翌日、能俊は誰もいない早朝から、道場で一人竹刀を振っていた。
昨日はあの後、蛮骨相手にひたすら打ち込みを続けていた。
体力があっという間に限界にきて、倒れ込みそうになるたびに蛮骨が支えてくれた。
膝がくだけかけても腕を引いて無理矢理に引き起こし、とにかく立てと声をかけてきた。
あんなに苦しかったのは初めてだ。つくづく、今までの自己流の鍛錬がどれほど甘かったかを思い知った。
筋肉痛で竹刀をふるう腕が痛い。でも、そんなことで休むつもりはない。
「すごいなぁ、たった一日で、心持ちが変わったような気がする」
額の汗を拭きながら感嘆する。
蛮骨の教えについていけば、体力もついてきっと強くなれる。そんな気がするのだ。
「蛮骨殿にお頼みしてよかった」
竹刀を握りなおした時、道場の外に人の気配が近づいてきた。
こんな早い時間から道場に用がある者などそういないはず。
不思議に思い、能俊は竹刀を立てかけて外へ向かった。
「蛮骨殿?」
戸口から顔を覗かせると、建物の前に茂る大木の下に蛮骨の後ろ姿があった。声に気づいた彼がこちらを振り返る。
「能俊? どうしてこんな時間に」
「あ、ええと。少しでも多く練習したいと思っていたら、早くに目が覚めてしまいまして。
爺もまだ起きていなかったのですが、こっそり抜け出してきました。蛮骨殿はどうして……?」
問いかけると、蛮骨は親指で大木の陰を示した。
彼の横に立って見てみれば、そこには木製の見たこともない装置がある。
「これは何ですか?」
「能俊を鍛えるために作ってもらった」
装置の陰から、手拭いを頭に巻いた男が降りてくる。
「煉骨殿…でしたか?」
そんな名前だったと記憶している。
「当たり。煉骨、この方が若君だぞー」
こちらへやってくる煉骨はわずかに目を(みは)り、軽く頭を下げた。
「某を鍛える装置とは……煉骨殿が作ってくださったのですか」
「うちの隊でこういうのができるのはこいつだけだからな。昨日頼んだら今日の朝にはできてた」
仕事が早いと褒める蛮骨に、煉骨はわずかに胸を張る。
「夜中に目が覚めて、そのまま眠れなかったから作ってただけだ」
一度作り始めたら夢中になってしまったなどということはない。断じてない。
「結構大きいから人がいない間に設置して、朝餉の後にでもお前に見せようかと思ってたんだが。
まさかこんな早くから練習してるとはな」
感心した風情の言葉に、能俊は素直に嬉しく思い、微笑んだ。
「これはどうやって使うのでしょうか」
興味津々で装置を見上げる。
木製で、天辺は、人が四人は並んで入れるくらいの大きな輪になっている。
輪には等間隔で穴が開いており、その幾つかから縄が垂れていた。
土台には車輪が付いており、固定するための支えもある。
これを一晩で作れるとは。
(七人隊には蛮骨殿以外にもすごい方がおられる)
「さっそく試してみるか?」
「はいっ、ぜひ!」
蛮骨は能俊を、天辺についた輪のちょうど中心部にあたる場所の下に立たせた。
煉骨は垂れている縄の先に木の棒を括りつける。
「今は試しの練習だから、軽めにな」
そう言い、蛮骨は竹刀ではなく木刀を差し出した。
握ってみるとずっしり重い。
「実戦で役立てたいなら、いつまでも竹刀を振ってても仕方ない。重さに慣れろ」
「はい」
全ての縄に棒を括り終わった煉骨が目配せしてくる。
蛮骨は能俊の横を離れ、輪から距離を取った。
「これから棒がお前目掛けて飛んでくるから、木刀で弾き返せ」
「ひぇ!?」
能俊の声が裏返る。煉骨が操作すると、がこんという音と共にからくりが動き出した。
輪がゆっくりと回転を始める。吊り下げられた棒が前後に揺れて、それぞればらばらに能俊に迫る。
「うわ……」
