懸想文けそうぶみ

日差しは強いが、縁側はそれなりに涼しい風が通り抜けて過ごしやすい。
そこにごろりと横になり、蛮骨は心地よい膝に頭を預けて旅の話を口にしている。
樋川(ひのかわ)を発った後、七人隊は朔夜のもとに帰還していた。
しばらくはゆっくり過ごすつもりだ。
朔夜は蛮骨に団扇で風を送りながら、彼の話へ興味深げに耳を傾ける。
「その空木(うつぎ)様という方、ご家族と一緒に暮らせるようになって本当に良かったわ。
離れていた三年間、奥様とずっとお互いを想い合っていたんでしょう」
特に、先の国での出来事にはいたく感銘を受けたようだった。
「ああ。そんなことがあるまでは嫌いで嫌いで顔も見たくなかったんだが。
あいつもあいつなりに、色んなもんと戦ってたんだろうな」
自分と互角に渡り合った相手の話をする蛮骨の表情もどこか楽しげだ。
「蛮骨が師匠かぁ。手紙を見たときは驚いたけれど、うまくお勤めできたみたいね」
「当たり前だ。若様の成長っぷりを見せてやりたかったなぁ」
得意げに語る蛮骨に朔夜は微笑む。
「ねえ蛮骨。私たちに子どもが……」
言いかけた途端、蛮骨ががばりと起き上がって彼女の顔を覗き込む。
「で、できたのか!?」
いつになくきらきらとしているその瞳に見つめられ、しばしきょとんとしていた朔夜だがやがてくすくすと肩を震わせた。
「違うの。もし、できたらって話」
「あ……そ、そうか」
勘違いに気付いて蛮骨は頬を赤らめる。
「子どもができたら……どうする?」
「どうするって……」
彼女は微笑みながらも少しだけ真剣な顔で蛮骨の目を見上げた。
「島屋さんの鈴ちゃんや空木様たちの話を聞いていて、やっぱり子どもっていいなぁって……」
自分たちにはまだその(きざ)しが現れていないが、いざそうなったら彼はどうするのだろう。
胸の前で手を合わせながら少し頬を染める朔夜が、蛮骨はたまらなく愛おしかった。
「そういうことになったら、お前とずっと一緒にいるさ。ここに戻ってきて、ここで暮らす」
「七人隊の仕事は?」
「七人隊はやめる」
朔夜は目を大きく見開いた。
「や、やめるの?」
「やめる」
あまりにも潔く言ってのける。冗談かと思ったが、彼の表情は至極真面目だった。
「いいの……?」
「なんで」
逆に訊き返されて朔夜は言葉に詰まった。蛮骨がそんなに容易く七人隊という存在をどうこうするとは思ってもみなかったのだ。
ぐるぐると頭の中で考え込んでしまった朔夜に、蛮骨は苦笑を浮かべた。
縁側で足を組み、軒先から見える空を見上げる。白い雲が陽光に一際輝いて流れていた。
「七人隊がいつまで続くかなんて、たかが知れてるだろう」
朔夜は黙然と蛮骨の横顔を見上げた。
「七人隊は永久でも不滅でもない。
探せば俺たちより強い奴はきっといるし、いつまでも続けていける仕事でもない。
何より、戦がぱったり無くなりでもしたらお手上げだ」
夢を見るのは良い。理想を語るのは良い。しかし、だからと言って現実を見ないのは愚かだ。
自分だけではなく、仲間も恋人もいるのならなおのこと。
「その程度のもんと、お前を(はかり)にかけるわけないだろ」
朔夜にしか見せない顔をして、その頭をぽんぽんと叩く。
彼女はわずかに瞳を揺らして、どうしようもなく胸がいっぱいになりながらも微笑んだ。
「まぁ、七人隊がそのまま解散になるか、誰かが首領を引き継いで続けるのかは知らんがな」
そこはなるようになれだ。
蛮骨は流れる雲を見て目を細めた。
「旅をしてて、色んな奴に会ってきたからな……」
愛するものを取り戻した者、失った者。泣いていた者、笑っていた者。
今こうしているのがどんなに大切なことなのか、実感する。
朔夜も縁に腰かけて蛮骨の手を握った。前よりも更に、赤子が欲しくなった。
「そうだ。樋川の若君が、祝言(しゅうげん)の時には教えろってさ。贈り物がしたいとか言ってたな」
「まあ、そんな恐れ多いことを?」
朔夜は驚き入った顔をして口元に手をあてる。
