船は地下の水路を流れに沿って進んだ。
暗くて定かではないが、かなりの距離を流れてきている。すでに町の領内は過ぎただろう。
その後もしばらく揺られていると、船頭が徐々に速度を落とした。
「着きましたぜ」
船頭の言葉に前方を見れば、壁のように塞がれている。
流れる水は下方にぽっかり空いた穴から外へ出ているが、船が通れるほどの隙間はなかった。
船頭に礼を言い、一行は船から降りる。
船頭はしばし悲しげに琴吹を見ていたが、やがて元の水路を隠れ家へ引き返して行った。
「さ、行きましょ」
琴吹に先導されて、隼人たちは水路の横から伸びる細い道を進んだ。
地下へ下りる際に進んだような階段状の狭い道だ。嵩重(たかしげ)は通るのに難儀しているようだった。
壁に手をつき無言で進んでいくと、琴吹が足を止め頭上を手で探る。
ぎぎ、と音がして、通路に明りが差し込んだ。
地上に出ると、そこは簡素な小屋の中だった。
「ここは?」
「町からちょっと離れた所だよ。あたしら以外はこんなからくり知らないから、役人たちにも見つからない」
言いながら、琴吹は今来た通路に床板をかぶせて塞いだ。そこに地下へ続く道があるとは誰も思わないだろう。
「で、どっちに向かうの」
「西を目指すつもりだ」
煉が答えた。その選択が吉と出るか凶と出るかわからないが、どのみちここに留まることはできない。
当初の予定通り、一行は西方を目指して旅を再開した。
秋の風は日ごとに冷たさを増し、木々の色づきも徐々に濃さを増した。
先々ではやはり役人たちがうろついており、道行く旅人たちを捕まえては聞き込みを行っていた。
それらを回避するべくあえて深い森を進むこと数日。
一行の前に清流が現れた。
「わあっ、冷たい」
小太郎と蒼空が透き通った流れに手を浸してはしゃぐ。
一行はその河原で野宿の準備を進め、嵩重と煉、玄次郎はそれぞれに食料調達へ向かった。
「私たちは釣りでもしてましょう」
秋雪と隼人は即席の竿を手に今晩の獲物を狙う。
糸の先に注意を払いながらも、隼人の目はちらちらと小太郎たちの方に向いた。
彼らのいる辺りは浅瀬だが、流れはやや早い。
加えて気温が低いので、風邪(かぜ)を引いたりしないかと気になってしまう。
隣で秋雪が苦笑する気配がした。
「琴吹さんが見ているから大丈夫ですよ」
「や、別に俺は……」
「気になってしょうがない、って顔してますよ。
夜中だってあの子が寒くないように、何度も起きて掛布を確認しているでしょう」
「う……」
ばれていたのかと、複雑な表情で視線をそらす。
「隼人だって疲れているでしょう。そういうのは私たちに任せてくれて良いんですよ」
秋雪の言葉に、しかし隼人は首を振った。
「そういうわけにはいかない」
煉や秋雪、嵩重はもう奉公人ではない。自分の都合でものを頼むことは極力したくなかった。
小太郎を連れてきたのは隼人の一存だ。ならば彼の面倒を見るのは自分が責任を持たねばならない。
「大丈夫だよ。俺、結構楽しんでるからさ」
ふと見せられた隼人の微笑みに、秋雪は一抹(いちまつ)の寂しさを感じた。
これが自立だろうかと思いながらも、彼が少しずつの無理を重ねているのもわかる。
秋雪はめずらしく大きなため息をついた。
「隼人、私や煉はあなたと長い付き合いです。あなたが小太郎より幼い頃からだから、もう十年以上経ちますね。
正直、弟のように思っていますよ。目に入れても痛くないとはこのことだと思います」
「はぁっ? な、なに唐突に恥ずかしいこと言ってんだよ」
思わず身を引く隼人に、今度は秋雪が苦笑する。
「だから、辛くなる前に私たちを頼って下さい。一人で抱えられる重さなんてたかが知れています」
隼人は目を(しばた)いた。
「ありが……」
素直に感謝しつつ視線を下げ、固まる。
「お前何やってんの」
「へ?」
「引いてる! なんで竿持ってるくせに気付かないんだよ、信じられん!」
