廃寺怪談
――だれ、か。
絶え間ない虫の声の狭間に、がしゃがしゃと擦れる無機質な金属音と、草を踏む大小の跫が水を差した。
青々と濃い緑の中、七人隊は山越えの道を歩んでいる。
どちらを向いても木々が連なる山中は、夏の昼下がりでもひんやりと薄暗く心地よい。順調にいけば翌日の昼過ぎには反対側の麓へ到達できる目算である。一行は比較的緩やかな山道を、余裕のある足取りで進行していた。
しかし中腹を過ぎた頃より、にわかに道は険しさを増した。加えて上方から叩きつけるような強風が、樹間を縫って吹き下ろし始める。
その中に湿り気を感じて天を見上げた時にはすでに、青かったはずの空は白く濁り、暗灰色の雲の侵食が広がりつつあった。
一雨くる。
思った傍から、蛮骨は微量な水滴に頬を打たれた。
進むか否かを一考する猶予もなく、雫はばつばつと落ちてくる。まばらな水の筋は徐々に間隔を狭めていき、桶をひっくり返すが如くの様相となるまでにそう時間はかからなかった。
「ひでえ天気だな」
水気を含み重くなった前髪を鬱陶しくかき上げ、蛮骨は低く呻いた。自分を含めた全員、見事に濡れ鼠である。樹木が隙間なく枝葉を伸ばしているように見えて、大した雨しのぎにもなっていない。
先まで喧しく鳴き交わしていた鳥やら虫やらはことごとく寝床へ引っ込んだものらしく、今や耳をつくのは地表や木の葉を打つ雨音ばかり。
山の天気は移ろいやすいものではあるが、それにしたって運がない。
入山前に聞いた里人の話ではここしばらく晴天に恵まれていたというから、その反動か。そう遠くない距離に雷鳴までお出ましときた。
「雨宿りできるところを探すか」
煉骨が諦め混じりに呟いた。銀骨らがぬかるみで立ち往生したり火薬類が駄目になる惧れと秤にかければ、強行軍せねばならぬほど急ぎの旅路でもない。
蛮骨は首肯し、後方にいる巨体を振り仰いだ。
「凶骨! 建物とか洞窟とか、そっから見えねえか」
雨音に負けぬよう声を張り上げる。凶骨は耳の後ろに手をかざして声を拾うと、太い首を亀さながらに伸ばした。つま先立ちになれば生い茂る樹葉の上に顔が突き出、その体勢のまま周囲に目を凝らす。
「どれ……ん?」
太い指が前方左手を指した。
「おう、あっちの方に何かの屋根が見えるぞ!」
「大きさは」
「そこそこでかそうだ」
どうやら物置小屋などの類ではないようだ。一行は即決で、そちらに針路をとった。
凶骨の示す方角を頼りに歩みを再開するも、進むにつれて道はますます悪くなる一方だった。ただでさえ獣道と変わらぬ山道が、土砂崩れなどで寸断されている箇所に幾度も出くわす。その度に迂回や強引な乗り越えが必要となるため、見かけの距離に反して一向に辿り着くことができない。
風雨もまた、刻一刻と激しさをいや増していく。一発雨というわけでもないらしく、今や頭上を埋め尽くす雨雲は、いささかも流れている気配がない。
篠突く雨に打たれ続け、いよいよ視界の確保さえままならなくなった頃、木々の連なりは突如終わりを告げた。
代わりに黒板塀の平面がずらりと眼前に立ち塞がる。
「やっと着いたぁ……!」
それまで口数少なでいた蛇骨が歓声を上げる。彼のみならず全員の面持ちに安堵の色が浮いた。
板塀沿いに視線を滑らせれば、三丈ほど離れた位置に門が認められた。
「俺が一番乗りだあぁ!」
よほど屋根の下が恋しかったのか、蛇骨は猛然と泥を跳ねながらそちらへ駆けていく。
蛮骨たちはやや遅れて門前へとたどり着いたが、彼の姿はとうに消えていた。斬り込み隊長の名に恥じぬというべきか、余所様の敷地に踏み入ることに遠慮も躊躇も持たぬのだ。
人の事は言えないが。
「寺――みてえだな」
掲げられた扁額を見上げ煉骨が呟く。かなり年季が入っている上に汚れがひどい。字は黒ずんだ染みとほとんど同化していたが、かろうじて最後の「寺」を判読することはできた。
門扉は開いている。
塀の内へと歩き進んだ一行は、ざっと一目見渡しただけで、そこが廃寺なのだと早々に察することとなった。
そこそこの広さをもつ境内には所狭しと雑草が蔓延り、石畳は苔と黴でまだら模様を描いている。薄暗く湿気た空気の中に充満する、漬け置かれたような青臭さが鼻をついた。