一般人が、いずれ一国の城主となる人間からそんなことを言われるとは。
「やっぱり凄いわ、蛮骨は」
「やっと気付いたか」
蛮骨が胸を張る。ややあって二人は声を立てて笑い合った。

夕刻から町の飲み処で過ごした睡骨と霧骨は気分良く往来を進む。
別に連れ立って飲みにいったわけではなく、店でばったり出くわしたのであった。
「おう睡骨よ、てめーぇちゃんと金返しやがれよ」
「わーかってるってぇ」
「俺は酔ってきれいサッパリ忘れるようなこたぁねーんだからなぁ」
軽口を叩き合っていると前方に見慣れた人物を発見する。
「お、大兄貴~」
二人のやけに上ずった声を耳にし、蛮骨は(いぶか)しげに振り向いた。
「なんだ、もう飲んできたのか」
「そう言う大兄貴が持ってんのは酒瓶か?」
蛮骨の手には大振りの瓶が提げられていた。液体が入っていてかなり重いはずだが、軽々と吊るしている
「朔夜が買ってくれば良いって言うからな。お前らはもういらんだろ」
「いやいや、連れねぇこと言うなよー兄貴」
「俺らの腹は底なしよー」
酒瓶を獲物のように見ている二人に、蛮骨は半眼になる。
危険だ。
この二人からは絶対に死守しようと、固く誓った。
彼らは三人連れ立って家路についた。帰宅したのは日がすっかり落ちた頃だった。
家の玄関をくぐろうとした睡骨があるものを見つけて瞬きする。
「これ、なんだ?」
「ん?」
すでに中で草履を脱ごうとしていた蛮骨が(かえり)み、酒瓶を置いて再度出てきた。
睡骨が指差すほうを見ると、玄関に張り出した軒先のわずかな隙間に、折りたたまれた紙が挟まっていた。
抜き取って広げる。何か書いてあるようだが、辺りが暗いため読むことができない。
「文……か? なんでこんなとこに」
首を傾げる蛮骨に二人も怪訝(けげん)な面持ちで顔を見合わせた。
そして気付く。蛮骨の手に酒瓶が無い。
――今だ!
二人はくるりと回転すると、早足で家の中に入っていった。
そんな彼らの後姿に嘆息を禁じえず、蛮骨も紙を懐に入れながらその後に続いた。
「二人とも、もうどこかで飲んで来たんでしょ。ほどほどにしてね」
朔夜がたしなめるのに「わかったわかった」とわかっていないような返事をして、睡骨と霧骨が早くも酒宴を再開している。
そこに蛇骨が加わって、居間の一角がぱっと賑やかになった。
まっすぐ自室へ戻る蛮骨を認め、朔夜が首を傾ける。
「蛮骨は一緒に飲まないの? 早くしないと無くなっちゃうかも」
「ああ、後で来る」
片手を挙げて笑い、蛮骨は自室の戸を閉めた。
ひとり畳に胡坐(あぐら)をかくと紙を取り出し、広げる。
普段ここに住んでいるのは朔夜だけだ。文が来るとすれば彼女宛だろう。
そのまま渡しても良かったのだが、やはり中身が気になってしまった。
折りたたまれた紙に(つづ)られる文字。やはり文だ。朔夜の字でも、無論、自分の字でもない。
他人からのものとすると、なぜあんな場所に挟まれていたのか。
文を追っていた蛮骨の目が、ふいに(みは)られた。

――あなたを想うと恋しさのあまり眠れません。
いつになったら会うことができるのでしょうか。
今は互いに離れて暮らす身、想いが募ります。
最後に会った日のことを覚えていますか。
あの日、あなたと交わした口付けを思い出すだけで胸が締め付けられる心地です。
私が差し上げた花簪(はなかんざし)はまだ持ってくれているでしょうか。
こうしてあなたが文を読んでくれることが、唯一の救いです。
この境遇を耐え抜いた先にはきっと良き未来が待っているはず。
それを信じています。
どうか、お身体に気をつけて。

「……」
なんだこれは。
深呼吸して、もう一度頭から読み直す。
そして読み終わった時、蛮骨の体がわなわなと震えだした。
恋文(こいぶみ)……」
間違いなく。
朔夜宛て、なのだろう、きっと。それ以外に誰がいるというのだ。
この親しげな文面は何だ。
それに、口付け。口付け。――口付け?
