まばらに木漏れ日がちらつく森の中の小径こみちを、蛮骨、煉骨、霧骨の三人がのんびりと歩んでいた。
七人隊は現在、仕事の都合により二組に分かれて行動している。それぞれに依頼を片付けたら街道の合流地点にあたる村で落ち合う手筈になっていた。
こちらの組は昨日まで小競り合いの戦に手を貸しており、つい今朝方依頼主のもとを発ってきたところだ。あとは合流場所を目指すだけの、別段急ぐ必要もない道行きである。
森の中を進んでいると、ふいに霧骨が声を上げた。
「水場がある」
言われた方に目を向ければ、道から外れた木々の向こうにきらきらと陽光をはじく水面が垣間見えた。開けた場所に泉が湧いているようだ。
荷を背負いなおしそちらへ足を向ける霧骨に蛮骨が問う。
「寄ってくのか」
「ちょっと毒の材料を集めてぇんだ。ああいうとこに生えてる植物でな」
あるかどうかは探してみなければわからない。「先に行ってても構わねえ」と霧骨は奥へ進みながら告げたが、蛮骨は特に渋ることもなく軽くうなずいた。
「急ぎでもねえし、待ってるぜ」
本日の目的地である宿場街までは休みながら歩いても夕刻までには辿りつける計算だ。多少寄り道したとしても、宿が満杯になって泊まれなくなるような時季でもないだろう。
身を屈めた霧骨が背の高い草の茂みへと潜っていく。樹影が落ちる丈の長い草の上から、頭巾の尖った部分が獣の耳のように覗いていた。
右往左往するそれを見るとはなしに目で追いながら、蛮骨と煉骨は手近の岩に腰掛けた。宿場に着いたら夕餉は宿で食うか、それともめいめい外で食うかなどと他愛のない事を話しつつ霧骨の採集が終わるのを待っていたのだが、
「おお」
という声がしたので、会話を切って霧骨を顧た。
「何だ、珍しい草でもあったか」
「あそこに女が」
霧骨が短い指で示す先、泉を回り込んだ向こうの茂みに一人の女人がたたずんでいた。後ろ姿だが、薄桃色の小袖をまとった華奢な見目であることは分かる。
霧骨は女人の視界に入らぬよう、さらに体勢を低めた。
「ありゃあ別嬪だぜ。水浴びとか始めねえかなぁ」
興奮を隠さずにやつく弟分に二人の呆れた視線が注がれる。蛮骨たちには泉の反対側のほとりにいる女の顔など判別できないのだが、なぜか霧骨には美人だと断言できるらしい。可能であればその能力を他に活かしてほしいものだ。
「そんなもんいいから、さっさと済ませろ」
「わーかったって。ちぃと待ってくれよ」
やがて茂みの中からざくざくと草を刈る音が響き始める。目当てのものが見つかったようだ。
しばらくして戻った霧骨は、上衣の前部分を弛ませた中に紫の花を大量に詰め、満足げな顔をしていた。
その様を見て蛮骨はぼんやり考える。これが毒の材料と知らなければ、花を配り歩く奇妙な妖怪ですと紹介しても通じるかもしれない。
「しかし、何の用でこんな森ん中に一人でいるのかねぇ」
花を材料入れの小かごに移しながら、霧骨はちらちらと女の方を気にしている。
どうやらあちらも何かを探しているらしい事は、動きから察せられる。先ほどから草葉の中を覗き込んだり、頭上の木々に目を凝らしたりを繰り返しているがかんばしい成果は得られぬようで、どこか沈んだ空気を漂わせていた。
「これでよしと、大漁大漁」
霧骨が採集物を籠に詰め終え、では出発するかと三人が腰を上げた直後。がさりと草を踏む複数の足音と、女が息を呑む気配が彼らの耳を掠めた。
「ん?」
そちらに目をやれば、先まで女が一人いるだけだった泉の岸辺に、見るからに柄の悪そうな数人の男たちが増えているではないか。
薄汚れて擦り切れた衣服を纏い、刃こぼれが酷い刀や鎌を引っ提げている。絵に描いたような野盗だった。
「なんだ? こんなとこに女ひとりか」
「こいつぁ上玉だ」
野盗たちはこれまた台本を読み上げるような常套句を口にし、下卑た笑みを貼りつけながら女との距離を詰めていく。
「一人してうろついてやがった自分を恨みな」
女は身を縮め数歩下がったが、足元の石につまづき小さく叫んで尻もちをついた。怖ろしさのあまりすぐに立ち上がることができず、悲鳴すら上げられないようだ。
「あー、ありゃ駄目だ」
見ていた蛮骨が気のない風情で軽く嘆息した。
あのまま呆気なく手籠めにされ、運が良ければそれで終わるし、悪ければさらに悲惨な結末が待っている。