極めつきは正面の本堂である。全体的に大きく傾いでいるのみならず、天災あるいは老朽化による損壊か、屋根には隕石でも落ちたのかと疑いたくなるほどの大穴がぽっかりと口を開けているのだ。建物の半分以上が潰れ壊れて内部を露天に晒していた。
人の管理を離れてからかなりの年月が経っているらしい。
その傾いた本堂の、戸が外れた玄関口から数歩入ったところに、先んじて乗り込んだ蛇骨が立っていた。
「なんだここ、ぼろっちい……」
何を期待していたのか肩を落としている弟分を、蛮骨は軽く小突く。
「贅沢言うな。こんな山ん中で屋根の下に入れるだけめっけもんじゃねぇか」
そりゃそうだけどよ、と蛇骨は唇を尖らせ、
「誰か住んでりゃ、ちったぁましな飯とか酒とか、ありつけるかもとか」
「おめでてぇな」
蛇骨を行き過ぎ、蛮骨は土足のまま堂内へ上がった。弟分たちが後に続く。
内部は外見に輪をかけて酷い有様だった。
柱は傾ぎ障子は破れ、そこら中鼠の穴だらけ糞だらけだ。それに加え自然にできたとは思えぬ傷が床といわず壁といわず、無数に刻みつけられていた。砕けた調度品の破片が至る所に散乱し、土間の隅には小便らしき跡まで残っている。
大方、無人となった後も入れ代わり立ち代わり、浮浪人やらならず者どもの寝床とされてきたのだろう。己の持ち物ではないからと、ずいぶん粗末に扱ったようだ。おそらくは獣も入り放題だったに違いない。
想定以上の荒れように誰もがげんなりとしたが、蛇骨があからさまに消沈している他に不平不満を漏らす者はいなかった。
天候が回復するまでの一時、身を置くだけだ。最低限の壁と屋根が残っていればいい。
七人は目につく範囲で、最も部屋の形を保っている板間に入った。とはいえ大半の襖も障子も無くなっており、部屋としての区切りはほとんど意味を成していない。
穴の空いた天井から雨水が滝のように落ちている箇所を避け、銘々に場所を確保して腰を下ろす。
鎧を外し、上衣も脱いで水気を絞ったところで、ようやく一息つく余裕が生まれた。
屋外では激しさをいや増す雨音と雷鳴が互いに幅を利かせている。もっとも、大層風通しが良いこの廃屋においては、内と外の境界などあって無いようなものだが。
しばしぼんやりと休息していた彼らだったが、四半刻も経ったあたりで、おもむろに蛇骨が立ち上がった。煉骨に背面や細かな隙間を拭かれていた銀骨がその姿を目で追う。
「ぎし、どっか行くのか、蛇骨」
「じっとしててもつまんねぇし、ちょっくら探検してくるわ。ここよかましな部屋があるかもしれねえだろ」
蛇骨は背を向けながらそう答え、ひしゃげた鴨居を潜って廊へと出ていった。
ひとり、探検という名の暇つぶしに繰り出した蛇骨は本堂から渡り廊で繋がる別棟へと足を向けた。歩みに合わせ、履き物の下で埃やら木屑やらがざりざりと音を立てる。
一体いつから無人なのだろう。
廊には格子窓が等間隔で配され、わずかな外光が仄暗い陰影を浮かび上がらせている。奥へ行くにつれ陰が濃い。
ぶらつきつつ途中途中の部屋を適当に覗きまわるが、いずれの状態も先の部屋と五十歩百歩だった。
「金目のもんでも残ってねえかなぁ」
持ち帰れば煉骨あたりに褒められるかもしれない。だが、いかんせんこの有様では望み薄だ。これまでここを塒にしてきた連中にそっくり盗られ尽くした後だろう。
庫裏、書庫、雪隠に風呂場まで見つけたが、どこも壊れ放題の荒れ放題、あるのは分厚い蜘蛛の巣ばかりだった。
「うう、冷えてきた……」
濡れた体に、そこかしこから吹き込む風が堪える。夏場にもかかわらず底冷えするような寒気を覚え、蛇骨は両の二の腕を忙しく擦った。
張り付くのが不快で脱いだまま腰帯に引っ掛けていた衣を羽織り直し、高い背を丸める。頼まれもせぬのに探索に出たことを、今さらながら後悔した。
「戻ろ」
これ以上家探ししたところで収穫はなかろう。
鼻をすすって回れ右しかけた時、次の間との境にある閉め切られた襖が目に入った。
やけに興味を引かれた。
襖などどこも外れているか半壊かだったものが、そこは薄汚く汚れている程度だったからかもしれない。
