一寸凶骨

 

四六時中何かを食べていなければ、すぐに腹が空いた。
皆で食べ物を分け合うような場面でも、己に割り当てられた量はひどく少なく思えて、あっという間に底をついてしまって。
いつもどこかに、満たされない気持ちを抱えていた。

 

生まれつき人間離れした身体の大きさだったため、図体が小さいと言うことへの興味は潜在的にあった。
憧れだとか、そうなりたいというわけではなく、あくまで興味本位である。自分には見ることのできない景色を見てみたい、入れない場所へ入ってみたい、その程度の感覚だ。
そして今、なんとそれが叶っている。
凶骨の目の前には、あらゆるものが己よりはるかに巨大な世界が広がっていた。
建具も調度も小物に至るまで、いつも見降ろしてきた全てが己の何倍も巨大だった。天井は遥か高みに見え、畳の目と思われる床の溝は足を取られそうな程大きい。
さらにどういうわけか己を取り囲むように配された、一面を彩る食べ物の数々。もちろんそれらもまた小山のように巨大で。
ごくりと喉が鳴る。
誰の許可を得るまでもなく、自然と手が伸びて、手当たり次第口に入れていた。
食べ物は平らげたそばから再び湧き出て、凶骨の胃袋を喜ばせる。
食べても食べても無くならない。そしてここには、それを咎めようとする者はどこにもいない。
夢の淵にいながら、凶骨はそれが夢であることを承知していた。
「ああ、幸せだなぁ」
――ずっとこのままでいるのも、良いかもしれない。

 

ふいに何かの衝撃を覚えて、凶骨は目を覚ました。
どうやら枕代わりにしていた岩から頭が落ちたらしい。
なかなか面白い夢だったのになあと、いささか名残惜しさを感じつつも身を起こして伸びをする。
寝ぼけ眼を開けて周囲を見回した凶骨は、しばしぽかんと口を開けた。
「ここどこだ……?」
目の前に広がっているのが、まったく覚えのない光景だったためである。
自分が昼寝をしていたのは、木漏れ日が良い具合にちらついて、大層心地よい場所だったはずだ。しかし、今いるここは鬱蒼と薄暗い。
どれほど目を擦ってみても風景に変化が無いので、とりあえず眠る以前の記憶を呼び起こしてみる。
七人隊は旅の途中で廃村に行き当たり、その中の、以前は長者が暮らしていたであろう広い屋敷を当面の寝床として使っていた。
屋敷と言っても小さな村のことなので規模はたかが知れており、長らく放置されていたため傷みはかなりある。しかし、せいぜい数日の滞在に使うだけなので、雨風が凌げればさほどの支障は無かった。
屋敷の裏手には広大な平原が広がり、そのさらに奥は山中へ続く林が連なっている、そんな場所であった。
そして自分は確か、平原にぽつんと生えた大木の下に手ごろな岩を見つけ、それを枕にしていたはずで――。
なのに今、周囲は開けているどころか、自分の背丈よりよほど巨大な緑のものが無数に地面から突き出て陽の光を遮っている。その上鼻孔をむっとするほどの青臭い香りが満たしていた。
緑のものを触ってみると、つるつるとしていたりざらざらとしていたり、さらには白い毛のようなものが生えていたりする。表面には血管のように枝分かれした無数の筋が走っていた。
しばらくそれを観察していた凶骨だが、やがて首をひねる。
そびえ立つこれはどう見ても植物の葉にそっくりだが、いかんせんあまりに巨大すぎる。
もしかするとまだ夢の中なのかもしれない。
そんな考えが脳裏に浮かんだその時、どん、と地面が揺れた。
「わっ!?」
揺れは一度で収まらず、短い間隔で幾度も続いた。
連続する振動で体が跳ねあがり、生い茂る草の高い位置まで投げ出される。
慌てて手近な茎にはしっとしがみつくと、小刻みに揺れるそこから周囲を見渡すことができた。
視線を上げると、一面の緑の海を踏みしめて、すぐそこを巨大な白い幕が通り過ぎるところだった。
「な、なんだありゃ」
白幕の正体を突き止めようと首が痛くなるほど上を向いて、ぎょっとする。
「――え?」
目に痛いほどの白布の頂上、地を揺らしながらややうつむき加減にのしのしと歩いてくる顔は、どう見ても霧骨であった。
(でっけえ…霧骨……?)
あんぐりと口を開いて、全くこちらに気付かず通り過ぎる背を見送る。その視界に、自分がしがみついているのとは別の植物の茎を上っていく巨大な影が映り込んだ。陽光を反射する黒い体躯に、頭部から生えた二本の触覚と大顎。足は六本。
「あ、あり……?」
落ち着いてよく見ると茎の天辺にある花の中へ凶骨と同じくらいの大きさの蜜蜂が潜り込み、一方では巨大な蝶がばさばさと頭上を飛んでいく。
からからに乾いた喉を潤すように、ごくりとつばを飲み込んだ。心臓がきゅっと縮む。
(え、……もしかして)
そこではじめて、凶骨は嫌な予感に思い当たった。
いや、でもそれはありえない。いくらなんでも。
自分の馬鹿げた予感を一蹴するべく、片手を頬に当てて思い切り抓ってみる。
「いでで」
すると確かに痛みを感じるし、手を放した後もじんと熱を帯びているのだった。ということは、これは夢ではない。
「嘘だろ……」
にわかには信じられず、ぽかんと口を開けて立ち尽くす。
どういうわけか凶骨の体は、およそ一寸ほどの大きさに縮んでいた。