気分の良い展開ではないが、かといってわざわざ助けに入ってやる義理はない。こんなことは戦場でも村中でも、そこかしこでよくある日常だ。いちいち気にかけていてはきりが無い。
このような時世では野盗たちの言う通り、人気のない森の中を無防備に一人で歩き回る方が悪いと言わざるを得ない。
そこでふと、とある面影が脳裏を過ぎり、蛮骨はわずかに目を細めた。
彼女のもとには蒼空そらや小妖怪たちが足しげく通っているのでこのような事態になる危険は少ないだろうが、決して絶無ではない。ただ飯食らいの妖怪どもに今一度、周囲に目を光らせるよう言い聞かせておかねば。
そんなことを頭の片隅に、哀れな女がなぶられる現場を眺める気にもならず蛮骨はさっさと身をひるがえした。煉骨も無言で続く。しかし霧骨はそこから動く気配がない。
「行くぞ霧骨」
まさか見ていく気なのかと胡乱うろんに呼びかけると、
「助けてやろう」
小男の言葉に二人は耳を疑った。
「おい」
「へへへ」
言うが早いか霧骨は懐から球体を取り出し、毒がしこたま詰まっていると思しきそれを手のひらで転がしながら女の方へ駆けていってしまう。
「……何考えてんだあいつは」
助けようと言っているが彼に善意など米粒ほども無く、あわよくば美女とお近づきになる口実にしようという魂胆なのが手に取るようにわかる。
しかし、あんなものを使ったら肝心の女も巻き添えになるのでは。
蛮骨と煉骨は物言いたげな目で小さな背中の行方を追う。この陽光差し込む穏やかな泉が、数秒後には阿鼻叫喚の地獄絵図になるのだろうか。
彼らの視線の先で、野盗たちが女に掴みかかろうと手を伸ばした。
間際、横合いの草むらから霧骨が飛び出し、手にした毒球を正面の男に向けて思いきり投げつける。球はあやまたず男の顔面に命中し、衝撃で弾けて中身が飛び出した。細かな粒子が、ちょうど野盗たちの顔まわりをすっぽり覆う程度の狭い範囲に拡散する。
「うわ!?」
思いがけぬ事態に野盗たちは面食らってたたらを踏んだ。
周囲に漂う粉を手で払い何度か咳き込むが、その他には大きな痛手を負った風もない。憤慨した彼らの目が突然の闖入者をぎっと睨みつける。
「てめえ、いきなり何しやがる!」
「妙なもんぶつけやがって、虚仮威こけおどしか!」
「ぶっ殺してやれ!」
息巻く野盗たちを前に、霧骨はいささかも動じず仁王立ちでふんぞり返った。
「お嬢さん、頭下げときな」
呆気に取られていた女は、霧骨に促されるまま慌てて姿勢を低くする。
次の瞬間、野盗たちの喚き声をかき消すようなけたたましい音の渦が森の中に湧き起こった。
「んん、なんだ?」
威嚇するように刀を振り回していた野盗たちも音に気付き辺りを見回す。
まばらだった音がさざ波のように集結し、こちらへ迫り来る。
無数の、耳障りな虫の羽音。
轟音を伴って木々の狭間はざまから躍り出た数百、数千の蜂の大群が、霧骨と女の頭上を素通りし野盗めがけて一直線に殺到した。
「わああぁぁぁぁっ!?」
目を剥いた野盗たちはめちゃくちゃに武器を振り回す。しかし縦横無尽に飛び交う細かな虫に通用するわけもなく、瞬く間に取り囲まれる。
あっという間に前後不覚に陥った彼らは、わけの分からない悲鳴を上げながら森の中へ逃げていった。
彼らの背を見送る霧骨の喉がくつくつと鳴る。
「馬鹿どもめ、そっち行ったら火に油だ。目の前の水に飛び込みゃあ、まだ助かる可能性があったのになぁ」
そこへ蛮骨と煉骨がやってきた。
安全な位置から始終を見ていた蛮骨は、野盗たちが走り去った方向を一瞥する。
「今のあれは……毒か?」
霧骨は懐から手の平大の球体を取り出してみせた。今し方使ったものと同じ色形だ。
「直接人体に作用するもんじゃねえけどな。こいつの粉を浴びたやつに、虫――とりわけ蜂が引き寄せられて、地の果てまで追いかける」
玩具の説明をする子供のように楽しげに語る弟分に蛮骨と煉骨の口端が引きつる。蜂もその他の虫もわんさかいる森の中に駆け込んでいった野盗たちが今頃どうなっているかについては、思いをせずにおこう。
「えげつねえ」
兄貴たちに言われたかねえよ、と霧骨は目を尖らせた。
「作ったはいいが戦場じゃ烟ってあんまり蜂がいねえから、なかなか使いどころがねえんだ。けっこう面白ぇだろ」
