も、みんなそう言って相手にしてくれねえ。ぜんぜん絵を見てくれねえんだ」
そこへ、分かれて村を歩き回っていた七人隊の面々がちらほらと姿を見せた。集合の時刻が迫っていたらしい。
誰も、物資の調達には成功していないようだった。
「何してんだ? そいつ、さっきの変な絵の野郎だろ」
煉骨がいぶかしげに訪ねてきたので、睡骨が経緯を手短に説明する。
煉骨はしばし考え込むと、魴太に問うた。
「お前は漁師なんだよな。家にまだ食い物はあるか」
「え? ああ、短時間でも漁には毎日出てるし、干物にしたやつもけっこう蓄えがある」
「じゃあ、これからお前の母親をこいつが診察する。その報酬として魚を少し分けてくれ」
医者の睡骨を親指で指し示す。
「あ、あんたお医者様だったのか」
「まあ、はい」
首の後ろを掻きつつ、睡骨はじとりと煉骨を睨んだ。普段なら余計な善意を働かすなと口うるさく言うくせに、必要とあらば平気で交渉の道具に使ってくるのはいかがなものか。
とは思いつつも、食料の確保は自分にも関係する問題なので断るという選択肢がない。それに病で苦しむ患者の力になってやりたいのも事実だった。
「良いよな大兄貴」
「おう、俺は食いもんが手に入るなら何でも構わねえよ」
蛮骨があっけらかんと応じ、許可を得た煉骨は胸を張って睡骨に顎をしゃくった。
「わ、わかりましたよ……」
睡骨はどこか納得のいかない気持ちを抑え、先導する魴太を追いかけた。
魴太の自宅は海を臨む小高い丘の上にあり、かなり傷んでいるのをつぎはぎして誤魔化ごまかしているような佇まいだった。
七人全員はとても入れないので、ひとまず睡骨だけが中に入り、母親の診察を行う。その間、残る六人は表でぼうっと海を眺めていた。
「流行病って、長居したら俺たちまで感染しちまうのか」
「そりゃあ、その危険は常にあるわな」
霧骨に問うた凶骨が不安げな顔をする。
「さ、さっさと出発しちまった方が良いんじゃねぇか? ばばあの診察なんかしなくたって……」
「だけどよ、この先はずいぶん行かなきゃ村がねぇって話だったろ。今夜の分だけでも食うもんは手に入れておかねぇと」
そもそもお前が人一倍食うじゃねぇかと返され、凶骨はぐうの音も出ない。
そうしているうちに、睡骨と魴太が入り口を開けて出てきた。目元から下を覆っていた布を外すと、難しい顔をする。
「睡骨様、おっ母はどうだろうか」
「私も初めて見る症状です。高熱と、風邪に似ていますが、肺への負担が大きいようだ。あれでは高齢の方や赤子が耐えられないのも頷けます」
「そ、そんな」
魴太は再び泣きそうに顔を歪めた。
「少し考えてみます、お母上にはできるだけ多く水分を摂らせ、滋養の付くものを食べさせて差し上げてください」
「わ、わかった」
魴太は土間から木桶を持ち出すと、水を補給しに村の井戸へ出かけて行った。
「睡骨でもお手上げか」
「残念ながら、私の知る薬では治せそうもありません」
蛮骨の問いに、睡骨は無力感にさいなまれた様子で答えた。このままでは、魴太の母親が力尽きるのも時間の問題と言う他ない。
「……少し、気になる事はあるのですが」
「なんだ」
煉骨が魴太の家の庭先に干してある海藻や魚を眺めながらいた。礼にどれを貰おうか品定めしているらしい。
「お母上がしきりに、アマビエ様、アマビエ様と言うんです」
「あまびえ…さま?」
「魴太さんによると、それがあの絵に描かれていた奇妙な生き物の名前なんだとか。お母上は、アマビエ様の言うとおりにしなかったから罰が当たったのだ、と大層嘆いておられて」
「言うとおりにってえと、絵を描いて沢山の人に見せろっていうあれか」
「はい」
睡骨も戸惑いがちにうなずく。
「六年ほど前、月夜の浜辺を散歩中に海中が光り輝いたと思ったら、アマビエと名乗るあの絵の予言者が現れたそうです」
アマビエは魴太の母に語りかけた。

これから数年のうち、漁も農作物も豊かな時期が続く。しかしその後、かつてない疫病がこの村を襲うだろう。大事に至らぬうちに収束させたくば、わらわの姿を絵に描いて、多くの人間に見せるのだ――。