立地と規模から察するに、この辺りが建物の最奥にあたるだろう。ここまで来たのだからついでに覗くか。
襖に近付いて手をかけ、横に滑らせる。
開けた先の光景に、蛇骨はぽかんと口を開けて立ち尽くした。
ざっと三十畳はあろうかという広座敷が、目前に広がっていた。
冷えた空気の中、開けた襖から忍び込んだ気流が埃を舞い上げる。しかし積年の埃っぽさを除けば、他の部屋のような損傷はほとんど見られない。別の屋敷に迷い込んだかと錯覚するほどに原形が保たれていた。
この荒れ寺で初めてお目にかかる、部屋と称すに申し分ない部屋だ。
「お――」
間抜けたように開いたままの口から声が漏れた。
「おおっ、あるじゃねえかまともな部屋! よし、兄貴たちに教えてやろ」
手柄を褒められる己を思い描いてにまりとしながら、善は急げと踵を返す。
と、後ろ首がふいにひやりとした。
「ひょ」
反射的に鳥肌が立つ。やはり雨漏り程度はあって水滴が落ちてきたのかと思ったが、首元に手を当てても水気には触れなかった。
「気のせいか」
建物全体が穴だらけなのだ。どこぞから隙間風が流れ込んでもおかしくない。元より身体は冷えている。
深く考えず、蛇骨は来た道を戻ろうと歩き出した。
『ねえ』
耳朶を音が掠めた。
息を呑んで周囲を見回す。
声のように聞こえたが、誰もいない。
「なんだ? 誰か、ついてきてたのかよ?」
どこへとなく問いかけるも、返答はなかった。
「……おーい、つまんねえ冗談やめて、出て来やがれ」
据わらせた声で呟いても、返るのは雨音ばかり。
「んん? ……やっぱ気のせ」
『ねえってば』
耳元ではっきりと。
話しかけられた。
蛇骨はびくりと肩を跳ね上げるや、
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
あらん限りの絶叫を迸らせ、一目散に駆け出した。
「上がりそうにねえな」
会話に一区切りついたところで、霧骨が壊れた壁の外に広がる豪雨を何となしに見やった時。
六人の耳に、奥の廊下からこの世の終わりのような叫び声が届いた。
「あ? 何だ今の」
「蛇骨だろ。あの野郎、よくまあ一人であんな騒げるもんだ」
煉骨が呆れ顔でこぼすと同時、すでに外れかけていた襖が勢いよく蹴破られ、噂の蛇骨当人が飛び込んできた。
入口を背に座していた霧骨は倒れてきた襖で頭を強かに打ち、そのはす向かいにいた睡骨は駆け込んできた蛇骨に蹴飛ばされる。
「なんだ、騒々しいな」
蛮骨と煉骨が怪訝な顔をし、身を起こした睡骨と襖に穿たれた穴から頭を生やした霧骨は、こめかみにくっきりと筋を刻んで蛇骨を睨み上げた。
「てんめぇ、蛇骨……!」
しかし蛇骨の耳には抗議の声など一寸も届いていない。脇目も振らず煉骨のもとへ駆け寄るや、鬼気迫る形相で縋りついた。
「兄貴っ、こんなとこ早く出よう!」
「あ?」
突拍子もない要求に兄貴分の眉はますます顰められる。蛇骨は半泣きで訴えた。
「ここ何かいるぜ! 本当なんだって、いま俺の耳元で何かがっ……!」
「ああ、はいはいそれはご苦労だった。ならここで大人しくしてるがいい」
話半分どころか四分の一も本気にされず、蛇骨は焦り顔を蛮骨へ移した。
だが、いち早くその気配を察した蛮骨は御免とばかりに視線を背ける。
「大兄貴まで酷えじゃねぇか!」
躍起になって詰め寄られ、彼は面倒くさそうに嘆息した。
「それで蛇骨よ。ましな部屋はあったのか?」
「……へ? あ、おう」
実に冷静な態度と静かな口調で問われ、つい真正直に答えてしまったところで、蛇骨は「しまった」と口を噤む。が、時すでに遅し。
「おっし皆、そっちに移動だ」
膝を打って立ち上がる首領の呼びかけに弟分たちは即座に応じた。手際よく荷をまとめるや、さっさと部屋を出て行ってしまう。
「ちょっ、今の違え! いい部屋なんかねえよ、待てって!」
泡を食って呼び止めようとするも、耳を貸す者はいない。
のんびりとした退室ざま、首領のさも愉快げな眼差しが蛇骨を見下ろした。
「で、蛇骨。俺に何か用だったか」
「っ…、…こん…の、性悪……!」
わなわなと震えながら睨み返し、蛇骨は拳で畳を殴り付けた。