陽が傾いても雨勢は衰えを見せず、七人隊は朽ち寺をそのまま今宵の寝床と定めた。
蛇骨の率先的かつ献身的な探索により発見された広座敷は天井が高く、状態もすこぶる良い。大の男たちが思い思いに身体を伸ばしてもまだまだゆとりがあり、一夜の宿としては十二分な空間だった。
元は人を集めて説法を聞かせたり、宴などを催すための部屋だったのだろう。
誰もが悠々とくつろぐ中、ただ一人蛇骨だけは部屋の隅で預けられた猫のような険しい顔をしていた。些細な物音にも必要以上に反応してしまい、気が休まらない。
「おい、こっち来て何か食え」
蛮骨の呼び声に目を向ける。座敷の中央に切られた囲炉裏で、先ほどから蛮骨を含む数人がなけなしの干し肉やら餅やらを焼いているのだ。そこらの部屋から拾ってきた建材や襖の切れ端を薪代わりにべている。
ぼちぼち香ばしい香りが鼻先へと誘いの手を伸ばしてくると、途端に腹の虫が騒ぎ出した。
「大して残っちゃいねえんだ。これとせいぜい明日の朝の分しかねえ。食える時に食っとけ」
蛇骨は誘われるまま囲炉裏端の輪に加わった。集団の中で適当に相槌あいづちでも打っている方が気は紛れる。この部屋に移ってからいやに薄ら寒い心地がするのは、空腹であることも大きな要因かもしれない。
串焼きにされた食料は、選べるほどの種類がない上にどれも一口二口で無くなる量だ。成人男性の腹にはとても足りない。みみっちくできるだけ時間をかけて咀嚼したところで、かさが増えるわけもない。
呆気なく終わりを迎えてしまった夕餉ゆうげの席に、そこはかとない手持無沙汰な空気が漂い始めた。
話のねたはほとんど尽きてしまった上、暇つぶしの娯楽にできるものもない。酒は入山前の時点でとうに飲み干しており、さりとて就寝にもまだ早い。
何かないかと考えあぐねていた時、ふと睡骨が人相の悪い顔をもたげた。
「こんな襤褸ぼろ寺にいることだし、どうだ、ここは一丁、怪談話と洒落しゃれ込むのは」
「おお、百物語ってやつか。確かにおあつらえ向きだな」
この男にしては珍しい提案に、蛮骨が興味を持った風情で身を乗り出す。
「他にすることもねえしな」
霧骨や煉骨らも乗り気になる中、蛇骨はざっと血の気を引かせた。首を千切れんばかりに左右へ振る。
「じょ、冗談じゃねぇ! 俺は御免だ!!」
「なんだ蛇骨、怖えのか?」
凶骨にからかわれるも、それどころではない。囲炉裏で火照っていた肌が急速に冷めていく。
「とにかくやめようぜ、なあ」
余計な提案をした睡骨に殺意のこもった眼光を注ぐ。怪談なぞこれまで話題にしたこともないくせに、なぜよりにもよって今ここで、そんな思い付きをしやがるのか。
「その昔、こんな山寺を数人の旅人たちが通りかかった」
だが睡骨の方は意にも介さず、言い出しっぺとして早々と口火を切った。仲間たちも傾聴の体勢をとり、もはや別方向に舵を切れる状況ではない。
「そいつらはその夜、仕事がうまくいった祝いに、ぱあっと酒盛りなんかをしてたんだが――」
「ばァッか野郎め!」
蛇骨は両耳を塞ぐと叩きつけるように怒号し、脱兎のごとく部屋を飛び出した。体面を気にしている場合ではない。足音荒く、薄暗い廊下を駆ける。
一方、その度を越した嫌がり様に、残った者たちはしばし呆気にとられる。
「さっきからどうしたんだ、あいつ」
「さあ。変なもんでも食ったんだろ。このくれえ中あんな調子で走り回って、けねえといいがな」
遠のいていく足音を耳に蛮骨が呟くのと、廊からどんがしゃんと賑やかしい音が轟いたのはほぼ同時だった。六人は一斉に噴き出す。
ひとしきり肩を揺らした蛮骨は睡骨を促した。
「あれは放っといて大丈夫だ。続きを話せ」
「おう」
その後男たちは聞きかじった、あるいは即興で思いついた怪談話を順繰りに披露した。
怪談と称するには毛色の微妙なものもあれば、なかなかの力作も飛び出したが、何故かいずれも最後は笑い話と化することになる。
外の闇が深みを増す中、荒れ寺の一隅には場違いなほどの馬鹿笑いが延々と響き続けていた。

