天邪鬼あまのじゃく

秋の色を漂わせ始めた風が草木を揺らす中を、七人の傭兵たちが歩いて行く。
今し方山を一つ越えてきたばかりの彼らは、皆一様に疲れた顔をしていた。
「村はこの方角で合ってるんだよな」
先頭を行く蛮骨が肩越しに振り見てすぐ後ろの煉骨に問うた。
煉骨は懐から畳まれた紙切れを取り出して広げ、墨で引かれた線と簡単な説明書きを辿る。
紙切れは、山中を行く途中で行き会った旅人に道を尋ねた折にもらったものだ。
「あの旅人の言うことが本当なら、道は間違ってねえはずだぜ」
分岐する箇所は数えるほどしかないし、その後はほとんど一本道で来たので大丈夫だとは思うのだが。
「なかなか見えてこねぇがなぁ……」
小さく息をつきながら、蛮骨は前を向きなおした。
急ぎの旅ではないが、食料が底をつきかけている。町でも村でもいいから、できるだけ早くたどり着きたい。
おまけに、風の中に雨気が混じり始めていた。
疲れを見せながらも速度を一定に保って歩く一団からずいぶん離れた後方にもう一人、男がいた。
その人物を(かえり)み、睡骨が呼びかけた。
「蛇骨、もっと速く歩かねぇと置いてくぞ!」
霧骨と凶骨も、揃って振り返る。
「返事もしねぇや」
ふらふらとついて来る蛇骨は、うんともすんとも反応しない。山越えの疲れが余程身にこたえているようだ。
「根性が足りねぇな。切り込み隊長が聞いて呆れらあ」
冗談混じりに呟く霧骨に、凶骨が笑った。
雲が空一面を厚く覆い尽くした頃、彼らはようやく地図の村に到着した。住人もさほど多くなさそうな、小さな村だった。
蛮骨は、一軒の家の前でぼうっと座り込んでいる百姓に声をかけた。
「なあ、この村に宿はあるんだろうか」
「ああ? あんたら、旅のもんか」
ちらりと七人隊を眺め、百姓はのそりと立ち上がる。尻の(ほこり)を払いながら緩慢に首を振った。
「宿はねぇよ。庄屋(しょうや)さん家にでも泊めてもらうんだな」
こっちはそれどころじゃないんだと、百姓はいやに暗い表情で家の中に引っ込んでしまった。
「せっかく村が見つかったのに、ついてねぇ」
煉骨が溜息をつき、蛮骨は眉を寄せて唸った。
「とりあえず、庄屋とやらに頼んでみるか」
村中を歩き進んでいると、田端に人だかりができているのが見えた。この村のほとんどが集まっているのではと思えるほど、人数が多い。
がやがやと何事か話し合い、垣間(かいま)見える顔はどれも深刻な表情だ。
その向こうをよく見てみると、辺りに広がる田畑が目茶苦茶に荒らされているではないか。
収穫前の作物が食い散らかされ、無惨(むざん)に転がっていた。
「これは……」
思わず足を止めて眺めていると、村人たちも彼らに気付いた。
「お前さんら、何者だい?」
(いぶか)しげな目で見られて、煉骨が旅のものだと答える。そうして、村人たちの中に、ひとり身形(みなり)の良い老人を見つけた。
「あんた、もしかして庄屋さんか?」
問うと、老人は「いかにも」と頷いた。
「ちょうどいい、あんたを訪ねに行くところだったんだ。村には宿がないみたいだから、泊めてほしいんだが」
頼み込むと、庄屋は明らかに警戒した顔で、異様な風体(ふうてい)の旅人たちを見据えた。蛮骨が慌てて手を振る。
「や、こんな見てくれだが、怪しいものじゃないんだ。一晩でも泊めてもらえて、食料を少し分けてもらえれば……」
「こちらもただ今立て込んでおりましてな」
険しい面持ちで、庄屋は体の向きを変えた。その視線の先にあるのは、荒らしに荒らされた田畑だ。
「ご覧のとおり、悲惨なありさまです。これでもう何件目かわからない。わしらはこの冬をどう乗り切るものか、思案に暮れているのですよ」
残念ながら泊めてやれる余裕はないと、首を振る。
「この荒れ様、人間の仕業(しわざ)には見えないが」
(えぐ)られた地面や散らばる作物に残る歯形を見回しながら、煉骨が言った。
「犯人はわかっております」
「わかっている?」
村人の一人が、小高い山の中腹を指差した。木々の狭間(はざま)に、大きな屋根が見える。
「あそこにいる、鬼の仕業さ」
「鬼がいるのか」
