煉骨は水の補給を終えて戻って来た魴太ほうたに船を出すよう頼んだ。
「色々調べた結果、アマビエ様はあの島に来ることがあるらしい。お袋さんの話が本当なら、アマビエ様に会いに行って、もう一度お言葉をもらえば良いんじゃねぇかと思うんだ」
などと心にも無いことをのたまい、魴太はそれにすがるように了承した。
魴太の所有する船は小ぶりで、煉骨と魴太、いくらかの積み荷を乗せるとせいぜいあと一人乗れるかという大きさだった。そこで蛮骨が同行を名乗り出、残る者たちは陸で彼らの帰りを待つことになった。
仲間に見送られながら沖へと漕ぎ出す船の上で、蛮骨は上空を追従する一羽の鴉を見上げた。
「アマビエ様、島にいらっしゃるだろうか」
船を漕ぎ漕ぎ、魴太が不安げに言う。
「せっかくのお告げをないがしろにしちまったから、怒っておられるかもしれんなぁ」
睡骨に看病を頼んできた母親の身を案じ、その面持ちは暗い。
「あんたたちは良い人だ。おっ母の話を信じて、こうして解決の糸口を探そうとしてくれるんだから」
「だろう、そうだろう」
煉骨はアマビエ捕獲用の網や縄を詰め込んだ葛籠つづらをしっかり抱くとしたり顔でうなずいた。
かさねが追い風を施してくれたものか、船は快調に海を渡り、一刻半ほどの後に彼らは目的の小島へ上陸することができた。
岩ばかりでできた味気のない島である。中心に鎮座する巨大な岩山の足元にはぽっかりと洞窟が口を開けており、奥へ奥へと入り組んだ道が続いているようだった。
「この島には何度か来たことがあるが、こんな穴あったかなぁ」
魴太が首をひねっている横で、襲が蛮骨のそばに着地した。魴太の手前、鴉の姿のままで悟られない程度に蛮骨へ話しかける。
「洞窟内から妖気を感じる。慎重に行け」
鴉は釘を刺すように煉骨を見た。
「十割でこちらが悪い場合、俺は守ってやれん」
わかったわかった、と頷いて、蛮骨は歩き出す。煉骨と魴太が続き、やや距離を置いて鴉がとてとてと後を追った。
石の洞窟はゆるやかに下方へと傾斜し、奥へ行くにつれて道幅が広くなっていくようだった。松明を掲げながら三人は目を凝らした。
「――止まれ」
ひときわ開けた空間に足を踏み入れたとたん、洞窟内におごそかな声が響き渡った。
人間たちが反射的に身を固くすると、瞬きの内に光が差さないはずの洞窟内がほの明るく照らし出された。
明るさに目が慣れるとともに、三人は前方の光景にぎょっとする。
開けた空間の奥側半分は海に繋がっていると思しき泉で占められており、その中心に、人間の頭部の上半分が浮き上がってこちらを見ていた。
否、人間にしては、どうも目の形がおかしいような……。
「何者ぞ」
再び声が反響する。ひくっと息を呑んで、魴太が慌てて平伏した。
「わ、私はそこの漁村でしがねぇ漁師をやっている、魴太という者です! アマビエ様に折り入ってお願いがあり、こうして訪ねて参りました!」
蛮骨と煉骨も魴太に倣って一応ひざまずく。
「ほほう、わらわのことを知っておるとはのう」
水中からのぞく目がついと細められたかと思うと、頭部が一度深く沈み込み、次いでざばっと飛沫しぶきを立てて全貌が水上に現れた。
満を持して登場したアマビエの姿に、三人は固まる。
見せられた絵がああなのは、魴太の画力による問題が大きいと思っていた。母親の記憶が曖昧あいまいで誇張されているからだと思っていた。似ていると母親が言ったのは、せっかく描いた息子を傷つけないためだと思っていた。
だが、目の前にいるアマビエはどうだろう。長い髪にくちばし、鱗に覆われた体に不思議な形の目――
あの絵にそっくりではないか。
むしろ聞いただけでここまで忠実に似せられる魴太の画力は只者ではないとさえ思えてしまう。
「何を固まっておる。願いとやらを申さぬか」
アマビエは光沢のある身の丈よりも長い髪を引きずって岩肌の地面に上陸し、子供のような甲高い声で言った。
三本の足が這いずる跡に水の道が続く。
「あああ、えっと。あの。アマビエ様が以前、おおお俺のおっ母に予言をしてくださった件につ、ついてなんですが」
魴太も実在するとは半信半疑だったのだろう。いざ目の当たりにして恐怖が湧いてきたのか、歯の根が合わないままに必死に言葉を紡ぐ。
「予言なぞしたかや?」
アマビエは睫毛まつげの濃いまぶたを伏せ、嘴をすぼめて思い巡らせる。そうしてはっと目を見開いた。
「おお、あの娘っこのせがれか!」
「娘?」
