壁にもたれているうちに、旅の疲れからかいつの間にやら眠りこけていた。
目が覚めたのは、規則的な雨音に床板のきしむ音が混じったからだ。
のろのろと(まぶた)を上げると、傍らに妙楽和尚が立っていた。
「起こしてしまいましたか、申し訳ない」
「いや」
腕を伸ばし、首を回す。見ると、膝の上で天邪鬼も寝息を立てていた。
「天邪鬼を探しに来たのですよ。こちらにいるとは思いもよりませんでした。私以外の人間には警戒してしまうので」
「そうみてぇだな。出ていけ、て言われたよ」
いきなり訪ねてきたのだから無理もないなと苦笑をこぼすと、妙楽が目を(しばたた)かせた。
「蛮骨どの、天邪鬼にそう言われたのですか」
「ああ。でも、叱らないでやってくれ。悪いのはこっちだって分かってるから」
いえいえと、妙楽は首を左右に振る。
「そうではありませぬ。蛮骨どの、天邪鬼の言葉は逆の意味で解釈せねばなりません。『出ていけ』と言われたのなら、それは『ゆっくりしていけ』という意味にございますよ」
「え……」
蛮骨は言葉を無くして、腹を上下させている小鬼を見下ろした。
なるほど、そういうことか。言ってることと行動が矛盾していると、思ってはいたが。
そうだ、これは天邪鬼という妖怪なのだ。
「この子がこれほど人に懐いているところを見るのは珍しい。天邪鬼には多少なら人の心を読み取る力がありましてな、あなたは大丈夫だと判断したのでしょう」
人々から()み嫌われ常に孤独の中にあった天邪鬼は、まず第一に人の内面を読み取り、どんな人物かを見極めるようになったのだという。
「村で荒らされた畑を見た。あれはこいつがやったものじゃないんだろ?」
小さな天邪鬼の仕業にしては規模が大きかった。妖怪というものは見た目にそぐわぬ力を持っていたりもするが、蛮骨にはなんとなく、天邪鬼は無実だと確信が持てた。
「もちろんにございます。天邪鬼はそんなことができる性格ではありません。村の衆にも何度も否定しているのですが、どうにも聞き入れてもらえませぬ」
蛮骨の横に腰を下ろして、妙楽は困ったように息を吐いた。
「しかし畑が荒れたあとにこの子の姿が目撃されているのも事実のようですし、どうしたものか……」
今し方ここを訪れたばかりの蛮骨には、何も答えることはできない。
(すこ)やかに寝息を立てる天邪鬼を(いつく)しむように見つめ、妙楽は相好(そうごう)を崩した。
もともと和尚と天邪鬼が出会ったきっかけも、天邪鬼が村の者に(いじ)められているのを助けたことだった。村に棲みつく妖怪だったころから、天邪鬼は(いと)われ、孤立していたのだ。
寝床を無くしてしまった小鬼に、和尚だけは優しい声をかけた。それから天邪鬼は住処(すみか)をこの寺に移したのである。
天邪鬼は同じく一人で寺での生活を送っていた和尚の助けとなった。小僧の一人もいなくても妙楽が苦労をせずに済むのは、天邪鬼の力が大きかった。
「天邪鬼は今や私の子であり孫にも等しい。大切な家族でございます」
滔々(とうとう)と、妙楽の口からは天邪鬼のことが語られた。
話が一段落したとき、山門から遠目にもわかる白い狼がのそりとやってきた。たまげた妙楽がぱかりと口を開く。
「蒼空! 門から入ってきて、村の連中に見つかったらどうする!」
ただでさえ天邪鬼のことでぴりぴりしているところに、狼の化け物など見られたら大騒ぎになるだろう。
叱咤(しった)されて尾を垂れた蒼空は、背中でうつぶせに眠っている蛇骨を恨めしげに見やった。
「だって、蛇骨がこんなじゃ、塀を飛び越えたら絶対落とすもん。俺だって仕方なくあっちから来たんだよ」
「で、こいつはどこにいた?」
「村の手前。動かないから、死んでるんじゃないかと思ったよ」
雨に打たれて泥が跳ねた地面に、突っ伏していたのだ。
蒼空は背を揺らして蛇骨を落とした。蛇骨についた泥に白い毛並みを汚されていたが、瞬く間に雨が洗い流してくれた。
蛇骨を引きずって軒下に入り、ようやく雨から逃れた白狼は安心したように座り込む。
「なんと、犬神さまが現れなさるとは」
普通の倍以上の巨体で、なおかつ人語を話す狼を目の当たりにした妙楽は興奮した面持ちで手を合わせる。
「俺、犬神じゃないよ」
「そうなのかね? 美しい毛並みだから見紛(みまご)うてしまったよ」
水に濡れてつやつやと輝く毛並みを撫でられ、蒼空も満更でもない様子だ。
妙楽を気に入ったらしい蒼空は、ぱたぱたと尾を振った。