能俊はぶつかりそうになった一本を木刀で弾いた。すると死角から別の一本が飛んできて、背中に当たる。
さらに、弾かれた一本は衝撃でさらに速度を増して襲いかかる。
輪は回転を続け、回転速度や角度は変化していく。だから、棒が飛んでくる間隔も方向も不規則だ。
能俊はあっという間に三本の餌食になった。対処が間に合わず、同時に何か所もぶつかる。
「そこまで」
能俊が息を切らせたあたりで、蛮骨が止めた。
「いきなりこれはきついだろうが、体力をつけつつ反射神経と動体視力も鍛えられると思ってな。
どうだ、できそうか?」
肩で息をする能俊は、喘鳴(ぜんめい)混じりに答えた。
「か……、感謝いたします」
蛮骨は目を見開き、次いで肩を揺らして笑った。
「感謝されるとはなぁ。余計なお世話かと思ったぜ」
「とんでも、ありませ」
能俊を強くしようと、真剣に考えてくれたのだ。それだけでありがたいことこの上ない。
「朝餉を済ませたら、もっと本格的にやるぞ。覚悟しておけ」
本格的に、ということはこれよりもっと厳しいのだろうか。
一抹(いちまつ)の不安はあったものの、能俊は元気に「はいっ」と答えた。

「……大兄貴も鬼だな」
ぼそりと呟いたのは、二階の窓辺から訓練の様子を見降ろしている蛇骨だ。
睡骨も頷いて同意する。
「俺だったらやらないね。あんな装置、勝てる気がしねぇもん」
「お前が勝つときは、あれを壊すときだろうな」
眼下では朝餉を終えた者たちが道場で修行をしている。家臣に、傭兵に、いざという時に戦えるよう、近隣住民たちも参加しているようだ。
「あの若様、ひょろっちくて弱そうだけどなかなか根性あるんじゃねぇ?」
「どうだかな。すぐに音を上げそうな気もするぜ」
睡骨は暇そうに欠伸(あくび)をもらした。

鬼だ。
朝餉を終えて鍛錬の続きをするべく道場に戻ってきた能俊は、今の状況をそう思う。
まず、蛮骨が縄の先に(くく)りつけたのは、丸太だった。今朝のような棒きれではない。
そしてそれらの中央に立った能俊に、目隠しをさせて。
周囲は、稽古にやってきた者たちが大勢取り巻いて、珍しい光景を見物している。
本格的にとは、こういうことだったのか。
括りつけられた丸太は結構な太さがあり、頭にでも当たれば怪我をする可能性もある。
(朝と全然違う! 蛮骨殿は鬼のようだ)
心中で泣き言を漏らし、そんな自分に気付いて(かぶり)を振る。
(いや! こうでもしなければ某は強くなれんのだ! ここは耐えるのみ……)
朝にちらりと試した時でも十分怖かった。今はそれにも増して不安だ。
加えて周囲の視線もあり、羞恥がないと言えば嘘になる。
「能俊、別に全部弾かなくていいからな。避けるだけでもいいぞ。
目隠し状態でそれができれば上出来だ」
蛮骨がいやに明るくいう。能俊は消え入りそうな声で「はい」と応えた。
傍から眺めている煉骨はそれを哀れに思い、遠い目をする。
作ったのは自分だが、頼んできたのは蛮骨だ。そうさ、自分は悪くない。
「じゃ、起動!」
蛮骨の言葉と共に、輪が回転を始める。
何も見えない。方向も分からない。
木刀を握る手に力をこめ、能俊は必死に気配を探った。
と、いきなり真横から衝撃がある。
「うわっ!」
身体がよろめく。周囲からどよめきが起こる。
真正面から来るような気がした。体をひねると、今までいた場所を塊が通り過ぎていった。
「お、いいぞ、その調子!」
蛮骨の声がなんだか楽しそうだ。
が、避けた先で予期せぬ方向から丸太が襲ってきた。
「っ!」
丸太が当たれば、揺れる勢いも手伝ってそれなりに痛い。
でも、それでいちいち立ち止まればさらに他の丸太の餌食になる。
あてずっぽうでも何でもいいと、能俊は重い木刀を必死に振り回した。