蛮骨の顔が真っ青になった。声が出そうになるのをすんでで押し留める。
悪い夢だ。
紙を眼前に持ち上げて、怒りのままに引き裂こうかと思った。だが、直前で止まる。
――もし。もし、本当だったら。
朔夜に自分以外の男がいて、そいつと口付けやもしかしたらそれ以上の事をしていて、花簪なんかを貰っていたら。
自分たちが帰ってきているから男は鳴りを潜めていて、でも耐え切れなくなってこのように文を書いたのだとしたら。
自分たちに気付かれないよう、わざと軒先の隙間に挟み込んでいたとしたら。
肩から力が抜けた。紙が畳の上に舞い落ちる。
がっくりと項垂(うなだ)れる。
この境遇、とは何だ。俺が邪魔だと言いたいのか。
あまりの衝撃の大きさに、蛮骨は文机へもたれるように倒れこんだ。
一人で絶望するより先に、本人に直接訊けばいいではないか。それは分かっている。
だが、どうしようもなく怖かった。
本当だと言われたら立ち直ることなどできないだろう。
なんて弱いんだろう、と自嘲の笑みが浮かんで消えた。七人隊首領が聞いて呆れるではないか。
畳の上で広がっている文が視界にある。
本当だとしても、朔夜を恨む気にはならない。淋しい思いをさせ続けているのは自分の方だ。
「うぅ……」
泣きそうな声が漏れた。
「なにやってんだー?」
「泣いてるのかー?」
「蛮骨が泣いてるー」
甲高い耳障りな声が三つ。突っ伏していた蛮骨の目が据わった。
首だけを動かして視線を巡らせると、ごく近くに小妖怪たちがいた。
よりによって一番見られたくない奴に見られた。
「これなんだ?」
小丸が恋文を拾おうとするのを目にも留まらぬ速さで(かす)め取る。
「なんだよぅ、けち!」
「うるせぇ! 勝手に部屋に入ってくるな!」
「朔夜から晩御飯の時間だから呼んでこいって言われたんだよ!」
「蛮骨が泣いてるって報告してきてやろう」
ぷんぷん怒って出て行こうとする三匹をがっしと掴む。
「いらんことするな! それに泣いてねぇし!