秋雪の竿はぶるぶると激しく震え、糸はあっちへこっちへとせわしく動いていた。
秋雪は慌てて竿を引くが、かなりの大物なのか引き上げることができない。
「だああ貸せ! お前ごと川に引きこまれそうになってるぞ」
見かねた隼人が釣竿を奪い取り、合わせて思い切り引き上げると、大きな魚影が水面から躍り出た。
秋雪が両手で受け止めるも、その反動と重さで尻もちをついてしまう。
「あたたた」
秋雪の腕の中には通常よりはるかに巨大な岩魚(いわな)が抱かれ、びちびちと身体をうねらせていた。
「なんだよその大きさ! 何かこわい」
「うわー。ここらの主、といっても過言じゃなさそうですね」
「それって、食って大丈夫なのか? (たた)りとかないかな」
「あなたそういう事言う性格でしたっけ? というか、今さら祟りとか気にしても……」
そんな繊細な心があれば大量殺戮(さつりく)など誰も行わないと、秋雪は半眼になる。
「た、確かに。よし、釣ったからには美味しく頂かないとな」
しばし二人で釣果を喜んでいたが、ふいに隼人が周囲の気配を窺うように視線を彷徨わせた。
そのただならぬ様子に、秋雪も岩魚を抱えたまま身を固くする。
「秋雪、小太郎たちのところへ戻れ。はやく」
「わかりました」
岩魚を小脇に、秋雪は彼らのもとへ駆け戻った。
残った隼人は迷っていた。
自分も戻るべきだろうか。しかし何かあった場合、自分が傍にいることで逆に彼らが危険にさらされるかもしれない。
逡巡していると、木々の狭間(はざま)で何かが閃いた。
考える間もなく身を(ひるがえ)すと、小刀のようなものが脇を通って背後の川に呑みこまれた。
「誰だ」
飛んできた方向を鋭く睨むと、さらに数本の刃物が目にもとまらぬ速さで飛んでくる。
鞘に納めた刀で叩き落とし、隼人は小太郎たちがいる方角とは逆に向かって走り出した。
木々にまぎれて明らかに追ってくる気配がする。それも一つではない。
川沿いに走り、木々が開けた場所で隼人はくるりと振り向いた。
「出て来い」
刃が続けざまに飛んでくる。
それらを払い落して舌打ちすると、素早く足元の一本を手にとり樹上目がけて投擲した。
くぐもったうめき声と同時に何かがどさりと地面に落ちる。
「臆病者ども、そんな所からじゃ俺の首は取れねえぞ」
挑発の言葉を投げかけると、複数の影が木立の間から日の下に現れた。
四名。無精髭(ぶしょうひげ)を生やし、擦り切れて薄汚れた格好の男たちだ。
「俺が誰か知っているんだろう」
剣呑(けんのん)に問うと、四人の中でも一際大きな体躯をした男がにやりと笑って懐から人相書きを取り出した。
「特徴が似てやがるからもしやと思ったが、こんな場所でお目にかかれるたぁな」
「殺人鬼がこんなひょろっちい餓鬼だとは拍子抜けだぜ」
けらけらと笑いが湧く。
隼人は表情を消してそれを見ていた。
「さぁて。首、いただくぜ」
笑みを張りつかせたまま、彼らは腰に()いた太刀を抜いて突き付ける。
隼人も鞘から刀を引き抜いて構えた。
四人がじりじりと四方を取り囲む。
背後に立った男が、刀を振り上げた。
一瞬そちらに警戒を向けるが、その刹那に三方から突きが迫る。
咄嗟にできるかぎり体勢を低くして刃をやりすごし、目の前の男の腹部へ切っ先を突き込む。
それと同時に右側の男に足払いをかけて転倒させた。
「ぐっ……」
間髪入れずに正面の男の腹から刀を抜き、包囲が崩れた右側へ飛び退く。
「痛えっ、いでえぇ!!」
「てっ、てめぇ!」
川原の砂利(じゃり)を赤く染めながらもんどりうつ子分を見て、左側にいた大男が憤怒の声を上げた。
足払いをかけられた男も立ち上がり、再度構えて斬りかかった。
応戦するべく隼人も地を蹴るが、その時白い光が閃く。
視界の隅でそれを捕えた隼人は鞘でそれを弾いた。
先ほど背後にいた小男は飛び道具での戦闘が得意らしく、離れた場所から小刀を放ってくる。
斬りかかる男をすり抜ける形で胴を薙ぎ、即座に身を翻すと迷いなく小男へ肉迫する。
「ひっ」