雲に覆われた空の下には、月光の片鱗すらも届かない。
夜が更け、怪談話で適度に時間を潰した七人隊は、広々とした畳の上で好き勝手に雑魚寝を貪った。
開け放された障子戸の向こうは相も変わらず雨のとばりに覆われている。
屋根を、地面を、無数の水滴が打ちつける音。
今はそれらに、凶骨のいびきが爆音による合いの手を入れていた。
仰向けに寝そべる蛇骨は、閉じていたまぶたをのろのろと持ち上げて半眼になった。
(……うるっせぇ)
怪談の席から離脱した蛇骨は、実を言うとさほど遠くには行っていなかった。派手に転倒して気持ちが折れたのもあるが、完全に一人になるのもまた気が引けたのである。
語りの子細は聞き取れず、しかし仲間の存在を程よく感じられる絶妙な間合いを見出して、じっと息を潜め時をやり過ごした。
かなり経って、怪談語りがお開きになった気配を察するや座敷に舞い戻り、何食わぬ顔で雑魚寝の一角に加わったは良いが。
激しい雨音と山を揺するがごとき凶骨の鼾。一度耳についたが最後、気になって寝付けなくなってしまった。
決して、この寺が薄気味悪くて眠れないとかではない。
耳を塞ぎごろりと寝返る。
まったく、他の連中が平然と熟睡できているのが信じられない。耳が壊れているんじゃなかろうか。
せっかく野宿せずに済んでいるというのに、自分だけ眠れないのははなはだ不公平だ。
昼からのあれやこれやも手伝ってふつふつと苛立ちが募ってくる。
凶骨に一蹴り入れてやりたい衝動に駆られるが、この闇の中を誰にもつまづくことなく凶骨の元まで辿り着くのは至難の業だ。その上おそらく、実行できたところで鼾が止まるなどほんの一瞬で、数秒後には元の木阿弥だろう。
かといって、ひとりだけ別部屋に移って寝直す案も採用しかねる。決して、一人で寝るのが怖いとかではなく。
目を開けたまま悶々と不満をね回しているうち、やがてそれとは別の、生理的なもどかしさが込み上げてきた。
(やべ……かわや、行きてえ)
こちらもまた、ひとたび気付いてしまうともう、どうしようもない。
昼間に見つけた厠(だったもの)へ夕暮れ前に一度行ったきり、我慢していたのが祟った。
あの時はまだ明るい時分であった上、先に用を足した煉骨も近くにいたため手早く済ませられたのだが、今は。
(あ、朝まで持たねえかな……)
淡い期待をかけてみるが、意識が向いたのをこれ幸いと、己の身体は思った以上の早さで限界を訴えてくる。
(朝まで我慢、朝まで我慢……)
念仏のように頭の中で繰り返す。対して下腹はり合おうとでもしているのか、要求を実力行使に切り替え始めた。
あ。無理だこれ。
決壊の予感に震えた蛇骨はむくりと起き上がった。四つん這いで壁際へ行き、襖を引き開けて廊下に首から上を出してみる。
視野いっぱいに、呑み込まれそうな闇が広がっていた。まさに一寸先も見えない。
そろそろと首を戻し、頭を抱える。
白状するととても怖い。何か出そうだし、その場合己の体内の何かも出そうだ。だが後者はたぶん放っておいても近い将来出てくるわけで。
ええい、ままよ。
蛇骨は三歩先に寝ている蛮骨へと近付き、肩に手をかけた。
「大兄貴、大兄貴」
さすがに日頃から戦場に身を置くだけあり、少年は潜めた声かけにも一発で反応を返した。
が、
「じゃこつ…? ………………しつこい」
蛇骨が何か言う前にそれだけを言い残し、再び夢の中へと旅立っていった。
(なぁ!? 何がしつけえってんだ! 俺まだ何も言ってねえぞ!!)
困惑しながらもう一度揺り起こそうとしかけ、途中で思い止まる。
本当にしつこくすると一撃見舞われて二度と朝陽を拝めなくなるかもしれない。あと、膀胱がいい加減破裂する。
肩を落とし、蛇骨は重い腰を上げた。こうなったら一人で行くしかない。
そっと廊下に出る。音も吸い込まれるほどの深い闇の中にぽつんと投げ出された心地がした。日中に幾度か行き来しているにもかかわらず、初めての場所のように感じられる。
「こ、怖くねえっ……怖くねえぞぉぉ……」
己を鼓舞し、探りながら足を踏み出していく。一歩進むたび、体重を乗せられた床板がきしきしと物悲しくきしむ。
五歩、十歩と歩むうち少しずつ早足になりながら、闇の中で道を見失わないよう壁に手を当てて歩き続けた。大した距離ではないはずなのだが、途方もなく長い道のりに思える。
途中の角を左へ折れると屋根が無くなった。雨声が大きい。
水気をはらんだ心許こころもとない外光に、周囲の闇がにじんでいる。
光といっても外より中が暗いためにかろうじて視野を補っているに過ぎない。
それでも闇に慣れてきた眼は、陰鬱とした暗がりに中庭へと降りられる石段を見出した。
ひらめく。
「あっ、ここでいいか! いいな!」
誰の目があるわけでなし、なにも律義に厠まで行く必要など無いではないか。そこからちょっと外へ出て、茂みで手早く済ませてしまえば事足りるのだ。
しめしめと、蛇骨は石段から中庭に下りた。
丈の長い雑草が繁茂している。雨つぶてに打たれるが、そんな些末さまつはどうでもいい。
歩きながらもどかしく前を寛げ、手近な草むらで溜まったものを勢いよく放出した。
張り詰めていた膀胱の弛緩に比例して、先細っていた心持ちにも幾ばくの余裕が生まれる。
実際、昼から今まで何事も起こらなかったではないか。話しかけられたように聞こえたのは己の勘違いで、本当は全く取るに足らない事だったのかもしれない。今になって振り返ると、さすがにぴりぴりし過ぎだったと思う。
何だか馬鹿らしくなり、それと同時に睡魔が押し寄せてきた。部屋に戻ったら今度は眠れそうだ。
そこそこに気の晴れた蛇骨は、衣を整えて軽やかに踵を返した。
背後が白熱した。
次いで脳天を割る轟音が叩き落ちる。
「どわひゃあああぁ!!」
飛び上がった蛇骨は外壁にべたりとへばりついた。心の臓がばくばくと胸を蹴りつける。家守やもりのような格好のまま、浅く速い呼吸を繰り返す。
「た、たた、ただの雷……当たってねえ、生きてる……い――」

『よわむし』

はっきりと聞こえた。
聞こえてしまった。
雨音も風音も雷音さえも遠く、耳の奥へ直接ささやきかける。
子供の声が。
「っ……いァ――――」
高く引きれた、声にならない音が口から漏れた。
もはや首はまわらない。振り返ることはおろか、瞬きすらできない。
動いたら、死ぬ。

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