「あ、あの」
ようやく立ち上がって着物の汚れを払った女が、会話に割り込んで深く頭を下げた。
「助けて下さり、ありがとうございました」
顔を上げた彼女の面差しは、霧骨の見立てに違わず大層な美人だった。色白できめ細かな肌におっとりと優しげな顔のつくり。生まれつき色素が薄いのか灰色味を帯びた髪と瞳の色が調和して、柔らかな木漏れ日の中に透き通るような印象を与える。歳の頃は二十前半に見えた。
霧骨は颯爽と腰に手を当てると前髪を払う真似をして
「危ねえところだったねお嬢さん」
と、先の野盗ども以上に手垢のついた文句を口にした。おそらくきりりとした表情を精一杯に作っているつもりだろうが、顔の半分以上を白布に覆われ目元しか見えない状態では、かえっていかがわしさを助長しているのが悲しい。
彼の後方から、蛮骨と煉骨はうんざりした顔でそれを見ていた。女と見れば目くじらを立てる蛇骨がいないためか、今日はやけに積極的である。
「お嬢さん、名前は?」
「あ、はい。八雲やくもと申します」
この流れで名を訊く必要は全く無かったのだが、女は霧骨の問いにつられたように名乗った。
「八雲さん……奥ゆかしい名前だぜ。こんな危ねえところにいねえで、もう家に帰った方が良い。ああ、どうしてもって言うんなら、一緒に茶を飲むのもやぶさかじゃ――」
立て板に水のごとき饒舌さで定型文を口にする霧骨だが、八雲と名乗った女はあっさりと首を振った。
「すみませんが、探し物があるので……もう少しここにいます」
そう言うとぽかんと口を開ける霧骨にもう一度頭を下げ、再び茂みの中をさまよい始める。霧骨は所在なく八雲の背を見ていたが、やがて待たせている兄貴分たちを振り返った。
「手伝ってやろう」
蛮骨と煉骨が信じられないと言わんばかりの目を弟分に向ける。
「いい加減にしろ」
「そこまでしてやる必要ねえだろ」
「日が暮れるまでに宿場に着けば良いんだろ? ちょいと寄り道したって変わりゃしねえ。四人で探しゃすぐに見つかるさ」
「四人?」
勝手に頭数に入れられている二人は実に不本意な顔をした。それを受け、霧骨は無言で手の中の毒球を転がす。
「はぁーあ。もう一回くれえ、こいつの威力を試してみようかなぁ」
「……てめえ、女一人の気を引くために兄貴分を脅すのか」
正気を疑う煉骨の横で、蛮骨が応酬するのも億劫おっくうそうに嘆息した。
「もういい。とっとと見つけちまえよ」
霧骨は小躍りするような軽やかな足取りで八雲のもとへ駆けていく。蛮骨と煉骨も渋々その後に続いた。
手伝うと申し出ると、八雲は恐縮した様子で礼を述べた。
「何を探してんだい」
「布です。薄くて細長い、絹のような肌触りの……」
色は山吹に近く、光の当たり具合で美しく輝くという。七人隊の三名は適当な間隔に散り、がさがさと茂みの中を探った。
「何が楽しくて、赤の他人の探しもんに付き合わにゃならねえんだ……」
周囲に目を凝らしながら蛮骨がぶつぶつとごちる。いかに美しくとも、そこらの農家の娘だろう。大した報酬が望めないどころか、礼の言葉ひとつで済まされてしまうかもしれない。
そもそも、こんなところに何の用途があってそれほど大事な布を持ってくるのか。先の野盗の件といい、この女は危機管理能力に問題があるのではないか。
複雑に入り組む草木をうざったく払い除け眉間にしわを寄せる。いっそ煉骨に邪魔な茂みを焼き払わせようかと考えたが、そうすると布があった場合にもれなく巻き込まれる事に気付き思い止まる。
太陽が徐々に高さを増していく中、総勢四人で四半刻ほど探し回ったが、布はおろか人工物の一つすら見つかりはしなかった。こうなると本当にここらで失くしたのかも疑わしい。
「失くしたのはいつ頃だ」
せめてもう少し手掛かりがだと蛮骨が確認すると、八雲はわずかに躊躇ためらってから控えめな声音で答えた。
「数年前、に」
「は?」
三人は揃って聞き返したが、八雲は間違いなく「数年前」と答えたようだった。
蛮骨と煉骨は一気に探す気が失せ、言い出しっぺの霧骨までも、湧いていた気力をしょぼしょぼとしぼませるように脱力した。

 

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