一瞬にして目の前へ迫った隼人に小男の口から引きつったような悲鳴が漏れた。
その痩身を蹴り倒し、左の(もも)へ刀を突き立てる。かっと目を見開く小男に構わず、右の肩を加減抜きに踏みつけた。
骨が砕ける音がして、小男の口から絶叫が迸る。
立て続けに三人がやられ、残った大男は半ば呆然と立ち尽くしていた。
小男を地に転がし、隼人は無感動な目で大男に歩み寄る。
彼はその人生でこれ以上ない恐怖をおぼえ、みっともなく震えだした。
「まっ、待て、勘弁してくれ! あんたに敵わねえのは良く分かった! もう危害を加えようなんざ考えねえから、見逃してくれ!!」
隼人がふと淡い笑みを刻んだ。
その微笑みに一瞬だけ安堵してしまった大男の胸に、次の瞬間刀身が埋まっていた。
乾いた息が口から抜ける。
「か……」
「俺の居場所を知った時点で、お前らには死ぬ道しか残っていない」
刺し貫いた刃をずぶりと抜き、肩口から袈裟掛けに切り捨てると、大男は空を掻きながら崩れ落ちた。
色の無い瞳でそれを見下ろし、踵を返して倒れ伏す三人に向き直る。
重傷を負いながらかろうじて意識のある三人は、恐ろしさに目を見開いた。
「うぁ…うわああああああああああああ!!!!」
自分たちを束ねていた大男が、ほとんど無抵抗のままその命を断たれた。
先ほど笑い飛ばした若者が今、彼らの目には鬼のように見える。
否、鬼よりもっと――。
隼人は最初に腹を突いた男のもとへ歩み寄った。
いまだにもがき苦しみながら、凍りついた瞳が隼人を凝視している。
「ひっ……」
隼人は目を細め、その首目がけて刃を一閃させた。
ほとんど痛みを感じなかっただろう。男は断末魔も上げずに事切れた。
次に胴を薙いだ男へ近付く。彼は腹を押さえながら必死に砂利を掻いて離れようとしたが、無駄な抵抗だった。
這いつくばる背にめがけ、垂直に刀を構える。
「いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!
死にたくねぇっ、たっ、助けてくれ!! 助け――」
両目からぼろぼろと涙を流し、血を吐きながら振り絞った嗚咽は背中に刀が突きたてられると共に途切れた。
男の手の痙攣が収束するのを認め、隼人は刃を抜く。そのまま、最後の男を見据えた。
肩を砕かれ足も満足に動かせない小男は、なすすべなく絶望に震える。
「お、鬼っ……化け物……!!」
ゆっくりと近づく間も、思いつく限りの憎悪を喚き散らす。
「死ね! 死んじまえ! 来るな、来るなああ!」
刀を引っ提げて歩み寄る隼人がぽつりと呟いた。
「許せとは言わない」
「てめえなんか、地獄に落ちちまえ…っ!」
「俺のことを恨んでくれて構わない」
「化け物っ、化け物め! 人でなし! 寄るな! く、くたばれ!」
「すまない」
白刃に新たな血潮が刻まれた。
糸の切れた人形のように手を投げ出し、小男の肢体が倒れる。
隼人は何かを堪えるように口を引き結び、木々の中へ視線を投じた。
木立に踏み入ると、一番初めに小刀を受けて樹上から落ちた者が転がっていた。
「あ……」
見つかった恐怖にがたがたと震える彼は、隼人より年下の少年だった。
隼人の瞳に一瞬だけさざ波が生じる。
「ごめ…なさっ……、許して…ください……!」
すがりついて懇願する少年に、無情に頭を振るしかない。
「助けて……父ちゃん、母ちゃん……!」
最期の言葉を残して、少年の命は刈られた。
自分に寄りかかった少年の身体を静かに横たえ、隼人は痛みを抱えた表情で瞑目した。
生かすわけにはいかないのだ。たとえ彼らにその気が無くとも、自分たちの居場所が知れる可能性は極力排除しなければならない。
大きく息を吸い込む。
大丈夫だ。自分はどんなに憎まれても、呪われても、平気だ。
瞼を上げると、隼人は秋雪たちのもとへ駈け出した。

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