「婆だよな」
蛮骨と煉骨が顔を見合わせた。寿命の長い妖怪からすれば人間の老人など小娘も同然、という意味だろうか。
「とすると、大方わらわの予言が当たって、てんてこ舞いしとるというところじゃろう」
アマビエが目をすがめる。どうも所作の一つ一つが婀娜あだっぽい。強烈な容姿がそれらを全て打ち消しているのが何とも言えないが。
魴太が手を合わせて頭を下げ、村の状況を説明した。
「せっかくアマビエ様が予言してくださったのに、おっ母が本気にしなかったせいで大変なことに……。俺、アマビエ様の絵を描いたんですけど、今となっちゃ見てくれる人が誰もいなくて」
涙ながらの魴太の訴えを聞き、アマビエは悩ましげにため息をついた。
「まったく、ぬしら人間ときたら痛い目を見るまで動かん。いつの時代も愚かで現金で哀れな生き物よ」
「煉骨、本当にあれを捕まえるのか」
「どうしよう」
真顔で悩んでいる蛮骨と煉骨を置いて、アマビエと魴太は話を進めていく。彼らの様子を離れたところから鴉が見ていた。
「ま、反省してここまでわらわを訪ねて来たのだし? 今回は娘っこに免じて助けてやらんでもないでもなくない」
「本当ですか!」
アマビエは胸を張った。長い髪を手に見立て、腰に当てる。
「我が名はアマビエの波瑤はよう。いたいけな人間を無下にするほど鬼ではない」
「ありがてぇ!」と魴太は頭上で手を擦り合わせて喜んだ。
「と言っても、対処法はわらわの絵を描いて人に見せよ、というのは同じじゃ。より効果的になるよう指導してやるから、まずは主が描いたという絵を見せてみよ」
「へ、へい」
魴太はふところから絵を取り出して、両手で波瑤に差し出した。
胸を高鳴らせた風情で絵を広げたとたん、アマビエのまなじりが吊り上がった。
「これのどこがわらわじゃ! ぜんぜん似とらんではないか!」
「ええ…?」
魴太が困惑した顔で絵と波瑤を見比べる。
瓜二つではないか。
「こんな絵では万人に見せたとしても効果無しじゃわい!」
やり直せ、と怒鳴り、波瑤は絵をぴしゃりと地面に叩きつけた。
手近な岩に器用に腰掛け、ふんぞり返る。
「さあ、本物のわらわを見て描き直すのじゃ。見たままに、正直に、美しく描くのじゃぞ」
「へ、へい!」
魴太は慌てて荷物から紙と矢立を取り出すと、岩を机代わりに筆を走らせ始めた。
「何をしておるか、そこの二人も早うせい」
波瑤の目が蛮骨と煉骨を睨む。
「え、俺たちもやるのかよ」
「当たり前じゃ、そうでなければ何しに来たのじゃ」
「それは……」
「お前を捕獲しに来た」とも言えず、渋々煉骨は葛籠つづらから紙と筆を持ち出す。
「こんなのに消耗するなんざ勿体ねえ」
波瑤を中心に据え、三人はそれぞれに姿絵を描き始めた。
なりゆきを見ていた鴉がつかつかと歩み寄って、蛮骨と煉骨の絵を興味深げに覗き込む。
煉骨は普段から兵器などを製図しているだけあって、悪くない。だが蛮骨はというと。
「なんだよ襲。言いてぇことがあるなら言えよ」
蛮骨にじとりとした目を向けられると、襲はあらぬ方を向いて毛づくろいを始めた。
「できました!」
魴太が筆を置いて声を上げた。自信作のようで、勇んで波瑤に見せる。しかし波瑤は顔をしかめた。
「主、なめておるのか? わらわの儚い美しさがこれっぽちも現れておらん」
「はかないうつくしさ?」
「やり直し!」
肩を落とす魴太と入れ替わりに煉骨が絵を提出する。こちらも自信満々だったが、
「わらわはこんな無骨ではない。しなやかさが足りん」
一蹴されてしまう。
次に蛮骨が面倒くさそうに提出したが、評価ももらえないまま真っ二つに引き裂かれてしまった。
「気合が足らんぞ主ら! やり直し! やり直し!」
波瑤の髪がうねってばしばしと岩壁を叩く。三人は仕方なく二枚目に手を付け始めた。
それから三枚目、四枚目……二十枚目を超えても、一向に合格は得られない。
気分を変えて別角度から描こうと試みても、どういうわけかどこから見ても同じに見えてしまうというたちの悪さがあった。
襲は増えていく絵の山をまじまじと見ながらぽつりと呟く。
「上達せんな、蛮骨」
「ここにきてそういうこと言うのほんと止めろ」
精神を削られたところにぐさりと真実を突き込まれ、蛮骨はがっくり沈み込んだ。筆が滑って線がとんでもない方向に曲がる。
襲の場合、冗談でもからかいでもなく率直な感想だというところがまた痛い。
「だいたい、何であんたは描いてねぇんだよ。描けよ」