「和尚さん、俺もここで蛮骨たちといていいかな」
「おお、もちろんじゃ。雨の中に放り出すのは可哀相だからのぉ。ゆっくりしておいで」
喜ぶ蒼空の足元で、くぐもったうめきが発された。
蛇骨がよろよろと身を起こし、視線をさ迷わせる。
「蛇骨、起きたか」
「あ、大兄貴……ここ、どこ?」
「村からさらに山へ入ったとこの寺だ。今夜の宿を世話になる。ったく、倒れるくらいなら一声かけて倒れろ」
「無茶言わねぇでくれよぉ」
ふらふらと、蛇骨は回廊から屋内に上がり込もうとした。
「あーこらこら、泥まみれのままだろうが」
眉を吊り上げて止めようとする蛮骨に、妙楽が首を振る。
「よろしいですよ。お着替えは部屋に用意してありますので、そちらに着替えてお休みなされ」
「わかっ…た……」
ずるずると足を引きずり、天邪鬼が拭いたばかりの廊下を泥で再び汚しながら、蛇骨は教えられた部屋に入っていく。
こめかみを指で押さえ、蛮骨は深く息をつくのだった。

夕餉の声がかかるまで七人隊は各々の部屋で熟睡しており、妙楽が一人一人揺り起こすまで目覚めないほどだった。
雨は(いま)だ降りしきり、茜空(あかねぞら)は分厚い雲の向こうに隠れている。
汚れた着物から用意されていた着流しに変えた姿で皆が座敷へと向かう中、妙楽は軒下にいる狼に目を向けた。
天邪鬼の相手をしていた蒼空も、今は二匹揃って寝息を立てている。
和尚は目許を和ませながらそばに寄った。
足音に気付いたのか、白狼の耳がぴくりと動き、瞼を持ち上げる。
「……あ、和尚さん」
蒼空がふああと欠伸をすると、その背を枕にしていた天邪鬼も目を覚ました。
「天邪鬼と遊んでくれて有り難いことじゃ。妖怪にも人間にも、友達がおらんのだよ」
寂しげに苦笑をこぼす妙楽を見上げ、蒼空は何度か瞬きをして首を傾ける。
「友達、かあ……」
夕餉(ゆうげ)の支度ができたから、蒼空どのにも持ってこような。天邪鬼もここで一緒に食べるといい」
「ちょっと待ってて」
言うと、蒼空がすくりと立ち上がる。そうして、妙楽が何か問いかける前に白狼は雨の向こうへ駆けていってしまった。
残された天邪鬼と顔を見合わせ、妙楽は不思議そうな表情で(たたず)んでいた。

「おおっ、こりゃあ美味(うめ)ぇ!」
「料理が趣味ってだけのことはあるな」
座敷の大きな食卓を囲んだ五人は、妙楽のこしらえた精進料理に舌鼓(したつづみ)を打っていた。
外で過ごす凶骨や銀骨も今頃は絶賛しながら食していることだろう。量が足りるとは思えないが。
「気に入っていただけましたかな」
「おう、くたびれた身体に染みるってもんだぜ」
味噌汁を(すす)っていた蛮骨の視界をその時見慣れた三匹が横切り、彼は思わず口内のものを吹き出しかけた。
丸い妖と一本角の妖、そして尾が三つに分かれた四足歩行の妖が、そろってこちらを振り向き片手を上げる。
「よっ」
「よっ、じゃねぇ、なんでお前らがここにいるんだ!?」
「そりゃあ蒼空の親分について来いと言われたらどこまでも」
「蒼空が連れて来たみてぇだな」
睡骨が半眼で呟いた。
「あの馬鹿狼、また余計なことを! こいつらがいたら(うるさ)くて休むどころじゃねぇっての!」
息巻く蛮骨を妙楽がなだめる。
「どうか怒らんでやってくだされ。蒼空どのは天邪鬼のために、彼らをわざわざ連れて来てくださったのですから」
「は? 天邪鬼のため?」
「そう、俺たち天邪鬼の友達いちばん!」
「にばん!」
「さんばーん!」
胸を張ってぴしりと手を挙げ、三匹の小妖怪は高らかに宣言する。
自分たちの分の夕餉を取りに来た彼らは、妙楽から小さな器に盛られた汁や香の物をもらうと小さな足音を響かせ行ってしまった。
天邪鬼や蒼空と一緒に食膳を囲むつもりらしい。
「皆さまには妖怪のお知り合いも多いのですなぁ。おかげで寺が賑やかになりました」
にこにこと三匹を見送る妙楽に、五人は眉を寄せながら視線を交わすのだった。

一夜明けても雨は勢いを弱めずに降り続いていた。
「雨が上がるまで休んでいってくだされ」
賑やかさとの別れを惜しむ妙楽の申し出に甘えて、七人隊は引き続き寺でのんびり過ごすことになった。
昼近くまで部屋でごろごろしていた蛮骨が外の空気を吸いに回廊へ出てみると、目の前を天邪鬼と小丸(こまる)(しゅん)が跳ね飛びながら横切っていった。隠れ鬼をしていて、今は一角が鬼であるようだ。
「いーち、にー、さーん……」
無邪気に時を数える声が聞こえてくる。