正面から、脇から、背後から、気配が襲いかかってくる。
目隠しのせいで平衡感覚が狂う。
「――おやめください!!」
突然、声がかかった。思わず動きを止めてしまう。
はっとした時には、三方から丸太が迫っていた。
腕をぐいと引かれる。
能俊は輪の外へ手を引かれ、丸太は互いにぶつかり合った。
地面に尻もちをつき、顔をしかめながらも顔の目隠しを外すと、明るさに目が(くら)んだ。
手を引いたのは蛮骨だった。
「すみません、蛮骨殿」
蛮骨が咄嗟(とっさ)に引っ張ってくれなければ、間違いなく丸太の餌食だっただろう。いや、今までも十分餌食にはなっていたが。
蛮骨はひとだかりを見やる。
「邪魔をするな」
人を押しのけて、制止の声を上げた男が進み出てきた。
家臣の一人で能俊もよく見知った顔である。空木(うつぎ)という名だ。
気難しげな表情をしており、年の頃は煉骨や睡骨に近い。
「このような危険な鍛練、見過ごすわけにはいかない。いくら七人隊の首領殿であろうと、無礼が過ぎる」
「空木っ、良いのだ、これは某が頼んだこと! 蛮骨殿は悪くない!」
「万が一にも若様の身に何かあっては、我々が殿からお叱りを受けるのです。
それでなくとも若様は次の春には姫君を迎える身、ご自愛くださらねば困ります」
蛮骨の眉が吊り上がる。
「その姫君を嫁にする前に、少しでも自分を強くしたいと思って、若様はこんなことやってるんだろうが。
若様のご意向に従わずにはねつける方がよほど無礼だと思うがな」
能俊はふらつきながらも蛮骨の前に進み出て、空木を見上げた。
「蛮骨殿に教えを請えば、強くなれると思うのだ。頼む、口出しはしないでくれ」
「……その者も実際にこの装置を使って強くなったとお考えですか」
きっとそうなのだろう、と、能俊は思っている。
蛮骨を振り返ると
「は? いや、俺はこんなもん見たこともねぇけど」
肩をすくめて否定する。
「ええっ!?」
「ほれ見よ、こんな危ない稽古をしたとて、強くなれる保証などないではないか」
「こんなひ弱な若様が強くなる保証のある訓練法があるなら、お目にかかりたいね」
蛮骨は(はす)に構えて、さらりとひどいことを言う。
「さっきから聞いていれば無礼千万ばかり言いおって……。
ならば首領殿はこの装置にかかっても一撃も受けずにいる自信がおありか?」
「んー、ま、自信はあるかなぁ。無いって言えば能俊に顔向けできねぇし」
空木の額に青筋が立つ。
「なれば今この場で試して頂こう。首領殿が一撃でも丸太を受けたならば、即刻鍛錬を終了して頂く」
「う、空木!」
勝手なことを言う家臣に能俊が声を上げたが、対する蛮骨は面白そうな顔をしている。
「能俊、目隠し」
「え……あ、はい」
能俊は不安を残したまま、蛮骨に目隠しの布を渡した。
蛮骨ならば、この丸太をすべて(さば)くことが可能なのだろうか。もし一撃でも受けてしまったら、鍛錬をやめさせられてしまうのだろうか。
蛮骨は能俊から木刀を取り、輪の中心に立って自ら目元を布で覆う。
見物の者たちが興味を持ってその数を増やしている。
木刀を構え、蛮骨は呼吸を整えた。
「さぁ、いつでもどうぞ空木殿」
口端を上げて余裕の笑みを浮かべる蛮骨に、空木は「ふん」と鼻を鳴らしながら装置を作動させた。
丸太を下げた輪が回転を始める。不規則に、それぞれが揺れる。
能俊ははらはらしながら見守った。
蛮骨の腕が動く。
迫っていた丸太が跳ね返された。すぐ後に真横から来る丸太も、蛮骨はその方向を見向きもしないで弾く。
弾かれた丸太は衝撃で揺れの速さを増す。それでも蛮骨は、的確に迫るものを打っていく。
それはさながら舞い踊っているかのような錯覚さえ覚えさせた。
「す、すごい!」