「俺は見たんだぜ。あすこの鬼が、夜中に畑に立っていた。その時はもう、畑が荒らし尽くされてて……すぐに捕まえようとしたけど、あっという間に逃げられたんだ」
他にも目撃者がいるらしく、村の衆はしきりに頷いている。
「これより、(くだん)の寺へ抗議に行こうと話し合っていたところなのです」
山の中腹に佇む建物は、寺であるらしい。
村人たちはそこへ行って、住職と面会するのだという。
畑を荒らすような鬼がいる場所に、住職がいるのだろうか。
七人隊の面々が首を(かし)げていると、百姓の一人がそうだと声を発した。
「お前さんらも一緒に行かんか? 住職さんに頼めば、泊めてもらえるやもしれん」
「えぇ?」
蛮骨と煉骨はさすがに目を()く。
たった今鬼がいると聞かされたばかりの寺を勧めるなど、どういう了見か。
「たちの悪い鬼はいるが、住職さんは優しいお方だ。一晩泊まるくらい、心配いらんよ」
他人事(ひとごと)であるからか、村人の口調にはすでに決定したような響きがあった。
七人隊は顔を見合わせる。
「どうする」
「村には泊めてもらえねぇんだろ?」
「坊主は喰われずにいるみてぇだし、それほど危険じゃねえのかもな」
空模様は今にも崩れそうだ。ここにいても屋根の下で眠れそうにないので、村の者たちに同行しようと意見がまとまった。
「では、雨が来る前に参ろう」
村人の列の後について歩いて行くと、やがて山の斜面に幅の狭い石段が現れた。寺まで繋がっているようだが、ずらりと長い。
山越えした足には、かなり酷に思われた。
しかし文句を言う気力も起きず、七人隊は一団の後に続いてゆっくりと石の階段を踏みしめた。
石段を、一行は二列に連なって上ってゆく。蛮骨のとなりを行く若い男が、ふいに話し掛けてきた。
天邪鬼(あまのじゃく)、て知ってるか」
いきなりの問い掛けに、蛮骨は少々面食らいながらも頷く。天邪鬼といえば物語にも登場する有名な妖怪だ。
「寺にいる鬼ってぇのは、そいつだよ」
「天邪鬼がいるって?」
返す蛮骨の声には不審な響きがある。泊まりの交渉をしに向かう寺に、悪評の多い妖がいるというのは喜べない。
「なあ、わかるだろう。天邪鬼っていやぁ、嘘つきで人を騙す(よこしま)な妖怪だって、餓鬼(がき)でも知ってらぁ」
「話は聞くが、本当にいるとはな」
今まで数々の妖怪と遭遇してきた彼らだが、そういえば昔語りに出てくるようなモノには、あまり馴染みが無いかもしれない。
「以前から時々村に姿を見せていたんだが、皆から(いと)われてるせいか、最近は寺に(こも)ってたんだ。それが、夜中に出てきて田畑を荒らしやがるなんてとんでもねぇ」
男の語調から、隠さぬ怒気が(うかが)える。寺に着いたら一波乱は起こりそうだった。
だが、あんなにひどく畑荒らしをする鬼に百姓が(かな)うのだろうか。
正直な疑問を浮かべていたとき、先頭の庄屋たちが寺の門にたどり着いた。
和尚(おしょう)さま、いるかね」
境内(けいだい)に足を踏み入れた庄屋が呼びかけると、ややあって(ほうき)(たずさ)えた老人が裏手のほうから顔を出した。
墨染めの法衣に坊主頭、彼がここの住職であるようだ。
「おやおや、皆さまお揃いでいかがなされた」
箒を手早く片付けると、住職はしっかりとした足取りで一行の前に進み出る。見かけの割に、身体は老いていないようだった。
村人たちが息巻いた。
「いかがも何もあるかい。また田畑が荒らされた!」
「なんと、またですか……」
沈鬱(ちんうつ)な面持ちになる住職に、村人の眉が吊り上がる。
「そんな顔をしたって駄目だ。今日という今日はあの鬼を出してもらおう」
「ですが、何度も申しておりますように、天邪鬼はそんなことはやっておらんのですよ」
「住職、なんであいつを庇うんだ」
「もしや住職も、天邪鬼に化かされてるんじゃないか」
「きっとそうだ。住職に頼んでも無駄だ!」
「とにかく天邪鬼を探し出せ!」
村の衆が口々にわめき立てたその時。住職の袖がもぞもぞと(うごめ)いて、丸い目をした手の平ほどの小鬼が顔を覗かせた。
「わっ、天邪鬼!!」