蛮骨が廊下に座って雨の滴り落ちる軒先をぼうっと眺めていると、背後の障子戸が開いて煉骨が出てきた。
「お、煉骨」
「雨のせいで部屋の中も暗いだろ。書物を読んでるうちに目が疲れてきてな」
指で目元をほぐしながら、彼も蛮骨の傍らに胡座(あぐら)をかく。
「この雨、明日には止むんだろうか」
「さてなぁ」
次の仕事のあてがあるわけでもなし、急ぐ旅ではない。しかし雨続きというものはどうにも気が(ふさ)ぎがちになるものだ。
「煉骨どのに蛮骨どの」
声に顔を向けると、碁盤と碁石の入れ物を両手で抱えた住職がこちらに歩いてきた。
「暇を持て余しておられるかもと思い、持って参りました。うちには興じられる物といえばこんなものくらいしかありませんで」
「いや、ありがてぇ。あとで睡骨と一局やらせてもらうぜ」
囲碁の道具を受け取って脇に置く煉骨の隣に、妙楽もゆっくりとした動作で腰を下ろした。
すると、人の気配を感じたのか蒼空も姿を見せる。こちらも手持ち無沙汰(ぶさた)な様子で、 一角が数を数える声が聞こえる方へ首を巡らせた。
「俺も舜くらいの大きさなら、隠れ鬼ができるのになぁ。さすがにお寺の中じゃ、俺は歩けないし」
残念そうに尾を垂れる蒼空に、煉骨は胡乱(うろん)な顔をつくる。
「寺の中じゃなかったら隠れ鬼に参加するような口ぶりだな」
「うん。たまに森の中とかで、やってるんだよ。俺、身体が大きいし白くて目立つから、すぐに見つかるんだけど」
でも探すのは得意なんだよと、蒼空は自慢げに語った。蛮骨と煉骨の二名はああそうなんですかと聞いている。
「天邪鬼も楽しげにしております。あんなに生き生きとして」
妙楽の言葉に尾を振った白狼は「でも……」と視線をうつむけた。
「天邪鬼、あんまり喋らないんだよね」
「ああ、そういえば、俺も『でていけ』て言われた時くらいしか、声を聞いてねぇな」
「俺なんか一度も聞いてねぇよ」
煉骨が肩をすくめる。おそらくは七人隊の大部分がそうだろう。
「天邪鬼って、嘘をつくので有名な妖怪だし、もっとお喋り好きなんだと思ってた」
蒼空が首を傾けながら妙楽を見ると、彼は悲しげな表情を浮かべていた。
住職は雨に打ち消されるほどの小さな息をつくと、皺くちゃになってしまった手を組み合わせながら口を開く。
「あれも、昔は大層よく口をきいたものです。しかし口を開けば嘘ばかりつくと、村の者たちは毛嫌いしておりました」
嘘をつくだけで、害をなすような悪さはしない。それが分かっていても天邪鬼はいつも独りぼっちで、人間の世界にも妖怪の世界にも居場所はなかった。
「天邪鬼は自分が嘘をついているという自覚がないので、それを()めさせることはできません」
「自覚がないって……?」
蛮骨が聞き返す。
「つまり、天邪鬼自身は真実を言っているつもりなのですよ。それがどういうわけか、私らの耳には正反対に聞こえてしまう」
天邪鬼の口がそうさせているのか、己らの耳がそうさせているのか。それは分からぬが、とにかく天邪鬼は意図して嘘をついているわけではない。
本人は優しい言葉をかけているつもりでも、他人の耳には暴言や虚言と聞こえてしまう。
口から出た言葉は、意思に反して(わざわい)となってしまう。
その事実を、妙楽は長い付き合いの中で知った。
思いが伝わらず、それは自分のせいだ、己が悪いのだと責め続けるうちに、天邪鬼はどんどん寡黙(かもく)になっていった。
「あれの心はひどく傷ついたでしょう。私だけでも、天邪鬼が心を許せる存在になれたらと思うのですが」
妙楽は遠くを見るような目で、ぽつりぽつりと語った。雨の中でもその声ははっきりと聞き取れた。
蛮骨と煉骨は黙したままで話を聞いていた。
「私も見ての通り老いぼれゆえ、いつまで一緒にいてやれるか分かりません。私が死した後、あの子はまた独りぼっちになってしまうのではないかと、そればかりが心配で……」
今の状態が続いても天邪鬼に明るい未来はない。できることなら村の者たちに理解を得てなんとか受け入れてほしいと思うのだが、あろうことか村人たちは天邪鬼に畑荒らしの容疑をかけており、状況はすこぶる悪かった。
「……失礼しました。旅のお方にこのようなことを申したとて詮無(せんな)いですな」
淡い微笑みを滲ませて妙楽が()びたとき、寺の裏側から引きつった悲鳴が彼らの耳に滑り込んできた。

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