能俊は思わず感嘆の声を上げた。隣で空木が苛立っているのには気づかない。
「首領殿なら、速度を上げても大丈夫であろうな」
そう言い、了解も得ぬまま速度を一段階増す。
蛮骨は一瞬対処に遅れるも、すぐに丸太の軌道を正確に捉えて捌いていく。
能俊はただただ感動した。
丸太の方向や速さを、いちいち考えてなどいない。感覚で全て相手にしているのだ。
見物人たちも興奮気味にざわめいている。
「空木、もう充分であろう? 装置を止めるんだ」
能俊の命を、しかし空木は聞き流す。
「空木! いい加減にせぬか!」
それでも空木が動かないので、能俊は自分で装置を止めに走る。空木は制止の声を上げかけたが、そのまま押し黙った。
装置の回転と丸太の揺れが徐々に収まるのを受け、蛮骨は目隠しを外した。
「どうだ空木殿? まぐれかもしれないが、一応は一撃も受けずに終わったぞ」
輪の外に出て、装置を振り返る。
「うーん、でも能俊には少し厳しすぎるか……煉骨に言って調整してもらった方がいいかな」
「いいえっ、某はこのままで使わせて頂きとうございます!」
蛮骨が目を瞬かせて見やると、能俊は歳相応の少年の目をきらきらさせている。
「こんな凄い方に教えていただけるとは、改めて感動の極みにございます!
某、どこまでも蛮骨殿についていきます!」
「おーおー、これは鍛え甲斐がありそうだな」
どこまでもついてこられると困るんだけどな、などと考えながらも、能俊の意気込みには好感を持つ蛮骨である。
そこへ、無言で空木がやってきた。
「さすがに、自分で提案した装置に打ちのめされるほどの腕ではないか」
どこまでも上から目線だ。蛮骨はにこりと笑った。
「空木殿も試してみてはいかがか?」
「冗談を。私はあいにく、武芸の才は持ち合わせておらぬ」
空木はそう言って能俊をちらりと見やる。
「首領殿では常人の手本にはならぬかと。若様に怪我をさせる前に、それにお気付きくだされよ」
「空木、文句があるなら某に言えば良かろう! 蛮骨殿へのこれ以上の侮辱は某が許さぬぞ!」
「若様への文句などあろうはずもございませぬ。では、私は諸事がございますのでこれにて」
不満げな表情を崩さぬまま、空木は(きびす)を返して去っていく。
能俊は泣きそうな顔で蛮骨に()びた。
「家臣の無礼は某の責任にございます。不快な思いをさせてしまって申し訳ありません……」
「能俊」
蛮骨はいまだに口元だけ笑んだ顔のまま、若君に視線を向ける。能俊が首を傾ける。
「あいつに目にもの見せてやろう」

「空木くたばれ空木くたばれ空木くたばれ……」
「大兄貴、呪いの言葉を吐かないでくれ」
ひとりで物騒なことを呟いている蛮骨に、見かねた睡骨がため息混じりに注意する。
「ちがうぞ睡骨、これは呪いじゃなくて独り言だ」
「大兄貴が言うと実行しそうで怖い」
睡骨は肩をすくめ、壁に背を預けた。
夕餉を食べに帰ってきた時から、正確にはそのずっと前から、蛮骨は不機嫌だったようだ。
若殿の手前穏やかな素振りを見せてはいたが、その実腹の底が煮えくりかえっていたらしい。
現に、こうして蛮骨が特定の誰かに対する不満をここまで口にするのは珍しい。
ぶつぶつぶつぶつと室内に不穏な空気を振りまく蛮骨に、睡骨は嘆息する。
「あんまり陰険にしてると、朔夜に嫌われるぞ」
ぴたりと呪言が止んだ。
それを見て、蛇骨がにやにやと笑う。煉骨もゆるく口端を上げている。
「可愛いなぁ大兄貴」
「朔夜の名前は効果絶大だな」
蛮骨はがばりと振り返った。
「うるせぇ! 煉骨、そんなこと言ってる暇があるなら、空木撲滅装置を作れ」
「いやだね。そんな後味の悪そうな機械は作る気にならねぇ」
「そうだぜ大兄貴、若様を鍛え上げて空木をあっと言わせてやるって息巻いてたじゃねーか」