頭数が増えればその分、合格の確率が上がるではないか。
恨みがましい視線も襲は涼しげに受け流した。
「俺は鴉だ。描けるわけないだろう」
「それは変化だろ。人の姿になればいい」
「これは人間の願掛けなのだから、妖怪の俺が手を貸したところでどれほど効果があるかわからん」
器用に翼で腕を組む鴉を見て苛々いらいらとした腹いせに、蛮骨は丸めた紙を投げつける。鴉が無造作に羽先で弾き返すと、それは蛮骨の顔に命中した。
「……わざとではない」
「良い度胸してるじゃねぇか」
「蛮骨さん、誰と話してるんだ?」
魴太が不思議そうな顔を向けてきたので、襲がせかすようにくちばしで筆をつついた。
「変な鳥がいたずらしてきてよ。あっち行け」
蛮骨が追い払うしぐさをすると、襲はおとなしく岩壁中腹の出っ張りへ飛んでいった。

「まー、及第点といったところかの」
洞窟の地面が同じような絵柄の紙切れで隙間なく埋め尽くされたころ、波瑤が完全に飽きた顔をして大仰に肩をすくめた。
ようやく合格を得た魴太が心の底から安堵の息を漏らす。正直、最初に見せた絵と何がどう違うのかわからなかったが。
「では、その品質の絵を量産し、村中に配れ。壁や柱、樹木の一本に至るまで貼り付け、村中をわらわで埋め尽くすのじゃ」
わずかばかり明るさが差していた魴太の顔が再び曇った。この作業をさらに延々繰り返さねばならないのか。
「そっちの二人もな。質の悪さは否めないが背に腹は代えられん、魴太の絵を手本に描きまくれ。さすれば病魔もわらわに恐れをなして退散するじゃろう」
病魔がいなくなる、と聞いて魴太は自分を奮い起こすように拳を握った。
「今度こそ、お言いつけを守ります! ありがとうございました!」
魴太はアマビエ図を掲げ持ち、何度も頭を下げて礼を言う。
(やっと帰れる)
何十枚と同じ絵を描かされ続けた煉骨と蛮骨は、激戦を乗り越えたがごとき喜びに打ち震えた。
「で、あいつ捕まえるのか煉骨」
「あんなの、もう顔も見たかねぇや」
一刻も早く村に帰りたいと洞窟の出口を目指して駆け出そうとした彼らを、しかし波瑤が呼び止めた。
「待てい。その鴉は置いていってもらおう」
「え、からす?」
魴太が不思議そうに首を傾げ、蛮骨と煉骨の視線は足元をたかたかと小走りについてきていた襲に向けられる。
波瑤が口の端を上げて笑った。
「主ら、生意気に何か良からぬたくらみを持っておったじゃろう。罰として魴太の作業を手伝うのじゃ」
えっ、と煉骨と蛮骨の顔が悲壮感に包まれる。戻ったらさっさと村から出ていこうと考えていたのだ。
「絵ができるまで鴉は預からせてもらう」
襲は波瑤と蛮骨たちを交互に見やり、やがてこくりと頷いた。
「だ、大丈夫か、襲」
「ああ」
突然鴉が人の言葉を喋ったので、魴太がひぇっと息を呑む。
「何も取って食おうというのではないから安心せい」
波瑤がそれは楽しげな笑みを浮かべている。
「お主も妖怪じゃろ?とっておきの酒があるんじゃが、なかなか相手がおらんで消費できなんだ。付き合うてくれまいか」
艶やかな髪の毛がゆらゆらと手招くように揺蕩たゆたう。
襲は瞬き一つで本性に転じた。
「うわぁっ」
驚きのあまり魴太は腰を抜かしかけたが、襲の姿がアマビエよりはずっと人間に近いのが幸いしてか、すんでのところで踏みとどまった。
「絵が用意できたら見に行くからのう。それまでの繋ぎじゃ。まあ村も鴉も見捨てて逃げようと言うのなら止めんが、その場合主らにも災いが降りかかるぞ、とだけ予言しておこうかの」
蛮骨は煉骨に非難の目を向けた。
変な考えを持ったせいで、いらぬ予言を与えられてしまったではないか。少なくともあの村の豊作や疫病の予言を当てた実績があるので、今や波瑤の能力を出まかせと一蹴することもできない。
襲が腕を組んで嘆息した。その目がいささか「そら見たことか」と言いたげな色を宿している。
「だから下手に関わるなと言っただろう。予言を受けたからには言うとおりにするしかない。お前たちは大人しく絵を描いていろ」
「わ、悪い……」
「すまんがあいつの相手、よろしく頼む」
二人の言葉に黙然と頷くと、襲は洞窟の中をアマビエのもとへ戻っていく。
その背を同情の眼差しで見送った後、三人は船への道を一目散に駆け抜けた。

 

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