「霧骨! 待ってくれ!!」
遠ざかる霧骨の白い背に、凶骨は声を張り上げて呼びかけた。しかし声は草を踏む霧骨の足音にかき消され、少しも彼の耳に届かない。
「霧骨……! 待って、待って、くれぇ」
追いすがろうと全力で駆けるも、双方の距離は開いていくばかり。霧骨の一歩は凶骨の何十歩にも相当し、到底追いつけるものではない。
そのうちに息が上がって、ぜいぜいと肩を上下させ立ち止まる。視線だけは追いかけ続ける中、無情にも霧骨の姿は草いきれの向こうに消えていった。
「くっそ……一体何がどうなって……」
とにかく、まずは何とかして屋敷へ戻らなければ。草地の中に埋もれていては誰にも気付いてもらえない。
凶骨は周囲をきょろきょろ見回した。
すると、丁度よく近くに巨大な飛蝗ばったが着地した。
その巨大さに一瞬ぞわりとするが、意を決して飛びつく。
突然得体のしれない生き物に掴みかかられた飛蝗は驚愕した様子で高く跳躍した。凶骨は必死で飛蝗の背にしがみつき、上下に跳んだり落ちたりを繰り返した。
かなり出鱈目でたらめに方角を逸脱しながらも、少しずつ屋敷に近づいていくのを、草の上に跳び出た際に確認する。
ほとんど木枠だけになった長者屋敷の腕木門の隙間を飛び越えて敷地内に踏み入ったと同時に、凶骨は飛蝗の背から振り落とされた。
「いってぇ……」
尻もちをついて地面に転がる。
飛蝗は羽を細かく震わせてひとしきり凶骨を威嚇すると、憤慨した風情で明後日の方向へ跳んでいった。
ふらふらと立ち上がりかけ、凶骨は軽くよろめく。
「うぷ……」
激しい上下運動に酔って吐き気を催す口元を押さえ、凶骨はのろのろと視線を巡らせた。
何とか上手いこと屋敷の庭先まで辿り着くことができたようだ。
あとは誰かを見つけて、どうにか気付いてもらわなければ。
そう考えていると、どこからか足音が近付いてきた。
音の方を振り向くと、折よく蛮骨が傾いた門の横をくぐって姿を見せる。
朝から出かけていたはずだが、用事が済んだものらしい。
凶骨は彼に駆け寄りながら必死で呼びかけた。
「おーい! 大兄貴!」
しかし、張り上げた声はどこからか響いてきた地面を揺らすほどの振動にかき消されてしまった。
「ぎし、大兄貴ー」
「おう、どうした銀骨」
見ると向こうから銀骨がやってくる。
「ついさっき、煉骨の兄貴に新しい武器を付けてもらったんだ」
「へえ、見せてくれ」
「へへ」
「大兄貴ー! 銀骨ー!!」
飛び跳ねたり両手を千切れるほど振り回して叫ぶが、まったく気付いてもらえない。
まだ距離がある銀骨の背に備わった砲筒がこちらを向き、中空へ狙いを定めた。
「そこらへんに撃つから、大兄貴、ちょっと脇に退いてくれ」
蛮骨は承知してさっさとその場を離れていく。その場に置いてけぼりにされた凶骨はまたしても嫌な予感を覚えた。
「ぎしっ、発射!」
どお、と空気が震え、わずかな反動とともに砲筒から球体が射出された。
球体は緩やかに弧を描いて凶骨の頭上へ落下してくる。
「じょ、冗談だろ!?」
凶骨は目を剥いて駆け出した。
砲弾が空気を裂いて迫りくる音がどんどん大きくなる。
逃げる足元が次第に暗さを帯びていくのは、己が球体の作る影の圏内にいるためだと悟った次の瞬間、凶骨の背後に落下物が着弾した。
突如、爆発的な音と風圧が生じ、目の前が弾けた。
全身を叩く圧倒的な音の振動と、膨大な質量の空気が一度に飛び出して、大量の砂ぼこりとともに凶骨を空中へ投げ出す。
「ああぁ――――!!!」
凶骨の体は受けた風圧にさらされるまま、蛮骨にも銀骨にも気付かれることなく彼方へ飛んでいった。
「なんだ? でかい破裂音はしたが、火は出ねえのか」
新砲弾を披露してもらった蛮骨が耳を押さえたまま首を傾げる。
これでは敵に命中したとて、ひっくり返すくらいはできても殺傷力は期待できそうにない。
「ぎし、敵をひるませるのに使えるんだって。壊したらいけねえ建物で戦う時に使えって言われた」
大きな音と空気により舞い上がる砂塵で敵の足を寸の間止め、その隙に他の者たちがとどめを刺すという寸法らしい。
「へえ、なかなか面白いもん貰ったな」
蛮骨に褒められた銀骨は上機嫌で全身をぎしぎし揺らした。

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