一瞬ひるんだ声を上げた村人だが、すぐに(たもと)に飛び掛からんとする。しかし小鬼はするりと抜け出して、脇に飛びのいた
「くそっ、追いかけろ!」
怒りに顔を紅くしながら、村人たちは天邪鬼を捕らえようと躍起(やっき)になっている。小鬼と人の追いかけっこが始まった。
「これ天邪鬼、掃き清めたばかりなのだから、境内を汚してはいかんよ」
心配そうに住職が言うと、天邪鬼はぽーんと寺を囲む塀の向こうに跳ね飛んだ。
「外へ逃げた! 早く追うんだ!!」
住職には目もくれず、声を張り上げた村人たちは怒涛(どとう)のごとく門を出て行ってしまった。
ほうと小さく息を吐いて肩を落とした住職は、門近くで呆然と事の成り行きを見ていた男たちに気がついて、軽く頭を下げた。
「そちらさま方は、あの方たちとは違う用件でございますか?」
「あ、ああ」
我に返った煉骨が口早に状況を説明し、泊めてもらえないかと頼み込む。その間に、霧骨が睡骨に話し掛けた。
「なあ、あれが天邪鬼だとよ」
「おう。村の奴らが散々言うからどんなかと思ったら、あんな小せぇ妖怪だったんだな。」
拍子抜けといった調子の睡骨に、凶骨や銀骨も頷いている。蛮骨はそれとなく塀の向こうに耳を澄ませてみたが、すでに騒ぎの音は聞こえないほど遠ざかっていた。
そうしているうちに、和尚が彼らの前に歩み出てきた。
「事情はわかりました。古い寺でございますが、ここでよろしければどうぞお泊りくだされ」
「本当か、助かった」
ようやく足を休ませられると、七人隊は喜色満面で顔を見合わせた。
刹那(せつな)。頬にぽつりと何かが当たる。
気付いた和尚が曇天(どんてん)を仰いだ。
「降ってまいりましたな。ささ、お早く中へ」

寺の回廊をぎしぎし言わせながら歩いているうち、雨足が(またた)く間に強まった。滴が地表を叩きつけ、辺りは夕時前にも関わらず薄暗い。
屋根が大きく張り出した廊下には雨滴が入り込んでこないので、滑る心配もなく歩くことができた。
床板を破る可能性があり屋内に入れない銀骨や凶骨は、頑丈な作りの蔵を借りて過ごしている。屋根の下で過ごせるだけで満足だと喜んでいた。
「私は妙楽(みょうらく)と申します。この寺には私しかおりませんで、どうぞ気兼(きが)ねなく過ごしてくだされ」
部屋へ案内しながら、住職が名乗った。
「お部屋は四つでようございますかな?」
妙楽の尋ねに、一拍おいて煉骨が片眉を上げる。
「ん? 四つ……?」
凶骨と銀骨、七人から二人欠けているのだから五つのはずでは。
「おや、他にもお仲間がおいでですか」
きょとんと振り向く妙楽につられるように、煉骨も仲間の顔ぶれを見回した。そして気付く。
「……蛇骨がいない」
その場にいた蛮骨、睡骨、霧骨が瞠目(どうもく)した。言われて初めて、一人足りないのに気がつく。
「そういや、やけに静かだと思ったら……」
「てっきり、疲れすぎて口がきけねぇんだと思ってたぜ」
睡骨と霧骨が口々に呟き、頬を掻いた。その横で蛮骨が疲れた顔をする。
「あの馬鹿」
自分からいなくなったのか、置いてきたのか。状況から見ると後者が当てはまるように思う。
置いてきたとしたら、一体どこに。
「たぶん、村に着くまでの道のりだと思うが」
霧骨が顎に手をあて呆れた風情(ふぜい)で言った。彼らは、確かに仲間から遅れをとっていた蛇骨を見ている。
「どうする大兄貴。蛇骨は俺達がこの寺にいることを知らねぇ。誰かが迎えに行かねぇと」
煉骨の言葉に、皆が顔をしかめた。もはや休む準備が万端の身体は、雨の中に出て行くのを大いに(こば)んでいる。
蛇骨は今頃この雨に打たれて寒い思いをしているはずだ。が、自分が迎えに行こうと申し出る勇者はいない。首領の蛮骨とて例外ではなかった。
「よし」
しばし逡巡(しゅんじゅん)していた蛮骨がぽんと手を打つ。
「和尚、部屋をもう一つ多く用意してもらえるか」
「ええ、構いませんよ」
「大兄貴、迎えに行くのか?」
目を丸くする睡骨に、蛮骨はただ軽く笑ってみせた。
住職に案内された部屋は、寺の奥の突き当たりに五部屋並んでいた。奥から順に、蛮骨、煉骨、睡骨、霧骨と割り当てられ、残りの一部屋がまだ来ぬ蛇骨のものになる。