いつの間に聞いていたものか。
「大兄貴の納得いくまで鍛えてみろよ。あの若様がどんだけ化けるか楽しみだぜ」
蛇骨に背中を叩かれる。
足止めを食っているからには、成果を上げなければ仲間からも白い目を向けられそうだ。
「むむむ……」
師匠の責任の重さをひしひしとその身に感じながら、蛮骨は小さく唸った。

毎日毎日、朝から日が沈むまで鍛練が続けられた。
手の平の肉刺まめが痛んでも、疲れきってふらふらになっても、能俊は弱音一つあげることはなかった。
今日も煉骨作の装置相手に目隠しで挑んでいる能俊を横で見守りつつ、蛮骨は思う。
最初は甘ったれの若君だと勝手に思い込んでいたが、そうでもない。根性はある。
そして、なかなかに素質もあるようだ。
蛮骨に教えられたこの数日間で、めきめきと成長しているのがわかる。
もちろん、最初のあの体たらくと比べれば、だが。それでも確実に教えが身についている。
体力が追いついていない感はあるが、それは今後時間をかければ解決できるだろう。
今だって、丸太の攻撃を最初に比べればかなり的確に読めるようになっている。
(こんなに上達が早いのに……いったい今までどんな訓練をしてきたんだ?)
我知らず苦笑が浮かぶ。
刹那、背中に視線を感じた。
何とはない素振りで振り返ってみる。だが、その先にはだれも見当たらない。
「気のせいか」
城中には多くの者たちがいるのだ、一人二人が鍛練の様子を覗き見していても不思議ではない。
「俺にご指導(たまわ)りたいって輩が増えると、困るがな」
ひとりごちていると、装置が止まる音が聞こえた。
能俊がひとりの時でも鍛練できるよう、ある程度の時間が経てば自動的に止まるようになっているのだ。
蛮骨は目隠しを外して汗を拭いている能俊に歩み寄った。
「おう、お疲れ」
能俊は息を整えながらにっこりと微笑む。
「回数を重ねるごとに、なんだか楽しくなってまいりました」
「感覚がわかってきたからだろうな。お前、武芸が苦手とか言ってたが、思い過ごしだと思うぞ」
「へっ?」
思いがけない一言だったのだろう、能俊は目を丸くする。
「ま、まことですか」
「上達が早い。俺が懸念してた程でもねぇようだ」
能俊は自分の両手を見下ろした。この数日の鍛錬で肉刺(まめ)ができ、所々血が滲んでいる。
「俺がいなくなった後も鍛錬を続ければ、嫁を迎えるまでにはかなり使えるようになるだろうよ」
「強くなれるということですか…!?」
興奮した様子で能俊が詰め寄る。蛮骨はその手に木刀を持たせた。
「次は目隠ししないでやってみろ」
「は、はいっ」
言われたとおり、能俊は木刀を携えて再度輪の中心に立った。
毎日毎日、腕が千切れそうなほど振っている木刀だ。最初はあんなに重く感じていたのが、今は当たり前になっている。
能俊の準備ができるのを認めて、蛮骨は装置を動かした。
能俊は目を瞠った。
今まで体の感覚だけだったものに、視覚からの情報が加わる。
それは一見、判断を邪魔する余計な情報とも思われたが、そうではない。
(ああ、すごい)
どこからくるのか、手に取るようにわかるのだ。能俊は増えた情報をいともすんなりと、上手に取り込むことができていた。
刀の振り方も力の入れ方も、まだまだだ。でも反応する能力については、先日とは比べ物にならない実感がある。
結果、能俊の記録は前回よりも大幅に更新された。まともに受けた丸太の数が随分少なくなった。
(こんなに鍛えられていたなんて……)
装置が止まった後も、能俊は信じられない気持で立ちつくしていた。
「能俊、どうした」
「あ――そ、某、こんなに動けるようになっているとは思いもせず……」
「驚いたか?」
蛮骨が笑う。最初と比べれば、蛮骨は随分と能俊に親しげになっている。