「気が付いたらアマビエは影も残さず消えていて、自分がいつもの浜にぽつんと立っているばかりだった。だからお母上は、今の奇妙な光景は夢だったのだろうと判じて本気にせず、そのうちに忘れてしまったらしく」
「その、漁も農業も困らねぇってのは、当たったのか?」
霧骨が疑わしげに問うた。
「今思えば当たっていたと」
「なんか嘘くせぇ」
蛇骨が興味なさげに明後日の方を見ながらつぶやく。
蛮骨も同感だった。それに、その話が嘘だろうが真実だろうが、自分たちにとってさしたる問題ではない。
「別にアマビエでも甘海老あまえびでも何でもいいさ。さっさと貰うもん貰って――」
「婆の話が本当だとしたら」
唐突に煉骨の真剣な声が割り込み、思わず一同は口を噤んだ。
「そのアマビエとかいうのをとっ捕まえて売り払ったり見世物にすりゃ、ひと儲けできるんじゃねえか」
「煉骨…?」
「だってあの絵の姿だろ? あれが実在するとしたら、見物人がごった返すこと間違いなしだ」
「……それは本気の話をしてるのか?」
蛮骨は何となく不安を覚えて問うた。誰よりも鼻で笑っていたはずの煉骨が何を言うのかと、にわかには信じられない。
「俺は大真面目だぞ、大兄貴。しばらくでけえ仕事もしてねえし、ここらでどんと稼げるならそれに越したこたぁねえ」
「それはそうだが……」
出まかせだとしたら、わざわざ探しても骨折り損ではないか。
煉骨の熱意に当てられたようで、霧骨や凶骨たちも戸惑いを見せ始めた。
「本当にいると思うか?」
「ぎし、俺は婆の法螺ほらだと思う」
「いや、でも万が一ということも……」
口々に意見を交わし合う弟分たちを前に、蛮骨は半眼になって嘆息した。
「睡骨、かさねを呼んでくれ」
え、と呆けた顔を向ける睡骨に、蛮骨は続けた。
「妖怪のことは、妖怪に訊くのが早いだろ」
あ、そうか。と得心して、睡骨は懐を探り、竹の笛を取り出す。
深呼吸してから長めに吹くと、澄んだ音が曇り空に吸い込まれていった。
しばらくして、雲間から黒い点が飛来した。
「襲ちゃーん!」
静かに降り立つと同時に鴉の変化を解いた襲に、さっそく蛇骨が取りつく。
蛮骨が片手を上げた。
「わざわざ来てもらって悪いな。あんたに聞きたいことがあるんだ」
「ああ。どうした」
深紅の瞳を蛮骨に向けて、情報屋の鴉天狗からすてんぐは先をうながした。
「アマビエっつー妖怪に聞き覚えないか」
「アマビエ?」
「こう、海の中から出てきて、良い予言と悪い予言を伝えて、帰っていく妖怪なんだが」
蛇骨に蛇のごとく締め付けられながら襲はしばし記憶を手繰たぐり、やがて首を傾けた。
「アマビエという名の者には思い当たらんが、似た性質の妖怪は知っている」
何せ妖怪は日々新しいのが生まれては消えていく。全てを網羅することはできないと同時に、似た性質の妖怪が各地に複数存在するのは、珍しい事ではなかった。
煉骨の目が輝きを帯びる。
「おお、ちょっと信憑性が増したぜ」
「……話が見えんのだが」
睡骨が襲に事情を話し、例の絵を見せた。
無表情の下、絵を見て反応に困っている様子の襲に蛮骨が問いかける。
「そのアマビエっつーのが本当にいるとして、どこにいるか、どうにか分からねえか」
蛮骨の言を受けて、鴉天狗は空に視線を向けた。ふわりと生じた風が、彼方へ飛んでいく。
その風を受けた一羽の海猫うみねこが舞い降りてきた。
二、三の言葉を交わして海猫を空に帰すと、襲は沖に小さく見える小島を指さした。
「普段は海中にいるが、時折、あの島へ上陸することがあるそうだ」
まず、実在するのだという点に一同は驚く。
「時々、かぁ。空振りする可能性も高いが……」
「行けば何か手掛かりはあるかもしれねぇ。珍しい鱗の一枚でも手に入りゃ、それはそれで」
煉骨がほくそ笑むのを目にして、襲はわずかに眉をひそめた。
「居場所を教えておいて何だが……その手の妖怪には、みだりに近付かん方がいいぞ」
蛇骨がきょとんとその顔を見上げる。
「え? なんで」
「予言をするたぐいのものは、おおむね神にも片足を入れている。人間には扱いが難しい」
特に浅ましい動機はすぐに見抜かれる。下手をすると状況を悪化させかねないと続けられ、煉骨はぐぬぬとうなった。
「じゃあ、あんたも一緒に来てくれ」
「俺が?」
「仮にアマビエがやべえ奴で、俺らが何か怒りを買っちまったとしても、あんたなら返り討ちにできるだろ」
襲は口を引き結んだ。無条件で人間側の味方になることにされているようだが、彼らは自分が妖怪だというのを忘れていないか。
蛇骨が口を尖らせた。
「襲ちゃんが行くなら俺もついて行きてぇけど、アマビエって女なんだよな。自分のことわらわって言ってたんだろ」
「女って言っても、あれだろ」
魴太に見せられた絵を思い浮かべて蛮骨が半眼になる。
「女は女だ。やっぱ俺は留守番してる。襲ちゃん、誘惑されたら駄目だかんな!」
「……誘惑?」
襲はアマビエ図を再度見つめると、目元に複雑な色をにじませて小さく呟いた。

 

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