「布団は各部屋にございます。夕餉も用意いたしますので、座敷にて召し上がってくだされ」
「すまないな、手間をかけちまって」
「いえいえ、料理は趣味にございます。もっとも、精進(しょうじん)ものばかりですがのぉ」
妙楽は法衣の袖を(まく)ってほけほけと笑った。
経を唱えに仏間へ下がった妙楽と別れ、彼らはそれぞれの部屋へ腰を落ち着けた。
廊下に残った蛮骨は部屋に入るより先に、雨の降りしきる庭先へ一声かける。
すると。雨の中、輝くように白い大狼が塀を軽々と飛び越えて現れた。
「おう、蒼空(そら)。ちょっと頼みが――」
「わわっ、止まれないよ!!」
狼は雨水に濡れた砂利(じゃり)の上をずざざっと派手に滑り込んだ。ちょうど突き出た屋根下に溜まった水が跳ね上げられ、蛮骨の頭から降りかかる。
「あーびっくりした。ぶつかるかと思ったよ……――っ!」
体勢を直して蛮骨に顔を向けた蒼空の顔が、引きつった。
蛮骨は溜まって泥を含んだ雨水に、ほぼ全身を濡らされた状態でそこにいる。その顔には空恐ろしいほど晴れやかな笑みがあった。
「なあ蒼空。この屋根はどうしてこんなに張り出してるんだろうな」
「……さ、さあ。おれ、狼だからわかんないな」
「そうか。俺が思うに、雨が降っても廊下が濡れないようにしてるんだと思うんだ」
「あ、そうか。そうだね。蛮骨あったまいいなぁー」
蛮骨と同様びしょ濡れになった廊下をちらりと見やり、えへへと笑いながら後退しようとする狼の太い尻尾を、蛮骨はむんずと掴んだ。
ひぃっ、と悲鳴をあげた蒼空は必死に土下座の体勢をつくる。
「わざとじゃないんだよぉ! わかってくれよぉー」
「わかってやる。だから俺の頼みをきけ」
「頼みって……?」
許してくれるなら何でもやるといった(てい)で蒼空は身を乗り出す。
「蛇骨が(ふもと)の村の辺りにいるはずだから、迎えに行ってくれないか」
「蛇骨、一緒じゃないの?」
「あいつが勝手に遅れてるんだ」
ふぅんと首を傾け、蒼空は一つ尾を振ると身を(ひるがえ)した。
「よし、行ってきますっ!」
「おう、行ってこい」
来るとき同様、風のように塀を飛び越えて消えていく狼を見送った蛮骨の口元に、にやりとした笑みが刻まれた。
雨の中、さすがに嫌がられるかとも思ったが、蒼空が良い具合に水をぶっかけてくれたおかげで、半強制的に行かせるのに成功した。
濡れてしまった自分の身体を見下ろす。
どうせ長旅で汚れていた着物なので、少し水を被ったくらい、実はどうということもなかった。雨に当たったと思えば同じ事だ。
「廊下はそうもいかないか」
少し肩を落として自室に入る。荷を部屋の隅に下ろし、何か拭くものがないかと視線を巡らせるが、丁度よいものは無かった。
煉骨に手拭いでも借りようと再び回廊に出る。するとそこに、雑巾(ぞうきん)を両手で持った小鬼がぽつんと立っていた。
「天邪鬼……?」
目を丸くする蛮骨を見上げた天邪鬼は、今度は濡れた床に視線を落とす。
「悪い、今拭こうと思ってたんだ。雑巾持ってきてくれたのか」
天邪鬼から雑巾を受け取ろうとすると、小鬼はしゃがんで自らせっせと床を拭きはじめた。
唖然と見ている蛮骨の前で、床は元通りに綺麗になった。立ち上がった天邪鬼は、心なしか胸を張っている。
片膝をついて、蛮骨はその頭を軽く撫でた。
「ありがとな」
天邪鬼ははっとした顔で彼を見上げたが、すぐに頬を紅くして視線を逸らす。
「……なまえ」
初めて聞いた、天邪鬼の声だった。子供のような声音で、とても邪悪な気配はうかがえない。
「俺の名前か、蛮骨だ」
「蛮骨……出ていけ」
蛮骨の目が(みは)られる。それをよそに、天邪鬼は蛮骨の手を両手で握って揺さぶった。
座れ、と解釈し、彼は大人しく腰を下ろす。その膝に小鬼がよじ登り、身を落ち着けた。
膝上で、指をいじられ遊ばれている。蛮骨は複雑な顔をしながら、背後の壁に背を預けていた。

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