能俊もそれは嬉しく感じているのだった。
「すごいです! たった数日でこれほど成果があるとは、蛮骨殿はやはり凄い方にございます!」
「俺を褒める必要はねぇって。俺は装置を動かすくらいしかしてねぇし。まぁ、もっと褒めてもいいけど。
お前が自分で頑張ってるんだから、もっと自信を持てばいい」
能俊の努力を素直に認めてくれる蛮骨に、目頭が熱くなる。
今まで自分の限界を超えるほど何かに打ち込んだことはなく、こんな風に褒められたのも初めてかもしれない。
「某、もっと頑張ります。蛮骨殿がご滞在の間に、少しでも強くなってみせます」
「よーし、じゃあ次はこれな」
そう言って蛮骨が差し出したのは、鞘に入った刀だ。
「これ、真剣ですか……?」
「おう、実戦で使うのは真剣だろ? 木刀の重さにも慣れたみてぇだし、今度はこっち」
そう言って若君の手から木刀を取り、代わりに持たせる。
真剣を手にするのは初めてだ。木刀を始めて握った時よりも更にずっしりとくる。
これは練習用ではない。本当に、人を斬るための道具なのだ。
緊張した面持ちで刀を見下ろす能俊の肩を蛮骨が叩く。
「少し早いが、今日はこれで終わろう。明日、その刀を持って来い。俺が直接手合わせするから」
「蛮骨殿が? はいっ、よろしくお願いします!」
丸太相手の修行からひとつ段階を上げることができると知り、能俊は満面の笑みで頭を下げた。

自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、前方からこちらへ来る影があった。
「これは、首領殿」
(うわー、空木……)
心中で悪態をつきながらも、微塵(みじん)も表に出さない蛮骨である。
「どうも」
軽く挨拶を返して通り過ぎるつもりだったのだが、空木に行く手を(はば)まれる形になる。
「本日の鍛錬は終了でございますか」
「はい」
手短に返す。
「若君は、お怪我などなされていないでしょうな」
「さて、あんたの言う怪我が、かすり傷のことなのか重傷のことなのか判断がつかないんで、何とも」
蛮骨はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「重傷のことを言ってなさるんなら、ご心配には及びませんけど?」
空木の眉間(みけん)に、くっきりと皺が刻まれた。
「若に気に入られているからといって、あまり大きな態度をとらぬ方がよろしい。
自分の身分をお忘れになるな」
「身分を忘れたことなんかありませんが? 俺は傭兵で、それ以上でも以下でもない。
それよりも、こんなこと言うためにわざわざ呼び止めたんですか」
空木に険しい視線を送る。空木はふんと視線を外し、腕を組んだ。
「情報を持って参った。近く、北の方で大きな戦が始まるということですぞ。
七人隊殿には有益な報せでござろうから、お伝えしておこうと」
「戦?」
「ええ。ここからそう遠くはない、参戦なされてはいかがか。ちょうど兵を募っているということですぞ」
蛮骨は口元に指をあててしばし沈黙した。
そしておもむろに顔を上げ、
「いや、出る気はない」
空木の眉がぴくりと動いた。
「あんたが思ってるほど、うちは情報源に乏しいわけじゃない。そんな戦があるならとっくにうちにも報せが来てるはずなんだが」
「まだ公にされていないだけのこと。いずれそちらにも報が入ろう」
「それはわざわざ教えて頂き、心遣い痛み入る。だが、仕事中に他の仕事を受けるつもりはないので」
蛮骨はきっぱり言い切り、今度こそ空木の横を抜けてすたすたと歩き去った。

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