大体にして、お前ら当たり前のようにこの家にいるのはどういうことなんだよ!」
「そりゃあ」
「朔夜の」
「用心棒だ」
「冗談は顔だけにしろ!」
蛮骨は障子窓を開けると三匹を勢いよく外へ放り投げた。
ぴしゃりと窓を閉め、憤懣(ふんまん)やるかたないと言わんばかりに歯噛みする。
だが、今ので悶々とした気分に変化が生じた。
「よし、確認してやる」
彼は部屋を出て、居間へ向かった。
居間では相変わらず酒宴が繰り広げられ、他の仲間たちも加わって賑やかである。
「おっ、来た来た! 何やってたんだよ大兄貴」
手を振る蛇骨を素通りして朔夜の元へ進む。
「朔夜、ちょっと」
話に興じていた朔夜は不思議そうな顔をして立ち上がった。
彼女の手を引いて、自室へ引き返す。
七人隊の面々はしばらくその背を目で追っていたが、やがて再び酒盛りに夢中になった。
「どうしたの、顔色が悪いような…」
夕餉を食べに来ない蛮骨が気になっていた朔夜は、案じるように問うた。
その髪に挿してあるのは自分が贈った簪だ。花簪ではない。
向き合って畳に座し、蛮骨は意を決した。
「訊きたいことがある」
「なに?」
「お、俺だとやっぱり…不満か?」
朔夜はきょとんと目を瞬いた。
「え……? どうしていきなりそうなるの」
「俺も、お前との子どもなら欲しい。祝言も挙げたいし、ずっと一緒にいてやりたい。
俺が家を空けてるのは、そういうのが嫌だからじゃない」
「う、うん。わかってるわ」
朔夜の眉がひそめられる。どうも蛮骨の様子が変だ。
昼間あんなに笑顔だったのに、どうして思いつめた顔をしているのだろう。
「……何かあった?」
覗き込まれ、蛮骨は言葉に詰まった。
やはり口では上手く説明できず、例の恋文を差し出す。
受け取った朔夜の目が軽く瞠られ、蛮骨と文を何度か往復した。
狂おしい愛を紡ぐ恋文を読み終わると、朔夜は困ったような顔をして蛮骨を見上げた。
「これのことね」
「や、やっぱりお前に宛てたものなのか? いや、勝手に読んだことは謝るけど。
でも、そういう相手がいるのか?」
彼のこんなに頼りない顔を見たことがなくて、朔夜はとうとう吹き出した。
くすくすと肩を揺らし、呆然としている蛮骨に微笑む。
「これは、私に宛てたものじゃないと思う。こんな人、心当たりが無いもの」
「本当か?」
「当たり前でしょう。蛮骨以外の人なんて考えたこともないわ」
蛮骨は肺が空になるほど息を吐いた。心底ほっとした。
「まったく。私の浮気を疑って、一人で悩んでたのね」
「す、すまない」
今思えば馬鹿だった。小妖怪たちに八つ当たりをしたのが恥ずかしい。
朔夜は両手に持った文を見下ろして嘆息した。
「この文ね、この前から時どき軒先に挟まれているのよ」
そう言うと、彼女は蛮骨を自分の部屋に連れて行った。
文机の上に畳まれた何通かの文が重ねられている。
開いてみれば、同じ人物の手と思われる内容だ。
「あなた」と「私」しか出てこないので、誰が誰に当てたものかさっぱり分からない。
「放っておいてるのか?」
「人違いですよって、返事を書こうかとも思ったんだけど。
この文を他人に読まれていたと知ったら、差出人の方が傷つくような気がして」
そうしているうちに悪化の一途をたどっている。
蛮骨も、確かにこんな文を相手以外に見られるのは恥ずかしいにも程があるだろうと思った。
自分は七夕の短冊を小妖怪たちに読まれたことですら恥ずかしかったのだから。
いつか自分で別人だと悟るのが、お互い傷つかないやり方かもしれない。
蛮骨は腕を組んで渋い顔をした。
しかし、たとえ勘違いでも朔夜に恋文を送られて良い気はしない。
朔夜は心当たりが無いと言っているが、相手は本当に朔夜が目当て、という可能性も無くはない。
「俺が家を出た時にはたぶんこの文は無かった。酒を買いに行ってる間に挟まれたんだろう」
「どうしましょうか」
「よし、差出人が来ないか見張っておこう」
「見張るって……いつ来るかもわからないのに」
「俺の気持ちを弄ばれたからには、面を拝んで一言二言言ってやらねぇと気が済まん」
そうは言っても持久戦だ。せっかく帰ってきた蛮骨にそんなことをさせるのも気が引ける。
心配そうな様子の朔夜に蛮骨は不敵に笑んだ。
「大丈夫だ。適任がいる」

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